第8話 激動!異世界の戦い(1)
どれほど気を失っていただろうか。
自分が仰向けに倒れていることを認識し、起き上がろうと手をついた先にはひやりと冷たい土の感触。思わず手を引っ込め、がばっと飛び起きると、頭上でばさばさと小さな羽ばたきが聞こえた。ホーッとフクロウのような鳴き声にびくりとして頭上に目を向けると、地上を微かに照らす赤い月明かりが目に入った。
夜空に浮かぶのは
「……ここ、どこ……?」
口から漏れた呟きに答えるものは誰もいない。土に汚れていない方の手で
残念ながら夢ではないようだ。天上に輝く赤い月も、知っている星座が一つもない星の並びも。樹木と土の匂いも、どこか彼方から響く夜行性の鳥や獣らしき鳴き声も。身体の節々に残る痛みや疲弊感も。
――永遠に異世界を
敵の親玉の言葉が脳裏をよぎり、ここに至るまでの記憶が繋がった。そう、自分は戦いの中で暗黒の渦に飲み込まれ、
(……レッドさんは!?)
ハッと気付いて咲良は周りを見回したが、周囲には自分以外の誰もいないようだった。それを認識するやいなや、また底知れない心細さが胸を襲ってくる。何処とも知れない森の中に、自分はただ一人きり……。
僅かな光源を頼りに自分の姿を見下ろしてみると、自分の格好は先程の戦いの前と同じ、トレンチにジーンズの私服のままだった。スカートでなかったのがせめてもの幸いだが、服装なんか気にしている場合じゃない気もする。
幸い、
アニマフォンを拾い上げ、抜いたクリスタルを大事にポケットに仕舞い込みながら、あの凄絶な空中戦の光景を思い返す。
ミキサー車の怪人にドラゴンを無力化され、
「わたしのせいで……」
自分のフェニックスを敵の攻撃から庇ったばかりに、彼は。
罪悪感に胸を締め付けられながら、咲良はアニマフォンの通信画面を開いた。だが、焔だけでなく他の誰とも交信は繋がらなかった。GPSも今は動いていないようだ。
「レッドさん……」
せめて彼がこの場に一緒に居てくれたら、と思ってしまう自分を咲良は今さら不思議がらなかった。暑苦しくて鬱陶しいおっさんだが、そんな彼でも、知らない世界で離れ離れになってしまうとやはり心細い。
闇の渦に飲まれる間際、自分を見てきた彼の熱く真っ直ぐな目。彼はあの瞬間何を伝えたかったのだろう。心配するな、俺が守ってやる――とでも言ってくれていたのだろうか。
(……早く、ここから抜け出さなきゃ)
これが夢でないなら、いつまでも震えていたって仕方がない。
アニマフォンのライトで足元を照らし、咲良は闇の中で一歩を踏み出した。
敵の言葉やあの赤い月から察するに、ここはきっと元いた世界とは違う世界だろう。どうすれば戻れるのか見当も付かなかったが、それでも、森の中でじっとしているよりは、きっと出口を求めて歩いた方がいい。
――と、そんな咲良の耳に。
「……あそこだ。回り込め」
「……気をつけろ。どんな武器を持ってるかわからん」
――そんなことを囁き合う男達の声が、ふと飛び込んできた。
(誰かいる――!?)
アニマフォンを胸の前に構え、咲良は立ち止まって周囲を見渡す。この世界でも強化聴力は生きているらしく、耳を澄ますと、二手に分かれてこちらに近付いてくる何者かの足音、その息遣いまでもが、はっきりと鼓膜を叩いてきた。
先程聞こえた彼らの声は、残念ながらどちらも焔ではない。
逃げなければ、と本能が察した。きびすを返そうとしたそのとき、きりきりと何かのしなる音に続いて、ヒュンと風を裂いて飛ぶ何かが咲良の顔のすぐ近くを通り過ぎた。
「っ……!」
あれはきっと矢だ。夜闇に閉ざされて何も見えない中、再び弓の
「
変身しようとした瞬間、鋭い風切り音とともに、アニマフォンを構えた手首を新たな矢がかすめた。熱さと痛さの混ざったような苦痛が走り、アニマフォンを取り落としてしまう。
しまった、と思った瞬間、男達が二方向から飛び掛かってきた。
「いやっ!」
咄嗟に抵抗を試みるより早く、屈強な男達の腕に押し倒され、背中が冷たい地面を削る。
自分の張り上げた悲鳴が夜の森に木霊するのを、咲良はパニックに陥る意識の中で聞いた。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
次に気が付いたときには、咲良は凍るように冷たい石床の上に寝かされていた。全身を縄で縛られているらしく、後ろ手の姿勢のまま動けない。口元も声が出せないように何かの布で覆われている。目隠しはされていなかったが、僅かな
頭ががんがんと割れるように痛い。森で男達に組み伏せられたとき、何か変な薬みたいなものを嗅がされたような気がする。漫画でよく見る眠り薬のようなものだったのだろうか。
身じろぎするたび、体の節々に縄が食い込む。服は着たままなので、きっと乱暴はされていないのだと思うが――
(逃げ出さなきゃ……)
変身さえできれば、こんな牢屋なんて。
そう思って咲良はアニマフォンを探したが、どこのポケットにも入っていないようだったし、牢の床に落ちているということもなかった。きっと捕えられた際に取り上げられてしまったか、あの森に落ちたままになっているのだろう。
アニマフォンが手元になければ、生身のまま
「――!」
じわじわと侵食する恐怖に心臓を鷲掴みにされ、咲良は思わず声を上げそうになったが、口元にはきつく布が食い込んでいて声は出なかった。
ただ心だけが
(やだやだやだ。そんなの。こんなところで死んじゃうなんて!)
バジリスクの暴風に煽られた時とも、
戦いの中で死ぬのならまだいい――いや、よくはないけど、戦士の使命を果たして死ぬなら幾らかマシだ。だけど、こんな、どことも知れない世界に飛ばされて、ツクモーガとの戦いと関係ないところで殺されるなんて。
結局、自分はまだ、ほんの少ししか彼の役に立っていないのに――
(……やだ)
親達の顔や、友達の顔が、涙にまみれた
誰より、
(レッドさん……たすけて)
この期に及んでそんな言葉が頭を占めてしまうのは、一人前の戦士の態度じゃないときっとまた怒られるだろうが――
怒られるのでも何でもよかった。今すぐ彼が自分の前に立ってくれるなら。
(助けて……!)
声にならない叫びが牢に反響する。彼を嫌い続けた
うるさくて暑苦しくて厳しくて鬱陶しくて暑苦しくて暑苦しいおっさんだけど、それでも、彼は最初から自分と真剣に向き合ってくれていたのに。
早く一人前の戦士になれるよう、絶えず自分を導いてくれていたのに。
未熟さゆえに次々ピンチに陥る自分を、何度も体を張って助けてくれたのに。
そのたび反省を繰り返しながらも、自分は結局、彼との間の心の壁を最後まで取り去りきることができなかった。苦手だとか嫌いだとか言わないようにしようと思いながらも、結局、最後の最後まで、自分の心はどこかで彼を拒絶したままだった。
彼が暑苦しいおっさんだという、ただそれだけの理由で――。
(……そういえば、光璃さんとレッドさん、ほんとに付き合ってたのかな)
もう生きて会うこともないかもしれないと思うと、なぜかそんなことが頭に浮かんだ。
(だったら……やだな)
どうして自分がそう思うのか、咲良にはわからなかった。
自分を助けてくれた彼の手が、同じように他の誰かの手を握り続けてきたことを。自分のために敵を斬り伏せてくれた彼が、同じように他の誰かを守り続けてきたことを思うと、なぜだか無性に切なかった。
(……わたし、十年早く生まれたらよかったのに)
そうしたら、きっと、他の誰より早く、若い頃の彼と――。
「――」
「――」
……そのとき、深い絶望に身を横たえた咲良の耳に――
「――放せ! ――だ!」
「――です、――でも――」
……突如、そんな声が響いてきた。
(……だれ?)
幻聴ではないその声に、咲良はそっと目を開ける。
「――伝説の勇者様といえども――」
「――うるさい。道を開けないなら力ずくで――」
暑苦しく叫ぶその声が、死ぬ前に聞きたかった彼の声のような気がしたから。
「勇者様、困ります!」
「どけっ! ここに居るのは俺の仲間かもしれないんだ!」
声に続いて足音が近付いてくる。相手を突き飛ばし、ここに駆け込んでくる誰かの足音が。
涙に濡れた目を見開き、痛みに耐えて咲良が顔を上げた先には――
「咲良っ!!」
――紛れもない竜崎焔の、暑苦しく険しい顔があった。
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