第5話 憂鬱!焔の束縛指令(3)
「あ……あっ……!」
凍てつくような恐怖に心を鷲掴みにされ、咲良は眼前のそれに視線を引き付けられていた。
ベンチの前に立ち上がったその影は、白い顔に白い手足、デッサン人形のような細い体。和洋の折衷した男物とも女物ともつかない極彩色のボロ切れを纏い、光の宿らない細い目でこちらをじっと見据えてくる、不気味な
「……っ」
声を出そうにも声帯が動かなかった。敵の肩越しに真っ暗な公園の風景が見える。いつの間にか周囲には誰もいなくなっていた。ベンチから立ち上がろうにも、震えて身体が動かない。
――
焔に今朝言われたばかりの言葉がかろうじて頭に蘇る。そうだ、こんなときは自力で変身して脱出できないと、またあのおっさんに怒られて――
一瞬だけそんな考えを巡らせた直後、咲良はその
変身はできない。だったら――
(そうだ……レッドさんを……みんなを呼ばなきゃ……!)
何かあったら自分か
(……圏外……!?)
それでも構わず連絡先から焔の名前を呼び出すが、震える手で耳に当てたスマホからは不通を示す無機質なアナウンスが流れるだけだった。
敵はなぜか襲ってこない。表情のないその顔が、なぜか、にやにやと
「無駄ですよ。ここは私の結界の中……。人間の作った電波は繋がりません」
そんな。だって、ここは、普通に都心の公園だったはず――。
思わず再び敵の姿を仰いでしまった。どこかコミカルな他の怪人達とはまるで違う、不安と恐怖だけを凝縮したような不気味な人形の顔に目が引き付けられる。がたがたと肩が震え、咲良はスマホを取り落とした。
目の前の全てが夢だと思いたかった。だが、ベンチのひんやりした硬さも、スマホからまだ流れている不通のアナウンスも、疑いようがないほど本物で――
「……ど、どうして」
こんな
「どうして、ツクモーガが、人間に――」
「おや、一介の
うやうやしい口調で言いながら、敵がすらりと何かを引き抜く。咲良の眉間に突き付けられたそれは、
「と言っても、もうお別れなのですが……」
「い、いやっ」
咄嗟に逃げようとしてベンチから転がり落ち、咲良は地面に尻餅を付いた。後ずさろうとする身体がもう動かない。逃げられない。たとえ動けても、怪人を相手に生身の自分の足では逃げ切れるはずがない。
嫌だ。死にたくない。まだ何もしていないのに。一人前の恋も、戦士の使命も、まだ自分は何も――。
「お望み通り、あなたを解放してあげましょう。多くの先輩達が待つあの世へ送ってね」
ひゅおう、と敵が刀を振り上げる風音。大きく見開いた瞳を閉じることもできないまま、咲良はひたすらに身を
やっぱり、あの人の言っていたことは正しかった。彼の言う通り、もっと気をつけていれば――
(……レッドさん)
あの暑苦しい顔を思い返し、
(……ごめんなさい)
振り下ろされる敵の
闇の中に一条の流星を引くように――
聞き覚えのある銃撃音が、敵の刃に代わって咲良の頭上を
「がっ……!」
敵の
「咲良ァッ!」
暑苦しく自分の名を呼ぶ、あの人の声だった。
「――!?」
恐る恐る目を見開き、そして咲良は見た。脳天を撃ち抜かれて頭部がばらばらになり、それでも四肢を動かし続ける敵に、
「レッドさん……!」
咲良が声を上げるのと、焔の銃が敵の両足を立て続けに撃ち抜くのは同時だった。
助かった――
そんな、戦士としては情けないかもしれない、それでも当たり前の感情が、じわりと咲良の胸を満たしていく。
「咲良!」
焔が再び咲良の名を呼び、何かを投げ渡してきた。咲良の出した手にぽんと収まったそれは、彼が取り返してくれたアニマフォンだった。
頭部と両足を砕かれた敵は、物言わぬ
「やはり俺が見張っているべきだったな」
そんなことを言いながら彼が駆け寄ってきた。咲良ははっと気付いてスカートに手をやる。命を奪われる寸前から僅か数秒、そんなことを気にする余裕が戻ったことに何より自分が驚いていた。
「怪我はないか」
思わずふるふると首を振ると、彼は無造作に手を差し出してきた。
また助けられてしまった。自分はこの人が苦手なのに。苦手だと言い続けておきたいのに。そんな自分を、彼はまた――。
どんなに嫌われていても見捨てはしないと、バジリスクの起こした強風の中で彼が言い放ってきた言葉が、咲良の心の深いところにリフレインする。
目の前に差し出された彼の手に、自分の手を伸ばそうとして咲良は
焔の目をまっすぐ見られず、咲良が逡巡したそのとき、
「相変わらず冗談の通じない方ですね、あなたは」
あの敵の声が、再び焔の背を飛び越えて咲良の鼓膜を叩いていた。
「あっ……!」
咲良が目を向けたその先では、砕かれた頭と両足をがちゃがちゃと復活再生させた人形の付喪神が、ゆらりと立ち上がるところだった。
「冗談だと? 貴様……!」
焔の声は珍しく怒っているように聞こえる。いや、彼はいつだって悪への怒りを燃やしているのに違いないが、今の彼の横顔は、戦士の顔とは違う、一人の人間としての怒りに燃えているように見えたのだ。
「そんなに怒らないでくださいよ、レッドライザーさん。なに、新しいピンクが入ったと風の噂に聞いたものでね、ほんの少しからかってみただけじゃないですか」
「からかうだと。咲良の命を狙っておきながらふざけたことを!」
咲良はアニマフォンを片手になんとか立ち上がり、焔と敵の言葉の応酬をはらはらした気持ちで見ていた。
敵は無表情な人形の顔の裏に愉悦の色を隠し、焔を挑発して楽しんでいるようにも見える。対する焔は、わなわなと震える拳を握り締め、今すぐ敵を八つ裂きにしたい衝動を必死に抑え込んでいるように感じられた。
「お怒りなら私を倒しますか? レッドライザーさん。ひ弱な私など、あなたなら一撃で倒せますよ」
「……」
怒りに唇を引き絞ったまま、焔が再びこちらに振り向いてくる。
「帰るぞ、咲良」
「えっ!? アイツを倒さなくていいんですか!?」
咲良が驚いて声を上げると、彼はふうっと小さく息を吐いた。
「いいんだ。奴は……」
「ふふふふ。私は
彼の言葉を哄笑で塗り潰し、敵自身が説明を引き継ぐ。
「新しいピンクさんも覚えておいてください。私はジンダイの言葉をあなた方や
「……そういうことだ。奴は人間を襲わない。君が無事なら俺はそれでいい」
「そんなっ――」
納得できない咲良の手首を無理やり取って、焔はもう歩き始めていた。勢いのままに数歩連れていかれたところで、初めて彼の熱い手の感触に心の抵抗が追いつく。……しかし、今の咲良には、このおっさんのボディタッチ以上に気に入らないことがあった。
あのふざけた人形め、わたしを殺そうとしておきながら、よくもぬけぬけと「人間は襲わない」なんてキレイゴトを……!
「レッドさんっ。本当にいいんですかっ」
焔に手を引かれて早足で歩を進めながら、咲良は敵の立つほうを振り返った。いつの間にか夜の公園には人通りが戻っており、不気味な人形の付喪神の立ち姿を遠巻きにざわざわと眺めている。
そんな中、敵は、落ちていた刀をすっと拾い上げて
「わ、わたし、アイツに殺されかけたんですよ!?」
「ああ。これに懲りて二度と知らない男に気を許さんことだな。君が舐められてる限り、奴は顔を変えて何度でも来る」
「っ……!」
焔は歩速を緩めようともしなかった。ぐいぐいと彼に引っ立てられながら、それでも咲良は敵の姿を視界に捉え続ける。
自分で自分の身を守れなかった恥ずかしさと、また襲われたらどうしようという恐怖と、焔の言うことを聞かなかったせいで窮地に陥ってしまった申し訳なさと、いやそもそもそんな言いつけを守らなければ命の危機に晒されるという理不尽な状況への憤りと――
何より、このままこの暑苦しいおっさんに借りだけを残してはおけないという小さな意地が、咲良の心に火をつけた。
「レッドさん、ごめんなさいっ」
「む?」
「わたし、やっぱりアイツを許しておけません!」
それほど強く握ってもいなかった焔の手を振り払い、咲良はアニマフォンを握り締めて敵に向かって駆け出していた。
人間を襲わない敵は倒さないとか、焔達なりの紳士協定なのか何なのか知らないが――
一人前の戦士じゃないからと舐められて接近されて、実際に命を奪われかけて、そんなヤツを黙って見逃しておけるほど自分は出来た子じゃない。
それに、焔に助けてもらった穴を埋めなければ、この先自分は、気兼ねなく彼を嫌うことすらできなくなる!
「咲良、待てっ!」
「――
衝動の導くままにアニマフォンをかざし、咲良は疾風とともにピンクライザーのスーツを身に纏った。ゴーグル越しの視界の先で敵が「おや?」と間の抜けた反応を見せる。腰のホルスターから
しかし――
「ふふ。舐められたものですね」
「ッ――」
低空から飛び込んだ咲良の剣閃は、敵の身体を捉えなかった。
目にも留まらぬ早業で敵は刀を抜き、咲良のライズカッターを手元から弾き飛ばしていた。視覚で聴覚で触覚で、咲良がそれを認識したその瞬間には、既に返す刀の一撃が咲良の身体を
スーツに散る火花とともに凄まじい激痛が走り、身体が吹き飛ばされる。その一瞬で悟らされた。敵と自分の力量差を――
「く、うっ……!」
背中から地面に叩き付けられる鈍い感触。ばちばちと火花が爆ぜ、変身が解除される。唇に滲む血の味を感じ、激痛に耐えて顔を上げた瞬間、ひゅん、と敵がこちらに切っ先を向けてくる。
殺される――
金縛りに遭ったように指一本動かせない咲良の横を、
「貴様ァァ!」
(! レッドさん――)
レッドライザーのスーツを纏った焔が、
「トアァッ!」
刀身から烈火の炎が噴き上がり、大剣の一撃が敵の五体を脳天から打ち砕く。敵は憎まれ口の一つ叩く
ドラゴンブレイカーをがつんと地面に突き立て、僅かに息を切らしながら、レッドが
まだ動けない咲良の耳に、後ろからバイクのエンジン音が迫ってきた。
「咲良っ!」
「焔どの!」
仲間達の声に振り向けば、疾人、大地、光璃の三人が、各々のバイクの
「咲良、大丈夫?」
自分に駆け寄って声を掛けてくれた光璃に、咲良が小さく頷いたとき、ぐおんと大きく地面が揺れた。
「ウウゥガアァァッ!」
巨獣の咆哮の如き唸り声を上げ、人形の付喪神が全高数十メートルの巨体と化して夜の街に立ち上がる。ずしんと敵が歩を踏むたび、ぐらぐらと巨大な揺れが地上を襲った。
「また出やがったでござる……!」
「何だよオッサン、ミタマのヤツ倒しちまったのかよ!?」
疾人がレッドライザーに食って掛かっていた。
ふらつく身体を光璃に支えてもらいながら、咲良は敵の巨体を見上げる。今の疾人と焔のやりとりは、一体どういう意味だろう――?
「ふふふふ。ご苦労さまです、アニマライザーの皆さん」
「っ!?」
瞬間、咲良は目の前の光景に目を見張った。今倒されて巨大化したばかりの人形の付喪神と、全く同じ形のものが、そこにゆらりと立ち上がっていたのだ。
「ど、どういうこと……」
「アイツは倒されても何度でも復活するの。倒された方がちゃっかり巨大化しながらね」
「だから、ヤツのことは放っておくのがセオリーなのでござる」
光璃と大地の簡潔な説明に、どうにか咲良は理解を追いつかせた。等身大で倒された
「そんなっ……わ、わたしが余計なことしたから……」
たちまち沸き上がる恥ずかしさに、咲良が思わず口元を覆っていると、
「今は後悔しても始まらない。ヤツを倒すぞ!」
巨大化した敵をびしりと指差し、
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