第5話 憂鬱!焔の束縛指令(2)

 やっとのことで一日の授業が終わった。咲良は席に座ったまま、こそっとスクールバッグの中でスマホを開き、本日何度目かのグループラインの画面を表示させた。

 変換履歴から「てーじれんらく」の文字を素早く打ち込んで送信し、画面を閉じる。その直後、間一髪の差で友人が背中側から咲良の手元を覗き込んできた。


「さーくらっ。誰とラインしてんの」

「ひゃっ。し、してないよ」


 ギリギリ画面を見られなかったことに安堵しつつ、咲良は彼女に振り向く。


「ウソだー。休み時間のたびに何かコソコソしてたじゃん」

「あれは……えっと、気になるニュースがあって、チェックしてただけ」

「ふぅーん?」


 友人はニヤニヤした笑みを崩さなかった。彼女と連れ立って教室を出ながら、咲良は「ホラ、万博どこに決まるかが気になってて」とバレバレの言い訳を上塗りする。

 それがただの方便なのは当然友人にもわかっているだろうが、ウソでごまかすのはつまり明かしたくない事情があるということで、それ以上突っ込むなという意思表示なのは女子の不文律として彼女も理解しているはずだった。


「まあいいけどさー。今日は部活来るの?」

「行く行く」

「よかった。ナッコ達もみんな心配してるよ? 咲良が春休み中サボりまくるからー」

「……悪いとは思ってるもん」


 自分が度々部活を休んで何をしているかなんて、親しい友達にだって言えるはずがない。先日のバジリスクの一件で怪我した時だって、怪我の事実も治りの早さも人に見せるわけにはいかず、結局理由を言えないまま何日も自宅に引きこもってしまったのだ。


「なーんか、今の咲良、去年のハルカ先輩みたい」

「えっ!? ぜ、全然違うって」


 ふいに前任者の名前を出され、咲良はどきりとした。言われてみれば、去年一年間のあの先輩の見え方と、今の自分の見え方は、同じことをしているのだから似ていて当然のはずだった。

 なんだか不自然な休み方をする人だなあ、裏で何かやっているのかな、と当時の咲良自身も思っていたものだったが……。今の自分も、きっと周りから同じように思われているに違いない。


「まあ、咲良が楽しいなら何でもいいんだけどー」

「……べつに、楽しくなんか……」


 咲良の漏らした呟きに友人は何かを勝手に察してくれたのか、それ以上掘り下げてくることはなかった。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 早朝の訓練の疲れを必死に隠して体操部の練習をやりきり、体育館のシャワールームで汗を流して、咲良は友人達と一緒に学校を出た。

 駅で彼女達と別れ、電車の座席に運良く座れたところで、あっと思い出してスマホのラインを開く。咲良が最後に打った「てーじれんらく」にはしっかり「既読4」の表示が付いていた。焔との一対一のラインではなく、五人のグループラインに連絡を送ることにしているのは、せめてもの抵抗のつもりだった。


『部活終わって帰ります』


 手短なメッセージを送信し、画面を閉じて息を吐く。ブラックアウトした画面に映る自分の顔は疲れ切っていた。あのおっさんに戦士として鍛えられるのは百歩譲って仕方ないとしても、私生活までも束縛してくる空気が咲良には我慢ならないほどキツかった。

 ハルカ先輩にもあの人はこんなふうに当たっていたのだろうか。だとしたら、一年戦い抜いた末に彼女がイケメンとの恋愛に流れてしまったのも、元はと言えばあの人の締め付けが厳しすぎたせいだったりしないだろうか……?


(ほんっと、余計なお世話なんだけどなー……)


 そこまで厳しく見張らなくたって、どうせ今の自分には出会いだってないし。あるとしたらナンパくらいだけど、今朝の男性みたいなチャラい人は流石に相手にしないし。仮に素敵な男性に声を掛けられたとしたって、そんなにすぐにハルカ先輩みたいなことになるわけないし、一応自分にだって戦士の使命感くらいはあるし。

 それなのに、知らない男性と話すことさえ許さないなんて。

 戦士としてだけじゃなく人間としても未熟と扱ってくるような焔の態度が、咲良には悔しいやら腹立たしいやらで仕方なかった。調子のいいときには「君はもう立派なアニマライザーの一員だ」とかなんとか言ってくるくせに……。


「お疲れのようですね、お嬢さん」


 物思いに沈んでいた咲良の耳に、ふいにそんな言葉が飛び込んできた。

 柔らかな印象の男性の声だった。声のした方を振り仰ぐと、すぐ右隣に座った上品なジャケット姿の若い男性が、にこりと咲良に微笑みかけてきていた。


「え……?」


 自分に話しかけてきたことは分かっていながら、咲良は無意識にぱちぱちと目をしばたかせる。


「何かお困りでしたら、お話を聞きましょうか?」


 男性の声量は周囲に聴こえない程度の小声だった。にもかかわらず、たとえ強化聴力がなかったとしても、その声ははっきり自分の耳に届いたのではないかという気がした。

 緊張に身が強張こわばるのを感じつつも、咲良は自然とその人の顔を観察してしまっていた。色白で、目鼻立ちが端正で、どこか中性的で――人形のように綺麗な顔をしているのに、目立った特徴を何も感じられない。この人の前を離れた一秒後にはどんな顔だったか少しも思い出せなくなりそうな、そんな不思議な顔だった。


「いえ……。あの、わたし……」


 知らない男に話しかけられても口を利くな、とうるさく繰り返す焔の顔を思い返し、咲良はふるふると首を振って目をそらそうとする。あのおっさんの言葉がなかったとしても、そもそもこんな風に電車内でいきなり話しかけてくるなんて、ろくなものじゃないというのは女子の勘として理解はできた。


「大丈夫ですよ、聞くだけですから。新しい人間関係にストレスを感じているんですね?」


 そんな女子の自衛術をひらりと乗り越えるように、男性の言葉が咲良の意識に攻め込んでくる。

 顔を背けて無視を続けようとしたが、彼の言葉には、咲良をもう一度振り向かせるが宿っているようだった。


「あなたはもう辞めたいのでしょう。一度は受け入れて始めてはみたものの、次々降りかかる人間関係のトラブルに辟易している……。違いますか?」

「……べつに、トラブルってほどじゃ」


 思わず言い返してしまって、咲良はハッとして口を抑えた。自分はなぜ、この人に返事を――。

 男性の目が咲良の瞳を自然な動きで覗き込んでくる。彼の目にはただ自分の姿だけが鏡のように映っているように見えた。


「今、を思い浮かべましたね? あなたはその誰かを嫌っている。できることならその人と距離を置きたいと思っているが、周りの圧力がそれを許さない。違いますか?」

「……嫌いっていうか、何ていうか……」

「降りましょうか」


 男性の席を立つ動きに合わせ、なぜか咲良は立ち上がっていた。電車は大きなターミナル駅に停車していた。

 まだ自分の降りる駅ではないのに。こんな得体の知れない人に付いていくことなど普通なら有り得ないのに――

 男性の醸し出す空気に不思議と抗うことができず、気付けば咲良はふらりと彼の後に付いてホームに降り立っていた。



「誰しも人間関係に押し潰されそうになることはあります。あなたのお年頃なら尚のこと」

「……まあ、押し潰されそうってほどでもないんですけどね」


 都心に開けた緑の公園のベンチに腰掛け、咲良は正体不明のその男性と言葉を交わしていた。男性は咲良のパーソナルスペースに過剰に踏み込むことはせず、適度な距離を保って隣で足を組んでいた。

 公園の緑は既に夕暮れに包まれようとしている。早く家に帰らないと母も心配するだろうな、と冷静な思考もちゃんと働くのに、なぜかその男性の隣から離れる気になれない。


「でも、あなたは現に沈んだ顔をしていた。にあれこれ言われるのがイヤなのでしょう?」

「……え?」


 どくん、と心臓が脈打つのを感じた。

 詳しいことは何も話していないのに、なぜこの人は、自分の苦手な人の性別が男であることを――。


は自分が強すぎるあまり、仲間にもそれを求めてしまうところがありますからね。もそう言っていたことがありますよ」

「えっ……ハルカ先輩を知ってるんですか!?」


 咲良は驚いて声を上げていた。周囲の人々は誰も反応してこない。隣から咲良の目を覗き込んでくる男性の目が、きらりと夕焼けに照らされて光ったように見えた。


「そう、ハルカさんもアニマライザーを辞めたがっていた……。あなたも戦士を辞めたいんじゃありませんか?」

「……わ、わたしは……」


 ぞくりと冷たい空気が自分の全身を包んでいるような感覚。バクバクと高鳴る胸の鼓動を押さえ、咲良は意識して息を呑む。


「……誰にも受け継がせないって、決めたんです。自分の代で戦いを終わりにするって。そ、そのために、出来る限りのことをしようって――」

「ツクモーガを全滅させられると思っているのですか? 既に新たなジンダイが動き出しているというのに?」

「じんだい……?」


 知らない響きのその言葉をオウム返しすると、男性はにこりと笑ってきた。


「これからの戦いがより厳しいものになると、レッド達は言っていませんでしたか?」

「……い、言ってました。新しい黒幕が出てくるからって」

「その戦いに巻き込まれれば、あなたの命も危うくなる。ならば今の内に逃げてしまいましょう。なあに、あなたが辞めても、誰かが次のピンクライザーになるだけですよ」


 男性は身体を寄せたり手を伸ばしたりはしてこなかった。だが、その視線が持つ不思議な磁力は、咲良をその場から一歩も動かさないだけの力を持っていた。

 その時、傍らのスクールバッグの中で、ラインの通話の着信を告げるバイブレーション。


からの電話ですかね?」

「……た、たぶん……」


 咲良はちらりとバッグを見た。ブーブーと震え続けるバイブレーションの向こうに、焔の暑苦しい顔があるような気がした。

 気付けばとうに日は暮れていた。なんだかおかしい。電車に乗って「帰ります」とグループラインに投稿してから、まだそんなに時間は経っていないと思ったのに――

 そのままバッグに手を伸ばさず逡巡していると、今度は制服のポケットの中から着信メロディが鳴り始めた。肌身離さず持っておくようにと言われた変身携帯アニマフォンだ。


「……わたし、出ないと……」


 鳴動するアニマフォンを咲良がポケットから取り出したとき、


「それを手放せば、の束縛からも楽になれますよ」


 目の前の男性の声が、咲良の意識を鷲掴みにしてきた。


「ともすれば、あなたにとって苦痛なのは、戦いの宿命よりもの存在なのでしょう」

「……べ、べつに、わたし、そこまで……」

「このままでは、あなたは素敵な男性の一人ともお付き合いできないまま、にこき使われてうら若き命を落とすことになりますよ。ハルカさんのように逃げないのならね……」


 男性の視線が突き付けてくる。おまえの行く道には二択しかないのだと。

 ハルカのように戦士の使命を放棄して逃げ出すか、それとも青春を棒に振って戦い続け、いつか死ぬしかないのだと――


「……て、敵をみんな倒して、そ、そのあと幸せになりますもん!」


 鳴り続けるアニマフォンを握り、勇気を振り絞って咲良は声を張ったが――


「あなたの力でそれができるとでも?」


 静かな口調のままさくりと突き出された言葉の刃に、咲良の心臓は串刺しにされていた。

 認めたくないのに、自分の意識の奥底からも湧き上がってくる。「できるわけがない」という諦めの言葉が。

 自分なんて、生身の焔に竹刀で一撃食らわせることすらできないのに――

 その焔達が十年掛かっても全滅させられずにいる敵を、どうして自分の代で倒せるだろうか。


「……わたし」

「アニマフォンをこちらに。それであなたは自由になります」

「……!」


 そんなことはだめだと、意識の片隅ではもう一人の自分が叫んでいたが。

 咲良の震える手はもう、男性の言葉に抗う力を残していなかった。


(……だめ)


 恐怖に凍える心の奥底で、確かにそう思ったのに、


「そう。それでいいんです」


 その意志に逆らって、咲良の手はもう男性にアニマフォンを手渡してしまっていた。


「これであなたは――」


 しいん、と周囲の音が不気味に静まり返る中、男性の声だけが咲良の五感に響く。


「――永遠に自由となる」


 男性の姿がぐにゃりと歪み、その目が、鼻が、口が、のっぺらぼうのように顔面から溶けて消え失せる。

 次の瞬間、視界に映るのは、咲良のアニマフォンを握って立ち上がる、白い肌のの――


「っ……!」


 ――宿人形にんぎょう姿

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