第5話 憂鬱!焔の束縛指令(1)

「どうした、咲良さくら。遠慮しないで掛かってこい」


 仮面マスクのゴーグル越しの視界に映るのは、竹刀を構えたほむらのジャージ姿。いつものように無駄に太い眉をして、いつものように黒髪を炎のようにうねらせた三十路のおっさんが、いつものように暑苦しい視線をぎらりと咲良に向けてきている。


「……いいんですか? だって、ホラ、こっちは変身してるんですし……」

「心配は要らん。全力で来い」


 さらっと言い放つ焔の口ぶりにムカついて、咲良は竹刀の柄を握る手に思わず力を込めた。強化スーツの手袋グローブを通じて、みしりと堅い手応えが返ってくる。

 いくら焔といえど、スーツを纏った自分を相手に生身では勝負にならないんじゃないかと思うが――


「行きますよっ!」


 ――そっちがやれと言うなら、やってやろうじゃないか。


 早朝から自分だけ訓練に付き合わされている苛立ちを込めて、咲良は両手持ちの竹刀を上段に振り上げ、思い切って焔に斬り掛かった。だが――


「ッ!」


 瞬間、焔の剣閃が容易く咲良の竹刀を手元から弾き飛ばし、


「えっ、ちょっ、待って――」


 あまりの早業にたじろいだ隙を狙って、ひゅおっと縦一文字の斬撃が咲良の仮面マスクの脳天に振り下ろされていた。


「痛っ!」


 反射的にそう叫びはしたものの、アニマライザーの身体に生身の竹刀の一撃など決して痛くはない。だが、それでも咲良はゴーグルの下で目を見開いたまましばらく動けなかった。コンマ数秒ほどのやりとりで突き付けられた、圧倒的な技量の差に。


「早く竹刀を拾え。続けるぞ」

「……わ、わかってますよ!」


 咲良は傍に落ちていた自分の竹刀をがっと拾い上げ、焔に向けて構えた。彼は無駄に彫りの深い顔で真正面からこちらを睨み、無駄に真剣な声で「来い」と促してくる。


「むぅ……! 食らえっ!」


 動体視力もスピードも、スーツを纏った自分の方が明らかに上のはず――

 今度は弾き飛ばされないように竹刀をしっかり握り締め、咲良は右からの袈裟懸けを焔に振り下ろした。だが、焔の竹刀が容易くそれを受け止めたかと思うと、一瞬と置かず、返す刀の一閃が咲良の胴を狙ってくる。

 身を引いて何とかその斬撃をかわした、と思った瞬間には、いつの間にか軌道を変えた焔の竹刀が逆側から咲良の胴に打ち込まれていた。


「っ……!」


 痛みはなく圧力だけを感じる。衝撃にバランスを崩し、咲良は道場の床に倒れ込んでいた。


「立て、咲良。痛みはないだろう」


 立ったまま自分を見下ろしてくる焔の視線が悔しい。登校前の朝から早起きして一対一サシの訓練に付き合わされた挙句、ただビシバシ打たれるだけで終わるなんて――


(ムカつく……!)


 何とかやり返してやらなければ気が済まない。

 苛立ちに突き動かされるがまま、咲良はバネのように飛び起き、竹刀を振りかぶった。不意打ちで一本取ってやる。仕切り直さないとダメなんて言ってないそっちが悪い!


「――甘い!」


 そんな咲良の一瞬の目論見は、その動きを最初から読み切っていたかのような焔の剣閃に弾き返され、


「えっ!?」


 目にも止まらぬ勢いで迫る焔の突きが、首元に真正面から叩き込まれていた。


「あうっ……!」


 痛みはない。あくまで痛みはないが――

 スーツを介しても吸収しきれない衝撃が、どうっと咲良の身体を後方へ吹き飛ばし、道場の壁に叩き付けた。

 壁に背中からぶち当たったその衝撃も、咲良の身体には一切の痛みを伝えてこない。だが、変身もしていない焔にひたすらコテンパンにやられている理不尽さが、苛立ちの炎と化して咲良の胸に噴き出してくる。


「ちょっと……! 今のはやりすぎでしょ、レッドさん!」


 顔を上げて思わず文句を吐き出すと、焔は無造作に竹刀を自分の肩に乗せたまま、ふん、と息を鳴らした。


「これからの戦いの厳しさはこんなものじゃ済まない。君が早く一人前になってくれないと、俺達全員の、そして地球の皆の命が危ないんだ」

「……それは、そうかもしれないですけど!」

「いいから掛かってこい。俺から一本取れるようになったら終わりだ」


 びしりと挑発めいた仕草で竹刀の切っ先を突き付けてくる焔。彼が認めるまで毎朝訓練を続けるというのは既に聞かされていた。新人の自分が一番頼りないのはわかっているが、それでもやっぱり、花の女子高生たる咲良としては納得できない気持ちも募る。

 せっかく新学期も始まったのに、何が悲しくて、好きでもないおっさんと毎朝顔を突き合わせなければならないのか……!


「ああぁっ、もうっ!」


 咲良は竹刀を握って駆け出し、渾身の力を込めて焔に斬り掛かる。だが、ダメだ。振り下ろす剣閃は全て焔の竹刀に受け止められ、気付いた時には先に一本を入れられている。何度挑んでもその繰り返しだった。


「生身の俺にも勝てんようでは、ここから先の戦いでは生き残れない!」

「く……うっ!」


 何度打たれたかわからない胴を抜かれて、咲良は膝をついた。足に力が入らなかった。気付けば自分の息は上がり、身体はふらふらになっていた。

 強化スーツの力は、いつまででも無限に発揮できるわけではないのだ。


「君はまだ身体がスーツに慣れていないから、俺達よりも消耗が激しい。エネルギー消費の勝手を覚えるんだ。バジリスクが呼べるようになったとはいえ、君自身がバテやすいままでは満足に戦えない」

「っ……。わ、わかってますよ……!」

「バイクにも早く乗れるようになれ。今のままではいずれ困る」

「わかってますって!」


 咲良は床を叩いて声を上げた。自分がまだ皆の足を引っ張ってしまっていることはわかっていたが、いちいちお説教のように言われると無性に腹立たしかった。

 望まずして押し付けられた使命を、これでも自分はやれる限り頑張っているのに……!


「今日はここまでにしておくか」


 焔に言われ、咲良は無意識に壁の時計を見た。学校には十分間に合う時刻だったが、登校前からこんなに疲れ切ってしまっていては、クラスの皆に心配されそうだった。ただでさえ、春休み中は何度も部活の練習を休んでしまって、色々と勘ぐられてしまっているのに……。


「じゃあ、俺はバイトに行くからな」


 変身を解いた咲良の耳に焔のそんな言葉が飛び込む。これだけ激しく動いた後にもかかわらず、彼が汗一つかいていないのがまた憎たらしかった。


「遅刻するなよ」

「よ、余計なお世話ですっ」


 タオルで首元の汗を拭き、仮面マスクの下で潰れたショートボブを申し訳程度に整えて、咲良はスクールバッグを摑み上げた。

 道場を出て、無人の秘密基地を焔と二人で通り抜け、上の喫茶店の通用口から地上に出る。道行く人々の雑踏が、日常の世界に帰ってきたという安心感を咲良に抱かせた。


「ああ、そうだ、咲良」

「はい?」


 やっと一旦離れられると思った矢先、焔は咲良を呼び止めてきた。


「これから君に近付いてくる男には気をつけろ。敵が化けている可能性がある」


 声をひそめた焔の言葉は、強化聴力を備えた咲良の耳にはっきり届いた。


「え?」

「わかってるだろうが、変身携帯アニマフォンは肌身離さず持ち、いつでも変身できる態勢を保っておくんだ。怪しい男に声を掛けられたら必ず警戒しろ。何かあったらすぐ俺か光璃ひかり達を呼べ」

「……はぁ。なんかよくわかんないですけど」

「とにかく、知らない男が話しかけてきても口を利くな。全て敵だと思え。いいな?」

「はぁ。まあ、アタマには置いときます」


 言い返しても面倒そうなので適当に返事をして、咲良は焔と別れて駅への道を急いだ。

 正直、彼が何を思ってそんなことを言ってきたのかは全くわからなかった。敵に警戒しろというのは理解できるが、接触してくる男性を敵と思えだなんて、いくらなんでも話が飛躍しすぎじゃないだろうか。

 ツクモーガは地球の邪気が生み出す心無き付喪神つくもがみ。それが人間に化けるなんて、とても考えられないが……。


(もしかしてあの人……わたしに恋愛させないために、あんなこと……?)


 ハルカ先輩のように彼氏を作って戦団を抜けられては困るから、男に近付くなと言ったのだろうか。わざわざ「敵が化けているかもしれない」なんて非現実的な方便まで使って。

 だとすれば、やっぱりムカつく。そんなの余計なお世話だ。自分にだってそのくらいの分別ふんべつはある。


「ほんっとに、もう……!」


 小さく一人で悪態をついて、駅の構内に入ろうとした、その時。


「ねえねえ、キミ」

「え?」


 咲良の横から、ふいに声をかけてくる男性の姿があった。


「駅の南口ってここで合ってるのかな。オレ、よくわかんなくてさ」


 あ、ナンパだ――。そのくらいのことは咲良にもコンマ一秒でわかった。いかにも遊んでいそうな外見の若い男性。道に迷ったふりをして女の子に声をかけ、巧妙に連絡先ライン交換に持ち込もうとする魂胆が見え見えだ。


「南口は逆側ですよ」

「あ、そうなんだ。どう行ったらいいかな? キミ、この駅詳しかったら、ちょっと案内――」


 男性がぐいぐいと咲良のパーソナルスペースに踏み込んでこようとした、その瞬間、


「やめないか。他を当たれ」


 よりによって最も考えたくなかった展開が咲良の目に映った。あのおっさんが――焔が男性の肩に後ろから手を掛けていたのだ。


「レッドさん!?」

「何だよオッサン。この子の知り合いか!?」


 たちまち食って掛かる男性の手首を焔はがしりと掴み、一秒ほど相手の目を覗き込んだかと思うと、ふうっと小さく息を吐いて手を放した。


「彼女は俺の教え子だ。ナンパはやめてもらおう」

「……何だよ、センコーかよ」


 露骨に舌を鳴らし、男性はもう咲良に目もくれずにすたすたとその場を去っていった。

 くるりと振り向いてきた焔に、咲良の嫌悪感が頂点に達する。


「何なんですか、レッドさん。なんで付いてきてるんですか。こわっ」

「案の定だな、君は警戒が甘すぎる。男に話しかけられても口を利くなと言ったはずだ」

「利いてないでしょ!? あんなナンパ、相手にしないでスルーするとこだったんですよ!」


 思わず声を上げてしまっていた。周りの人達はちらちらと咲良達に目をやりながら、知らぬ存ぜぬで通り過ぎていく。

 ひたすらに真面目な目つきで自分を見てくる焔の態度が、ただただ鬱陶しかった。


「ていうか、わたし、別にああいうのは相手しないですけど、でも今みたいに監視してくるのはカンベンしてください」

「そうも言ってられん。今の男は普通の人間だったが……君に接触してきたのが敵だったらどうする」

「そんなワケないでしょ。ちゃんと自分の身は自分で守りますから、ほっといてくださいよっ」


 咲良は強引にきびすを返して駅に入ろうとするが、その後ろから焔がすぐに追いついてきた。


「やはり心配だ。バイトを休んで君を見張る」

「やめてくださいって!」

「じゃあ、授業の合間には必ず俺に連絡ラインを入れろ」

「イヤですよそんなの! 彼氏でもないのに!」


 彼氏でも、と言ってしまってから、そのあまりにおぞましい想定に鳥肌が立った。このおっさんが自分の彼氏になって今のように束縛してくるところを考えたら、まだ敵に殺される方がマシという気がする。


「君と皆の安全のためだ。いいか、わかったな!」


 咲良が改札を通る直前まで焔はしつこく呼びかけてきた。このままだと電車まで追ってきそうだと思い、咲良は仕方なく小声で「わかりましたよ」と返事を絞り出した。振り向きすらしなかったが、彼の耳には十分それで届いたはずだった。


「ハァ……」


 制服のスカートをスクールバッグで押さえてエスカレーターを上り、発車ギリギリの電車に乗り込む。


「ナツミの彼氏、マジで束縛キツイらしくてさー」

「マジで?」

「五分以内にライン返さなかったら電話してくんだって」

「うっざ。ウチはマジでムリだわ、そういうタイプ」


 なんともタイムリーな話題を同じ車両の女の子達が話していた。これからの自分の毎日を思うと、アニマライザーになってから今までで一番深い溜息が出た。

 ナツミちゃんとやらと彼氏の関係はまだいいだろう、仮にも恋人同士なのだから。しかし、自分が連絡を入れなければならない相手は、恋の対象とは程遠い、暑苦しい三十路の……。


「……ほんっとにやだ」


 ずうんと暗鬱な気持ちを抱えたまま、咲良は学校への電車に揺られた。

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