第4話 共鳴!眠れるバジリスク(2)

 幻聖獣げんせいじゅうライズバジリスクを呼び覚ますには、君の力が必要なんだ――と、焔はそう言っていた。他の誰でもなく、新入りの咲良一人を指して。

 だから、咲良は今、戦いの後の休養もままならないまま、この暑苦しいおっさんと二人、山登りをさせられる羽目になっているわけだったが――。


「あっ!」


 獣道同然の足場の悪さに加え、体力も集中力ももう限界だった。僅かなぬかるみに足を取られたと思った瞬間、もう視界は揺らいでいた。

 体操部で培った身のこなしのおかげでなんとか受け身は取れたが、ここまでに積み重なった疲労が、倒れ込んだ際の痛みを何倍にも増して咲良の全身に伝えてくる。


「大丈夫か、咲良。目的地はもうすぐだぞ」


 顔を上げると焔が手を差し出してきていた。汗の滲んだ大きな手。咲良に反応する間を与えることなく、彼の手がそのまま伸びて咲良の片手を掴んでくる。


「ちょっ、やだ」


 何かを考えるより先に、咲良は弾けるように彼の手を振り払い、身を引いていた。やむなく地面に手をつき、湿った土の感触にぞっと寒気を感じながら、咲良はなんとか自力で立ち上がって焔の顔を見た。


「どうしたんだ」

「どうしたじゃなくて……!」


 本気で悪気のなさそうな彼の顔が、苛立ちと嫌悪感に拍車をかける。

 彼に手を掴まれたときの、大人の男の生々しい汗の感触。虫が足首を這っていたときより、地面に手をついたときより、それはずっと気持ち悪い感触で――。


「……ボディタッチはやめてくださいって、言ってるじゃないですか」


 戦いに必要な状況で、かつ強化スーツのグローブ越しならまだ我慢できないでもないが。このデリカシーゼロのおっさんは、変身前でも平気で背中をバンバン叩いてきたりするからタチが悪い。

 好きな人と手を繋いだことだって自分はないのに、何が悲しくて、汗臭い三十路に手を掴まれなければならないのか。


「む……そうか。それはすまんな」


 無神経な行動を散々しておきながら、こんなときだけ涼しい顔で謝ってくるのも無性に腹が立った。口先では謝っているが、どうせこの人は、またすぐに忘れて自分の身体を触ってくるのに決まっている。女子にとってそれがどんなに嫌なことか、きっと考えもせずに。

 イヤらしいことなど考えていないのは何となくわかるが、それはそれでムカつくのだ。よこしまな動機でなければ別に構わないじゃないか、という、勝手な価値観を押し付けてきているようで。理由や動機が何であろうと、嫌なものは嫌なのに。


「そんなんじゃ、アニマライザーじゃなくたって彼女できませんよ」


 咲良が吐き捨てるように言うと、歩き出そうとしていた焔はふと足を止め、再びこちらを振り向いてきた。


「……何ですか」

「いや。前から気になっていたんだが、君は俺が嫌いなのか」

「今さら!?」


 反射的に上げてしまった声が山道に木霊こだまする。何か真剣に考え込んでいるような顔の焔を前に、咲良は思わず目を伏せてしまった。

 嫌いというか、苦手なのだ、自分は。この人のノリや言動や年齢や属性や、言ってしまえば存在全てが。

 ただ、こうして面と向かって聞かれると、流石に堂々と「苦手です」とは言いづらいのも確かだが……。


「まあ、それならそれで仕方ない」

「え?」

「俺を嫌っていようと何だろうと、君はアニマライザーの仲間だ。俺も君もそれぞれの役目を果たすだけだ」


 それだけ言って焔は歩き出した。目をぱちりとしばたかせてから、咲良は仕方なくその背中を追う。

 妙に達観したような今の彼の言葉がまたどうしようもなく苛立たしかった。嫌いなら嫌いで構わないというのか。少しでも好かれるようにしよう、とはならないのか。


(ほんっとに、ムカつく人……!)


 先輩のハルカをはじめ、これまでにピンクライザーになった人達は皆こんな思いをさせられてきたのだろうか。

 陰鬱な思いを抱えながら、それでも足を動かすしか咲良には選択肢がなかった。今のピンクライザーは自分しかいないのだから。



 目的地はもうすぐだ、という焔の言葉に嘘はなかった。息を切らし、足を引きずって辿り着いたのは、山の頂上にほど近い洞窟の入口だった。鬱蒼とした木々に覆われ、咲良の身長の倍はありそうな大きな洞穴がぽっかりと口を開けている。


「この奥だ」

「えっ……こ、この中に入るんですか?」


 底無しの闇に繋がっていそうな洞窟の入口を覗き込んで、咲良は身震いする。焔が自分のリュックから登山用のヘッドライトを取り出して渡してきたが、光源があっても怖いことに変わりはなさそうだった。


「それから、これを」


 咲良がライトのベルトを頭に巻いたところで、焔はもう一つ何かを手渡してきた。手のひらに収まる大きさの、蛇と鳥の紋章を刻み込んだ結晶体。赤銅しゃくどう色のきらめきを放つそれは――


「エレメントクリスタル?」

「俺のかつての仲間……初代ピンクライザーが使っていたものだ」


 咲良が持つフェニックスのクリスタルとは形が違う。先程の戦いで召喚されたクラーケンやスフィンクスのように、各々の力の源のドラゴンやフェニックス達とはまた別の幻聖獣も存在していることは、咲良も理解していた。


「バジリスクは、初代ピンクが手懐けていた幻聖獣だ。再びその力を使える者がいるとすれば、それは、ピンクライザーの使命を受け継いだ君しかいない」

「……はぁ」


 何だかよくわからないが、焔が自分だけをここに連れてきた理由ははっきりした。そのバジリスクとやらの力を目覚めさせなければ、あの戦艦ツクモには勝てないのだろうということも。


「まあ……わたしじゃないといけないって言うなら……」

「そうだ。行くぞ」


 焔に付いてライトのスイッチを入れ、咲良は真っ暗な洞窟の中へと恐る恐る足を踏み入れた。ひんやりと冷たい空気と、湿った足場、そして都会では味わうことのない天然の暗闇が不安を煽る。

 焔は自分に合わせてゆっくり歩いてくれているようだったが、それでも咲良は転ばないように付いていくのがやっとだった。本当は手でも引いてもらったほうが心強いのかもしれないが、あれだけボディタッチは嫌だと言ってしまった手前、間違っても自分からそんなことは言い出せない。


「……ハルカ先輩も、そのバジリスクを?」


 すぐ前を行く焔に咲良は尋ねた。何か話していなければ暗闇の怖さに心を持っていかれそうだった。


「いや。ハルカではバジリスクを従わせることはできなかった。バジリスクと心を通じ合わせることができたのは、初代ピンクだけなんだ」

「……だったら、わたしも多分無理じゃないですか」

「無理でもやってもらわないと困る。あのツクモーガを倒すには、今の俺達の幻聖獣だけでは足りない」

「はぁ……」


 本当にそうなのだろうか。先程の彼の戦いぶりを見ていると、まだまだ自分の知らない力をいくらでも隠し持っていそうな気がするが。


「レッドさん、ケルベロスとかリヴァイアサンとか、なんか色々使ってたじゃないですか。あれって、そういう幻聖獣がいるってことじゃないんですか?」

「かつてはな。だが、今はもういない。……さあ、ここだ」


 焔が足を止めたのは、洞窟内に大きく開けた空間のようだった。真っ暗でよくわからないが、ヘッドライトの視界で見回してみると、かなり天上も高いように思える。いかにもここが洞窟の深奥にして目的地、という雰囲気があった。


「聞いてくれ、ライズバジリスクよ!」


 焔が急に声のトーンを上げたので、咲良はびくりとした。


「当代のピンクライザーを連れてきた。お前の力を貸してほしい!」


 彼の声は真っ暗な空間に何度も何度も反響した。高鳴る心臓の鼓動を押さえて咲良が見ていると、急に、手の中のクリスタルがぼうっと赤く光りだし、闇の中で確かに何かがうごめくのが見えた気がした。


「あ……っ!」


 目の前のに咲良は息を呑んだ。暗闇の中に灯る四つの光――それは爛々らんらんと光る四つの目だった。何もいないと思っていた空間に、身の丈数十メートルの巨大な何かが鎮座し、四つの目でこちらを見下ろしている。


「これが……ライズバジリスク……!」


 金属質の光沢を放つその巨体は、確かにフェニックスやドラゴンと同じ幻聖獣の仲間なのだと一目でわかった。巨大な鳥のような身体に、蛇の尾。鳥の頭と蛇の頭がそれぞれ咲良を見定めるように目を光らせている。


 ――においが、ちがう


「っ!」


 いきなり何かの声が聞こえたような気がして、咲良は驚きと恐怖に一歩後ずさった。男とも女ともつかない、それどころか本当に聞こえているのかすらもわからない、心の奥に直接響いてくるような声だった。


 ――おまえは、ちがう


「や、やだ、何これ……!」


 思わず耳を手で塞いでしまった咲良に、焔の声が降りかかってくる。


「恐れるな、咲良。幻聖獣は俺達の味方だ。君の言葉をバジリスクに伝えるんだ――力を貸してほしいと」

「そ、そんなこと言われても……!」


 焔の暑苦しくも真剣な顔と、バジリスクの巨大な二つの頭が揃って自分に向けられている。バジリスクの四つの瞳が自分の言葉を待っていることは、なぜか本能で察せられた。

 確かに敵ではない。少なくともツクモーガのような邪悪な存在ではない。これは味方に……味方になってくれるはずの存在なのだ。


「……あ、あの」


 意を決し、咲良はその金属質の巨体を見上げて口を開いた。自分の震える声が広い空間に反響する。


「あなたの力を……貸してほしいの。強い敵が出てきて……倒すのに、あなたの力が必要なんだって」


 ――我は地球の味方、ツクモーガは地球の敵


「……そ、そう。わ、わかってるじゃん。だからお願い、力を貸してよ」


 ――だが、おまえは、とは違う


「えっ……?」


 ――おまえは、共に戦おうとしていない


「な、何言って――」


 ――おまえには、力を貸せない


「っ……!」


 心臓を鷲掴みにされるような衝撃が咲良の意識を覆っていた。気付けば、熱いクリスタルを握る自分の手が、かたかたと震えていた。


「咲良、失敗だ。戻ろう」

「え……?」

「やはり無理だったんだ。バジリスクは諦め、別の手段を――」

「『やはり』!? 『やはり』って何ですか!?」


 思わず咲良は声を上げていた。恐怖でも焦燥でもなく、きっとその怒りこそが本心だった。


「ダメだと思って連れてきたんですか!? わざわざこんなとこまで!?」

「いや、そういう意味では――」

「ていうか、何なんですか! コイツ!」


 沸々と湧き上がる怒りに突き動かされるまま、咲良はバジリスクの巨体をびしりと指差していた。ヘッドライトの光源に照らされて、巨大な蛇の目がぎらりと鋭く咲良を見据える。


「彼女とは違うって……初代ピンクさんがどんな人だったのか知らないですけど、違って当たり前じゃないですか! わたしはわたしなんだから!」

「よせ、咲良。バジリスクを怒らせるな」

「ちょっとアナタ! アナタも地球を守るために生まれたんでしょ!? だったら素直に言うこと聞いてよ! みんな大変なんだから! いいじゃない、ピンクが誰だとか、別にアナタにはどうでもいいでしょ!?」


 咲良が勢いに任せて並べ立てた言葉に、バジリスクは確かに反応を見せた。鳥の頭をこちらに向け、蛇の頭をゆらりともたげさせ、四つの目を再び咲良に集中させてくる。


 ――おまえは、ちがう


「まだそんなこと言って――」


 ――失せろ


「ッ――」

「! 咲良、逃げるぞ!」


 ぐわりと立ち上がる巨体に咲良が身構えた瞬間、焔が咲良の手首を掴んでいた。えっ、と反応を上げるより先に、出し抜けに凄まじい風が身体を煽りあげてきた。それがバジリスクの羽ばたきで起こされた強風だと気付いたのは、もう足が地面を離れた後だった。


「きゃあっ――」


 岩肌が巻き上げられ、洞窟が暴風に削られて崩壊してゆく。咲良の身体はなすすべなく宙に舞っていた。開けた崖に沿って、風に煽られる木々が目に入ったその瞬間、その木の一本に身体が叩き付けられていた。


「う……っ」


 自分の身体が二つにへし折られるような衝撃。吹き荒れ続ける風に煽られ、木々が根本から引き剥がされそうになっている。そんな中――


「クリスタルを放すな、咲良!」


 焔の声がして、咲良は初めて自分の状況を認識した。クリスタルを握り締める右手。そして自分の左手は今も焔に掴まれたままだった。轟々と吹き荒れる風の中、焔は今にも根本から吹き飛びそうな木に片腕でしがみつき、もう片方の手で咲良の手首を握り続けていた。


 ――お別れだ


 冷たい声がして、バジリスクが頭上を飛び去っていく。去り際の羽ばたきが、一際強く咲良の身体を煽り上げた。

 眼下には崖。焔が自分の手を離したら。彼の腕が木から離れたら。木の根元が風に吹き飛ばされたら。


「いやぁっ、し――」


 死ぬ――!?


「死なせはしない!」


 激しく吹き抜ける風の中、熱い声が咲良の鼓膜を震わせた。彼の大きな手が、一層力強く手首を握り締めてくるのを感じた。

 触らないでと言ったのに――


「安心しろ。君にどれだけ嫌われていようとも、俺は君を見捨てはしない」

「……!」


 どくん、と咲良の心臓が脈打った瞬間、めりめりと音を立てて、二人の身体を支えていた木が支えを失って宙に放り出される。


「いやあぁ!」

「この目に映る命の一つたりとも……決して見捨てはしない!」


 渦巻く風に飲まれながら、彼は変身携帯アニマフォンを構え――


幻獣変身アニマライズ!」


 天を染めるのは、真紅の閃光。

 次の瞬間、咲良の身体はふわりと下から押し上げられ――

 変身を果たしたレッドの腕に抱えられたのだと気付いた時には、崩れた山頂を見下ろす天上へと舞い上がっていた。

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