第4話 共鳴!眠れるバジリスク(1)

 慣れないトレッキングシューズで荒れた山道を踏みしめ、疲れ切った身体を引きずって、咲良さくらは薄い空気の中を必死に歩いていた。額に滲んだ汗を片手で拭い、前を行くおっさんの背中を睨みつけて、棒のような足を何とか動かす。

 ふと足首に嫌な気配を感じ、足を止めて視線を落とせば、泥に汚れたズボンの裾に大きな虫が這っていた。


「いやっ!」


 ぞわりと背筋が凍りつくような衝撃。前を行くほむらが「どうした」と振り返り、瞬時に状況を察した様子で、「ただの虫じゃないか」とムカつく一言を吐き捨ててくる。


「やだやだ、無理無理無理! 取ってっ!」


 ほとんどパニックに陥りながら、咲良は無意識に叫んでいた。焔がやれやれと近寄ってきて、身をかがめたかと思うと、咲良の足首を這う虫をひょいと素手で払いのける。


「っ……!」

「元気そうだな。よし、行くぞ」


 しまった、と思ったのは、彼が再び背中を見せて歩き始めた直後。

 このムカつくおっさんに自ら助けを求めてしまった。いくら苦手な虫が目の前にいたからといって、こんなことで助けを……。


「……やだ、もう、帰りたい」


 焔の背中が一歩また一歩と遠ざかっていくが、咲良はもう足を動かせなかった。身体の辛さと、心の辛さと……何より、どうして自分はこんなところにいるのだろう、という絶望感がぜになって。

 三年生に上がる前の貴重な春休み。勉強だって部活だって、もっと普通の高校生並に頑張りたいのに――

 その貴重な一日を犠牲にして、どうしてわたしは、この暑苦しいおっさんと二人で山登りなんかしているのだろう?


「どうした、咲良。虫くらいであんなに騒げるんなら、まだまだ歩けるだろう」


 数歩先から焔が振り返って咲良を呼んでいる。咲良は自分の膝上に両手をつき、荒い息を切らしながら、彼の暑苦しい顔を睨み上げた。自分をこんな目に遭わせている張本人、我らがアニマライザーの熱血リーダーを。


「マジ無理です、ほんと無理です……。変身して飛んで行くんじゃダメなんですか?」

「君の訓練も兼ねているんだ」

「いいですよ、そんな、わたしばっかり訓練とか……」


 そもそもこの山登りに至った理由を思い返し、咲良は切れ切れに言葉を吐き出す。


「あの……大体、訓練してる場合じゃなくないですか……。さっさと飛んでいって、バジリスクに会いましょうよ……」

「それだけ喋れるなら大丈夫だな。よし、行くぞ」


 気遣いの一つも見せずに再び歩き出したおっさんの背中に、マジで誰でもいいから彼氏を作って戦団を抜けてやろうかと呪いの視線を叩きつけ、咲良は渋々ながらも再び足を踏み出した。


(なんでわたしが……こんな目に……)


 話は、数時間前に遡る――。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「レッドライザー! ケルベロスフォーム!」


 戦意の炎を噴き上げるような激しい叫びとともに、レッドの身体が炎に包まれ、その仮面マスクに戴く巨龍ドラゴンの意匠が凛々しい三頭犬ケルベロスの紋章に描き換えられる。両肩に装備された犬顔の砲門から元素エレメントの砲撃を放ちながら、レッドは爆炎の中を敵めがけて突っ込んでいく。


「ギギギ……! この戦艦ツクモ様の主砲を食らうがいい!」


 鋼鉄の軍艦を模した怪人ツクモーガが、街の瓦礫を踏み締め、レッドの砲撃をものともしない様子で主砲を撃ち返してくる。右手に握った龍の大剣、ドラゴンブレイカーで敵の砲弾を切り払い、レッドは光の翼で宙に舞った。


「リヴァイアサン・ブレード!」


 レッドの言霊ことだまが空に響いた瞬間、その左手には海竜神リヴァイアサンの意匠を持つ蛇腹じゃばら状の剣が出現していた。


三位一体さんみいったい! トリニティ・ブレイク!」


 意思を持つかのようにうねって伸びる蛇腹剣で敵の胴体を拘束し、両肩の砲門から炎の砲撃を浴びせながら、ドラゴンブレイカーを構えたレッドが舞い降りる。急降下の斬撃が敵の主砲を砕くのと、その一瞬前に撃ち出された砲撃がレッドの身体を捉えるのは同時だった。

 がはっ、と苦しそうなレッドの呻きとともに、彼の身体とドラゴンブレイカーが別々に吹っ飛ばされる。


ほむらッ!」

「オッサン!」

「焔どの!」


 仲間達が一斉に声を上げる中、咲良も仮面マスクのゴーグル越しに映るその壮絶な光景に息を呑んだ。レッドがいきなり見せた凄まじい戦力の数々もさることながら、それだけの力をもってしても一方的に圧倒するには至らない、あの怪人ツクモーガの恐るべき強さに。


「今だ! 皆!」


 倒れ伏したレッドが叫ぶ。その左手はしっかりと蛇腹剣を握り締め、敵の身体をまだ拘束し続けていた。彼の手を離れたドラゴンブレイカーは、四人のすぐそばに突き立っていた。


「ッ! 行くよ!」


 即座に光璃イエローが叫び、地面に突き立ったドラゴンブレイカーを引き抜く。疾人ブルーがトンファーを、大地グリーンが斧をすぐさまそこに合体させるのを見て、咲良も慌ててフェニックスファンを出現させた。


「ギギギッ! 戦艦の象徴たる主砲を傷付けるとは、貴様ら、絶対に許さんギギ!」


 怒り狂った怪人ツクモーガが両腕の副砲を斉射してくる中、レッドは臆せずその弾幕の中に立ち上がり、敵を縛る蛇腹剣を両手で維持したまま、両肩の砲撃を敵に撃ち込み続ける。


「許されないのは、多くの人々を傷付ける貴様だ! 光璃、皆、やれっ!」

「エレメントカリバー! カルテット・ブレイク!」


 レッドに代わって合体剣を構えるイエローを、咲良もブルー、グリーンとともに必死に支えた。四人の元素エレメントの力が一直線にほとばしり、光の斬撃を受けた敵の身体から激しい火花が舞い散る。


「ギギ……おのれ……!」


 最後の力を振り絞って反撃を試みようとする敵に、天を駆けるレッドの剣閃が迫っていた。


「リヴァイアサンブレード! レイジング・スラッシュ!」


 激しく荒れ狂う波濤はとうの如く、海竜神リヴァイアサンの咆哮を乗せた蛇腹剣の一撃がすれ違いざまに敵を斬り裂く。


「ギギギ……! 大艦巨砲主義の時代の……終焉かァァッ!」


 身体のあちこちを誘爆に飲まれながら、戦艦の付喪神つくもがみが遂に爆発四散して果てる。

 その直後、さらなる悪夢がビル街を見下ろし立ち上がることは、咲良にも既にわかっていた。


「また出やがったでござる……!」

「皆、幻聖獣を呼ぶんだ!」


 激戦での疲弊など微塵も感じさせない声で、レッドが変身携帯アニマフォンを突き上げ、聖なる巨獣の名を天に呼ぶ。ライズドラゴン、ライズグリフィン、ライズタウラス、ライズユニコーン――仲間達に続き、咲良もライズフェニックスを呼び出した。


「幻獣合体! 降臨、ライズタイタン!」


 雄々しく大地を踏みしめる精霊巨神の威容にも怯まず、戦艦の魔物がビルを瓦礫に変えながら進撃してくる。


「ドラゴンテイルソード!」


 レッドの叫びとともに巨神が大剣を構える。だが、激しく打ち付けるその斬撃は、敵の鋼鉄の身体に弾き返され――


「くっ!」


 巨大化と同時に再生していた敵の主砲の一撃が、ライズタイタンの巨体を遥か後方へ吹き飛ばしていた。

 激しく揺れる搭乗空間コクピットの中、必死に球体にしがみつく咲良の耳に、レッドの声が飛び込んでくる。


「咲良! 飛翔と同時にフェニックスバインドだ!」

「は、はい……!」


 その半秒後には既にライズタイタンはドラゴンの翼を広げ、地を蹴って空へと舞い上がっていた。敵が主砲を向けてくる、その仰角ぎょうかくがこちらを捉えるより先に、咲良は球体を通じて天地の精霊に言霊ことだまを送る。


「フェニックスバインド!」


 ライズタイタンの胸部に位置するフェニックスの目から、渦巻く火炎が噴き出し――


「グガガァッ!」


 その炎は邪悪を縛ることなく、敵の腕の一振りで難なくかき消されてしまっていた。


「そんな!?」


 動揺する咲良の視界に次に映ったのは、寸分の狂いなくこちらに飛来してくる敵の砲弾。


「皆、踏ん張れ!」


 レッドの声をかき消す勢いで、着弾のインパクトが搭乗空間コクピットを激しく揺らしていた。続いて、叩き落とされた巨神の背が地面を削る凄まじい衝撃。


「あうっ!」


 自分が定位置から吹き飛ばされ、壁面に激突して床に倒れたのだと咲良の認識が追いついたのは、全身に走る痛みに身悶えた数秒後だった。


「咲良!」


 仲間達が口々に声を掛けてくるが、誰も咲良に手を貸してはくれない。その場に踏ん張り、戦いを続けるだけで皆精一杯なのだ。


「疾人、光璃! 幻獣げんじゅう武装ぶそうを!」

「召喚! ライズクラーケン!」

「召喚! ライズスフィンクス!」


 自分の知らない力を行使するブルーとイエローの姿を、揺れる視界になんとか捉えながら、咲良は痛みを押さえて球体の前に立ち上がった。二人がアニマフォンにセットしたクリスタルは、群青ぐんじょうとオレンジの輝きを放ち、天地に新たなメロディを鳴り響かせていた。


「何……? 幻獣武装って……」


 咲良の問いに答えたのは仲間の声ではなく、光の道を辿って天上から降臨する、二体の新たな幻聖獣の咆哮だった。

 右腕のライズグリフィンの代わりに、巨大な烏賊いかの姿をしたライズクラーケンが。左腕のライズユニコーンの代わりに、しなやかなライオンの肢体を持つライズスフィンクスが。新たな腕となって換装かんそう合体し、唸りを上げる。


「武装完了! ライズタイタン・テンタクル&クロー!」


 燃える街に粉塵を巻き上げ、ライズタイタンが再び敵に向かって進撃する。敵の主砲から撃ち出される砲弾を、右腕のクラーケンが発するすみのネットが受け止め、


「レオンスクラッチ!」

「タウラスキック!」


 左腕の巨大な爪の一閃と、続けざまのキックの一撃が、敵の巨体を僅かに押し戻した。


「スフィンクス・イリュージョン!」


 一瞬の間隙を突いて、左腕のスフィンクスの瞳から放たれた幻惑光線が、敵の足取りを揺るがせる。


「グ……ギ……!」


 敵が苦し紛れに放つ主砲と副砲の斉射は、いずれも見当違いの軌道を描き――


「今だ! ドラゴンフレイム!」


 胸部のドラゴンの口から放たれた灼熱の火炎放射が、敵を紅蓮の炎に包み込んでいた。


「ギ……ギギ……!」


 苦しみ悶える敵の巨体が、見る見る内にばらばらの塵芥ちりあくたに砕け、空へと飛散していく。

 敵の姿が完全に消え去るのと時を同じくして、ライズタイタンの巨体がぐらりと揺らぎ、ずしんと音を立てて巨神は地面に膝をついた。破壊し尽くされた街のビル群が炎を上げる中、幻聖獣達の合体が解除され、同時に咲良達は生身に戻って地面に放り出される。


「っ……!」


 天上界に帰ってゆく幻聖獣達を見上げ、咲良ははぁはぁと苦しい息を吐いていた。身体の痛みもさることながら、今の巨大戦で消耗したエネルギーはこれまでの戦いの比ではなかった。

 それに輪をかけるように、という虚しさが、咲良の胸を重たく締め付けてくる。

 レッドの持つ三頭犬ケルベロスの力や海竜神リヴァイアサンの武器のことも、さらなる幻聖獣の存在や換装合体のことも、自分は何一つ知らされていなかった。

 自分はこの戦団のことを何も知らない。当たり前といえば当たり前のその現実が、ようやく戦士の決意を固めかけていた咲良にはなんだか悔しかった。


「咲良、大丈夫?」

「……はい、なんとか」


 光璃に手を貸してもらって立ち上がり、咲良は誰にともなく問うた。


「今の、倒したんですか……?」

「いや、完全には倒せなかった。あのままでは一日と経たず復活する」


 焔が悔しそうに眉を寄せ、敵が雲散霧消していった方向の空を振り仰ぐ。その向こうには海があるはずだった。

 戦艦の付喪神つくもがみとして生まれたあの怪人ツクモーガは、この前の錠前ツクモがダイヤル錠前ツクモにパワーアップしたように、より強い力を得て復活するのだろうか。今の強さでさえ、追い払うのがやっとだったのに……。


「ヤツの砲撃と装甲を破るには……バジリスクの力を使うしかない」


 いやに毅然とした声で焔はそう言った。疾人と大地が小さく首をかしげる中、光璃だけが、何かを察したように目を伏せていた。


「バジリスク……?」


 全身の痛みと疲弊感に見舞われながら、咲良が無意識にその単語をオウム返ししたとき、焔は出し抜けにこちらに顔を向け、「咲良」と名を呼んできた。


「はい?」


 そして――

 蚊帳の外だと思っていた咲良に、焔が掛けてきたのは意外な一言だった。


「君の力が必要だ、咲良。俺と一緒に来てくれ」



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆


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