狼煙


「来たわね、裏切りもの!」


 清々しい朝の空気の中、シルスの開口一番がこれだった。カロンはいかにも面倒くさいという表情を浮かべて、相変わらずご立腹な声の主へと視線を向ける。

 まさかこのやかましさが日をまたぐとは思わなかった、とため息を吐いて。


「まだ言ってんのかよ。つーかなんだ、それ?」


 視線の先。シルスの胸元には、なにやら仰々しいデザインの箱が抱えられている。

 頑丈そうでありながら高級感を感じさせるそれは、シルスが持つには違和感しか感じない。


「昨日の戦果よ。アンタなしで、わたしが独りでお願いしたんだからね?」

「せんか? あー……アトラの母ちゃんにもらったわけな。なんだよ、けっきょくそれを渡すのか?」


 やたらに独りでいったのだと強調するシルスの恨み節を、カロンはキレイに聞こえないことにした。


「ちがう! これが昨日いってた“行動”! ……ほら、すごいのもらっちゃった」

「すごいの? なんだなんだ、ちょっと貸してみろよ」


 シルスの戦果報告には無関心でも箱の中身自体には興味があると、カロンは好奇心を目に浮かべながらその中を覗き込んだ。


「……………………はあ?」


 箱の中には、小さくて黒くて不思議な模様を持った丸いなにかが入っている。

 それも1つや2つではない。たくさんだ。

 しかしそのどれもがパッとしないというか、カロンの琴線に触れるには到底役目不足だ。


 入れ物の見た目に反して迫力のない中身に、カロンはあからさまに興味を失う。


「っし。朝の鍛錬といくか。じゃあなシルス、がんばれよ」

「ちょっ、待ちなさい!」


 ガッシとカロンの腕が捕まる。

 軽く振り解こうとしても、わりと本気で掴んでいる手は一向に離れる気配がない。


「しつけーなあ。いくらアイツでもそんなもんで喜ぶわけねーだろ。すこしは真剣に聞いたオレがバカだったぜ」

「まだ何も言ってないでしょ⁈ これはタネなの! これからアトラくんが出発するまでに咲かせるんだから、アンタも手伝いなさいよ!」

「タネ?」


 訝しげな表情を隠しもせずに、カロンは箱の中身をヒョイと摘み、手のひらの上で転がしてみた。

 硬く冷たい感触と想像をわずかに上回る重みは、どこか金属めいて感じられる。

 

「タネ……か?」


 言われてみればたしかに、そう見えなくもない。

 だがこれが仮にタネだとしても、こんなものが仲間の見送りに相応しいだけのものになるとは、カロンには到底思えなかった。


「————」


 無造作に、カロンの手から黒いモノがポイと放られる。それは小さな弧を描いて元の場所へと収まった。


 もういい。やはりここはアトラの仲間でありリーダーでもある自分が考えよう。


 あんまりな戦果を前に本気でそんなことを考え始めたカロンの意識を、シルスの言葉が縫いとめる。


「このタネ、よく見たらこう——ぐるぐるしてるでしょ? これがぐわって開いて、土をかき分けながら開花するみたい」

「な……に……?」 


 それは、すこし……カッコいいんじゃなかろうか。


 もう一度、カロンの手が箱へと伸びる。

 シルスの得意げな表情も、今のカロンには見えなかった。


「これが————」


 今カロンの脳内では、自分の合図に合わせて一斉に地中から出現する黒く厳しい花々と、それを成した自分へと喝采を送るアトラの姿がありありと浮かんでいる。

 ちなみに、その想像ではなぜかシルスまでもがカロンを賞賛していた。

 だが、それを正す者はここにはいない。

 

 こうしてカロンは誰よりも張り切り、その様子はそう仕向けたはずのシルスをして閉口するほどであった。



- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -



 この日もいつもの場所で、3人は集合した。

 1人は畑仕事で汚れた手をそのままに。1人は自警団の鍛錬を終えたその足で。そして1人は、首根っこを捕まえられながら、トボトボとした足取りで歩いて……正確には引きずられてきた。


「来たわね」

「ぅ……」


 ギロリと睨まれて、気の弱そうな少年……オランは目を逸らした。その様は余人が見れば盗人が自警団に捕まり、持ち主の前に突き出されているようにも見えるだろう。


「鍛錬でへばってるとこを捕まえてきた。オラン、アトラと話せとはいわねー。ただ手伝うくらいのギリはあんだろ? あのとき助けられたのはオレとシルスだけじゃなかったはずだぜ」

「————————」


 これでゴネたら鉄拳制裁だという迫力を備えた言葉。しかし、その言葉は暴力の影などなくとも十分にオランを打ちのめした。

 オランの顔が青いのは、何も運動疲れからだけではない。


「うし! んじゃやるか! 3人ならそろそろ終わるだろうぜ」

「はいこれ。オランの分ね」

「え……なに、これ。おれ、どうすればいいの?」

「見れば分かるから、ほら」


 頼りない助っ人の手に無理やりタネを握らせて、ろくな説明もなく引っ張る。

 そうして種まきは急遽の徴兵もあって、順調迅速に、滞りなく進む。始めは戸惑いまごついていたオランも、すこし慣れればいつもの畑仕事と変わらない。村の植物博士の息子だけあって、手際の良さはさすがのひと言だった。


 そして日の暮れるころには、その成果が明らかになる。


「ふー、こうしてみると植えたなあ。これ全部が咲くのかよ」

「水は少なくていいって言ってたし、あとはアトラくんにバレないようにすれば完璧ね」


 満足そうに頷くシルスとカロンは、自分たちの努力の跡を前に、心地良い疲労を噛み締める。

 

「お疲れさま、オラン」

「うん……はぁ、おれもうクタクタだよ……」


 セトナ村の植物博士の将来を約束された少年に、少女は労いの言葉をかける。珍しいことに、カロンも笑顔で少年の肩を叩き、賞賛の態度を見せた。

 実際オランの働きは、体力のあるカロンや畑仕事に慣れているシルスをして目を見張るものだった。

 今日一日のオランの仕事量は、2人の実に2日分である。農作業の多いセトナ村において、これは最も重宝される才能といえた。


「あ、でもさ、アトラには教えないんだよね……? …………さすがに気づくよ、これ。おれでもわかるもん」

「あ…………どうしよう」

「あんまり土を被せすぎるのもよくないから…………どう、する?」


 オランの言葉に、シルスは黙り込む。

 そう、これはサプライズ。本人に気づかれるのはご法度だ。しかし見送り対象はたびたび不定期な狩りに出かけてしまう。冷静に考えて、隠せるはずがないのだ。

 こうなると、計画は大きく修正する必要がある。


 しかし、サプライズの計画に立ち込める暗雲を、リーダーの張りのある声が一蹴した。


「バッカおまえら、そんなもんリーダーのオレがひと言いえば解決じゃんか!」


 だろ?と、自信に満ちているリーダー。2人はよく分からない。


「ひと言って、アンタなに言う気?」

「だから、ここに来られちゃ困るんだろ? ならここにくんなって言えばいい」


 な?と、再びのカロン。オランは「そんな手が!」と手を打ち、シルスはそんな2人に頭を抱えた。しかし、オランが偏ったことで本案は2対1。軍配はカロンとその子分に下り、翌日にはアトラ宅へ足を運ぶカロンとシルスの姿があった。



- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -



「うまく行きそうだな」


 アトラ宅への突撃訪問を終えた足で、カロンたちは井戸の広場で互いの健闘を称え合う。

 あとは約束の日までに手入れを怠らずにいれば良い。シルスがアーカー邸を前にした場面で、唐突に「開花が早いと言われてたことを忘れていた」などと言い出すというハプニングはあったが、それであればもう見送る前に計画を早めようというカロンの機転の良さでことなきを得た。


 なので、自然と“称え”られる比重はカロンに偏っている。それを当然だと受け止めて、カロンの鼻は高々だった。

 そんなリーダーを微妙な表情で眺めながら、シルスはふっと疑問を口にする。


「そういえば、さっきの話はなんだったの?」

「あ? さっきのはなし?」

「ほら、オレがおぶってやるとかなんとか言ってたでしょ、アンタ」

「ああ、いやアイツ親ばなれってやつができてないんだぜ? 笑えるから聞けよ」


 カロンは嬉々として語る。ここに、アトラの懸念は現実となったのだった。


 その後の2人——ときどき3人——は、暇を見つけては花の手入れをするという日々を送った。花が育つほどにこのことは村の中でも話題となり、サプライズの協力者は増えていった。

 協力者は村の自警団の若い衆を筆頭に、村の主婦らも顔を見せる。来る者はさまざまだが、皆浮かべる表情は微笑ましげなものばかり。


 それをくすぐったくも感じながら、シルスとカロンは着々と準備を進める。

 そんな約束の日が近づく中で、意外な人物が顔を見せる。それを歓迎する者など1人としていなかったが。


「これが例の花畑か? まあまあじゃん。ギリギリ合格にしとくか」


 チリチリとまばらに伸びたヒゲをいじりながら、次期村長であるゲルクは鮮やかな花を上機嫌に眺めていた。


「なにか用か? ジャマするなら帰れ」


 突然現れたゲルクに、カロンは鋭い視線を投げた。小さな悲鳴をあげて、オランは身を低くする。

 ゲルクの視線は生意気な反逆者へと向けられ、細められた。


「邪魔する? いや、続けるのは許してやる。俺の庭をキレイにしようってことなら褒めてやってもいい」

「はあ? 誰もおまえのことなんざ頭にねえよ」

「————許可を取り消してもいいんだぞクソガキ」


 2人の視線が切り結ぶ。

 一方は身の程を弁えない反逆者への憤怒を胸に。一方は目の前の汚物へ対する殺意すら込めて。


 一触即発の空気に、傍観していた大人たちも腰を上げる。……が、その直前でゲルクは視線を逸らした。


「…………いや、クソガキに本気は大人気ないか。そもそもサプライズだったよなあ。こんなもの、聖騎士が帰ってくれば家で話題にするに決まってる。それでお前たちガキどもの小便臭い計画はご破算だっての。ざんねんだったなぁ~、ちょっと頭が足りなかったかぁ~?」


 優越感に顔を歪めながら、神経を逆撫でする声で無礼者を見下ろす。次の瞬間にも激昂するであろうカロンをどう痛め付け、調教するか。

 ゲルクの脳内はそんな愉しみに溢れていた。


 しかし。


「——ハッ」


 ゲルクの歪んだ微笑みを、カロンは鼻を鳴らして一蹴した。蔑むように鼻で笑うカロンの目には、もはや憐れみすら浮かんでいる。


「なにが笑えるんだ? ん? そんなに躾けられたいか?」

「やっぱおまえは知らねーのな。おまえの苦手な聖騎士は当分留守だっつーの。村で知らねーのはおまえくらいだぜ?」


 カロンは嗤う。そんな周知のことを知らないことこそ、おまえの孤立を表していると言わんばかりに。


 それを前にして、ゲルクは目を見開いて紅潮して————


「あいつが……当分いない……? く、ハハっ、ハハハハハハハッ‼︎」


 興奮を隠すことなく、高らかに勝鬨を上げた。ようやくだと。この時を待っていたと。


 誰も予想していなかったゲルクの狂笑に、カロンはおろか大人たちですら眉を顰める。


 聞く者を不快にする笑い声が止まるころには、ゲルクの機嫌はここ数年来のピークへと達していた。


「気が変わった。俺が直々に手伝ってやる」


 止める間もなく、ゲルクは踵を返す。その背中を唖然と見つめる一行。胡散臭いことこの上ないが、邪魔をしないだけでも僥倖だと思い直して、カロンはいち早く硬直から回復した。


「結局、なんなの?」

「さあな。もうほっとけよ。オレたちもひまじゃねえし」


 やれやれと首を振って、作業に戻る。

 その後再びやってきたゲルクは草や枝を集めるだけ集めて燃やし、それを肥料にしろと言ってきた。この灰は栄養になると。


 もうすでに花開き、約束の日も目前にした今となっては栄養もなにもないのだが、それを言っても面倒事が増えるだけだと、カロンたちは大人しくやらせることにする。


 そのモクモクと天に昇る煙をみて、なんだか狼煙という単語を思い出すカロンであったが、それもすぐに頭から消えた。


 そして約束の日。

 セトナ村の正門で待つカロンとシルス、そしてオラン。


 相変わらず取り留めのない会話へ花を咲かせていると、ふとカロンの視線が道の向こうへと向けられる。それは本当に偶然だった。


 カロンの視界は、町へと続く道の向こうから村へと進んでくる妙な集団を捉えていた…………。

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