終焉は足音を殺して

「ぁグぅ⁈⁈」


 ものすごい力で体が弾かれ、地面に落下する直前で誰かに抱えられた。まだ残る耳鳴りのせいで何を言っているのかは聞こえないけど、お父さんはしきりに怒鳴りながら背後を気にしている。


 乱暴な運び方。ぼくへの負担より離脱だけを最優先に考えた疾走から、お父さんの余裕の無さと、事の深刻さが理解できた。信じられない速度で真横を過ぎ去って行く樹々は、間違っても当たったらケガじゃ済まないだろう。

 訳も分からないまま、ただ身を丸めて耐えることしかできなかった。


 それからどれだけ経ったのか。激しい揺れに耐えるのも限界に近づいてきた頃になって、お父さんは走るのをやめた。

 普段より早い呼吸のお父さんは、しばらくぼくを抱えたまま走ってきた道を睨んでいた。そして、ようやく腕の力が緩み、ぼくは揺れない大地に四つん這いで着地した。

 それでも、まだぐらぐらと揺れている感覚は治らない。


「う゛、げえぇええエッ!」


 盛大に吐いた。

 訳が分からなくて、訳を聞くこともできなくて、ひたすら耐えていたもの。それら全部が、水音を立てて僅かな傾斜を滑って行く。


「エ゛っ、ゲッホ、カハッ!」


 出すものもなくなったのに、これ以上なにを出せというのか。胃は何度も収縮し、その度にぼくをえづかせた。涙まで出てきた。


「大丈夫か、アトラ?」


 背中が優しくさすられる。お父さんだ。

 気遣わしげなその声を聞いていると、すこし落ち着いた。

 冷静にならなきゃ、深呼吸……うぇ、にが……。


「口を濯いでおけ。ゆっくりだぞ」


 渡されたものを、ほとんど反射的に口に含む。

 無味無臭なそれに苦味を感じるようになったら、躊躇なく吐き出した。

 それを何度か繰り返した。


「……はぁ……ふぅ」


 水で口内の不快なものを洗い流す頃には、ぼくは完全に落ち着きを取り戻せていた。

 残った水でのどのイガイガを飲み下しながら、さっきまでの出来事を思い返してみる。


 巨木の下には、ルカはいなかった。いたのは見たことのない女性だ。全身を赤で統一した姿は距離があっても印象的だったし、森の中ではひときわ目立っていたからあの一瞬でも覚えている。

 本を読んでいた彼女が虫を払うみたいに腕を振るって……アレが放たれた。


 どう考えても、魔法だろう。人へ向けるにはあまりに過剰な“破壊”。破滅的なまでの熱を運ぶソレは、瞬きの間もなく距離を埋めて…………純白の槍に阻まれた。

 すごい光と音がして、後は同じだ。お父さんはぼくを抱えて森を駆け抜け、ぼくはゲーゲー吐いただけ。


「アトラ」

「あ、ありがとう……もう、大丈夫。ごめんなさい。水、全部使っちゃった……」

「いい。帰りはアトラを背負っていく。ああ、そう心配するんじゃない。今度は酔わないように気をつけてだ」

「……うん」


 もう一度あんなに苦しい思いはしたくないという思いが顔に出ていたみたいで、苦笑されてしまう。

 ただそれも一瞬で、お父さんの顔はすぐに真剣なものに戻る。


「アトラ。ヤツに見られてないな?」

「うん。あの人ずっと本読んでたし、こっちに全然興味がないみたいだった。確認自体してないと思う……。あの人が……」

「ああ、【血塗れの魔女】よりも【紅の魔女】の方がアトラには分かりやすいか? 本に書いてあるのはこっちの方だろう」

「やっぱりそうなんだ……」


 巷に蔓延る【魔女】への悪印象。その元凶といってもいい人物が、【紅の魔女】ルミィナだ。

 彼女の魔女としての逸話はどれも冷酷さを示すものばかり。中でもひときわ強烈なものとして、彼女に救いを求めに来た人たちを「鬱陶しい」という理由だけで皆殺しにしたというものがある。


 教国が今最も手を焼いている人物が、間違いなく彼女だった。


「なんでこんなところに……」

「さあな……ここは霊峰の影響下だ。ここでしか研究できないものもあるのかもしれないが……父さんにもよくは分からない」


 普段のぼくであれば、思わぬ大人物を前にはしゃいだのかもしれない。けど実際に指先を向けられた今となっては、心は芯から冷え切って震えている。

 いや、そもそもお父さんがいなければはしゃぐ間もなく死んでた。あの場所で炭か灰かに姿を変えて、お父さんにもお母さんにも、アリアにも知られないまま消えていたんだ。


 そんな想像に震えながら、それ以上に神域に到達した人物があんな人だったと知って、そのことがただただ怖かった。

 あんな人格が奇跡を手にしている。それは悪夢以外ない。本に書かれているのはかなり尾ひれのついた話だと思っていた。そんな破綻者なら、シグファレムで『特別顧問官』なんて役職に就くはずがないと。けど、目の当たりにした【紅の魔女】は、恐ろしいほどに【魔女】だった。


「未報告の魔女の庭、か…………今度は少し長くなるな」

「……………………」


 それが家を空けることなのは、お父さんの表情から察することができた。寂しげな表情とは裏腹に、槍を握る手は真っ白になるくらい握り込まれている。

 それがぼくには、とても怒っているように見えた。


 その後はお父さんの背中におぶさり、背負われたぼくが荷物を背負う形で村へと帰った。

 日が暮れていたこともあって人通りはなく、降ろしてもらうタイミングを逃したぼくの姿は誰にも見られずに済んだ。

 …………と思ったら、1人で薪を運ぶ人影が。


 ————ああ……カロン、だ……。


「ぐ、グゥ」


 もう遅いのに、苦し紛れに寝たふりなんてしてしまう。一瞬見えた、ニヤニヤしたカロンの顔がまぶたに貼り付いてなかなか消えない。


「ぅぅ……」

「? なんだアトラ? 荷物が重いか?」

「なんでもない…………はやく、あるいて……」


 顔が熱くなっているのを感じながら、ぼくは村へかかる山の影に感謝するのだった。



- - - - - - - - - -



「よし、それじゃあ行ってくる」

「ええ。しっかりね」


 お父さんが出発したのは2日後の早朝のことだ。今度は少し長くなるから、そのことを村長さんや村のみんなに伝えておかないといけないらしかった。


 こういう時、お母さんの見送る背中は少し寂しげなものだったけど、なんだか今日はいつもと違う。

 お父さんもお父さんで、「帰ったら重大発表があるから楽しみにしてろ」と、何やら自信あり気な表情を浮かべていた。

 【魔女】の件以外に、何かあるんだなと思った。


 そうしてお父さんは起きてた村の人何人かに見送られて村を後にした。少し重たいまぶたを擦りながら、お母さんと2人で家に戻る。

 アリアはまだ寝てるはずだ。

 お父さんの居ないこの時間は、なんだかすこし静かすぎる。毎朝この時間には、庭から風を切る音がしていたのに、それがないだけでこんなに静かなんて……。


 もうすっかり慣れていたはずなのに、今回は何故かそう感じてしまう。


「お父さん、また行っちゃったね」

「……アトラは淋しい?」

「うん、少し。最近お父さんが居ない時間が増えてるし……」

「そうね……けど許してあげて。あれでもアトラのために動いているみたいだから」

「ぼくのため?」

「そ。本当に、昔からズレてるんだから。そんなことより一緒にいてあげた方がアトラは喜ぶのに……ねえ?」


 ぼくの頰をさすりながら、お母さんは呆れの混ざった笑顔をこっちに向ける。同意を求められても話がよく分からないから、ぼくはとりあえずの同意を返しす。

 そして、ふと忘れかけていた客人が視界に入った。


「そういえばさ」

「ん?」

「あの馬とか荷馬車とかって、いつまでウチにいるの?」

「あー……そうね。帰ってきたら言っとかないと」


 2人して庭を見やる。そこには相変わらず木に繋がれた馬が、なんともだらしのない顔で眠っていた。お母さん自慢の庭には似合わない光景。

 扉を運んだ馬を可愛く思っていたのも最初だけ。今は世話の手間だけの可愛げは見出せないみたいだ。

 お母さんは分かりやすくため息を吐いた。


 そうしてセトナ村の時間はいつも通り、穏やかに流れていく。ぼくは部屋で本を読みながら過ごし、アリアは花と戯れるか、ぐうたらな馬にちょっかいをかけて遊ぶか。お母さんは井戸端会議で盛り上がって、他のみんなもゆっくりと時を過ごす。

 ここにいる間は意識しないけど、稀に町に行くと無性に恋しくなる。ここセトナ村はそんな村で、間違いなく故郷だった。


 そんなある日、久しぶりにカロンとシルスが家に来た。なんでももう少しで修道院へ移るぼくに、その前に渡したいものがあると2人は言った。

 そして久しぶりに遊ぼうと。


 ぼくはもちろん快諾して、今すぐにでも遊ぼうと提案すると、それは待ってほしいらしかった。

 疑問に思いつつも、言われた通りに数日後の待ち合わせを約束して、2人は門へ踵を返す。

 と、一度振り返って、カロンが大きな声でもう一つの約束を告げた。


「アトラーー! 約束の日まで村の正門に近づくなよーーっ‼︎ 男同士の約束だかんなーーっ‼︎」

「わかったーー!」


 もとからお父さんが戻ってくるまで狩りに行くのは止められてしまったし、村からでる用事は全くなかった。でもわざわざ約束までしてきて、一体なにがあるんだろう。


「あと、約束におくれんなよーー! なんならオレがおんぶしてやるかーー!」

「ぶッッッッ?!?!」


 大笑いしながら走り去るカロン。戸惑いながらこっちに手を振って後を追いかけるシルス。

 あの様子だと、今度会うころにはなにか吹き込まれているだろう。


「ああもう、めんどくさいなあ」


 口から出た声は、言葉には似合わないくらいに明るいものだった。当たり前だ。


「ふーーーー…………」


 久しぶりに純粋な期待で胸が高まる。ぼくはにやけそうになるのを堪えながら、もう見えない2人の背中を見送った。










































 ………………………………それが最後だった。




 

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