魔女の庭


「アトラ! 起きろ、アトラ! 面白いものが観れるぞ‼︎」

「ん゛ん……う……?」


 寝起きに優しくないお父さんの声。部屋に呼びに来るなんてどうしたのかと起き上がると、背中や腰に少しの痛みを感じてここが家ではないことを思い出した。


「ぅ゛……いたい……」


 起き上がると、ビキリという痛みが走る。冷えた身体に血が巡り、痺れが広がった。


(普段のベッドがどんなにやわらかいか、ほんとによく分かるな……)


 慣れない姿勢と固い寝床はけっこう体にムリをさせたらしかった。背中から続く抗議を努めて無視して、ぼくは声の主を視界にさがす。


「あれ、おとうさん……くわぁ————ぁふ、なにしてるの?」


 ぼくの声に、お父さんは手招きだけで返す。

 よく分からないけど、とにかく来て欲しいのは伝わってきた。

 ぼくはいそいそと、堀のあったはずの固い地面に驚きつつもお父さんいる崖側に向かう。

 お父さんが何を見せたいのかは、すぐに分かった。


「えぇ⁈」

「タイミングが良かったな。見るのは初めてだろう」

「山が……光ってる……⁉︎」


 正確には山頂だけど、どっちにしてもだ。

 昨日眺めた景色はそのままに、遠く向こうにあるひときわ大きく尖った岩山。その山頂部が、キラキラと瞬いているのだ。

 

 幻想的であり、あまりにも非日常的な出来事に言葉が出ない。


「アレが何だか分かるか?」

「う、ううん……知らない……見たことない」

「見たことは無くとも、アトラは既にアレを知っているはずだぞ? 予想してみろ」


 言われて、頭の中のノートを高速でめくる。

 お父さんの口ぶりからして、ぼくはアレを本で読んでいる。それも、かなり知名度の高いもののはずだ。


 けどいくら記憶を探っても『山頂が光を放つ』なんてものは見つからない。

 そんなの忘れるとも思えないから、ぼくは違う形でアレを記憶しているのかもしれない。


 頭の中で、探すべき項目を『山』の一点に絞る。

 すると、もしかしてというものがあった。


「お父さん。あの山って……『霊峰』?」


 聖典では『彼の岩の丘』と記される神聖な山。山頂で定期的に祈りの儀式が行われることなら知っている。だけど、光るなんてどこにも書いてなかったし、記述もさらっと触れる程度のものだったから、『霊峰』の知名度の割に、その詳細はあまり知られていない。

 アレが『霊峰』で行われている祈りの光じゃないとしたら、もうお手上げだ。ぼくには分からない。


 そんな半ば投げやりな答えに、お父さんは面白そうに頷いた。


「正確だ。ヒントを与えたとは言え、よく分かったな」

「詳しくは分かんないけど、山に関してならこれかなって。逆に、これ以外しらないから」

「そうか。じゃあ少し解説するとな、いつか現れる『神人』は知っているな?」

「うん。この世界が神さまたちの庭にふさわしくなったら現れて、呼び戻してくれるっていう……人?、だよね?」


 疑問系なのは、神を呼び戻せる者が人間なのかが分からなかったからだった。


「そうだ。聖典の文言からは『源流』に至った人間なのか、はたまた『源流』そのものである新たなる神なのかはハッキリとしないが、兎も角、いずれその『神人』が現れ、神の座す『天蓋園』への門を開くとある」

「うん。いつになるか分からないけど……」

「いや、実はいつ現れるかについては触れられている。曰く、『彼の岩の丘』が敬虔なる祈りの手に削られ、やがてその姿を失うころ、この世界は神々の庭として復活を遂げているそうだ」

「じゃあ、アレって——」


 視線を景色に戻すと、山頂の光は消えていて、どうやらもう『祈り』は終わったらしかった。


「ああ。端的に言えば、祈りを捧げながら岩を擦っている。昔は素手だったらしいが、今は魔法で強化された籠手でザリザリやってるらしい」

「……………………そういうもの?」


 頭に浮かぶ光景は、ひどく滑稽なものだ。あの神秘的な光の裏がそんなことになっているとは思いたくなかった。

 それはお父さんもそうだったらしい。子どもの夢を壊したと思ったのか、なんとも曖昧な表情を浮かべて————


「まあ……流石に人が待つには長すぎるからな! 削れて更地になる頃には神は戻ってますよと言われたところで、それでは結局いつになるか分からない」


 そんな、フォローになっているのかいないのかよく分からない事情を口にした。


「————あれ?」


 けど、ちょっと気になることが。


「お父さん。たしか『霊峰』ってアレだけじゃないよね?」

「ああ。全部で6つあるな」


 そうなのだ。聖典で記されているのは『彼の岩の丘』であって、それがこんなにたくさんあるのはなんか納得いかない。『彼の岩の丘』を、どうやって6つの山と読んだんだろう?

 だって、普通こう書かれたら『岩の丘』はひとつであるべきな気がする。


「アトラは気づいたか? 聖典の書き方も、どうもひとつであるのを前提にしているように読める。なのに六か所も『岩の丘』があるのは何故だろうな?」


 何がおかしいのか、お父さんは思い出し笑いでもするみたいに声を震わせて、堪えられなくなったのか大きく口を開けて笑い出した。


「ははははは! いや、実はな、ふふ、この『彼の岩の丘』がどこなのか分からないんだ。分からないから、それらしい候補を全て『霊峰』として典礼の対象にしよう。その結果、本来ひとつであるはずの『彼の岩の丘』は長い歴史の中で増えて行き、今や6つの『霊峰』が存在する訳だな。どうだ、面白くないか? 父さんは面白おかしくてこの話好きなんだが」

「う……ん……そんなに」


 たぶんお父さんにとってこれは、一種の身内ネタなんだろうな。

 帰ってきたお父さんが教会や街の話をするときにこういう笑い方をすることがある。そのときは決まって教会関係者の失敗談だったっけ。


 光が途絶えたのを確認してから、ぼくは帰宅準備を進める。水の残量は心許ない。それもそのはず、もともと日帰りの予定だったんだ。

 そういえば、来る途中で川の流れる音が聞こえたはずだ。音からして、かなり大きな川だったと思う。


 お父さんに水の補給を提案すると、特に間も置かずの了承だった。

 ちなみに、ぼくもお父さんもガラス瓶を柔らかな革帯で巻いたものを水筒としている。

 もともとは何か動物の胃袋を加工したものを使っていたけど、もしかしたらあれを持ってきてればわざわざ川までおりなくても済んだかもしれない。

 でも、においがイヤなんだよなぁ……。



- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -



「————お父さん、それ重くないの?」

「重い? この槍がか?」


 険しい傾斜を終え、ひと時の緩やかな登り降りを繰り返す。川の音が聞こえるまではもう少しかかるというところで、ぼくは荷物と二本の槍を同時に運ぶお父さんに聞いてみた。


 銀の細身の槍はこんな場所でも誇らしげに光を照り返している。対して白槍は変わらず汚れひとつなく、森の中で言いようのない存在感を放っていた。


「————持ってみるか?」

「えっ! いいの!? うん、もつもつ‼︎」


 どっちの方を持てるのかと待っていると、ズイと腕が突き出される。白銀の槍を握るその腕は、震えもせずに水平を保っている。

 あんまり重くないみた……っ⁈


「おっ——と、気を付けろアトラ。怪我をするぞ」

「あ、ありがとう」


 想像を超える重さを無防備に受け取り、危うく落としそうになる。それを体で迎えに行こうとしたぼくを、お父さんの手が支えてくれた。


「こんなに重いんだ……」


 考えてみれば当然だ。この槍が白銀に輝いているのは、穂先だけじゃない。槍の石突から穂先まで、全てが同質の輝きを持っているんだ。まるで巨大な銀塊から削り出したみたいに。

 そんなの軽いはずがない。


「ん……くッ! ハッ! ……ダメだぁ」


 ズシリとした槍は、お父さんみたく片手で振り回すなんて出来る気がしない。試しにやってみようとしても、片手じゃ踏ん張りが効かずに振り回されてしまう。これじゃヘンテコな踊りみたいだ。


「はははは! やめておけ、腰を悪くするぞ。槍は力で振るうものじゃないんだ。その様子だとアトラに扱えるのはまだまだ先だな! ほら、お父さんが見本をみせてやろう」

「ん…………」


 まるで重さを感じさせない無造作な手つきで、槍がヒョイと手を離れる。


 笑われるのは少し悔しいけど、流石に意地を張る気にもならない。「武器の最大の役割は主を丸腰にさせないこと」と常に言うお父さんが、どうして綺麗だけど細身の槍を持っているのか不思議だったけど、これなら納得できる。確かな重みを持つ銀の槍は、まるで折れる気がしない。

 折れるとすれば…………。


「あの剣ならどうなんだろう————————エ?」


 頭に浮かんだのは、ルカの持ってきた巨大な……剣と呼べるのかも分からないほど巨大な剣。

 そう……ルカ、だ……。黒く長い髪が特徴的な……コロコロ表情を変える……あの子。


「ッ——⁈」


 途端に身体を駆け抜けたのは、あの感覚だった。昨日、あれだけ探してもまるで気配を見せなかった、あの感覚だ……!


「お父さん! 来て! 近い! はやくッ‼︎」


 槍を振ろうとしていたお父さんは、ぼくの要領を得ない言葉に一瞬動きを止める。

 けれど、その後の行動は早かった。


「案内しろアトラ! 父さんの前に出るな! 方向が分かれば俺が前に行く!」

「あっち!」


 お父さんを先頭にして、森の中を駆け抜ける。

 そして、確実に“感覚”は強まっていった。


 前を走るお父さんの背中を視界に収めながら、ぼくは正直ホッとしていた。

 思えば、ルカという友人とは今までずっと“感覚”に頼って会っていた。今回みたく、ある日突然その“感覚”を失ってしまえば、たぶん2度と会えない。

 昨日あんなに沈んでいたのも、もしかしたら心のどこかでもう会えないんだと理解してしまってたのかもしれなかった。


 だけど、そんな考えももう杞憂だ。会ったらまずはちゃんと話をして、お父さんにも悪い子じゃないって分かってもらわないと。きっとなにか誤解がある。ルカの無邪気さや悪意のない人柄は、会えばすぐに分かるだろう。


 あ、あと帰り道にも何か目印をつけて帰んなきゃ。今回みたく“感覚”が働かなくなって、今みたいに運良く戻らなかったら今度こそお別れだ。


「あ」


 空気が変わった。樹々の生命力にも侵されない空白地が出現する。そして、あの巨木だ。


「……え?」


 その巨木の下に、ルカはいない。代わりにいたのは、長く赤い髪の女性。

 イスの様な形をした巨木の根に腰掛け、その視線は枝に引っ掛けた大きな本に固定されている。

 それはまるで、生きた巨木を従えるような、不思議な光景だった。


 女性はこっちに気づいていない。それとも、気づいていてもまるで興味がないのか。


「【血塗れの魔女】…………」


 戦慄を帯びた声が聞こえる。

 【魔女】。神域に到達した魔法師は、その性別で呼び方が変わる。

 男性であれば【賢者】とされ、女性であれば【魔女】とされる。なら、あの人がその【魔女】なのだろうか。


 どんな疑問よりも好奇心が勝り、お父さんの背中から覗き込むように、【魔女】を見た。

 何かイヤなことがあったのか、【魔女】はため息をひとつ吐くと、相変わらず視線は本に固定したまま羽虫を払うような動作をした。


「っ⁈ 下がれ‼︎」

「ぁ————…………?」


————瞬間、網膜を熱と光が焼き、身体を轟音が震わせた。

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