大人になるということ


「よし、小休憩にするか」

「うん」


 足場の悪い傾斜を登ったところで、お父さんは2回目の小休憩を告げた。少し重くなった足を揉みながら、適当に座れる場所を探す。

 と、ひと足早くいい場所を見つけたお父さんと目が合った。


「なんだ? ————ハハ、なるほどな。久しぶりに膝に座るか? ん?」

「いいよそんなの!」


 からかってくるお父さんの様子はいつもと変わらない。変わらないどころか、むしろ上機嫌にも見える。

 ただそれが見た目通りじゃないことは、休憩中も槍を離さないことや、なんとなく感じる緊張感が教えてくれる。


 やっと腰を下ろせる場所を見つけて、足を休める。すると、そこはお父さんにとって少し遠いのか、お父さんは手招きすると座る場所を譲ってくれた。


「勉強は進んでいるか?」

「うん……充分なのかは分からないけど、時間があればやってる」

「よしよし。結構座学に命を救われる機会も多いからな、今のうちに知識は蓄えられるだけ蓄えておけ」


 お父さんはそういって、ぼくの頭を撫でる。すると、何かを思いついた顔をした。


「よーし! それじゃあアトラの知識が充分か、ここはひとつ父さんがみてやろう! あまりひどかったら母さんに言いつけるからな」

「ゔ、良かったら……?」

「言いつけるのはなしだ」

「えー!」


 いきなり始まった口述試験は、ご褒美が『罰はなし』というひどいものだった。けど、思えばこういった機会はなかったし、自分を試す良い機会だと無理矢理に納得したことにする。


「最初は頭の体操がてら、聖職者の序列をざっくり言ってみろ」

「ざっくりって言われても分かんないよ」

「まあ例えば、『大司教』に関してなら『大司教』のひと言でいい。『聖内大司教』とか『聖外大司教』に分けなくていいし、『母神大司教』の方が他の大司教より権威がどうこうとかは無しってことだ。そんな具合に他のもおおまかにな」

「なら簡単だよ。下から『助祭』、『司祭』、『司教』、『大司教』だよね?」

「ふむ。ま、これは常識だな。次からは難しくなるぞ?」


 その後もいくつかの問題を難なく答える。読むのを許された本にはあらかた目を通してあるし、分からないことはお母さんに聞けば分かりやすく教えてくれたおかげで、ぼくはお父さんが途中に混ぜる少しイジワルな問題にも対応することができた。


「おー、やるな! 少し系統を変えるか。————『神威等級』について簡単に説明してみろ。本番だと思ってな」

「えー……っと、『神威等級』を簡単に……? ……そんなの本番で訊かれるの?」

「ああ、本番でも何かを説明させることは多い。ここで大切なのはな、単に簡単に説明するだけでなく、その説明の中で如何に自分の理解度を示すかだ。父さんのときはこういった質問の配点が大きかった。…………今は知らんが」

「うーーーーん…………」


 そんなことを言われても、どうすれば良いのかなんて分からない。『神威等級』なんて、試験を受けるくらいの人間からすれば常識のはずだ。単に概要を述べる程度だと簡単過ぎて、大した加点は見込めないだろう。

 かと言って、細かな点を拾っていけばこの話はいくらでも難しくなる。


「『神威等級』は……ある魔法がどれだけ『源流』……つまり神々の奇跡に近いかを等級で表した指標……です。上から『神域』、『聖域』、『浄域』、『清種』、『公種』、『汎種』……です。上3つはまとめて『領域魔法』と呼ばれることもあります……で……いい?」

「まあ妥協点だな。不足点は、『神威等級』の格付け対象は『魔法およびそれに準ずる現象』だ。細かいが覚えておけ。『魔法現象』のひと言でも足りるだろう。欲を言えばその『神威等級』という格付けをどこがしているのかを言ってほしいところだが……まあ、やはり妥協点だな」

「難しいな」

「なんだアトラ。その割に楽しそうに見えるぞ」

「うん! 覚えるばっかりだったから、こうやって考えるのは新鮮で……また問題だしてよ」

「よーし、その意気だ! 取り敢えず今回はお咎めなしだな。母さんにはお前はよく頑張ってると伝えておこう」


 お父さんの手が再びぼくの頭を撫でる。それが嬉しいと思う反面、もう少しで大人になるのにこうでいいんだろうかとも考えてしまう。

 少なくともぼくの知る“大人”は、頭を撫でられて喜びはしない。


「……お父さん」

「んー?」

「お父さんは大人だよね」


 ぼくの質問に、お父さんは微妙な顔をする。


「ああ。父さんは聖騎士で、お前の父親だぞ? 子どもでどうする」

「うん、そうだよね。ぼくもあと少しで大人になる」

「ふむ、まあ権利関係の上ではな。あくまで法的には成人ってだけだ。身体も心も、まだまだ成長盛りだろう」

「じゃあ、お父さんから見てぼくはまだまだ子ども?」


 お父さんは撫でる手を止めてから一瞬何かを考える素振りをする。

 そして大きく頷いてから、ぼくの背中をポンと叩いた。


「アトラが幾つになろうと、父さんからすればいつまでも子どもなのかも知れない。それを煩わしく感じるときが来るかもしれないが、まあ親というのはそういうものだと許してくれ。父さんにとって、アトラはいつまでも大切な子供なんだ」


 言い終わると、お父さんは伸びをしてから「そろそろ行くか」と歩き始めた。ぼくの記憶が正しければ、多分もう休憩を挟む必要もないくらいの距離に来ている。

 道のりはあと少しだ。



- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -



 深い森を進み、ひときわキツい坂……というよりも山を登ってから、もう無いはずだった3回を超え、4回目の休憩。傾き始めた陽の光は、加速度的に山の向こうへ落ちてゆく。

 

 水筒の冷たい水が体に沁みるのを感じながら、ぼくは混乱の中にいた。


(なんで……どこだここ?)


 山という高所から眺める景色は、眼下を樹海が占領し、視界の中央彼方には巨大な岩の山脈が空へと矛のような山頂を突き立てている。人の手の及ばない原初の自然だった。


 辺りを見渡しても、やはり現実は変わらない。もうここは全く見知らぬ場所だ。

 こんなに深い森に入ったことは、絶対にない。いつものぼくの装備でこんなところまで来るはずがないし、こんなキツい山登りもした覚えはない。


 けど、道を間違えたとも思えなかった。

 途中までは正しい道を歩いている感覚があったし、実際近くまで来ていたと思う。そろそろ森が開けて、あの大樹が視界の中央に鎮座する……はずだったのだ。


 いつもの同じ道だった。違ったのはただひとつ。


(“あの感覚”が……なかった)


 いつもの場所に近づくと必ずした“感覚”が、今日はまるでなかった。空気が急に変わることもなく、いくら空気を吸い込んでも、森特有のおいしい空気が肺を喜ばせるばかりだった。


「アトラ」

「ごめんなさい、お父さん。ぼく……ここ知らない……通り過ぎたんだと思う」

「そうか。よし! じゃあ今日はここで夜を明かすぞ! 枝を集めろー!」


 特に気落ちした風もなく、それどころかどこか上機嫌に、お父さんは銀の槍を地面に突き立てた。低い音と振動が足裏から伝わる。

 その後、テキパキと慣れた手つきで縄を槍に結んで支柱にして枝や葉をかき集めると、ぼくが燃えやすそうな枝を集めるころには本格的な天幕が出来ていた。


 本格的なことに、天幕を囲うかたちで堀までできている立派な拠点だ。


「なんか楽しそうだね……お父さん」


 今日一日が無駄になったのに、鼻歌でも歌い出しそうなお父さんが理解できなくて、未だに今日を徒労にした後ろめたさから出た言葉だった。


「当たり前だ! いやあ、一度はこうして父と息子で火を囲んでみたかったからなあ。親子らしくていいじゃないか。さ、アトラ! ここには父さんとおまえの2人だけだぞ? 普段話せないことも口から漏れ出てこないか? なあに、ここで聞いたことはもちろん秘密だ! 男同士の約束だ!」

「……………………」


 ぼくはお父さんの捉え方に、素直に感心してしまった。

 そうか、そういう考え方もあるのか……と。


 たしかに今日やったことを総括すれば、1日かけての本格的な山登りだ。ぼくは目的を果たせずにお父さんの時間を無駄にしたと思っていたし、それに気まずさも感じていたけど、お父さんはそれならそれで楽しい1日だったと笑ったのだ。


 なんだか、自分がとても子どもに感じる。


「それで? 父さんが居ない間は何かあったか? 昨日は聞けなかったからな。いつもみたいに、父さんに教えてくれ」

「…………うん!」


 心のモヤが晴れる。

 お母さんから聞いた村での出来事や、狩りのこと。勉強してて初めて知ったことや、驚いたこと。

 話し出したら止まらなくて、時系列もなくて。そんな思いつくままに語られる、決して聞きやすいとは言えないぼくの話を、お父さんはいちいち驚いたり、感心したり、興奮してみせる。


 そうしている間に空は暗くなり、橙色から深い紺色へ。そしてそれも超えて、辺りはすっかり暗くなっていった。


「————ぼくも早く大人になりたいよ」

「ははは、まあ精神的に子どもじゃなくなるのはまだかかるな」

「まだって、どれくらい?」

「さあなぁ。父さんが自分は“大人”になったと思ったのなんて、結婚したとき……も微妙だな。ああ、恐らくはアトラが産まれたときだ」

「そんなに⁈ じゃあ、それまではずっと自分は子どもだと思ってたの?」

「いいや違う。“大人”になる前に、父さんには“子どもじゃない”って期間があったんだよ。“子ども”じゃなくなったが、“大人”とも言い難い時期が」

「…………? じゃあ、お父さんが“子ども”じゃなくなったのっていつなの?」

「そうだな…………」


 お父さんはしばらく口を閉ざして空を見上げる。会話が止むことで、虫の鳴き声や薪の爆ぜる音、どこからか聞こえる動物の鳴き声に、天幕を避けるように迂回する気配。

 夜の山は静かな様で、こんなにも賑やかだったんだ。


 そんな中で揺らぐ火を見ていると、なんだかすごく癒される。微かに鼻腔をくすぐるのは、そんな火に焼かれている何かの実の香りだった。

 お父さんがここへ来る途中で採っていたらしい。ぼくは全く気がつかなかったけど、もしかしたらお父さんはこれを採ってる頃には森で夜を明かすことになると察していたのかもしれない。


 ぼくが普段そんな遠くに行ってるはずないから、つまりは実を集めていた時点でお父さんは『親子でのお出かけ』に頭を切り替えて楽しんでいた訳だ。


 そんなお父さんに視線を戻すと、もうとっくに答えを出していたみたいだった。


「やっぱり、親が死んだときだな」

「親が……?」

「ああ。俺にとっての両親。アトラにとっての祖父母にあたる。2人が死んだとき、『ああ、俺はもう子どもではいられないのか』と思った記憶がある。自分の“子ども”を見せる相手が居なくなってしまったから、子どもではなくなった……そんな感じだった」


 静かな声で語られた内容は、ぼくが初めて聞く『息子』としてのお父さんだった。

 火に照らされるお父さんの顔は、なんだかいつもとは違って見える。

 いつかぼくにも、“子どもでいられなくなる”瞬間がやってくるのかもしれない。そのときを懐かしむぼくは、こんな顔をできていられるのだろうか。


「おっ、もういい頃だな。熱いから少し冷ますか。まだ触るんじゃないぞ?」

「えっ? あ、うん。わかった」


 充分に焼けた実を、赤々とした薪から掘り出す。

 それが冷めるのを待ちながら、ぼくはいつか来る死別わかれに思いを馳せるのだった。


 

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