“本気”
聖堂の一画に、空気を割くような音が連続で木霊する。
絶え間なく続いていたそれは、一際大きく響いてから前触れもなく止まった。
とてつもない力に弾き飛ばされたのは、全身を細いシルエットの金属製の鎧で守る騎士だった。
それが確かな質量を持ったホンモノであるのは、地面に衝突する度に鳴る重みある音からも理解できる。
だが跳び方だけみれば、癇癪を起こした子どもに投げ飛ばされたオモチャそのものだった。
砂汚れが付着した鎧に、何かの神秘なのか、汚れひとつない深い緑の腰マントが見る者にチグハグな印象を与える。
もっとも、この場に観戦者は1人の司祭をおいて他にいないのだが。
「ハァ……ハァ……」
身体が欲するままに酸素を供給する。
肩は上下し、それを隠す余裕もとっくに失っていた。
油断していた訳じゃなかった。
だが良い勝負にまでは持っていけると思っていた。
それが、蓋を開けてみればこのザマだ。
荒くなった呼吸と、その度にする鎧の硬質な音が鬱陶しい。まるで己が未熟を喧伝されているような気分になる。
対して、白槍の男はこの瞬間を追撃せず、構えすらしない棒立ちのままだ。
だが、あれが見た目の通りではないという直感がある。あんな姿勢でも、体の内側にはしっかりとタメがある。
油断して隙を見せれば、姿勢からはあり得ないほどの速さで突きを見舞ってくるだろう。
イレニアの目が、ナクラムの一挙一動を見逃すまいと細められる。
対して、そんなイレニアを無表情で見据えるナクラムはというと、目の前の若き才能に内心で感嘆していた。
(大した勘だ……それほどの場数もこなさずにコレか————)
余程の英才教育を受けたことは想像に難くない。
最初の打ち合いで不利を悟るや、即座に鎧を呼び出したが、あれはかなり集中力を割かれるはずだ。だが目の前の騎士はそれを感じさせない安定した防御を見せてくれた。
判断力もあり、即決できる精神力もある。加えて技術も持ち合わせているときた。
鎧の使い方も上手い。
(精神面ではほぼ完成しているな。恐怖をよく抑えられている)
槍の刺突に対して、槍ではなく鎧で応える。
衝突の瞬間に角度を調節し、望むままに鎧の表面を滑らせるという卓越した技術。それをほぼ無意識に行なっているのが、イレニアという天才だった。
(押されて防戦にまわっても亀にならず、常に隙を突こうという姿勢もいい)
体力で優る敵を前に、防御に専念しては勝ち目がない。相手を勢い付かせる上に、攻撃はより苛烈に、より大胆になる。そうなればあとは一瞬だ。守りは容易くこじ開けられ、決定的な一撃を受ける。
イレニアはそれを上手く避けていた。
槍を受け、いなす中でも、小さな攻撃を差し込むことを忘れない。その牽制によって、より強力で強引な一手に出られず、結果として彼女はああして立っている。
刃を合わせる度に想像を超えるイレニアに、ナクラムの戦い方は引き出しを探るようなものへと変わっていた。
(————そろそろか)
騎士の空気が変わったことで、ナクラムは意識を闘いへと集中させる。
そして、イレニアの鎧から感じる魔力が先程までより増しているのに気がついた。
これは手合わせの中で気づいたことだったが、どうやらイレニアの鎧は特注品のようだ。通常の聖堂騎士の鎧に比べてより質が高く、身体能力を向上させる幅も大きい。そういった部分は実家の太さが活きているのだろうか。
そもそも、ナクラムの持つ槍を何度も鎧の上に滑らせておきながら、未だ鎧として機能していることが異常といえば異常だった。
「ハアッ!」
全力で加速し、イレニアはナクラムに正面から接近する。一度劣勢になって以降なかった動きだ。
膂力でも速さでも勝る敵に、決してすべきでない悪手。
「フンッ!」
当然のように、迎撃の刺突が見舞われる。十分な加速と重さを与えられたそれは、たとえ槍で防ごうとも姿勢は崩れ、追撃を防ぐ手を失ってしまう。
つまり、詰みだった。
しかし、自身に向けられた切先を前にして、イレニアは口角を上げる。それは狩人が獲物が罠にかかったと知ったときに浮かべる、そんな笑みだ。
(来た!)
大地を踏み砕く勢いで右脚という杭が打たれる。
鎧による身体強化を活かした、強引な急停止。
軋みをあげる体を無視して、イレニアは踏み込みの衝撃を乗せた横なぎを白槍に叩きつける。
「————ッ⁉︎」
瞬間、ナクラムの目が見開かれた。
蛇腹の槍に浮かぶ、淡い光。『聖印』だ。
聖堂騎士の中にも、功績などによって聖印の刻まれた聖具を特例的に持つ者がいる。イレニアがまさにその“特例”だった。
その聖印は、聖騎士と比べれば簡易なものだが、使う場面次第では十分な成果を挙げる。
イレニアの聖槍に込められた効果は、『衝撃の増幅』。
蛇腹の穂先で発生させた衝撃を遥かに強力に伝えるという聖印の効果は、本来ならば武器を落とさせる程度だったそれを、“武器を固く握るほどにその腕を破壊する”という凶悪なものへと変貌させる。
「グ…………!」
鎧が無いためにその衝撃を素手で直接受けたナクラムは、ここで初めて表情を見せる。
が、その対応は早い。
即座に槍から手を放し、イレニアの追撃を掻い潜る。そしてそのまま滑るように、槍を持っていた右手はイレニアの胸元へと打ち込まれた。
「ッ⁈」
低い音と共にイレニアの身体が打ち上げられ、着地する1秒と満たない間に、すでに白槍は元の位置に握られていた。
イレニアは胸を鎧の上からさするが、ほとんど衝撃は通っていない。その事実をもって、今の殴打が反撃ではなく、追撃を殺すためのものだったことを理解し、イレニアは驚愕と共に歯噛みする。
今のは完全な不意打ちだった。これ以上の好機は、おそらくもう無いだろうと言うほどの完璧なものだったと誰よりも分かっている。
知略と直感、持てる全てで設定した終着点が、いとも容易く潰されてしまった。
「……………………」
苛立ちと共に、抑えていたものが湧き上がる。
そもそも、目の前の男からはピリついたものが感じられない。やる気はあるが、それは稽古をつけれやろうという教師としてのものだ。
イレニアが求める“本気”とはまるでかけ離れている。
そんな姿勢でいる相手に対して……それと、それを突き崩すことのできない自分自身にも、腹の底から粘度の高いものが濁流となって迫り上がる。
それはそのまま視線となって敵へと注がれていた。
一方、睨まれていることに特に反応を示さない男は、右手の感覚を確かめながら、彼もまた驚愕していた。
(巧いな……駆け引きも出来るのか)
鎧に感じた魔力。それによって、次に来る一撃はさらに重いものだと予想し、それまでよりも槍を握る手には力が入っていた。それがイレニアの狙いであり、そうするよう誘導されていたのは疑うまでもない。
槍を伝う衝撃は、固く握るほどに手を破壊する。
そのためにあえて魔力を大袈裟に撒き散らしたのだろう。加えて、槍の聖印に気付かせないための偽装としても機能していたのだ。
それは聖騎士ナクラムをもってしても驚嘆に値した。
だが…………。
(態度に出すぎだな。ここは経験不足が出てしまったか?)
感情を出すのは得策では無い。相手に情報を与えるなら、相応の目的を持たなくてはならないものだ。
ナクラムはイレニアの視線を受け止める。
金属の甲冑によって表情は分からないが、その感情はとても分かりやすい。
「……………………ひとつ、答えてください」
「む?」
唐突に投げかけられた問い。
微かに震える声は、なにかを堪えているようだった。
「私はなぜ……本気になって頂けないのですか」
「いや、そんなことはない。最初から本気で——」
「白々しい嘘はやめて頂きたいッ‼︎」
聞く者に痛ましさすら感じさせる声があがる。
波刃は小刻みに震え、その拳は在らん限りの力で握り締められている。
「ワタシは指南や手ほどきを受けたいのではない! 聖騎士の全力を見たかったのです!自身が目指すものがどれほどの高みにあるのかを身をもって実感したい! ワタシが望んでいるのは、断じてこんなあしらわれ方ではないッ‼︎」
「————————」
沈黙が訪れる。
聞こえるのはイレニアの荒い息づかいのみ。
感情をぶつけられた聖騎士の表情に、やはり変化はない。しかし、その視線はイレニアから外れ、何やら難しい顔をしている司祭へと向けられる。
「——オルヴォン、俺はやるぞ」
その言葉に、司祭は眉間に浮かべたシワをいっそう深くしてから、数秒かけて不承不承に頷く。
「こうなっては、止めるのはイレニアさんの為になりませんからね…………分かりました。ですが、細心の注意を払って下さい」
その言葉にナクラムは首肯し、そして————纏う空気が一変した。
「どうやら履き違えていたようだ。申し訳なかった。君の為を思うなら、俺は先達として大きな壁になってやるべきだったな。————全力で行かせてもらう」
「っ⁈ ……はい、お願いします!」
言い終わってから、ナクラムがはじめて構えらしきものを取る。
その瞬間、イレニアは弾かれたように後方へ跳んだ。
一瞬で開いた距離は、先程までの3倍はあろうかというおよそ槍の間合いとはかけ離れた距離。
しかし、それでもイレニアの予感は消え去らない。
(ここも間合い……⁈)
一足。
イレニアの獣すら超越した直感が弾き出した、目の前の男が彼我の距離を埋めるために必要とする歩数だ。
イレニアはこの時はじめて、自身を救い続けた直感を疑った。
聖騎士が白槍を構えたまま、その姿勢を低くする。
瞬間、イレニアは首筋に刃を突きつけられているような錯覚を覚える。
首筋に刃を突きつけられているという状況。
それは、どうやってもこちらの動きよりはやく、その刃が喉を裂くという致命的な状況だ。
「フフ……」
不思議と笑みが溢れた。
まあ、あの白槍が迫るまで、おそらく碌に反応できないという意味では同じだと……そこまで考えたところで溢れた笑みは、一つには諦めを。そしてもう一つには開き直る気力をもたらしてくれる。
(勝てるつもりなど始めからありません。せめて、一矢報いさせてもらいますよ……!)
誰にも見えない獰猛な笑みを浮かべて、イレニアは相手を待たずに攻め込む。先手を譲ることだけは回避するために。
だが————
(遠いッ!)
自身を守るために空けた距離が、攻めるに際して災いした。最短で駆けても相手に時間を与えてしまう距離だ。
イレニアは即座に直線的移動から、高速での蛇行移動に切り替える。加速と減速の緩急をつけた動きは負担が大きいが、そんなことを気にしては一矢報いるなど不可能だ。
ナクラムはまだ動かない。
だが、その目は視界にイレニアを捉え続けている。
そして、2人の距離がイレニアの踏み込み一足分にまで近づいたとき————ナクラムが動く。
「っ⁈」
音もなく、動作も最小限の接近。
イレニアの視界では、ナクラムの身体が急に大きくなったようにしか見えなかったほどの無駄のない動き。
白槍が振われる。
横なぎで、回避不能のタイミング。
「ダァアアアッ‼︎」
それを、イレニアは渾身の力を込めた槍で迎えた。
けたたましい音と共に、白と波刃の穂先は衝突した。
同時に発動するのは、イレニアの槍が持つ『聖印』。
イレニアの全力に応えるように、淡い光はその力を発揮した。
(勝てる————⁈)
あまりに理想的な展開に、イレニアの表情に喜色が差す。……が、次の瞬間、その表情は驚愕に彩られた。
「なッ⁈⁈」
————なんだそれは‼︎⁉︎
声にならない叫び。
それは、目の前の聖騎士に対してのものだ。
槍を伝い、腕に伝う衝撃。それに対する策としてナクラムが実行したのは、腕を槍と同じように振動させることによる衝撃の軽減というものだった。
イレニアの視線の先で、ナクラムの腕はブレている。そして、イレニアからの衝撃も、自身の膂力も、加速も全てを保持した穂先が、イレニアの胸元に叩きつけられる。
炸裂音と軋むような音を立てて、イレニアは鎧の破片と共に飛んだ。
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