聖騎士、司祭と聖堂騎士
第3『理神』聖堂。通称『清浄要塞』は、その役割から優れた防衛能力を持ち、聖騎士を常駐させているばかりでなく、聖堂騎士自体の質も安定して高い。
その聖堂騎士団の中でも、戦闘面で特に優れ、仲間からの信頼も厚いのが、イレニアという女性騎士だった。
彼女が所属する『聖ソロム騎士団』は、他の騎士団とは違って討伐任務に就くことはなく、専ら拠点防衛の専門部隊という立ち位置だ。
その歴史も古く、『教国』で3番目にできた騎士修道会であり、過去に多くの聖騎士を輩出している。
彼女の生まれた家は、『聖ソロム騎士団』の総長をたびたび務めてきた名家だったこともあり、イレニアが望めば従士過程を飛ばして騎士としての入団も可能であった。
しかし、彼女自身の希望によって、イレニアは従士として入団し、その後実力によって聖堂騎士の座についた。
“家”を排除し、己が能力のみで駆け上がる。
騎士や従士からの多くの信頼は、イレニアのそういった姿から来ていた。
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『清浄要塞』の一角にある騎士修道院。その中庭は、聖堂や修道院同様に素晴らしい景観を誇り、団員たちの憩いの場でもある。
しかし、普段であれば穏やかな空気の中、団員たちの談笑が聴こえてくるその場所は、今は異様な熱気に包まれていた。
「うおおお⁈ またイレニアの勝ちだ!」
「これほどの実力差とは……同じ上級騎士とは思えん」
「これは次の聖騎士もウチからだな」
「よっ! 筆頭騎士~~!」
人だかりからは思い思いの賞賛が投げかけられる。
その中心には、全身を金属製の鎧で包んだ騎士姿が2つある。
両者の鎧はまるで同質のものだ。だが、一方は肩で息をしながら膝を曲げ、他方はこれといったこともなく、自然体で眼前の騎士を見下ろしている。
その手に握られる波刃の槍は、視線に沿うように突きつけられていた。
「ハァ……ハァ……参った、貴殿の勝利だ……」
一方からの敗北宣言に、またも太い歓声が挙がる。
「良い勝負でしたね。また機会があればお願いします」
勝者の言葉に、誰からともなく苦笑が聞こえる。いや、それはその声を掛けられた騎士からだったかもしれない。
今のを『良い勝負』だと認める者など、この場にはいない。それほどに余力を持っての勝利だった。
「いつ見ても素晴らしい槍の冴えですね、イレニアさん」
いやに高い拍手と共に、柔らかな声が投じられる。
声の出所には、緑を基調とした司祭服を纏う男がいた。
その司祭を認めると、団員たちはそそくさとその場を離れ始める。敗北した騎士も会釈をしてその場を後にしようとし、勝者として讃えられていた騎士もそれに続こうとした。が、それを男の声が引き留めた。
「おや、どちらかに用事でもお有りですか? もしお手空きであれば、少しお時間を頂戴したいのですが」
「……………………はぁ」
——しくじった。
内心で舌打ちをして、振り向く。
不思議なことに、振り向く騎士の装備していた槍や鎧は光の粒子となって掻き消え、それと代わるように、騎士のいた場所には淡い紫紺の髪を肩まで下ろし、性格がそのまま出たような切れ長の目をした女性が立っていた。
その視線は目と同じく——いや、それ以上に鋭く男を見据えている。
「何用でしょうか、オルヴォン様」
「そう警戒しないで下さい。今回は面倒なことは無しです。むしろ貴女にとっては素晴らしい話をお持ちしました」
「ますます聴きたくなくなりました」
イレニアの棘のある返答にも、微笑みの仮面は揺らがない。この男のこういうところが、イレニア含めた団員たちには不気味だった。
心がまるで読めない者は信用できないのだ。
そんなイレニアの内心も恐らくは理解しながら、やはり男は続けた。
「少し歩きませんか?」
返答を待たず、司祭服は遠ざかっていく。
そのままここで別れてしまいたいが、そうもいかない。
湧き上がる欲求を無視して、イレニアはその背中に続いたのだった。
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この聖堂は————いや、この町全体に言えることだが、丘という地形上階段や坂の数が多く、非常に高低差のある造りをしている。
そんな道を時には登り、時には降りながら2人は歩いていた。会話は非常に散発的で、イレニアはますます自分が呼ばれた理由が分からなくなる。
まさか本当に立ち話がしたいだけだろうか?
「————————」
浮かんだ考えを散らす。
————そんな訳がない。
行動、言動に必ず含みや意味があり、だからこそ一緒にいて気が抜けない。休まらない。
無意味とはおよそ無縁の男。
それがイレニアの知るオルヴォンという男だ。
階段の連続で息が少し早まっているのすら、何かの前置きかと身構えるくらいでなければダメだ。
「ときにイレニアさん」
「はい」
「聖騎士との手合わせは叶いましたか?」
「……いいえ」
白々しい問いだった。
現実的に、声をかけられる聖騎士など『清浄要塞』に常駐する4人以外あり得ない。
その4人の動向など、目の前の男が知らないはずがないのだから。
もしもイレニアの願いが叶ったのなら、司祭を務める男がそれを知らないはずがないのだ。
つまり、この話にはまだ先がある。適当に返答しながら先を促すのが正解だろう。
「オルヴォン様がサレシィカ司教へ掛け合って下されば可能かと思いますが」
努めて無感情にした返答。しかし、イレニアの声には僅かな期待が乗っていた。
話の流れから、あり得ないことではないのでは……と。
それは本人にも無自覚な、それ故に心からのものだった。
「ハッハ、それは申し訳ありませんが不可能です。そんなことをすれば私の評価は急降下してしまいますよ」
——が、それに気づきながらも、オルヴォンはさらりと否を返す。
自身の出世が優先とまで付け加えて。
「————————」
イレニアの瞳に僅かに灯っていた暖かいものが急速にゼロになり、そのままマイナスへと加速してゆく。
「お待ち下さい。この話には続きがあるのです」
「…………続けて下さい」
背筋を襲う寒気に身震いしながら、オルヴォンはやり過ぎたと軌道修正を図る。
食い付かせるためとは言え、餌の撒き方には気を付けなければならない。
ここには手すりも塀もない。
『不幸にも階段から落下して死亡』ということも、万に一つくらいはあるかもしれないのだから。
「どうもありがとうございます。まず、聖騎士は原則司教の指揮下にあります。ここではサレシィカ様の指揮下にあるわけです」
「それは知っています」
「その上、聖騎士と聖堂騎士間での訓練は聖騎士の能力秘匿の観点から限られた場合を除き許可されません。ましてや個人的な手合わせなどは尚更困難です」
「……何が仰りたいのですか?」
分かりきったことを口にする司祭に、イレニアは僅かに怪訝な表情を浮かべた。
「私がサレシィカ様の指揮下にある聖騎士を動かすことはできません。ですが、手合わせがお望みであれば、何もここの聖騎士でなくとも良いでしょう」
「はあ……それは、そうですが」
他にアテもツテもないから困っているのではないか。
口には出さずとも、イレニアの表情にはハッキリと、そう書かれていた。
そんなイレニアに柔らかな笑みを深くして、緑の司祭は歩みを再開する。
「今から向かう先には、とある人物がいます。彼は私の友人であり、『裁神』大聖堂隷下の特殊部隊に所属していた経歴を持つ超人です。もっとも、聖騎士きっての問題児であることから今は任を解かれていますが……。そんな彼なら、貴女の願いを叶えられるでしょう」
「ッ⁈ オルヴォン様————」
「ただし……ひとつお願いがあるのです」
顔を興奮に染めたイレニアを、細い人差し指が押し止める。
「————お願いですか」
イレニアの顔から紅が消え、瞳を冷静な色が支配する。
その切り替えの速さはやはり聖堂騎士なのだと、オルヴォンは苦笑まじりに目を細めた。
「ええ。もし、貴女が聖騎士となった暁には…………偶には今日のことを思い出してください。私からのお願いは以上です」
「……………………それだけですか?」
尚も怪訝そうなイレニアに、しかし司祭は微笑み、首肯する。オルヴォンの望みは本当にそれだけだった。それを理解したイレニアは一瞬瞳を大きくしてから、目の前の司祭への評価を改める。
まるで読めない不気味なところがあったが、それでも心根は本物の“司祭”なのだと。
「分かりました。たとえこの身が朽ち、魂が神の天蓋園へと昇ろうとも、ワタシは今日を忘れません」
「はい。お願いします」
その後、2人は再び歩きだす。
1人は心から上機嫌な笑みを浮かべて。
1人は気迫を漲らせる獰猛とすら言える笑みを浮かべながら。
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『修練場』……そう呼ばれる場所は、この聖堂には2箇所ある。
1つは集団戦における連携強化を目的とし、聖堂が攻められた際に、“最後の抵抗”が行われることも想定された大規模なものだ。
そしてもう1つが、決闘戦の形式によって個人の技量を向上させるためのものであり、今から聖騎士と聖堂騎士による手合わせが行われる場所でもあった。
「そうか、オルヴォン司祭か……違和感しかないな」
「そうですか? 私はしっくり来ますが。オルヴォン助祭よりよほど良い響きではありませんか」
「てっきり終身助祭に落ち着いたものと思っていた」
「笑えない冗談はやめて下さい。延々と続いた助祭期間はトラウマなのです。キミのそれは本気で危惧したものですから」
和気あいあいとした声を耳にしながら、イレニアは視線の先に立つ男を分析する。
恵まれた体格に、精悍な顔付き。仕草にはブレがなく、体軸の強靭さが見て取れた。
肌の露出が少ない服装のせいで、筋肉のつき方からどんな動きを好むのかなどは分からないが、聖騎士が相手の場合、その身体能力は『聖痕』の影響を受け飛躍的に向上する。
先手を譲るのは悪手だろう。
「ムゥ…………」
それにしても、とイレニアは視線をオルヴォンに向ける。その表情はイレニアの知る仮面じみた笑みではなく、人間味のある自然なものだ。
どうやら本当に仲は良いらしい。
会話の内容にも、特に探りらしいものもなく、純粋に男との談笑を楽しんでいるようだった。
だか、それにしても少しばかり長い気もする。
本来は互いに挨拶を済ませてからではないだろうか。
男は初めはこちらに歩み寄ってそうしようとはしていた。だが、隣に立つ司祭服を目にすると、オルヴォンの首根っこを捕まえて向こうへと連れて行き、こうして自分はほったらかしである。
どうやら友人が思わぬ出世の仕方をしていたらしく、「どうして黙っていた」とか、「祝いに後で我が家のとっておきを聞かせてやる」とか始めてしまったのだ。
だが、一見隙だらけに振る舞う男が、もし仮にこの場で奇襲をされたらどう動くのか。
そこに興味を抱いてからずっと、イレニアは胸の中の獣を抑え続けていた。
が、それもいい加減限界である。
そもそもあれだけ焚き付けておいておあずけをする司祭が悪い。こういった場合に話を上手く切り上げるのも、提案した者の責任だろう。
「————」
所有者の呼び出しに応じて、イレニアの手に波刃の穂先を持った槍が顕現する。
聖堂を中心に張られた結界によるものだ。
この結界のおかげで、どこにいようと即座に武具の着脱ができ、そのまま戦闘に移行できるといういかにも要塞らしい結界だ。
「……………………」
そのまま、イレニアは歩き出す。
手にする槍など無いかのように。
まるで挨拶をしにでも行かんほどの、軽く自然な歩調。
「————フッ‼︎」
そして、緩やかな歩調は一瞬で加速し、歩みは踏込みへと姿を変えて穂先を唸らせる。
必中の間合いだった。
「ッ————⁈」
次の瞬間、イレニアの背すじを戦慄が駆け抜けた。
穂先はビタリと停止し、それ以上の進行は不可能だと固い感触で告げてくる。
イレニアとて、本気で刺し貫くつもりはなく、ギリギリで止めることのできる程度の、おおよそ7割程度の力加減での刺突。
信じられないものを見たかのように見開かれた目は、波刃の穂先に、まるで鏡に突きを放ったときのような正確さで、純白の穂先が合わされているのを凝視している。
白い。あまりに純粋で、眩しさすら感じる白。
それが聖騎士の握る槍だった。
ナクラムはイレニアの蛮行をさして気にした風もなく、咎めるような空気もない。
「っと、申し訳ない。すこし話が長くなってしまった。オルヴォン、話は通しているのか?」
「ええ、快諾でしたよ」
「おお!」
喜色満面で、ナクラムはイレニアの手を取り固く握る。
「ありがとう、本当に助かった! あんな高価な物を」
「ぅ……あ、ええ…………高価?」
「その分の働きはしっかりと果たす! ——オルヴォン!」
「私はいつでも構いません。改めて言っておきますが、彼女は聖騎士候補の筆頭です。くれぐれも注意して下さい。私では聖堂内であっても欠損部位の治癒までは出来ません。有望な人材を潰されては、流石に司教が黙っていませんよ」
「分かっている!」
いまいち話の分かっていないイレニアを置いて2人は言葉を交わすと、司祭はその場を離れ、ナクラムはイレニアと10歩ほどの距離を空ける。
そして、聖騎士と聖堂騎士の“手合わせ”が始まった。
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