純白の理神聖堂
都市の中心に、それはあった。
純白の聖堂。
穢れを寄せ付けない荘厳な姿は、さまざまな建築物の立ち並ぶ都市にあっても、ひときわ輝いている。
ある聖人が死した丘。
その丘の上に、この聖堂は建てられた。
街は聖堂を中心に発展し、必然、人々はどこからであっても、生活の中で聖堂を視界に入れることになる。
かつては防衛の要でもあったこともあり、その姿はどこか城の面影も感じさせる。
『清浄要塞』などという
そんな聖堂のバルコニーの一つで、ため息をこぼす男の姿があった。
情けなく肩を落としてはいるが、見る者が見ればいくつか分かることがある。
まず、この場所にいる点から、この男が聖職に就く者であること。
次に、このテラスに1人自由に出入りできる点から、地位が高いこと。
そして、男の身体や、この瞬間にも隙がほとんどないことから、戦闘に極めて長けていることが分かる。
そんな男の視線は、街を一望する景色を前にしながら、そんなものに興味はないと指に挟まる1枚のメモに注がれていた。
『クラフィード製の蒼樹扉』
筆圧強く書かれたそれは、家具、調度品、建築において天才の名を欲しいままにした、ある名工が手がけた一品の名が綴られていた。
その下には、こう続く。
『手に入れるまで帰ってくるな』
視線は何周目かも分からないリレーの果てに、男がうなだれたことで足下へと滑り落ちた。
「勘弁してくれないか、アリシア……」
男————ナクラム・ヴィント・アーカーの呟きには覇気がなく、惨めさばかりを帯びている。
その声は、少し前から静観していたある人物の姿勢を崩した。
「ナクラム、元気がないですね。どうされたのです?」
「…………オルヴォン」
少し前からあった気配が旧友だったことを知り、ナクラムの表情が僅かにほころんだ。
「久しぶりだな。気配が変わっていたから気づかなかった。見違えたじゃないか」
オルヴォンと呼ばれた優男は、見た目通りの柔和な笑みを返した。
長く真っ直ぐに伸ばされた髪を後ろで束ねているのは変わらないが、その長さは記憶のものよりずっと長い。
そこで、ナクラムはこの友人に会うのが、娘が産まれたとき以来であることを思い出す。
纏う空気も以前とは違う。それだけ修羅場をくぐったということだ。
「ええ、本当に久しぶりですね。次に会うのは3人目かと思っていましたよ」
薄い翡色の髪を揺らして、オルヴォンはナクラムの隣に並ぶ。
視線は眼下で昼の賑わいを見せる街に向けられていた。
「またアリシア嬢を怒らせでもしましたか?」
「……………………」
「ふふ、こわいですね。『また』は余計でした。そう睨まないで下さい」
少しも怖がっていない態度で、オルヴォンは半歩離れる仕草をとる。
だが、ナクラムもナクラムで慣れた態度だった。
「……娘が『覚醒』した」
「おや、それは早い。おめでとうございます。間違いなく母の血ですね」
「間違いない。アリアはすごい子だ。魔法の才能だけじゃなく、頭も良い。あれほど利発な子はここを探してもいないんじゃないか? いや、利発さではアトラも負けていないな。俺にはもったいないくらい出来た子だ。アトラも『覚醒』はまだ来ていないが、剣の腕も良い。感覚もかなり鋭くてな? 同年代でも群を抜いているだろう。いや、間違いなく飛び抜けている。あれでもう少し冷徹さを持って切り替えられる様になれば————」
「————ええ、分かりました。キミの御子息も御息女も、どちらも可愛く才能に溢れています。それは分かりましたので、本題へ入って下さい」
「ム…………いや、そうだな。この話は後にしよう」
「後、ですか……」
さらりと出てきた言葉に、この後の予定を旧友の子どもの話で塗りつぶされることを悟ったオルヴォンは、そんな胸中をおくびにも出さずに先を促す。
そして話を聞き進めるにつれて、その表情は難しそうなものになった。
「——彼の名工の手がけた扉ですか。それも蒼樹とは。なかなかの物を破壊しましたね」
「…………加減を違えた」
「本当ですか? キミの性格上、家族の有事を前に扉のことを考えて行動するとは思えませんが。何を破壊しようとも助けるでしょう」
「……オルヴォン、本題から逸れているのはお前もだ」
「ふふ、そうですね。これは申し訳ありません。さて、しかしこれは難しいですね————」
ナクラムの欲している物は、中々希少なものだった。
まず、蒼樹と呼ばれるものは昔から神聖視されている樹で、なにか特別な理由でもなければ伐採自体されない。
その上さらに、彼の名工は数年前にこの世を去っているのも希少価値を高めている。
彼の作品はどんなものであれ凄まじい価格になるし、その大半が欲している収集家の手元に収まってしまっている。それを今、都合よく手放す者などいないだろう。
「————ああ」
そこまで考えていたオルヴォンの脳裏に、とある知り合いの聖堂騎士の姿が浮かんだ。
彼女は名家の人間だ。ナクラムの望む品をすでに持っている可能性がある。
さらに、常日頃から聖騎士と手合わせしてみたいと口にしている彼女になら、このナクラムとの手合わせは対価としては破格のものになるだろう。
ここに利害が一致する余地がある。
「なんとかなるかも知れません」
ビッと高速で視線を向けてくる旧友に、思わず苦笑する。『1時間半後、第2修練場で待て』そんな指示だけ残して、オルヴォンは長い髪をゆるりと揺らしながら純白のベランダを後にした。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
「おお、さすがに立派なもんだ」
オルヴォンの天啓にも等しい発言からおよそ30分が経過した後、突然ヒマになったナクラムの姿は、巨大な聖堂の中央に位置する大礼拝堂にあった。
ふと立ち寄っただけだったものの、礼拝堂にはさまざまな格好をした信徒たちが祈りを捧げている。
祈る先の祭壇には、『理神』を表す『知恵のなる大樹』を象ったシンボルと、それを中心に宙空に浮かぶ光輪があった。
祈りを捧げる信徒から不定期に浮かぶ光の破片。
それらが宙空の光輪に加わる様子は、例えようもない神聖さを帯びている。
だが、聖騎士であり、さまざまな聖堂を渡り歩いたナクラムにとっては見慣れた景色であり、これといって感じ入るものもない。
それを表すように、実際ナクラムの視線は頭上へと向けられていた。
「大きいな……そして高い。6大聖堂に並びかねないな」
見上げる遥か頭上には、柱から伸びた枝が放射状に天井を覆うという装飾。そして、その中心で威光を放つ巨大な薔薇窓が鎮座していた。
どうやら天窓としても機能しているらしく、礼拝堂にはほとんど光源がないにも関わらず、明るさは外と遜色ない。ただ、礼拝堂を柔らかく照らす光は、ステンドグラスの天窓を介していながら色に濁っていなかった。
そんな天井に目を奪われていると、心地良い歌が礼拝堂を満たした。
視線を下げて正面を視界に収めると、祭壇を中心に深い緑の祭服を見に纏った聖歌隊が整列していた。
聖歌は、神聖言語と呼ばれる古代言語で紡がれている。
しかし、その内容は知っていた。
6大神の中で、『理神』は最も人間に接触した神であり、最後にこの世界から立ち去った神でもある。
その際に『理神』へ対し、人類がした誓約。その内容を並べ、次にくるのが神々への賛美だ。
そんなことを思い出していたからだろうか。
ナクラムの脳裏に、懐かしい記憶が浮かぶ。
それは、はじめて授かった息子、アトラが産まれたときのことだ。
ナクラムが抱える後悔のひとつが、アトラの出産に立ち会えなかったことだった。
『悪魔』と認定された魔物の討伐任務が長引き、結局初めて息子を見たのは、出産の2日後。
眠っている小さな体を抱いたとき、まだ父としての実感も、この赤子が自分の息子である実感もなかった。ただ、護るべきものだということだけは、本能的に理解していた。
「大きくなれよ。俺が、父さんが必ず護ってやる。だから、大きくなれ……アトラ」
神と、何より息子に、ナクラムはそう誓ったのだ。
親子の実感が湧いてきたのは、それから少ししてのことだった。何かにつけて危なっかしく、完全に自分へと依存して生きている姿。それを見るうちに、これは自分の子供であり、自分はその父であるという実感が日に日に増し、使命感も強まっていった。
息子アトラがかわいくて仕方なくなってきたのは、この頃からだ。
はじめの頃は、定期的に家を空けている間に、息子はこちらを忘れて、またはじめからやり直しを繰り返していた。
それがいつからか忘れられなくなり、頻繁にひざに乗りたがるようになった。
懸命によじ登ろうとして、時々転びそうになる。その危なっかしさも愛おしかった。
ナクラムが最も好きだった時間は、家族そろっての食事だ。目の前の食べ物に集中して、懸命に食べる息子の姿を見るのが、ナクラムには何よりも好ましかった。
生きている。生きようとしている、その姿。
慣れて、作業的にこなしてきた食事も、アトラがするだけで生命の輝きに満ちていた。
それをもっと見たくて、ついつい好きなものばかり与えてしまい、それをアリシアに咎められるのが日常だったのだ。
「……………………」
記憶に没入していた意識が、現実に帰る。
いつの間にか歌は終わり、あれだけいた礼拝者は今外へ出るので最後になる。
一般へ解放されるのは礼拝のときに限るのか、兵士姿の男2人が、大扉に手をかけて視線を向けてきていた。
部外者ではないのだが、かと言ってこれ以上長居しては遅れてしまう。
城門が閉じるような重々しい音を背後に、ナクラムはぼんやりと空を眺める。
そらは雲ひとつない……とはいかないまでも、それでも気持ちの良い晴れ空だ。
「……………………帰りたい」
昔を思い出したせいだろうか、無性に家が恋しくなる。
帰って、自分のいない間の色々の話を語る息子を抱きしめてやりたい。
そんな気持ちが湧いていた。
だがそのためには、鬼と化している妻を人に戻さねばならない。
「はぁ…………」
ため息ひとつを残して、ナクラムは指示された場所へと歩き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます