外法にして邪法


「……ぅ、……」

「ああ、目が覚めましたか」


 イレニアが目覚めると、青い空を背景に自身を見下ろす長髪の男と目が合った。男は安心した表情を浮かべると、視界から消える。同時に、男の長髪が遮っていた日の光が視界に飛び込み、イレニアは顔をしかめながら体を起こした。


「……ワタシは……気を、失っていたのですね」

「ええ。もっとも、それも20秒ほどのことではありますが。——ああ、今は無理をしないでください。治癒は引き続き私が行いますので、誘導に従ってくださいね」


 痛む身体に〈治癒魔法〉を使用しようとしたイレニアを、司祭はやんわりと押し止める。そのまま手をイレニアの胸にかざすと、〈治癒〉が始まった。


 イレニアの脳内に、行うべき魔力操作と至るべき結果のイメージが浮かぶ。それに抵抗することなくイレニアがそのイメージをなぞると、求めた通りの奇跡が発現した。


「……………………」


 魔法を使ったとき特有の感覚を覚えながら、この時はじめてイレニアは自身の身体を見下ろした。

 少しずつ癒えてゆく身体。赤紫に腫れる程度にまで治った胸部は、イレニアが倒れた直後はどんな状態だったのか。それは今となっては分からない。

 だが、槍の側面で打たれた胸部の鎧はイビツにへしゃげ、こうして服の裂け目から変色した肌を見れている時点で、受けた衝撃がとてつもないものだったことは容易に見てとれた。


 ふと自分をこうした犯人を視線で探すと、修練場内を行ったり来たりとしながらせっせと何かを拾い集めている。それが飛び散って散乱した鎧の一部だと理解すると、なんだか無性に恥ずかしくなって、イレニアは再び胸部に目を落とした。


 胸の傷はだいぶ治って、腫れはほとんど消えていた。

 それを見て、目の前の司祭の腕にイレニアは感心する。自分で治した場合、こうは行かなかっただろう。


「……? どうかされましたか?」

「あ……いえ。見事な術式だと感服していました。最後に他人から受けた〈治癒〉はひどいものでしたので」

「ひどいもの、ですか?」

「オルヴォン、〈治癒〉は順調か?」


 イレニアの言葉に暗い感情を読み取ったオルヴォンが首を傾げると、修練場を歩き回っていたナクラムが戻ってくる。その両手にいくつもの金属片を乗せて、視線は気遣わしげにイレニアを見下ろしている。


「ええ、見てください。皮膚の変色は少し残っていますが、それ以外は癒えたはずです」

「おお……! 砕けた胸骨も元通りか……全盛期のアリシアにも迫る腕だぞこれは」

「聖堂の結界のおかげもありますが、イレニアさん自身の力でもあります。これほど急速な回復です。並の騎士であれば衰弱してしまいますからね」


 イレニアの癒えた胸を前に盛り上がる男2人の視線は、イレニアの右手によって遮られる。イレニアとて女だ。傷も癒えたなら、いつまでも肌を晒す気はない。

 男たちもそこで自分たちの非礼に気づいたらしく、気まずそうに視線を逸らした。


「失礼しました。それで、先程の件ですが……最後に受けた〈治癒〉は、あまりいいものではなかったのですか?」


 その手で自分の羽織っていた深緑のマントをイレニアへと差し出しながら、司祭は柔和な表情を崩すことなく話を振る。それが空気を変えるためだと察して、イレニアはマントを受け取りながら話に乗る。

 だが、その表情は先程までとは違う影を浮かべていた。


「はい。ワタシは治癒覚醒法の成功例なので」


 その言葉に、司祭と聖騎士は異なる感情を顔に宿す。

 司祭は哀れみの感情を宿し、聖騎士は怒りと嫌悪に顔を歪める。


「まだそんなマネをする馬鹿がいるのか」

「『治癒覚醒法』の誘惑は、覚醒を求める者にとっては魔性のそれです。これまで多くの犠牲が出てもなお、僅かな成功例が視界を塞ぐのでしょう」

「天秤に掛けるのが我が子の未来でもか?」

「ええ。皆がキミの様な考えを持てれば良いのですがね」


 『治癒覚醒法』。その方法の簡易さと成功した際の利点の大きさから、これまで数多に試されてきた覚醒法。そして、ごく僅かな成功例と、多くの失敗例を積み上げた外法だ。


 方法はいたって単純。

 まず〈治癒魔法〉を習得している親と、未覚醒の子を準備する。そして、この子どもに“ケガ”をさせ、親はそれを〈治癒〉する。

 この〈治癒〉の最中に子は魔力の流れに触れ、これによって自身の魔力を自覚し、ここに覚醒は成るというものだ。


 術者が親で、被術者がその子どもに限られるのは、『他者の魔力を肉体は拒む』という魔法学の大原則の存在によるところだ。

 他者が治癒魔法を用いようとする場合、被術者の体内に魔力を流した時点で未知の力によってこれは弾かれてしまう。この“他者を拒む未知の力”は『内界』と呼ばれており、〈治癒〉に限らず大抵の魔力を拒んでしまう。


 “敵の脳内に炎を発生させて即死させる”といったことができないのも、この『内界』によるものだ。


 しかし、この『内界』は絶対的なものではなく、いくつか付け入る隙があるのだ。その内の2つを利用することで、『治癒覚醒法』は考案された。


 その2つとは、ひとつに“内界は少年期を終えるまでは未成熟である”ということ。そしてもうひとつが“内界は血の繋がりに弱く、近親者であるほど突破しやすい”というものだ。

 これを利用し、“少年期までの子ども”に“血の繋がった親”が〈治癒〉することで、通常「覚醒者の魔力を誘導する」程度の〈治癒魔法〉を未覚醒者に強制的に使わせることが可能となる。


 これで感覚を覚えてしまえば、膨大な手間と時間を必要とする学習を経ることなく覚醒できてしまうのだ。


 ——だが、そんな都合の良いことばかりではなかった。

 仮にも、魔法はその起源を神に遡る本物の奇跡だ。魔力も神と同じものを分け与えられたと聖典にはある。

 そんな神の力。本来人間という生物には過ぎた力を、こうも簡単に制御し、体得することができるとされた時点で、人々は疑わなければならなかったのだ。

 

 かくして、治癒覚醒法は多くの人々の手から魔法を取り上げ、覚醒はおろか心身に欠陥を抱えて生きなければならなくなった人々の血と涙に濡れた邪法として認識されるに至った。

 しかし——


「ワタシは最後の〈治癒〉で覚醒しました。運が良かったとしか言いようがありません」

「それは……何度目で覚醒したのですか?」

「7度目です。それも同じ日でのことでした。おそらく、8度目があったならワタシはここにはいなかったでしょう。覚醒時点で、すでに“中身”がぼろぼろでしたので」

「……よく死ななかったものだ」


 連続での〈治癒〉は心身に多大な負荷をかける。

 安全性の観点から、〈治癒〉の後は最低でも10日は〈治癒〉を受けるべきではない。だが、それほどの間を空けては魔力という未知の感覚を掴むことはできない。

 結果、治癒覚醒法では日に何度も〈治癒〉を受けることになる。また、“ケガ”の程度も重要とされ、すり傷程度では覚醒に至るほどの〈治癒〉が行えない。骨折で最低限だ。


 つまり覚醒法として〈治癒〉を行う場合、親が我が子を何度も痛めつけ、安全性を無視した〈治癒〉を行い、それでも大抵は失敗する。

 そんなマネを好んで行う人間が、ナクラムには毛ほども理解できず、憎悪の感情すら浮かんでくるのだった。


 ナクラムが湧き上がる感情を処理していると、ふとイレニアが目を丸くして自分を見ているのが気になった。性格には、視線はナクラムの手元に向けられている。


「っ、しまった……!」


 ナクラムが咄嗟に手を開くと、握り潰された金属片が音を立てて零れ落ちる。


「すまない……」

「ナクラム……相変わらずキミは家族が絡むと冷静さを欠きますね」

「気にしないで下さい。どのみちポーピル人形にするつもりでしたから」


 シグファレムには自分の鍛錬の過程で壊した道具を破棄する際、その道具の一部を使った人形——『ポーピル人形』を作る風習がある。料理人であればダメにした鍋や刃物から。騎士であれば剣や鎧から作ることが多く、イレニアはその例に漏れず、鎧の一部を使って人形にすると言っていた。


「それであればちょうど良かったですね。さ、そろそろここを離れませんか? ここは少し騒がしくなってしまいそうです」


 オルヴォンが手を鳴らして空気を切り替える。その言葉通り、修練場には激しい戦闘音を聞きつけた騎士やその従士兵たちが集まり初めていた。

 それを見てイレニアもマントをしっかりと羽織り直し、ナクラムも落ちた金属片を集めて移動の準備を整える。


「ああ、その前にイレニアさん」

「はい?」

「聖騎士ナクラムへの対価はもう決まっていますか?」

「は、対価、ですか?」

「おや?」


 疑問符を頭に浮かべるイレニアに、司祭は柔和な笑みを浮かべて振り向く。それはイレニアのよく知る仮面だった。


「まさかイレニアさん。貴女はこの“手合わせ”に満足できなかったのですか? 大した経験にもならなかったのでしょうか」

「まさか、そんなはずありません! 今回させて頂いた経験は非常に大きなものです。お二人には本当に感謝しています…………ですが、対価はすでに話したはずでは」

「それはこの機会を用意した私へのものです。直接付き合ってくれたナクラム・ヴィント・アーカーに対して、まさか貴女はなんの対価も払わないと仰るのですか? いえ、それはそれで仕方ありません。それが貴女の感謝なのでしたら、私からは何も」

「っ! でしたらワタシに差し出せるものであれば何でも言って下さい! この“手合わせ”はそれほどの価値があり、ワタシはそれだけの感謝をしています!」

「————と、イレニアさんは仰ってますよナクラム。今ならきっとキミの力になってくれるのではないでしょうか」


 イレニアからの挑むような視線を受けながら、ナクラムは深いため息を吐く。


「何故お前はいちいち詐欺師めいたやり方をする。快諾してくれたと言ったのはなんだったんだ」


 「さあ! さあ!」と迫るイレニアに急かされながら、ナクラムは人の集まり始めた修練場を後にする。


 その後、例の扉の約束をイレニアと取りつけ、オルヴォンに夜通し家族の話に付き合わせて、ナクラムはようやく我が家へと帰宅する。


 そして、いつにもなく明るい表情で迎えてきた我が子の口から飛び出した言葉に、ナクラムの表情は凍りついた。


「お父さん! ぼくも魔法が使えるかもしれないんだって! 『治癒覚醒法』っていうんだけど————」

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