『ルカ』


 不思議な少女『ルカ』との森での一件からはや3ヶ月。

 彼女との出会いは、ぼくにとっては救いとなる出来事だった。


 セトナ村は、誰かと距離を置くには狭すぎる。

 ぼくの村内での行動は、どうやっても村人の知るところになる。当然、オランたちにもだ。


 そうなると、そこにはいないオランやみんなの視線を感じるようになっていった。

 これは、少し前の頃と同じだ。

 避けたい相手が変わっただけで、結局逆戻り。


 だから狩りに行く足取りは、常に何かから逃げるようなものだった。


 ————けど、今は違う。


「……弓、矢と……剣もよし!」


 身支度はバッチリ。

 服も、これなら多少は汚れていいというお母さんのお墨付きだ。


「じゃあ、行ってきまーす!」

「気をつけなさいよ? 前みたいに暗い中で帰って来たら————分かってる?」

「ハイ……ごめんなさい……」


 お母さんの釘は、うわついた心にしっかりと突き立った。


「——ん?」


 ふと視線を感じて顔を上げる。

 すると、薄い金の髪をお気に入りの髪飾りで装飾したアリアが、階段の上から顔をのぞかせていた。


 笑顔で手をひらひらと振ると、アリアは素っ気なく引っ込んでしまう。

 ————と思ったら、またひょこりと顔を出して、「ベーっ」としてから引っ込んでしまった。


「まだ怒ってる……」

「ああなるとアリアは長いわよ? どうやって機嫌を取るか、よーく考えておきなさい」

「はい……」


 ある事件をキッカケに、今のアリアからの好感度は絶賛下降中。つい先日までは遊んでアピールをしていたアリアからのつれない態度は、なかなかクるものがあった。


 ぼくはややうなだれながら、お母さんに背を向ける。

 そして玄関のをはずして外にでる。


「うい……しょ!」


 重量のあるそのを、玄関の扉のあった場所にはめ直す。これも、ぼくがアリアを怒らせた事件の副産物だ。

 ついでに、ここ数日お父さんが村にいない原因でもある。


「さ、行こう」


 気持ちを新たに、ぼくは新しい友達を頭に浮かべながら家の門を押し開けた。



- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -



「お、弓の名手様じゃんか。まーた狩りかよ」


 村の正門を抜けて森に向かおうとしたところで、懐かしさを感じる声が聞こえた。

 しばらくぶりなのに、その声にはまるで昨日も会ったような軽さと、変わらない親しみがこもっている。


「カロン……!」


 振り向いたぼくに「よっ」なんて手をあげるカロンは、なんだか少し大きくなった気がした。


「なんか……背が高くなってる?」

「まあな。なかなか伸びないと思ったらようやくだ。この調子で父ちゃんを抜いてやれば、そうゲンコツもやりにくいだろーぜ」

「あはは、レガンさんを超えるにはまだまだ時間がかかりそうだね」

「いーや! 冬が来るころには抜いてるぜ! おまえのおかげで最近は肉もよく食うしな」


 ここのところのカロンは、父であるレガンさんと一緒に自警団の仕事や訓練に参加しているらしい。

 体が大きくなったのは身長だけでなく、筋肉も含めてのことだった。


 笑う顔も、どことなくレガンさんに似て来た気がする。


「おっそうだった。——ありがとな、アトラ」

「え、なにが?」

「いや、少し前に……あれだ、あーー、…………名前は忘れたけど、なんとかって魔獣の肉をくれたの、アトラなんだろ? 母ちゃんが言ってた」


 カロンの言葉で、頭にモグラの魔獣が浮かぶ。


 ルカと初めて会った日の帰り、ぼくはルカの指さす方向へと進むことで見覚えのある獣道へと出て、無事に村へと戻ることができた。

 ツノモグラもその道中で回収して持ち帰ったは良いものの、思ったほど保存がきかず、ぼくはしぶしぶいくつかの家におすそ分けをしたのだった。

 

 カロンが言うのは、その件だ。


「あれ食ってから何日かして足にだるい痛みが出てよ。母ちゃんが言うにはデカくなるときに出る痛みらしい。絶対にあの肉のおかげだろ?」

「うーん……」


 ツノモグラの肉にそんな効果があるとは聞いたことがない。もちろん、読んだこともない。


 たぶん微妙な表情を浮かべているぼくに、そんなことは気にせずに感謝の言葉を述べるカロン。

 とりあえず、ぼくはあいまいに頷くことで返事とした。


「悪いな、引き留めて。久しぶりだったからつい、な」


 お互いに話が盛り上がってしまい、ちょっとした挨拶は思った以上に長くなっていた。

 バツが悪そうに頭をかくカロン。

 だけど、当然遅くなったのはカロンだけのせいじゃないし、謝罪されるようなことでもなかった。


「いいよ、久しぶりに話せて楽しかったし。それに、こんな程度の時間じゃ狩りにも影響ないから」

「うそつけ。狩りでは1分の遅れがその後の100分に影響するって村長のじいさんが言ってたぜ?」

「あはは、クワンさんは達人だからね。ぼくはもっと気楽な方だから」


 大げさというか、あんまりにも狩りへの意識が違う言葉に苦笑する。普段のいかにも好々爺然としたクワンさんは、こと狩りのことになると昔に戻ってしまう。

 最近、狩りから戻るたびに獲物を持ち帰るぼくに対して、何かと技術を伝授しようとしてくれるようになったけど、なんというか、気迫がすごくて緊張してしまうくらいだった。


 久しぶりの会話を切り上げて、お互いに手を振って別れる。カロンは村の中へ。そしてぼくは、森の中へ。


 森へ入る手前で、一度振り返る。

 門の前には人影はなかった。

 さっきまでの会話を思い出して、楽しかったという想いと共に、胸に少しの痛みが走った。

 

 カロンは、鍛錬や勉強が忙しいからと誘いを断り続けているぼくに、表面上は今まで通りに接してくれる。

 けど、忙しいと言いながら、たびたび行く必要のない狩りに出かけているぼくを……どう思っているんだろう。


 ぼくは狩りから帰るたびに、獲物は村のみんなへ分けている。村の人たちは感謝してくれているけど、それだって『ぼくのやっていることは村に利する行為ですよ』という言い訳みたいなもので、その動機を思えば偽善以外の何者でもない。

 それが、いつかオランのときみたいに暴かれる日が来るんじゃないかと……勝手に怯える日々だ。


 込み上げてくる罪悪感。

 それが身体を重くする前に、ぼくは森へと足を踏み入れた。



- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -



「……………………はぁ」


 いつものように、腰のポーチからエサを撒き、自作の天幕に隠れて獲物を待つ。

 けど、どうにも今日はダメだった。


 森の雰囲気が……どこか違う。

 どこが違うのか具体的には分からないし、一見森の様子もいつも通り。

 だから、初めはおかしいのは自分かと疑った。

 内心の揺らぎが、そのまま気配に出ているのかと。


 ただ、やっぱりそれも違う。

 なんとなく言葉にするなら、怯え。

 森にある生き物の気配は、どこか恐ろしいものから隠れたがっているような……そんな怯えを感じる。


(誰か先客がいたのかな?)


 規模は違うけど、以前にも似た経験がある。

 獲物を仕留め損ねて、派手に追いかけっこをしたときがそうだった。

 最終的には、なんとか獲物は仕留めたけど、当分森の動物たちは姿を表さなくなった。


 ただ、そのときはここまでの静けさにはならなかったけど……。


「うう〜……ん」


 大きく伸びをして、固まった体に血を巡らせる。

 

 長いこと同じ姿勢で息を殺しているけど、集中力はとっくに尽きていた。

 いい加減にしびれた痛みを背中が訴えて来たころ、ぼくは獲物を諦めて、手ぶらで帰ることを受け入れた。

 

 本当はもう3時間は粘りたい。

 手ぶらで帰る日が続くと、『ぼくのやっていることは村のためになっています』という建前がグラつく。

 そうなったら、カロンかシルスから誘いがかかったとき、ぼくには断りきれない。

 誘われた先には当然、オランもいるはず。

 どんな空気の中で過ごすことになるのか、考えたくもなかった。


「けど、もうそろそろ行かないと」


 ぼくは樹上の天幕から降りて、まき餌をあらかた回収し、森の奥へと足を進めた。


「あ——」


 しばらく森の傾斜を進んでいると、視界が開けたような開放感を感じた。

 辺りの空気が変わる。

 こうなると、ルカのいる場所までは近い。


 そこからさらに歩いて数分、森に穴が空いたみたいに開けた場所が出現する。

 その真ん中にある大きな樹に、背中を預けている人影。


 その人影は、ぼくが来るのが最初から分かっていたみたいに、こっちに手を振っている。


 ぼくは新しい友だちに手を振りかえして、大樹の根まで駆け寄った。



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 今日のルカは、白と黒のシンプルな服装だった。

 けど、ルカの黒い髪と白い肌には、いつものどこか優雅な服装よりもしっくりくる。

 ただ、やっぱりその生地は上質で、天真爛漫な少女に欠けている気品を補っていた。


「へー、じゃあ今日はうまく行かなかったんだ?」

「うん。やっぱり狩りって難しいな……。最近は上手くいくのが連続してたから、ちょっと楽観してた」


 2人並んで、ゆっくりとした時間を過ごす。

 ルカとの会話は、基本的にぼくから話題を振り、それにルカがアレコレと思ったことを口にするのが多い。

 そのせいもあって、会って3ヶ月が経つのに、ぼくはルカのことをほとんど知らない。


 この3ヶ月で持ったルカへの印象は、とにかく不思議な子だということだけだった。

 村の誰もが知っているような常識が、ルカはたまに初めて知ったという態度を取る。

 かと思えば、ぼくも知らないような、いったいどこで得たのかも分からない専門的な知識を持っていて、それをぼくが当然知ってる前提で話すこともあった。


 一度、気になってきいてみたことがある。


『ルカは色々な難しいことを知ってるけど、どこで知ったの? ぼくみたいに、やっぱり本を読んでとか?』

『ううん、違うよ。あのね、ルミィナが教えてくれるの』

『ああ……そっか。先生みたいな人なんだっけ?』

『うん! あとね、お母さんみたい。ルミィナってすごく優しんだよ————』


 その後、しばらく続いた『ルミィナ』が如何に優しく面倒見がいい人かという話を聞きながら、ぼくは知識の出所を話す気がルカにはないんだと知った。


 だって、『ルミィナ』なんてあからさまな偽名だし、ルカの話を真にうけるなら、ルカは神域の魔法使いである【魔女】の1人から教えを受けていることになる。

 さすがにそんなことはあり得ない。


 それ以来、ぼくはルカに関しては本人が口にするまでは訊かないことにしていた。


 そんなルカは、ぼくの狩りの失敗談を聞いてなにを思ったのか、急にパッと立ち上がり、大樹の幹の反対側へ手招きしてくる。


「ね、アトラ。こっちこっち」

「?」


 ルカの突然の行動や言動は、結構いつものことだった。

 ぼくは特に抵抗もしないで腰を上げる。


 2人で両手を広げても足りない直径の大樹。ぼくが心の中で『森の王様』と崇めているその幹の反対側に来て、飛び込んできた光景に絶句した。

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