逃避の先で


 オランとの決別から数ヶ月。

 季節は変わって春を迎えて、それと同じくらいにぼくたちの距離感も変わった。


 あの日意識の底に逃避したぼくは、自室のベッドで目を覚ました。

 意外なことに、オランが大慌てで村の人たちに助けを求めたらしい。それも、泣き、取り乱したようすでなんていう信じられないことも聞いた。


 当然、ぼくはお母さんから説明を求められた。心配してたんだと思う。けど、ぼくはただの立ちくらみで通した。

 心配するお母さんが何度本当のことを聞こうとしても、頑なに「疲れ」と、それが蓄積したことによる「立ちくらみ」としか答えなかった。


 そんな様子を離れて見ていたお父さんが発っする静かな怒気にすら耐えて、ぼくはそんなウソをついた。


 オランに助けられた。だからって、やっぱり仲直りできるんじゃないか思うようなことは、さすがにない。

 ぼくはもう、オランの気持ちを知っている。

 いやと言うほどに聞いたんだから。


 それからのぼくは、カロンたちと会う回数は減り、言い訳のように鍛錬に励んだ。勉強熱心になったことを、お母さんはにこやかに喜んでいたけど、お父さんの表情は固かった。

 それでも、ぼくが話さない限りはなにも聞かないでくれて、鍛錬も本気で付き合ってくれた。


 そして、ぼくはもう13歳になっていた。


- - - - - - - - - - - - - - - - - - -


 あれからぼくはみんなと距離を置き、代わりに鍛錬のない日は狩りに没頭するようになった。

 狩りはお父さんからの教えを実践できる数少ない機会であり、本当の意味で孤独になれる時間でもある。

 今のぼくにはもってこいだった。


「…………ふぅ」


 そんなぼくは今、樹上から下の様子を注視していた。

 辺りでは、春らしい日差しが柔らかな光で葉を照らしている。そんな中で、ぼくの周囲だけは影の密度が高い。


「……そろそろ修復しないと」


 頭上の葉を突つくと、頼りない抵抗感と共に日差しが目に飛び込んでくる。

 すぐに葉を元の位置に戻して、ぼくは小さくため息を吐いた。


 ここはぼくの作った樹上基地だ。……と言っても、カロンのほど本格的じゃない。

 たくさんの枝と葉からなる天幕……みたいなもの。

 こうして完成度を比べてみると、カロンの器用さと自分の不器用さを目の当たりにした気分になる……。


「いや、完成度なんていいんだ。元からこれは、造りが簡単で、数を作れるのが強みなんだから。狩りの簡易拠点としては合格だよね」


 そう自分を慰める。

 だけど、実際この基地を使ってからは狩りの成功率は確実に上がった。

 この基地に隠れるだけで、外からぼくを見つけるのはかなり難しくなる。こうしてジッと隠れて、獲物が下の餌に夢中になったところを————で仕留める。


 右手に触れる、硬く、冷たい感触。

 誕生日にお父さんがくれた、真剣だ。

 装飾は最低限のものが申し訳程度に施され、どこまでも頑丈さに重点を置いた無骨なそれは、『剣の最大の役割は敵を斬ることではなく、主を丸腰にさせないことだ』というお父さんの考えをよく表した剣だ。


「ッ…………」


 眼下の光景は変わらない。それでも、空気が変わった。

 これは予感。いつも獲物が来る直前に感じる不思議な感覚だ。


 人間関係から逃げて鍛錬と狩りに明け暮れる生活は、皮肉にも、ぼくを確実に成長させていた。すこし前までのぼくならできなかったことができる。感じられなかったものを感じ取れる。


「————————」


 まだ周囲に変化はない。それでも、予感だけは一層強まってくる。



 獲物の姿は、まだ現れない。

 集中と緊張だけが、ジリジリと高まる。



 そして、唐突にその瞬間は訪れた。


「ッ⁈」


 獲物は地中から現れた。

 地面が盛り上がり、一瞬姿を見せたかと思うと、すぐに地面に潜る。そして次の瞬間には、まき餌にしていた村の作物の半分が地中に吸い込まれていった。


 瞬時に目の前で起きた現象が、これまで読んだお父さんの蔵書と結びつく。

 この特徴的な捕食行動は————


「ツノモグラ……!」


 口にするより前に、身体は動いていた。

 飛び跳ねるようなムダはしない。

 身を潜めていた基地から、半歩。

 その半歩の重心移動で身体は落下を始め、枝を蹴ることで加速を得る。

 そしてその全てを、地面の一点に叩き込む!


「ピギュッ」


 手応えと共に、小さな悲鳴みたいな音を耳にする。

 同時に、剣を放して転がることで残った衝撃を逃した。


「フゥ~~~~…………」


 今回は上手くいった。

 それも、ツノモグラなんて珍しい獲物を相手に。


 ぼくは胸を高鳴らせながら、剣身の半ばまでを地面に突き立たせた剣を引き抜く。

 引き抜かれた剣の先の方には、狩りの成功を示す赤色が滴っていた。

 地面を掘り起こすと、血を流して事切れているツノモグラの姿があった。

 その口からは、今しがた地中に消えたまき餌がはみ出している。


「ずいぶん食いしん坊だな……」


 さっきの不思議な現象は、ツノモグラの魔法。けど、ツノモグラには『魔石』がない。つまり、分類上は魔物じゃないということになる。


 こういう魔石も無しに魔法を使う生物は、『魔獣』と呼称されていると読んだ。実際に見たのはこれが初めてで、胸の中を跳ねる興奮と達成感が、さっきから指先を落ち着かせてくれない。

 

「……………………」


 これまで読んだ本の記述を思い出しながら、すこし乱暴に獲物の額を布で擦る。

 すると————


「わぁぁあ……! スゴイ、金色だ……‼︎」


 出てきたのは、キラリとした輝きを返す美しいツノ。螺旋を象るそれは、土を拭い去ると金色の光を瞬かせた。


 その名の通り、ツノモグラの最大の特徴は額のツノにある。この小さな魔獣は年齢を重ねる過程でツノの色を変え、産まれて数年は白いそれは、徐々に銀が混ざり、30年もすると銀色に。50年を迎えるころには金の輝きを持ち、そして、100年を超えたところで虹色へ至るという。


「——ふッ! よっ! ふんッ!」


 ツノを傷つけないように気をつけながら、根本に剣を当てがって踏みつける。

 本にあった限り、ツノモグラのツノはその見た目から装飾品に使われたり、収集家が集めたりと人気が高いらしく、金色のツノはかなり高値で売買されている。

 さらには、粉末にして魔法薬の原料にしたりもするみたいだ。


 だからって、別に売るつもりはない。

 ただ、これははじめて魔獣を狩った記念だ。なるべく完璧な状態で持ち帰りたいじゃないか。

 それに、こんなにきれいなツノなんだから、雑に扱って割りたくなんてない。なんだかもったいなさすぎる。


「——うわっ⁈」


 慣れない作業に思いの外手こずりながらも、ついにツノモグラのツノが根を上げた。

 今までと明らかに違う感触に、剣に乗せた足を退けてみると、ツノモグラの額にあった金のツノは、地面の土色の中でキラリと輝いていた。


「ぃやった……!」


 大声で叫びたい衝動を抑えながら、ぼくは戦利品を頭上に掲げて、枝から見物する小鳥たちに見せつける。誰にでもいい。人間ですらなくてもいい。

 とにかく、自分の成果を誇りたかった。


「さて、ツノも回収できたことだし…………どうしよう……」


 やりたいことをやりきって、一通り満足したぼくの目の前には、早く帰って戦果を報告したいぼくに「待った」をかけるかのように獲物の亡き骸が横たわっていた。


 目の前のツノモグラをどうするか。


 モグラ——それも、魔獣の解体方法なんてぼくは知らない。本での記述に照らせば、傷つけたら一瞬で周りの肉をダメにする内臓がある場合もあると言う。

 つまり、適当な解体はできない。


 いや、そもそもこの魔獣は食べられる魔獣なのか。

 食べられるとして、美味しいのか。

 お父さんの蔵書のほんの一部とはいえ、これでも読破した本の数はかなりのものだと思う。

 だけど、その中でツノモグラの味について書かれたものなんて、ただの1冊もなかった……。


「……………………よし」


 結局、ぼくはこのモグラを持ち帰ることにした。

 ぼくには分からなくても、物知りなお母さんなら知ってるかもしれない。狩った者の責任として、食べられる場所を残して置いていくなんてできない。

 それに、実物を持って自慢したいのもあった。


 今お父さんは村にいない。

 これは今までもたびたびそうだったけど、ぼくの誕生日のあとから特に増えた気がする。

 その分、家にいる間はつきっきりで稽古をつけてくれる。そして、お父さんのいない間の都合の良いときに狩りをするのがぼくの日課だ。


 だから、お父さんはぼくの獲ってきた獲物を口にしたことがない。仕方がないとはいえ、それはすこし残念だった。


 家にいるときには、いつもぼくの話を興味深々に聞いてくれて、大喜びしてくれるお父さん。

 そんな夕食の主菜として自分の戦果を出せればと、そんなことをいつも考えていた。


 そんな考えを、このツノモグラは実現してくれるかもしれない。

 魔獣の肉は傷みにくくて長持ちだ。

 お父さんが帰ってくるのは、いつもの調子なら数日後。

 それなら、たぶん味も鮮度も保てるはず……。


「よっ…………と」


 首の後ろと肩に乗せるように担ぎ上げると、見た目以上のズシリとした重さがのし掛かる。

 

「う……きつい……」


 これも魔獣だからなのか、見た目から想像する3倍はあるだろう重さは、途端に帰り道を険しく見せた。


- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -


 すこし荒くなってきた呼吸を、深呼吸で整える。

 それでも冷や汗は引っ込まない。


「迷った……」


 周りを見渡しても、同じような並びの木々が囲いを作るばかり。

 慣れてきたからって下を見ながら歩いていたら、見事に迷子になっていた。

 

 そもそも、ぼくは蛇行をしながらも村に向かっていたはずだ。それがいつからか上り下りの斜面が現れて、それがまた平坦に戻ったころには知らない場所を彷徨っていた。


 こうなってくると、狩りにあった高揚感もすっかりなりを潜めて、代わりに抑えられていたものが姿を見せてくる。


「オラン……………………」


 今でも、あの頃に戻れないかと思うときがある。

 やり直したい。あのとき、カロンの誘われたときに、浮ついた気持ちをすこしでも抑えることが出来ていれば…………今こんなとこで心細くならずにすんでいた。


 オランを泣かせなかったし、ぼくも傷つくことなく日々を過ごしていたに違いない。


「みんな…………」


 会いたい。また会って、遊んで。また明日って、当たり前にやくそくする。

 

 けど、そんな日々はあり得ないんだ。

 現実は、悪夢にうなされる自分だった。


 夢の中で、ぼくはいつもダレカに怒っていた。

 カロンもシルスも、泣いているオランを庇いながら、こっちに背を向けて、向こうのダレカを責め立てている。


 そのダレカは、決まって言い訳をして、次第には泣きだして……。


 「泣いたからって許されると思うな」

 「気づかなかった訳がないじゃないか」

 「よくそんなことが言える」


 ぼくたちはそんなダレカのイイワケには耳も貸さない。


 そして、夢の終わりはいつもおんなじ。


 そのダレカが顔を上げると…………。


 ————それは決まってぼくなんだ。


「ッ⁈ 今の…………‼︎」


 起きながらに悪夢にうなされそうになるぼくの意識を、聞き覚えのある鳴き声…………いや、が叩き起こす。


「すこし距離はあるけど……いや、ダメだ!」


 忘れるなとばかりに、今まで忘れかけていたツノモグラが重さを増す。

 

 そう、今担いでいるのはツノモグラ。その死体だ。

 そしてこの死体は、恨み言でもいうみたいに赤いものでぼくの服を汚している。


 鼻の良いが、この匂いに気づかないはずがない。

 つまり、あの遠吠えは…………。


「くそっ!」


 ツノモグラを地面に投げ下ろして、抜き身の剣を構える。神経は研ぎ澄まされて、視界外の様子を探り始める。


「————————」


 そのまま身を低くしながら、次の瞬間にはヤツらの咆哮を間近に聞くことになるのではという不必要な妄想が、頭に絡みついて離れない。


 そんなぼくの耳に、予想していなかった音が届いた。


「——え…………」


 音としてはとても小さく聞こえた程度。ひょっとしたら気のせいなんじゃないかと思うくらいに微かな音。


 そんな音にこれほど思考が固まるのは、それがオオカミたちの悲鳴だと理解したからだった。


「…………………………………………」


 ぼくは身体の鳴らす警鐘を聞きながら、それでも足は悲鳴のした方向へと向かっていた。

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