狩猟大会


「うーーん……………………こまったあ…………いや…………こまった……」


 ぼくの発案で行われることになった狩猟大会当日、ぼくは外壁門の前に集まった村人たちを目に入れつつも、予定外の事態にうなっていた。


「まさか、村長さんから誘われるなんて……」


 門に集合するみんなを、集団の先頭で見守っている人影。そして隣にはいつもの軽装に槍を携えた人物。

 あの2人が今回ぼくが組むことになった、村長さんとお父さんだ。


 2人はぼくと目が合うと、軽く手をあげる。ぼくも精一杯自然な笑顔を作ってそれに応えた。


 そう、ぼくはこれからあの2人と組んで森に入るのだ。3人組で。そこにはカロンもシスも、もちろんオランもいない。

 

「はぁ……」


 何度目かも分からないため息を吐く。


 本来の予定では、ぼくはオランも含めた4人でチームを組むつもりだった。実際、昨日の時点ではそういう話になっていたのだ。

 だけど、突然自分も参加すると言い出したクワンさんに指名を受けて、護衛を買って出たお父さんも加えたチームに組み込まれてしまった。


 断れなかった自分の弱さが憎い……。でも仕方ないじゃないか。あんなに楽しそうな顔でお願いされたら……とても断れない。


「うぅ……あとは頼んだからね、シス……」


 頼みの綱であるシスを視線で探してしまう。

 今ごろオランと合流できたのかな? 開口一番にカロンが怒鳴ったりは……してないはず。


 今朝のカロンはやや緊張気味で、本当に大丈夫かと不安だった。それでもシスが任せてと言ったから、今はそれを頼みにするしかない。

 それに、オランとの関係をもっとも修復すべきなのはカロンだ。ぼくがいないこと自体は、そんなに大きな問題じゃない。うん、だからきっと、大丈夫。…………大丈夫。


 2人との別れ際、カロンに最後の念押しをしてから、ぼくはここにいるんだ。

 なら、信じよう。きっと上手くやるって。


「ふぅーーーー…………」


 空を見上げて、目を閉じる。空いた手を胸に当てる、いつもの落ち着くための儀式。

 不安が落ち着いて、少しずつ自分が冷静になっていくのを感じる。


 今悩んだってしょうがない。もう決まったことなんだから。ぼくは目の前の狩りに集中するべきだ。村長さんと一緒の狩りなんて、他のことを考えながらすべきことじゃないんだから————


 そうして周りの音や声だけに意識を向けていると、しっかりとした足音が近付くのを聞いて、ぼくは姿勢を解いた。足音の主は、予想通り。


「待たせたなアトラ」


 片手に細身の槍を握る人物は、ぼくの憧れの聖騎士その人だった。透き通った銀色の槍は、ただの武器として以外に、美術品としての価値も高いに違いないと思う。本当にキレイだ。


「——お父さん。もう終わったの?」


 油断すればすぐに槍に向かいたがる視線に力を入れて、目の前のお父さんに向けると、お父さんはひとつ頷く。


「ああ。父さんたちの最後の打ち合わせが終わったから、そろそろ出発だ。今回父さんは極力手を出さないぞ? 自分で大きな獲物を獲って、待っている2人を驚かせてやれ」

「大きな獲物かあ。大人のシカとかなら美味しいかな」

「この時期なら猪が脂を蓄えているころだ。狩るのは難しいが、狙ってみるのもいい。父さんがアトラくらいのときにな、初めて大きな猪を狩ったんだ。あの時の興奮は忘れられない」

「あんまり大きいのはぼくの弓じゃムリだよ……?」

「そのために剣がある」

「えぇ……」


 2人で話しているとすぐ、門の方で笛が吹かれた。いよいよ狩りの始まりだ。


「よし、行くぞアトラ」

「うん!」


 ぼくとお父さんは村長さんと合流して、一番最初に森に入った。



- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -



 森を3人で黙々と進む。

 弓を手にして歩くクワンさんは、鼻歌でも歌い出すんじゃないかというほど上機嫌だ。

 ぼくは腰の短剣でジャマな枝を払いながら、ふと後ろを振り返る。


 もう村は見えない。結構奥まで来たらしい。

 それなのに、お父さんは当然としてもクワンさんもまだまだ余裕がありそうな様子なのは意外だ。まだ動けるんだな、村長さんって。


「お父さん。餌場まではあとどれくらいなの?」

「あと数分だが……なんだあ? バテるには早いぞアトラ。クワンさんを見習いなさい。この歳でこれほどの健脚を保つのは大変なんだからな」

「なあに、儂もときにはゴン坊と森に入りますでな。足場に慣れていないアトラくんにはまだ負けてやれませんぞ」

「ま、まだ疲れたわけじゃないよ……! 他のみんなもそろそろ始めたのかなって思っただけ」


 狩りは難しい。

 経験のない人間が森に入っても、そもそも動物に遭遇できない。待ち伏せのポイントだって判断できないから、つまり狩りにならないのだ。


 そこで、今回の狩猟大会では森の随所に餌場を作ってある。連日お父さんが餌の補充をしていて、今朝も早くから森に入っていた。

 そして、狩りのチームを組んだ村人は、それぞれ割り当てられた餌場に向かい、そこに集まっている動物を仕留める。こうすることで、お互いを動物と勘違いして射掛ける事故を防ぐ目的がある。


 ぼくたちのチームは、一番奥の餌場。距離も長い。つまり、そろそろ他のチームは餌場に着いていいころだった。


「そうだな、距離的にはボルンさんのところはもう着いている頃か」

「ゴン坊のことじゃ。もう獲物を仕留めていてもおかしくないのお」

「動物の痕跡を追うのは彼の十八番ですからね。餌場が空振りでも問題ないでしょう。私も色々と教えていただきましたよ。今度アトラも教わってみるといい。なかなか勉強になるぞ」

「ボルンさんとは話したことないけど、うん。おもしろそうだね」

「ちと熱が入りすぎるキライがあるからの、なんどか怒鳴られるかもしれんが、なあに愛じゃよ、愛」

「…………や、やっぱりいいかもです……」


 それから雑談を交えること十数分————この時点でお父さんの話と違うけど、『自分のペースで計算していた』とのことだった————、突然前を行くお父さんの動きが止まる。

 不思議に思って声をかけようとすると、人差し指を口に当てた村長さんに止められた。


「————アトラ、ここからは静かに行く。矢を出しておくんだ。近いぞ」

「ようやくじゃな」


 大人の2人が声をひそめることで、餌場に近いことがわかった。途端に身体に緊張が走る。

 音を立てないように細心の注意で取り出した矢の先。金属の光沢を返すその矢じりは、ぼくの鼓動に合わせて小刻みに震えている。それを止めようとすればするほど、矢じりの拍動は強まって、言うことを聞いてくれない。


「アトラ」


 肩に置かれた手がぐうと押し込まれて、肩がスッと楽になった。思ったよりずっと、ぼくは力んでたみたいだ。

 これじゃあ思うようにいかないに決まってる。

 

 目を閉じて、深呼吸。

 本番だからって特別なことをしようとしなくていい。練習と同じ動きを再現する。それだけに集中するんだ。


「落ち着いたか?」

「うん。ありがとう、お父さん。もう大丈夫だよ」


 深呼吸を済ませて、手元の矢を見る。

 

「……………………」


 うん、もう動かない。拍動なんてしない。ぼくが動かさないと動かないし、ぼくが動かしたいように動く。


 準備ができたことを視線で告げると、2人はニヤリとしてから歩みを進めた。慎重に、慎重に。

 足音を忍ばせて前を歩く村長さんの背。普段小さく弱々しいそれは、今は緊張感と静かな高揚をのぞかせている。


 その歩みも、足音を殺しながらもどこか待ち切れないといった雰囲気が感じられた。


「————」

「っ……——」


 ずっと歩いてきた緩やかで長い坂が終わると、目の前に急な下り坂が出現した。お父さんがゆっくりと指し示すその先。凹地になっている急斜面の終わりに————いた……!


「……………………」


 シカだ。

 生きているシカのペアが、首を上下しては何かを咀嚼している。食べ物を食べる間にも、スラリと長い耳は油断なく周囲へと向けられ、ピコピコと忙しなく動いていた。


 スッと、村長さんが動く。

 ゆっくりと狙いやすく見つかりにくい樹々の間に身を置く。それを見て、ぼくも弓に矢をつがえようとした。

 

 カッ——と、矢と弓が触れた音。その小さな音に、2人の動きがピタと停止する。


「————————」


 目だけを動かして、凹地を見る。

 

 シカは2頭とも顔を上げて、動きを止めていた。

 四方を睨む耳の動きだけが、時間が停止していないことを教えてくれる。


 ————動けない。

 耳鳴りすら聞こえる凍った時間は、雌雄のシカが食事を再開したことで融解した。


「——ふ……ぅ……ぅ……」


 呼吸を再開して、乱れた鼓動を整える。これまでにない緊張した時間に、前髪は冷たい汗で額と接着されている。


 視線で身を低くしている2人に謝罪して、慎重に弓を引く。


 村長さんも、ジェスチャーで雄をぼくに譲ると告げて、弓を引き絞る。


 お父さんが、指を折り曲げてカウントダウンを始めた。



 3————


 練習で覚えた矢の軌道を思い出す。もう少し上の方がいい。



 2————


 肌に感じる風が弱まる。

 軌道を修正。

 

 

 1————


 集中はピークに。

 急所に狙いを定めて……!



 ————0!


 お父さんの親指が立てられると同時に、2本の矢が風を切って放たれた。

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