村の一員として
オランの家はカロンの家と比べて中心部寄りの位置にあり、シルスの家のある曲がり角から細い道に入ったところにある。
オランの家は小さな畑を持っていて、畑仕事以外に村の木々の世話をしたり、道に生えた雑草を抜いたりという細々とした仕事もしていると、いつかのオランは言っていた。
初めて近くで見たオランの家は、セトナ村には珍しい完全な木造の平屋だった。壁も屋根も、床も全部が木でつくられている。
建てられてからかなりの時間がたっているのか、壁には節があったであろう孔がいくつかあって、何かの家具で内側から塞いであった。
「……………………」
「おい、アトラ。そっちにオランはいないぞ」
「え? ああ、ごめん」
「そっか、アトラくんは来たことないんだっけ?」
「遠目に見ることはあったけどね。ほら、珍しいから……」
「オランのじいさんが木造にこだわったんだってよ。父ちゃんたち自警団のみんなも手伝ったらしいぜ?」
「へえ、そうなの? わたしそんなの知らなかった」
「けっこう前のことらしいからな」
カロンの話をシスは興味深そうに聞いている。
普段と逆の光景は、なんだか新鮮だ。
心なしかカロンの表情が得意げに見えなくもない。
「うし、そんじゃあさっさと用をすませようぜ」
「うん」
その言葉を合図に、意識を切り替える。
オランの第一声がどんなものになるのか。それ次第で、話の持っていき方は変わるだろう。
「————よし」
自然とカロンを先頭にして、その両隣りに2人で並ぶ。
カロンの腕が持ち上がり、何度か入口の木製のドアを叩いた。
「すいませーん!」
それが大きな音に思えるのは、カロンに力が入っているのか、それともぼくの尖った神経が敏感になっているのか……。
どちらにせよ、ドアの向こうから返事はなく、どうやら音の大きさを気にする心配はなかったみたいだ。
同時に、別の問題が出たけど……。
「……いないのか?」
「すみませーん! オランくんの友だちのシルスです。オランくんとお話がしたくて——!」
「…………いない、な。外で手伝いでもしてるのか? 今はなにかといそがしいし、オレもヒマなときには手伝えって言われてるんだよな」
「じゃあ……向こうに行ってみる?」
「うげえ。父ちゃんに見つかったら手伝わされるぜ? オレが」
カロンとシルスの話に耳を傾けながら、視線は変わらず息をひそめている気配に向けていた。
右端にある、小さな窓。
もともと空気を入れ替えるためのものなのか、屋根の付け根のあたりにちょこんと付いていて、気をつけないと見落としていたに違いない。
そこに一瞬、なにかが見えた気がした。
何かを足場にして覗き込む誰かが……いた。
たぶん外の方へ行ってもオランはいない。
そして今も隠れている誰かは、居留守を使った以上出てこない。
「……………………」
——今日はダメだ。明日来ても、明後日に来ても、きっとオランには会えない。
なにか……なにか、出てきてもらう方法を考える必要がある。
オランの親に頼む?
————いや、直接的すぎる。あまり強引な方法は使いたくない。
家を出るときのカロンの話を思い出して、待ち伏せの案が浮かぶ。ただこれも、同じ理由で断念した。
よほど自然を装えない限り、今のオランは怖がってしまうと思う。
こんな計算をしなきゃいけないのが、なんだか悲しい。
「うーん……」
「どうかしたの、アトラくん?」
「なんだ? アトラも手伝わされるのか? めんどくさいよなーあれ」
「いや、そうじゃないんだけど…………」
もう一度窓を見る。————やっぱり、出てきてくれる気はないみたいだった。
「はぁ…………それじゃあ、外を探してみよっか!」
「おお? なんだよ急に元気じゃんか」
「もしかして手伝ってみたいの?」
「え? あー、うん! いやー、ぼく『ポリピナ』はみたことがないから楽しみでー」
「まだ大したもんは見れないぜ? 収穫は冬だかんな。今のポリピナなんて、こんなちっこい根っこみたいなヤツだ」
「そうなんだ? ぼくはどんなのか本当に知らないんだよね。さ、行こーよ、ほら! オランもいるかもしれないしさ!」
「お、おう」
しぶるカロンを強引に押し切って、細い道を引き返す。
カロンはまだぶつぶつと言っていたけど、外壁の門が見えてきたあたりで観念したみたいだった。
シルスはというと、もうオランを探し始めているらしい。その視線は真剣そのもので、外壁の向こう側を今から睨んでいる。
それを見て、少しだけ胸が痛んだ。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
外壁の外へ出ると、聞こえて来る賑わいは一層大きく感じた。視線を動かせば、畑の中でも特に目立つものがあった。
「あそこがポリピナ用の?」
「ああ。畑ってよりはもう沼だな」
カロンの言葉はまさに見たままを指していた。
視線の先では、沼のようになった畑に大人たちが腰まで浸かり、子供のようにはしゃぎながら手に持つ細いものを植えていた。
その傍には村の女性たちが休憩している男手を労い、水や簡単な食べ物を配っていた。
「おお! ちゃんと来たか!」
「げ」
休んでいた男たちの中から、日焼けした肌にがっしりとした体格の男が笑顔で近づいてきた。
髭をはやした、見覚えのある顔。
たしか、あの日カロンにゲンコツしてた人物だ。
となると、なるほど。カロンの顔が渋いのも頷ける。
歩いてくる男は、つまりはカロンのお父さんなのだ。
「レガンさん、こんにちは!」
「シルスちゃんも一緒か。見るのはいいが、あまり近づくと服を汚すからなあ。離れてみていなさい。 ——む?」
「あ、どうも、こんにちは……」
シルスの隣にいたぼくと、カロンのお父さんの目が合う。その目は一瞬驚いたみたいに大きくなって、レガンさんはズイと近づいてきた。
「君はナクラム様の……! おお、おお、息子が迷惑をかけてはいないか? うちのカロンは昔っからいい加減なところがあって…………なにかしでかしたらすぐに、なんっでも言って欲しい! ナクラム様には日頃から————」
「ああ、もうやめろって! 迷惑なんてかけてねーよ!」
「また適当なことを! 森に入ろうとそそのかしたのは誰だったのか、知らないとでも思ったか‼︎」
「ぶんぐっ! ————いっでえ⁉︎」
鮮やかなまでに決まったゲンコツ。
カロンの頭から煙が上がっているとすら幻覚するほどの会心の一撃だ。
カロンがまたいつかのように地面を転げる。珍しくもないことなのか、シルス含め、見ていた村の人たちから笑い声が出る。
……と、カロンが視線で何かを訴えてきている。
シスなら喜んで知らないフリをするだろうけど、さすがにカロンがかわいそうだし、助け舟を出そう。
ここに連れてきたのもぼくなんだし。
「いえ、カロンくんにはいつも元気をもらってて、迷惑どころか助けられてるくらいです」
「ほほう……うちの息子が…………本当であればとても喜ばしいことだが——」
レガンさんは髭についた乾いた泥を指で落としながら、全く信用していない渋顔を作る。
それはカロンとおもしろいくらい似ていて、今更親子なんだなあと笑みがこぼれた。
そのタイミングで、向こうで休んでいた人たちからレガンさんに声がかかった。どうやら休憩は終わりらしい。
「っとお、そろそろ行かないと。それじゃあシルスちゃんもアトラくん、これからもうちのバカをよろしく頼む!」
「だっから、今のアトラの話聞いてたろ⁈ むしろよろしくしてんのはオレなんだって。なんつってもリーダーだかんな!」
「バカが、世辞のひとつも分からんのかお前は。今のはアトラくんの気づかいだ! 感謝のひとつもしてみろ!」
「うおぉ⁈ な、なんだよ、掴むなよお!」
「来いっ、お前もきっちり手伝え! 村に貢献しないものに食べさせるポリピナはないぞ」
哀れカロンはレガンさんの腕にガッシリと捕まり、泥の沼に一歩、また一歩と連れていかれる。
「あ、あのお! ぼくも手伝いますよ。人手は多い方がいいですよね?」
「んん? あーいや、しかし……」
泥沼への歩みを止め、振り向いたレガンさんの態度は乗り気じゃない。不思議に思っていると、その視線がぼくの服に向いていることに気がついた。
今日のぼくの上衣は白系のもので汚れひとつなく、晴れの日に眩しいくらいだ。
ぼくはすぐにそれを脱いで、半裸になる。
「——あっ、ありがとう」
脱いだ服は赤くなって明後日の方を向いているシスが持ってくれた。
これで準備万端だ!
「ほう、その身体はなかなか鍛えているじゃないか。ナクラム様が鍛えてくれているのかい?」
「はい。基礎体力は何をするにも不可欠ですから」
『おお~~!』と、周りの大人たちから歓声(?)があがる。なにが『お~』なのか分からないけど、とりあえず胸を張っておいた。
レガンさんは納得し、ぼくはカロンと同じ泥畑の担当になった。さっき見た細い根のようなものを束で渡され、植え方の見本の後、ぼくとカロンは並んで腰まで浸かる泥を掻き分け、一瞬の隙間に根を落として行った。
泥に塗れるのも、こういった村の行事に参加するのも初めてだったけど、ぼくは村の一員として迎えられた気持ちに張り切った。
途中で畑の傍で声援を送るシルスにカロンが泥を跳ねさせたり、怒ったシルスの投げた泥の流れ玉に襲われたりといろんなことがあったけど、夕焼けに雲が染まるころには、ぼくたちは汗びしゃになりながらも自分たちの担当した箇所を終わらせることができた。
ただカロンとシスが争うということは、ぼくの服も汚れるわけで…………。
帰ったぼくの姿を見たお母さんにはカンカンに怒られ、お父さんには大いに笑われたのは言うまでもない。
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