期待の反動


 庭でゲルクについての衝撃的な話を聞いた後、ぼくは早くオランに会う必要があると直感していた。


 そのことにはカロンもシスも同じ意見らしく、2人とも首を縦に振ってはくれた。ただ、そのためには一つの問題を解決する必要があった。


「いつまでも隠れてるバカといい加減話をつけないとな」


 それは、カロンだ。

 カロンがオランと会いたい理由が、ぼくとシスのそれとは大きく違っているのは明白だった。

 多分、今のオランの心は弱っている。

 そこにこのままのカロンを会わせればどうなるか…………これもまた明白だった。


 ぼくたち3人はオランの家へと向かっている。

 今はみんな畑仕事に出ているのか、あまり村人とは会わない。


 時折り吹く風が、壁外の賑わいを運んでくる。

 ぼくはその音や声を遠くに聞きながら、前を歩くカロンを引き留めた。


「カロン、すこしいいかな」

「? なんだよアトラ。オランの家はまだ先だぜ?」

「うん……その前にハッキリさせておきたいことがあるんだ」

「おお、なんだよ」


 どこまで伝わったのかは分からない。だけど、カロンは一つ返事で頷いてくれた。

 たぶんシスはなんの話か分かってる。なにも言わずに、カロンの背中をグイと押しながらついて来てくれる。

 その表情はなんとなく応援してくれてるように、ぼくには見えた。


(そういえば、ここで会ったんだっけ……)


 村の中心部と外周部を隔てる壁。いざとなれば、お父さんの設置した〈障壁魔法〉を発動するための魔法陣が地面に刻まれているこの場所で、3人と出会ったんだ。

 

 あの時と違って…………今はオランがいない。


 立ち止まり、後ろをついて来ているカロンを正面に見据える。

 シスが頷いたのを視界に入れてから、ぼくは切り出した。


「カロン。ぼくたちは今からオランの家に行くけど、それは詰問に行くんでも、怒鳴りに行くんでもないよ。落ち込んでいるオランを励まして、仲直りをしに行くんだ」

「————」


 カロンの眉間に力が入る。

 

 少しの間がとても長い。


「べつに————」


 頭をかきながら不機嫌な顔をしたカロンは、やはり不服そうな声を出した。視線はこっちを向いていない。


「……べつに仲間割れってほどじゃないだろ」

「そうだね。すこし言葉を間違えたかも」

「おまえが励ましたいならそうすればいいし、シルスもそうしたきゃそうしろよ。オレはオレのしたいようにするしな」


 話は終わりだと、カロンは歩みを進めようとする。けど、そうはいかない。


「カロン!」


 ぼくは後ろからカロンの腕を掴んで引き留める。

 カロンの動きが止まって、振り向いた顔には明確な苛立ちが張りついていた。

 視線はまるで敵に対してのそれだ。


「なんだよ。離せ」

「ダメだ。ぼくは今のカロンをオランに会わせる訳にはいかない。ぼくたちはオランを追い詰めるために行くんじゃないんだから」

「べつに追い詰める訳じゃねーよ」

「じゃあカロンは、オランに会ってなにを話すのさ」

「っ、んなもん……決まってんだろ!」


 腕が強く振り払われる。カロンの睨むような視線が向けられる。


 カロンの呼吸は早い。向けられたことのない視線に、一瞬身体が硬直する。

 それでも、その視線から逃げる訳にはいかない。


「おまえが目ん玉の気持ち悪いヤツらに食われそうになってたときに、どうして見捨てたのか聞くんだよ! オレは助けようとした! それはシルスもおんなじだ! ——でもアイツだけは動かなかったッ! 仲間が死にそうなのに助けようとしなかったッ! アイツはおまえを見殺しにしたんだぞ⁉︎」


 カロンの怒鳴り声が辺りに響く。さっきまで鳴いていた虫たちも、萎縮したようにその声を止めた。

 シルスの肩が跳ねて、不安そうな目がぼくを見る。カロンと付き合いの長いシルスも聞いたことがないほど、その声は大きかったんだと思う。


「…………………………………………」


 壁外の活気は相変わらず聞こえてくる。虫たちが静まり返る今は、なおさら。


 カロンの、肩を上下させる荒い呼吸音。赤く充血した目。

 その後ろで自分も入るべきか悩んでいる不安そうなシルスとは対象的に、ぼくにはその声からは悲しみしか感じられなかった。


「アイツ……っ、アイツは……オレたちは、ずっと一緒だったんだぜ⁈ それが、あんな……ッ‼︎」


 ここに来て、ぼくはカロンを誤解していたことに気づかされた。


 目の前にあるのは、あの時のカロンの表情だ。

 へたり込んで、泣いているオランを見たときの……悔しくて悔しくて、今にも泣き出しそうな、あの表情…………。


「情けなさすぎるだろーがッ‼︎‼︎」


 カロンの声はいつからか感情に震えて、その真っ赤になった瞳には今にも溢れそうなほどの涙がある。


「そっか…………」


 やっと分かった。


 カロンは、きっと認められなかったんだ。

 数少ない同年代の男友達。シス同様、ずっと一緒に遊んできたんだろう。

 そんな友達の、あんな姿に……カロンは裏切られたんだ……。

 情けなくて、悔しくて……泣きたくなるほど認められなかったんだ……。


 それを否定して欲しくて、言い訳だけでもして欲しくて…………それが、今のカロンだ。


「カロン…………」


 だから、やっぱりこのままじゃダメだ。

 このまま2人が会っても、お互いを傷つけるだけだから。


 感情を吐き出してゼエゼエと肩で息をするカロン。その呼吸がすこし落ち着くのを待ってから、ぼくは語りかけるように言った。


「カロンは今……辛いと思う。裏切られて、悔しくて、傷ついて…………とても、辛いと思う」

「……………………」


 カロンの表情からは激情が消えて、なにを考えているのかを正確に理解することはできない。そして疲れたように俯いてしまったカロンに、それでもきっと聞いてくれていると信じて、ぼくはそれを告げた。


「だけど……それはオランも一緒なんだ」

「————」


 反応はない。それでも続ける。


「カロンがあの時のオランに裏切られたように、オランもあの時の自分に裏切られたんだと思う。カロンと同じくらいあの時の自分を受け入れられなくて、認められなくて……傷ついてる。どんな顔で会えばいいのか分からないんだと思う。だから、今のカロンの想いをぶつけても…………きっと追い詰めちゃうよ」

「……………………」


 カロンの表情は見えない。返事もなくて、ぼくも言いたいことを言い終えた。

 けど、もう一人言いたいことのある友人がいたみたいだ。


「カロン」

「……………………んだよ」


 いつもと似つかない、張りのない声。

 それでも、カロンはシルスの声に反応した。


「あんたの気持ちは当然だと思うし、間違ってないって思う。けどね、オランが弱っちいことなんて、あんたずっと前から知ってたでしょ? オランがどんな状態かも分からないの?」

「……………………」

「それを今さらショック受けちゃってさ。そんなにオランが弱いのが嫌なら、オランがきちんと立ち直ってから、いくらでも文句言いなさいよ! カロンまでウジウジすんな! そんなに自分も弱っちいなら、わたしとアトラくんだけで行くからね!」

「…………うっせ」


 シスの高い声に釣られるように、カロンの声にわずかな張りが戻る。

 カロンはぐしぐしと何かを拭う仕草をすると、一度大きなため息を吐いてから勢いよく顔を上げた。

 その表情はぼくたちの知るカロンで……ぼくたちのリーダーがそこにいた。


「っし、そうだな! とりあえず今日のところは勘弁しておくか。そんかわり、きっちり元気になったらオレが男ってやつを叩き込んでやる! 元からアイツのナヨナヨしたところにはイラついてたしよ!」

「あんまり変なことしないでよね。男を教えるって、メソメソしてたあんたにできんの?」

「心配しなくてもおとこ女のおまえには必要ねーよ」

「ちょっと、なにそれ! 女の子に向かってどーいうこと⁉︎」

「おまえがはじめたんだろ!」

「ま、まあまあ、2人とも」


 始まったいつものケンカの間に入りながら、ぼくはすっかり元通りになった2人に安心していた。

 カロンの表情からも険が取れて、シスの表情だってどこか柔らかい。


 あとはオランだけ。オランさえいれば、ぼくたちは完全に元通り。そうなって初めて、森の一件は本当の意味でお終いだ。


「それじゃあ、そろそろ行こう。オランのところにさ」

「ああ」

「うん!」


 3人で中心部を出る。背中から吹き抜ける風が、ぼくたちの背中を押してくれてるように感じた。

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