ゲルクという男
『ゲルク』とは、セトナ村の村長であるクワンの孫であり、形式上は次期村長となる人物である。
もっとも、それはあくまで形式上————今までの歴史に照らせば、慣例上はという意味に過ぎない。
現に彼が村長となることを望まないものが村の大半を占め、彼を望む者など悪友を除いて他にいなかった。
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ホコリのたつ部屋に日が差し込み、一本の光の柱を形成する。その柱は、部屋の主である男のまぶたへと足をついていた。
「——っ、…………う」
光にさらされたまぶたが眩しげに引き締められる。日に焼けていない腕がむくりと持ち上がり、光の柱を遮った。
視界に赤や緑の残色を見ながら、男はようやく消えた煩わしい光に満足げなため息を放ち、まぶたにへばりついた眠気に逆らうことなく、再び眠りへと落ちようとした。
そんな彼を、聴き慣れた雑音が引き留めた。
「こぉれゲルク、起きなさいてぇ。もう昼になるじゃろぉに」
「————————」
自分の許可なく部屋に侵入した狼藉者は、謝罪をしないどころか、耳障りな声を吐く。
無視をするという方法は、この雑音を前には悪手だと知っている。
それを肯定するように、しゃがれながらも耳を痛くするのに十分な高さを持つ声は鳴り止まない。
ゲルクの我慢は長くは続かなかった。
「うるっせーなぁクソババア! 今起きるとこだったんだよ! チッ……よく確認してから言え!」
手近にあった枕を投げると部屋にホコリが立ち、特有のホコリ臭さが充満する。肌がかゆくなるような感覚がして、今すぐに部屋を出て行きたい衝動が湧き上がる。
目の前の老婆も露骨に顔をしかめており、大きく咳き込んで非難の目を向けて来ていた。
元はと言えば、この老婆が許可もなくズケズケと部屋に入って来たのが悪いのだ。
こんな老婆が祖母を名乗っているのが、ゲルクには本当に不愉快だった。
「あーあー、どこかのクソのせいで部屋が煙てーわ。俺が戻ってくるまでに掃除しとけよ。命令だからな。家の外の雑草気にする前に孫の部屋からだろーが、クソが」
「ゲルク! どぉこいくんだい、これぇ!」
これ以上わめき声を聞く気はない。足を止める必要もない。
「————とっととくたばれよ」
家の扉に手をかけて、未だに背後から聞こえるわめき声にため息が漏れる。
(俺はなんで不幸なんだ……)
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外に出た途端に、強い光が目を刺す。目を細めて空を見上げれば、イヤミなほどの快晴だ。
「ったく、昼なのは分かってんだよ」
太陽すらも鬱陶しい。
目の奥に滲みるような痛みを感じて視線を下げても、まだ痛い。理由は明白だ。この村の長である我が家の真ん前に、バカみたいに白くてデカい、偉そうな屋敷が建っているからだ。
四六時中見下ろしてくるばかりか、寝起きの網膜を焼きにくるはた迷惑な屋敷。本来、そこは自分のような人間にこそふさわしいものだ。
聖騎士さえいなければ、この村で崇められるのは自分だった。村人どもを使って屋敷を建てさせることだって——
「チッ——いい気になってんじゃねえぞ」
ここにはいない誰かに捨て台詞を吐いて、ゲルクは村の外周部まで下りて行った。
村の中心部には村長や村の幹部が暮らしおり、当然ゲルクも中心部で過ごしている。
つまり外周部に暮らす人間は、一部を除いて全員格下ということになる。少なくとも、ゲルクの中ではそういうことになっている。
そんなゲルクは、外周部で過ごす村人たちが村の壁外で土にまみれて働いているのを見るのが一番の娯楽だった。
「はは、やってるやってる」
少し歩けば、視線の先に畑仕事に精を出す村人連中の姿が小さく映る。
ちょうど今は『ポリピナ』という作物を冬に収穫するために大事な時期なこともあり、村の男連中は一層精を出していた。
セトナ村にとって冬は厳しい。町への道も雪に埋もれてしまう以上は、この村は冬を独力で乗り越えなければならない。
つまり、冬の雪に埋もれることでより大きく育つ『ポリピナ』は、正に村の生命線であり、だからこそあれだけの熱量で仕事に取り組んでいるのだ。
だからこそ、汗にまみれ土にまみれている連中と、そんな様子を他人事に眺められる自分との差を感じられるのだが。
ゲルクはその光景にひとまず満足してから、また歩みを進め、村で1番高い木によじ登って適当な太枝に腰を下ろした。
この位置からの方が壁外の様子をより見て取れるのだ。
「しっかし虚しい奴らだなぁ。朝起きて、土にまみれて、帰って寝る。また起きて土いじって帰って寝る」
そうして繰り返しの中で老いてゆき、どこかのタイミングでぽっくり死ぬのだ。
なにも成し遂げず、自分が生まれた時と死ぬ時とで村に変化もなく、同じことを繰り返して……死ぬ。
これほど無意味なことがあるだろうか?
こんなことのために生まれてきたというのだろうか?
「違う…………俺は違う」
自分はこんな繰り返しのために生まれたつもりはない。こんなところで終わるつもりはない。
「オヤジもこんな気持ちだったのか?」
母はまだ物心がつく前に他界し、父もある日突然息子を置いて出て行った。長いことそれを恨んで来たが、最近になって父の気持ちが分かってきた。
きっと怖かったのだ。この無意味な繰り返しの中で死んでゆくのが。
「どいつもこいも分かっちゃいねえ」
村人たちは村長の孫である自分を見て、そろってバカだと思っている。ちゃんとしろだの、村長が哀れだのとまくしたてる。
だが、それは単に連中の目が節穴なだけだ。
「クク、俺の計画も知らずに見下してるんだから傑作だ! もうすぐこの村なんてなくなるってのに、だぁれも気づかずに土いじりにご執心だもんなぁ」
ずっと考えてきた。次期村長の自分が仮にこの村を抜け出して、どこかの町に移ったとする。そこで自分は職を得て生きていけるだろうか。
答えは否だ。セトナ村の次期村長などと言う身分では、移動できる範囲は限られる。
教会は特定の町に人口が集中するのを嫌い、移住に制限をかけているのが普通だ。
ましてや次期村長としての立場を捨てての移住。教会からの風当たりは強い。印象も最悪だ。
自分1人での移住が身勝手や我儘に映るのなら、どうすればいいか。どうすれば納得させられて、あわよくば同情を得られるか。
答えは簡単だ。
————みんなで移ればいい。
それも不憫で、同情せずにはいられない理由から。
悲劇の被害者達を教会は手厚く援助し、町への移住を許すだろう。
それだけだ。
たったそれだけで、セトナ村から出られる上に教会の援助も受けられ、さらに町に暮らすことができる。
我ながら自分の才能が恐ろしくなるような、完璧なシナリオだ。
#奴ら__・__#に声をかけられた時、神への心からの感謝と信仰が溢れたのを覚えている。
計画に必要だった悲劇を起こす手段が、向こうからやってきたのだから。
自分のやることなんて、ある物をくすねて、聖騎士がいないタイミングを教えるだけだ。
それだけで計画は成る。
「クク、ハハハハハ!」
希望に満ちた未来を前に、ゲルクは甲高く笑う。笑わずにはいられなかった。
「————はぁ、笑った笑った」
ひとしきり笑って地に落ちていた気分も持ち直し、そろそろ木から降りようと腰を上げる。
そこに、まさに今登っている木に近づく人影を認めてゲルクは動きを止めた。
「聖騎士のとこのと一緒にいる…………オランだったか?」
近づいてくる少年は、まさにオランで間違いなかった。うつむきがちにトボトボとした歩みで木の下に来た少年は、そのまま力なく木に背中を預けた。
「ああ……どうしよう……うぅ、ごめん……」
ここは家の影になっているために、あまり目立たない場所になっている。ましてや壁外に人が出ている今なら、尚更だ。
(これは……すこし遊べそうだな)
オランという少年が、なぜこんな場所で泣いているのかは想像がついている。例の一件を知らない村人などいないのだから。
弱っている子どもほど扱いやすい物はない。
自分の口角が大きく吊り上がるのを、ゲルクは堪えきれなかった。
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