村長の孫
アトラにとって日課である父との鍛錬は楽しくも厳しいものだ。余裕を持って終えたことなど全くと言っていいほどにない。しかしそんな中でも、今日の鍛錬は特別過酷だった。
庭の真ん中で父と対峙しながら、肩で息をするアトラは限界が近い。
滴り落ちる汗が顎下をくすぐり、木剣を握る両手は尽きかけた握力で震えていた。
そんなアトラと相対するナクラムは、肩で息をする一方とは対照的に汗ひとつ流していない。
「——よし! 今日は終わるか」
「はあぁぁ〜〜…………」
父の言葉に、アトラはその場にへたり込んだ。格好を気にする余裕はない。
今日のテーマは「体格で勝る敵を前にした戦い方」。
体格で劣るアトラをナクラムはひたすら力で押し、休む間を与えずに圧力をかけ続けた。
「ふむ————」
ナクラムはバテている息子が回復するのを待ちながら、今日の鍛錬で見つけた課題を頭でまとめ、今後の訓練内容を反芻する。そうして一通りの予定を組み直したところで、ちょうどアトラの呼吸が落ち着いたものになる。
「どうだったアトラ。今日の鍛錬は」
「つらかった…………」
アトラの即答に思わず笑みがこぼれる。
体格にものを言わせた戦い方は、力で劣る側としては最も対処が難しい。それを十分に理解させるための今回だ。それは堪えたことだろう。
「そうか。なら少しでもキツくなくなるように反省会だ」
「うん」
ナクラムの言葉にアトラはすぐに姿勢を正し、真剣な目を向ける。こういう切り替えの速さは、まだ子供とは思えないほどだ。
ナクラムは脳内の『家族自慢リスト』に新たな項目を追加する。聖堂へ赴いた際に恒例となっている『親バカさまの無限講話』————その長さから一部ではそう呼ばれている家族自慢のネタが、今日もまた一つ増えたのだった。
「さて、アトラ。今日は息切れが早かったな————」
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「ふう……」
お昼ご飯を済ませて、自室のベッドに身を投げた。
「あ゛ーー、今日は反省点が多かったなぁ」
今日の鍛錬はすごくつらかった。
鍛錬が始まってからすぐに、お父さんはひたすら前に出て打ち込んできた。その打ち込みも重かったし、感じる圧力も今までと比べものにならないくらい強かった。
ぼくは防戦一方になって、すぐにスタミナが切れて…………動けなくなっていた。
今日指摘されたことは、どれも今まで言われたことのある内容ばかり。
『まともに受けるな。力を逃せ』、『怖くても真っ直ぐに下がるな。回り込め』、『体格で劣るアトラはとにかく動くこと。動き続けること。絶対に止まるな』。
特に力を逸らすことや後ろにそのまま下がるのは、自分でも気をつけようとしていた。なのに出来なかった。これじゃあ、当然実戦でもできっこない。
ぼくのため息のほとんどは、この2つをどうにか克服しないといけないのになかなかできないせいだ。
ただ、指摘と同時にヒントもくれるのがお父さんだ。
「お父さん、すごかったな……」
反省会の最後に、お父さんはぼくの理想とするべき戦い方を実際にやって見せてくれた。
頭にお父さんの動きを思い浮かべる。これからはこの動きを目指して、もっと頑張らないといけない。
ゴールを頭に思い浮かべると、少しだけ心が軽くなった。
「アトラー! お友達が来たからはやく来なさーい!」
頭の中で何度も今日の鍛錬を反芻するうちに、2人との約束の時間が来ていた。ぼくはすぐに跳ね起きて、体に疲れが溜まっていないかを確認してから階段を怒られないように気をつけながら駆け下りた。
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「ア、アトラくん。昨日ぶり」
「よお」
玄関にはどこか固いシルスと、キョロキョロと忙しないカロンが待っていた。玄関横のテーブルにはティーカップが一つ置かれていて、それと同じものがシルスの手にもあった。
お母さんが出したのかな?
「おいシルス。アトラも来たしはやく飲めよ。それとも猫舌か?」
「——アトラくん」
「ん、ぼく? なに?」
カロンの言葉にも答えずに、シルスはティーカップを目の前まで掲げる。その目は見たことないくらい輝いていた。
「これ、ほんっとーーーーにおいしい! わたしこんなの飲んだことない…………ハァ」
一口を大事そうに飲んで、うっとりとした吐息を吐く。
香りからすると、たぶん来客用の紅茶だ。家にはごくまれに教会から人が来る。そのときに漂う香りが、たしかこんな感じだった。
つまりお母さんはかなり奮発して、2人にとっておきの紅茶を出してくれたのだ。喜んでくれるのはぼくも嬉しい。
「そんなにさわぐほどか? たしかにシブくもエグくもなかったけど……そんなにか?」
カロンはシルスの様子が理解できないと首をふって、チラリとぼくに視線を投げて玄関から扉を抜けた。
ぼくもその後に続いて庭に出た。
「——にしても、やっぱアトラん家はすげぇよな。玄関だけであの広さはおどろいたぜ」
そのひと言に、心がざわめいた。どういう意味で言ったのか分からなかったから。
ぼくが外に出るようになって改めて思ったのは、やっぱり自分の家は他の家と比べて大きいということだった。
この家があんなに目立っているなんて、知らなかった。
カロンの家を、ぼくは知っている。ぼくの家と違って庭はない。花もないし、思い出の植木もない。
そしてなにより……小さかった。
カロンの表情は見えない。その背中から感情を読み取ることも、ぼくにはできない。
ぼくがカロンの立場だったとして、ぼくは妬まずにいられるだろうか…………。ぼくがあの家に住んでいて、友だちがこんな家に住んでいるとしたら、どんな気持ちで今の言葉を口にするんだろう…………。
「うん…………あんなに広い必要はないよね……」
「……? ああ、ちがうって、へんに気を使うなよな。ほめてんだよ。デカくていいじゃんか、掃除が大変そうだけどな」
よっぽど顔に出ていたみたいで、カロンは振り向いてぼくの顔を見ると、ニカッと笑ってぼくの肩を叩いた。
それだけで、まるで肩にのしかかる悪いものまではたき落とされたみたいに、身体は軽くなった。
自然と口角が上がる。それと同時に、ぼくはカロンを疑ったことを恥じたのだった。
「ところで……昨日のことなんだけどな」
「昨日の?」
カロンの声色が変わった。ここからがカロンの話したかったこと。本題だろう。
「だから、見張りがいなかったってやつだよ」
「あ、ああ、それね。カロンのお父さんに聴いてみたんだよね?」
「ああ。一応自警団のまとめ役みたいなことをやってるからな。これがひどいんだぜ? 言ってもなかなか信じねーんだ。アトラの名前を出してようやく話を聞こうとか言ってんだ」
「あー……、はは」
カロンには悪いけど、疑う気持ちもちょっと分かる。カロンと遊ぶようになってからだけでも、カロンが父親にウソをついて遊びに来ていた回数は片手じゃ足りないくらいだから……。
「それで、どうなったの?」
「聞いた途端にめっちゃくちゃに怒ってさ、サボってたヤツの家にどなり込みに行った。ほら、結婚してない男がいっしょに暮らしてる家あるだろ? あそこだよ。今朝見たらドアがゆがんでた。おっかねー」
「そ、それは……激しいね……」
「だろ? 見に行ってみるか?」
「イヤイヤイヤイヤ! 別にいいよ……」
誰かが怒った跡を見て楽しむ趣味はぼくにはない。今度からどんな顔でカロンのお父さんに会えばいいのか分からなくなる。
カロンはぼくが必死に断っているのを見て、おかしそうに笑ってから続けた。
「それで、まずは一発殴ってから話を聞いてた。オレも家の外から見てたからなにを言ってたかは分からねーけど、今朝聞いてみたら大体のことは教えてくれたんだけどな? なんでか急にゲルクのヤツが代わってやるとか言い出したみたいだぜ?」
「ゲルク……って、村長さんの?」
思い出すのは、村長さんの家から出てきた姿。自分の祖母をうっとうしそうに扱い、ぼくの家を睨んで去った、あの姿だ。
「そ、じいさんの孫だな。いい歳して働かずに、そのくせ外周部のオレたちをコケにして見下してケンカっぱやくて乱暴なクズだよ。話にも出したくないヤツだ」
「へぇ……」
言葉の通りに、カロンの表情は口をゆがめて吐き捨てるようにいった。こんなカロンも珍しい。なにかぼくの知らないことがある気がする。
そんなことを考えていると、ぼくの視線に気づいたカロンはなにかを振り払うみたいに首を振ってため息を吐いた。
「あのクズはな……一回シルスを殴ってんだ。まだ7つのときぜ?」
「————なっ?!」
「そんなクズとオランが話してるのを見たなんて母ちゃんが言い出したから…………最悪だ」
カロンは最後に、とても不気味なことを口にした。
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