まどろみの悪夢


 真横からの衝撃に、身体が宙へ浮かび上がる。

 肺から追い出された息は、高い音を出しながら空気に融け、獣特有の低く唸るような呼吸音が、すぐ耳元に聞こえた。


「ガフっ……!」


————衝撃。


 飛ばされた身体は大地を転がり、ナニカに当たってようやく停止する。


 骨の軋む音を身体中に聞きながら、血に濡れた顔を上げて、そのナニカを見た。


「————————カロン…………?」


 光を失った眼球が、もう彼がそこにいないことを物語る。これはもう、肉でしかない。数瞬未来の、自分の姿。


「オラン…………シ……ルス…………」


 喰い散らされた友だち。

 最期まで抵抗せずに死んだ少年は、諦めた表情で冷たくなっている。


 生きながらかじられた少女の、ちゃんと殺してと叫んでいた口は、もうない。


「は……はは……へひ……」


 その光景を絶望と共に咀嚼して、彼もまた、生きることを諦めた。



- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -



「うわああぁああッッ!!!!」


 重い身体にかかわらず、ぼくは一瞬ではね起きた。

 体は震えて、汗と悪寒がぼくから熱を奪いさる。


「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……………………はぁ」


 辺りを見回すと、どうやらぼくの部屋らしくて、それでなんとか落ち着いた。

 まだ腕には鳥肌が立っている。


「ゆ、夢か……よかった。よかった……本当に…………」


 まだしびれている頭を必死に使って、頭の中から夢の空気を追い出す。

 なにが現実で、どこが夢か。思い返してたしかめる。


 そう…………そうだった。秘密基地で魔物に襲われた。

 それで…………そう、お父さん。お父さんが助けに来てくれて、傷を治してもくれたんだっけ?


 その時に、すこしけだるくなって……帰ったらお母さんに怒られた。

 それで……それで…………そうだ、たしかぼくの骨が折れてるとかで、お母さんが治癒魔法を使って………ぼくは倒れた。魔力欠乏に特有の症状だ。


 治癒魔法は変わった魔法で、治癒を受ける人の魔力も使う。他人から治癒魔法を勝手に使われても、魔力が使われることはない。けど、家族みたいに血のつながりがあれば、ぼくの意思に関係なく、治癒魔法は発現する。


 ようするに、ぼくの魔力量は手の甲と折れた骨を治すだけで使い切ってしまう……その程度の量なのだ…………。

 たぶんだけど、妹のアリアにはもう魔力量で抜かれてる。つくづく、魔法の才能がないんだ、ぼくは。


「はぁ…………」


 いつものように後ろ向きな考えに向かう思考を、ため息を吐くことでがまんする。


 とにかく、ぼくはお母さんの治癒魔法で自分の魔力を使い過ぎ、倒れてしまった。

 目が覚めても体が重くて、フラつかずに歩けるようになるまでに3日もかかったんだっけ……。


「そうか、今日で4日目なんだ。てことはまだ6日あるのか……」


 頭にみんなの顔が浮かぶ。


 カロンはすごく怒られただろうな。家でも頭を押さえて転がってたのかもしれない。想像すると、自然と笑みが浮かぶ。


 シスはどうしてるだろう。お父さんの話では、ぼくを助けようとして秘密基地から下りたカロンに続こうとしていたらしい。やっぱり、シスは強い。不安そうな、あの顔を見ているだけに、どれほどの覚悟が必要だったかが分かる。2人にはお礼を言わないとだ。


 そして、1番心配なのが…………オラン。

 もともと気の弱いところがあったし、そんなオランがいたからシスとカロンは仲良くできていた。

 そんなオランだから、秘密基地での様子も仕方がないと納得してる。むしろ、あれが普通だ。


「けど……カロンは怒ってるだろうな…………」


 あのとき、いつまでも戦おうとせず、泣いてばかりだったオランに、カロンは本気でイラ立ち、その姿に失望して、くやしがっていたと思う。


「ぼくがいない間……なにもなければいいけど…………」


 3人の姿がないとは知りながら、視線は窓の外から離れない。2階から見下ろす先では、向かいの村長宅のおばあさんが腰を曲げて草むしりをしていた。隙間のある石畳から伸びる雑草はがんこで、なかなか苦労しているようだ。


「ん? あれは…………」


 村長さんの家の扉が開いて、中から背の高い男性が出てきた。寝癖のついた髪をイラ立たしげに手で押さえながら、村長の奥さんを一瞥する。そして、イヤなものを見たように顔をしかめてから、一瞬ぼくの家を睨み、そのまま足早に立ち去ってしまった。


「村長さんの孫……だっけ? たしか名前は……ゲルク。ゲルクさんだ。こわい顔してたな……不機嫌そうな……いや、それはいつもか」


 村長の孫であるゲルクさんは、少し苦手な人だ。あの人は、なぜかいつも不機嫌で、村の外周部の人のことをよくバカにしてはケンカをしているらしい。これはカロンだけじゃなくて、オランも言っていた。


 村長の息子……つまり、ゲルクさんの父親は、彼を残してこの村から出て行ったらしい。ゲルクさんの態度も、その辺りに理由があるんだろうか……。


「——ん?」


 今見た光景に思いを馳せていると、部屋の扉が開いて、お母さんが出来立てのシチューを運んで来てくれた。

 部屋の空気が、食欲をさそう香りでいっぱいになる。

 

「あら、アトラはもうすっかり元気そうね。身体はもう大丈夫? 違和感のある場所はない?」

「うん。まだ少しだけ体が重たい感じがするけど、もう大丈夫だよ」

「そお? じゃあみんなで食べましょうか。ナクラムも喜ぶんじゃない? アリアはもう食べ終わっちゃったけど」

「え? お父さん、まだいるの?」


 ぼくが動けなかった昨日までは、お母さんが食事を運びに来てくれていた。その間、ぼくはアリアの持ってくる本を読んであげたり、外をぼーっと眺めて過ごしていた。

 そしてお父さんは、連日オオカミの魔物を狩りに出かけていたのだ。このシチューに入っている肉も、オオカミのものだったりする。


 昨日までならもう狩りに出かけている時間だから、ようやく怒りが収まったのかもしれない。


「そ、『もうほとんど狩り尽くした』なんて言ってるんだからビックリしちゃう。あんな量のお肉、どうやって使い切れっていうのよ、まったく!」

「近所のみんなに配ったら喜ぶかもね」

「ええ、そうしたところ。さ、どうするのアトラ? 念のため今日は部屋で食べる?」

「ううん! 下で食べるよ」


 少し沈んでいた気持ちは食欲に上書きされ、小走りで階段を降りてお母さんに怒られる頃には、ゲルクさんの視線のことはすっかり頭から消えていた。



- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -



「それで、もう体の方は大丈夫なのか?」

「あ、うん。もうすっかり元気」


 食卓について、お父さんの口からおはようの次に出たのは、ぼくの体のことだった。お父さんの目は真剣で、ぼくの体をしばらく眺めてから、やがてフッと、いつもの優しい目に戻る。

 心配していたのが伝わってきて、少しこそばゆい。


 それを悟られたくなくて、記憶の中に話題を探す。

 ふと、氷の目を思い出して身震いした。


「どうしたの、アトラ?」

「まだ気分が悪いか?」

「……………………」


 あの目はなんだったんだろう。掴まれた肩の痛みは、未だ鮮明に思い出せる。カロンのものとは思えないほどに強く、硬く、冷たい手だった。


 あれは……一体…………。


 いろいろあって忘れていた考えにふける中、気がつけばお父さんとお母さんが小言を言い合っている声が聞こえてきた。

 

「まったく、そもそもアトラが倒れるまでしなくてもよかっただろう。術式の構成が甘かったんじゃないか?」

「アトラの魔力量なら大丈夫なはずだったわよ! それなのに想定以上にアトラの魔力は少なかった。ナクラム、必要最低限の魔力に留めなかったのはあなたでしょ? そういえば昔から治癒魔法は苦手だったっけ?」

「なっ!? まだあれを根に持っているのか?! それを言うのであれば、自分で治癒すればよかっただろう。それも出来ないほどに魔力を使い切っていたのは、アリシア自身の失態だ」

「それを言うならナクラムだって————」

「ちょ、ちょっと待って! ぼ、ぼく2人に聞きたいことがあるんだ!」


 だんだんと加熱していく言い合いを止めるために、ぼくは2人の会話に割り込んだ。

 

「なんだ? 聞きたいことがあるなら、父さんがなんでも教えるぞ?」

「私たちに聞きたいことって、なにかあったの?」

「えっ…………えー…………とね……」


 ……次を考えてなかった。

 不思議に思うことはある。たった今考えていた、あの3人が途端に別人の様になってしまった件。

 だけど、そもそもそうなったのはぼくが約束を破って、3人に魔力についての話をしたからなのだ。


「————————」


 お父さんとお母さんが、ぼくの言葉を待っている。

 お父さんはどんなことかと興味津々に。逆にお母さんは、少し心配そうに。


 …………言おうと、思った。


「じ、実は…………」


 ぼくはあの時のことを思い出せる限り、包み隠さずにすべてを話した。

 

 3人に頼まれて、いろんな話をしたこと。

 その中で、約束を破ってしまったこと。

 

 そして……3人が豹変したこと…………。


「「……………………」」


 お父さんもお母さんも、はじめは驚いた表情をしていた。だけど、途中からは真剣な表情で聞いてくれて、ぼくの話が終わった時には、少し表情は暗くなっていた。


 話が終わっても、2人はしばらく口を開かず、ぼくにとって気まずい沈黙が続いた。

 それから、少し迷うような感じで、お互いに視線でやり取りをした後————


「ナクラム。ちゃんと話さないからよ?」

「ああ。反省している」


 静かな声でそう言った後、2人はぼくに向き直った。

 その目に、もう迷いの色はない。


「アトラ…………怖かっただろ」

「…………うん。でも、なんで……あんな風に?」


 氷の目を思い出しながら、ぼくは尋ねた。


「少し、難しい話をするぞ? 分からないところがあったら、その度に言うんだ。分かったな?」

「うん」


 1つ間を置いて、お父さんは語り出した。

 それは、この国でずっと昔から続けられる、ある儀式についての話だった。

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