聖騎士の実力
樹を背にして、オオカミたちとにらみ合う。痛みにもだえていたオオカミは、風の力でなんとか移動して、今は木剣の間合いから離れた場所で大人しくしている。
狩りに参加するのはやめて、おこぼれを待つつもりみたいだ。
あと5頭。あと5頭をなんとかしないといけない。
「…………?」
ふと違和感が頭をよぎる。
5頭……いるか? 足りないような…………。
「アトラ!」
「——ッ?!」
カロンの鋭い声に救われた。
右からわずかな足音がすると、ぼくはすぐさま木剣を横に薙いだ。
木剣が奇襲を仕掛けてきたオオカミに当たる。
「づッ、重…………!?」
全力での横薙ぎは、飛びかかる空中のオオカミに当たりはした。しかし、それでも軌道を十分に変えることはできない。
ぼくが反射的に半身を逸らすと、すぐそばを鋭い爪が通過した。
急いで樹を背にして、向き直る。冷たい汗が背や袖を濡らす。
「ダメだ、木剣が軽すぎる……それに…………」
襲いかかってきたオオカミは、これといったダメージを見せることなく唸り声をあげている。効いていない。
木剣での一撃は、オオカミの毛にはばまれて、ほとんど衝撃を吸ってしまう。オオカミの毛があんなに硬くて、優れた鎧になるなんて知らなかった。
決定打がない…………。
「アトラ、くるぞ!」
オオカミたちの行動が大胆になってきた。今度は正面から獣特有の俊敏な動きで近づくと、飛びかかってくる。
それを木剣を振るいながら横にかわすと、横腹に強い衝撃。視界が流れる中で、他のオオカミに吹き飛ばされたんだと、痛みを感じながら理解した。
「グぅぅ~~ッ!!」
転がる体を止めて、なんとか痛みをがまんして木剣を構えなおす。
身体はすり傷だらけ。服には穴が開いて、赤い血が肌を伝うのがむずがゆい。傷口は熱さとしびれで、痛みがあまりないのが救いだ。
「ふぅ~~~~…………」
荒い呼吸を整える。考えるんだ、ここからどうするのか。
背にしていた樹からは離されてしまった。
木剣は毛と皮を持つオオカミには効かない。
それに、まだオオカミは5頭残ってて、ぼくはたぶん肋骨を折っている。息を吸うたびに痛みが走る。
絶体絶命だ。
「…………お父さん」
頭に浮かんだのは、お父さんの姿だった。
お父さんは戦いで大事なのは「抜くべき力を抜く」ことだといっていた。どんな極限状態にあっても、力みを無くせるように訓練を重ねるのだと。
でも、今はすべてに渾身の力がいる。全力で振るい、打ち下ろし、なぎ払う。
半端な攻撃はけん制にすらならない。
握力もうばわれている。オオカミを攻撃するたびに、まとわりつく風は木剣を取り上げようと強まるのだ。
「どうすれば…………」
口に出して、1つ思い浮かぶものがあった。
槍を扱うお父さんがもっとも得意とする攻撃方法。
それは、刺突だ。
足で大地を蹴り、腰をひねり、作った“ため”と加速に体重を乗せてくり出されるお父さんの刺突は、ぼくにとってはあこがれそのものだった。
気恥ずかしくて、お父さんの目を避けてはいつもマネをしていた。
槍なんて持ってないから、振るうのはいつも木剣だ。
「————————」
頭にお父さんの姿をイメージする。
ぼくの知る限りで最強の聖騎士、その姿を。
「フゥーー…………」
深呼吸……余計な力みは、吐く息に溶けていく。
姿勢は低く、半身に構えて、引き絞るイメージ。
「……………………」
オオカミたちが動く。
狙う場所は1つだけ、風の弱い眼球のあたりだ。
オオカミが駆ける。
オオカミが跳躍し、その凶悪な牙を見せつけて————今!
「————フッ!!!!」
ありったけの力で大地を蹴る。
先行する片足を杭にして、急停止。
伸ばした腰と脇腹を一気に縮めて、加速と体重を腕に運ぶ。
そして————重さを持った木剣は狙い違わず単眼に埋め込まれた。
「ッーーーーーーーーーーー!?!?!?!?!?」
「うわっ!?」
なにかをつぶした気味の悪い手ごたえと、遅れてやってきた、硬いものを割ったような感触。
それをたしかめる間もなく、ぼくの身体は持ち上がり、飛ばされた。
「わっ、とぉお!!」
なんとか両手をついて着地する。
そこはオオカミたちの真ん中だった。
「う————?」
襲いくる爪を、木剣で受け流そうとして、気がついた。
木剣が……折れてる……。
右手にあったはずの木剣は、根本から砕けたみたいな断面で折れていた。
直後に衝撃。しびれと耳なりが頭を真っ白にする。
「ぅ……? なに、が…………え?」
気づけば、冷たい地面が背中を冷やしていた。
右手の甲が熱い。焼けてるみたいに熱くて、心臓みたいにドクドクいってる。
右手を持ち上げてみると、手の甲は剥がれてて、めくられた肌が視界をプラプラと行ったり来たりしていた。
「ぁ……………………」
何かに顔を覗きこまれる。…………オオカミだ。
たった1つの眼球が、不気味にぼくを見下ろしている。
カロンの叫び声が、遠くに聞こえる。
ぼくは……死ぬのか……。
「アトラぁあああ!!!!」
諦めかけた頭を、世界で一番頼もしい声が叩いた。
直後、目の前のオオカミの頭が、ものすごい速さで飛んできた何かに貫かれ、吹き飛ばされた。
「え…………!」
遅れて誰かの背中が、ぼくの視界に入る。
その人はぼくを護るように、オオカミの前に立ちはだかった。右手に握られた、眩しいくらいに白い槍が、その人の怒気に呼応するようにまたたく。
広い、広い背中。こんなに安心できて、カッコいい背中なんて、1人しか知らない。
「お父さん……! お父さん!!」
「アトラ、無事か? っ! アトラ……右手が……!」
お父さんがぼくの右手に気づいた途端、空気が重くなった。息をするのも、苦しい。
「グルルルル……」
響くうなり声は4つ。
お父さんの放つ威圧感に反応したのか、残ったオオカミたちは一斉にお父さんに向かって襲いかかる。
しかし————
「お父さん! あぶ——な……」
一瞬だった。
ほんの一瞬、お父さんの右腕の輪郭がブレたように見えて風を切るような音がした瞬間には、的確に急所を穿たれた死体が転がっていた。ぜんぜん、見えなかった。
「すっげぇ……」
なぜか樹から降りているカロンは、目を丸くする。
ぼくもあんな顔をしているんだと思う。
「アトラ、ちょっと貸してみろ。少し痛むぞ?」
「あ、ぅ痛っ……!」
右手の甲に痛みが走る。ジクジクした、まとわりつくような痛みがして、しばらく続く。
その間にも、お父さんの手はぼくの右手を捕まえて離さなかった。
そしてだんだんと痛みが引いてきてから、ようやく右手は解放された。
すこし、けだるい感じだ。
「よし、治ったな」
「え? ……ほんとだ」
右手の甲は、本当に治っていた。
めくれた皮も、血もない。
焼けるような熱さも、しびれも、痛みもなくなっている。
「魔法……」
「まあな。〈治癒魔法〉はアリシアの方が得意なんだが、お父さんもこれくらいはできるぞ。君達も怪我はないか?」
ゴツゴツした手でぼくの頭を撫でながら、お父さんはカロンたちの身体に視線を投げる。そして、ケガらしいケガがないと分かると、安心して頷いた。
「アトラ。…………迂闊だったな」
「…………うん」
「初めてのことだらけだったんだろう。だが、どんな時も冷静な自分を持て。もっと言えば冷めた自分だ。感情に惑わされず、主観を排除できる思考を持てれば、自分がどれだけ危険なことをしているのか気づけたはずだ」
「ごめんなさい……」
お父さんの言うことは、何から何までもっともだった。
柵を越える。それがどれだけ危険な行動だったか、冷静なら分かったはずだ。
楽しいというだけでやるには、あんまりにもバカなことだった。
今さら自分を責めてうなだれるぼくの肩に、お父さんの手が乗せられた。あたたかく、力強い手だ。
そして、お父さんはぼくの目線までしゃがんで言った。
「けどな、アトラ。よく友人のために戦ったな。お父さんはそれが嬉しいぞ! 初めての命のやり取りだったはずだ。そんな中で他人を護るために戦った。その気持ちを持ち続けることができれば、お前はきっと聖騎士になれるぞ!」
そう言うと、お父さんは笑ってくれた。うれしそうに、本当にうれしそうに。
「さ、アトラ。やらかしたことに違いはない。帰ってキッチリ、アリシアに叱られてこい! 流石にアリシアから庇うのは無理だ。あっはっはっは! いやー、カンカンだろうな!」
「うぐぅ…………」
頭の中に、腕を組んで笑みを浮かべるお母さんの姿がありありと浮かぶ。
不思議なことに、そのイメージは背景がぐんにゃりと歪んでいる。ゴゴゴゴゴなんていう地響きもセットだ。
「泣くな泣くな、あっはっはっは!!」
お父さんの笑い声は、静かな森にいやに響いて聞こえた。
しばらくして、村の方から大人の人たちの声が聞こえ、革鎧に身を包んだ大人たちがゾロゾロとやってきた。
その中の1人はカロンのお父さんだったらしい。早足でカロンに近づくなり、強烈なゲンコツが落とされる。
カロンはうめきながら、地面を転がった。
けど、そんな姿はどこかうれしそうで、流している涙が痛みのせいだけじゃないことは秘密だ。
ぼくらをその人たちに任せて、お父さんは森の奥に行こうとする。
「ナクラム様? 村はあっちですが?」
「ああ、いえ。少し魔物どもを間引いておこうかと思いましてね。アトラに手を出したんだ……覚悟しろよ……!」
大人たちが顔を引きつらせる中、お父さんは何かぶつぶつ言いながら、森の中に消える。
ぼくらが村に帰るころ、森の方からは大きな音が何度も聞こえ、その度にみんな苦笑いを浮かべた。
そうして、ぼくたちは村に戻ってきた。すこし前までいた村が、なぜかとても懐かしく感じられた。
ぼくは家でお母さんにものすごく叱られて、カロンはまたゲンコツを落とされていた。
シスは泣いてお母さんに抱きついていたし、オランはずっと泣いてた。
そしてぼくは、罰として10日間の外出禁止になり、しばらくは窓の外を眺めてすごす生活にもどる。
そんなことをしなくても、もうあんなことはしないのに……。あんな思いは、もうこりごりだ。
お父さんが帰ってきたのは、すっかり日の落ちた頃。
たくさんの魔石と肉をもって森から帰り、みんなの家に配ってまわり、村の人たちにとても喜ばれたらしい。
こうして、ぼくたちの探検は幕を閉じた。
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