氷の目


 3人の視線を浴びながら、ぼくは魔法について、家で読んだ本の内容を一生懸命に思い出しながら説明した。


 魔法とは、魔力によって望んだ現象を引き起こす力だ。その歴史は古く、何千年も前、まだ神さまがいた時代から存在していたとされている。


 その頃は、魔法は神さまだけの力だったらしい。人には魔力はなくて、魔法を使ってくれるようにお祈りをして、その願いを神さまが聞き届けたときだけ助けてもらえる。

 そんな時代が長く続いた。


 けど、ある理由で人も神さまの力だった魔法を使えるようになる。

 それから長い月日が流れて、今じゃ無詠唱で魔法を使うのが当たり前になっている。


「————ぼくが本で読んだのは、だいたいこんな内容だったよ」


 一生懸命に本やお父さんの言葉を思い出して、出来るだけ簡単に説明はしたと思う。

 でも、それでも難しいみたいで、3人ともビミョーな顔で聞いていた。


「……なあ、アトラ」

「うん?」

「その『魔力』ってなんだよ。魔法はそれを使って、なんかすげーことをするんだろ? なら、その『魔力』ってなんなんだ?」

「あー、そこ、わたしもよく分からなかった」

「ああ、そうか。ごめん、そこの説明が足りなかったね」


 うっかりしてたや。大事なのはそこなんだ。

 結局、人に魔法を使うことができなかったのは、もともと『魔力』が人になかったからだ。

 魔法が神さまだけの力だった理由は、この『魔力』を神さましか持たなかったからでもある。


 やっぱり、どこかでお父さんの言いつけを破る後ろめたさが、ぼくの説明をあいまいにさせたのかもしれない。


「えっと、昔は人が魔力を持たなかったんだ」

「だけど今は持ってるだろ? なんでだよ?」

「『邪神』が現れたんだよ」


 その単語を聞いた途端、3人の空気が変わったことに、ぼくはすぐには気がつかなかった。


「『邪神』はある日突然現れたみたいで、彼は凶暴な龍やケモノに『魔石』っていう魔法器官を与えたんだ」


 この結果、『邪神』の従える獣たちは魔法を使えるようになってしまった。神さまの力であるはずの魔法を。

 そして、神さまたちに仕えていた人々はどんどん勝てなくなり、追い詰められてしまう。


 神さまが人に『魔力』を与えたのは、このときだ。

 『邪神』が従える魔物に対抗する手段として、自分に仕えている人々に『魔力』と、それを扱える素質を与えた。


「このせいで、ケモノたちは魔法を使えるように——え?」


 不意に肩に置かれた手。カロンのだ。

 

 ぼくはカロンの唐突な行動にとまどって、カロンの顔を見る。……うつろな目が、ぼくを見つめていた。


「おい……違うだろ」

「え、ちょっ……痛っ!?」


 突然その手に力が込められて、ぼくは痛みに顔をしかめた。信じられないくらい強い力で、腕に痺れが走る。


「か、カロン、痛いってば……!」

「違うだろ」


 カロンがなにを言ってるのか分からない。そうしている間にも、力は強くなる。

 だんだん怖くなって、オランとシルスの2人に助けを求めるつもりで視線を向けて…………ぼくは、息をのんだ。


「……………………」

「……………………」


 凍てついた、氷みたいな視線。氷の瞳は2つずつ、それぞれオランとシルスの顔に、2人の目があるはずの場所にはめられている。

 

 誰だ…………?

 目の前にいるのは、一体誰なんだ…………?!


 胸が苦しい。なにが起きているのか分からない。


 顔中からいやな汗がにじみ出て、したたり落ちる。

 そのとき、2人の口が動いた。


「「『邪神』じゃない。『偽神』でしょ(だろ)? 神になろうとした反逆者。神に成り代わろうとし、挙句滅ぼされた愚かな偽物」」


 冷たい声。なんの感情も感じない、抑揚のない無機質な声。2人の声じゃない。こんなの、違う。


 そして、無言の間が訪れた。数秒か、もっと短い一瞬なのか。

 それでも、その一瞬が永遠に感じられる。


 そうしてどれくらい経ったのか、ピクリとも動かずに視線でぼくを縫いつけていた2人が、急に明るい声で、さっきまでの軽い調子で言う。


「『邪神』なんて言ったら、神さまって認めることになるでしょ? それ、けっこう怒られちゃうんじゃない? アトラくん」

「ぇ…………?」

「そうだよ。おれ、それでお尻が腫れるくらい叩かれたんだ……」

「はっはっは! なんだよオラン! そんなの初めて聞いたぜ?」

「ぷっ、ふふ……!」

「な、なんだよう! 笑うなってえ!」


 なんだろう、これは……。

 いつの間にか肩に置かれた冷たい手はどけられて、3人はいつものみんなに戻っていた。


 まるで夢でも見ていたみたいに、もと通り。

 だけど、肩に残るしびれと、汗にぬれて冷たくなった服が、さっきのが夢だと認めてくれない。


「……………………」

「あ? ……おい、どうしたんだよアトラ」

「うわ、すっごい汗! 大丈夫? アトラくん、調子悪いの……?」

「ふ、震えてるじゃん! え、あ、さ、さむいのかな?! さすった方がいいよ!」


 3人とも心配そうにさすったり、服の袖で汗を拭いてくれる。

 そうだ、やっぱり夢だ。カロンがあんなことをするはずがない。オランも、シスも、あんな目を向けてくるなんてあり得ないじゃないか。


「アトラ?」

「う、ううん。大丈夫だよ。なんでもないから」

「なんでもないはずがないでしょ? ……ねえカロン、今日は帰った方がいい。アトラくん体調悪そうだもん」

「さっきまでなんともなかったのに……果物が傷んでたんじゃあ——」

「はあ?! オラン、おまえそれどういう意味だ! オレが腐ったもの渡したってのかよ!」

「ち、違うって! お、おれは……」

「うるさい! いいから帰るの! アトラくんをお家まで送んなきゃいけないんだから!」


 シスの声が場を収める。

 こういう時にシスは強い。


 けど本当に大丈夫なのに。もう震えは止まってるし、汗もひいた。3人のおかげで体の調子は戻っている。

 でもシスに怒られそうだから、今日秘密基地で遊ぶのはおしまいだ。


「アトラくん、下りられる?」

「うん。本当にもう大丈夫なんだ。これくらいへっちゃらだよ」


 シスにうながされて、ぼくはまるで急かされるようにロープを握りしめる。

 そのまま下りようとしたぼくを、カロンの緊張した声が止めた。


「待て……!」

「なに? アンタ、まだなにか言うわけ? カロン」

「バカ、下を見ろ……!」


 カロンの様子は、ふざけているようにはとても見えない。オランにいたっては、青ざめた顔をしてヒザを震わせている。

 その様子に、シスも下を見た。つられて、ぼくも。


「オオ……カミ…………」

「う、うそでしょ……?」


 いつからいたのか、ぼくたちの秘密基地の下にいたのは、緑色の体毛に身を包み、額に1つの大きな目を持つオオカミだった。

 鼻先でいじっているのは、シスが捨てた果物の食べ残し…………。


「ああ!? 果物の匂いだよ! シスが捨てたのにつられて来たんだ!!」

「バカ、オラン! おまえ静かにしてろ!」


 ピタリと、オオカミの動きが止まる。


「————」


 そして、ぼくと…………目が合った。


「うお!?」

「ひぅぅ…………?!」

「きゃあ!!?」

「ぐぅう…………!」


 けたたましい遠吠えが身体を震わせる。


 一瞬遅れて、また遠吠えが聞こえる。


 まずい、今のは遠吠えが反射したんじゃない…………!


「お、おい、アトラ…………」

「うん、来る…………」

「く、来るって、なにが!?」

「仲間に決まってるでしょ?!」

「仲間って、そんな…………!」


 森がざわめく。

 そして森の中から4頭、1つ目のオオカミが現れた。


 風をまとった緑のオオカミ。


 魔石を持った、魔物だ…………。

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