第26話 羽ばたきの時
八月二十一日、金曜日。
その日は朝から生憎の雨だった。
無人の特設ステージも雨ざらしだった。流れているアナウンスによれば、イベントは十六時半からの予定だったが、悪天候のため十五分繰り上げで開始されるという。
「ついてないわね。門出の日に雨なんて」
「まったくですよ。
丸山の軽口に瀬賀が今さら首を傾げることはなかった。柏木由紀が雨女で有名だという話は、朝から三回くらい彼に聞かされていた。
ステージのバックでは、巨大な「NGT48」の文字のオブジェクトが無残に雨を受けている。
「東京では今日、
「さあ……」
ばらばらと傘を打つ雨音が、瀬賀の生返事をかき消す。
雨天だろうと何だろうと、この街でお披露目をやってくれることは嬉しかった。
聞いたところによると、これまでの姉妹グループ、SKE48、NMB48、HKT48のお披露目は、いずれも首都圏で開催されたAKB本店のコンサートでオマケのように行われてきたという。拠点となる街で、それも単独でお披露目イベントが開催されるのは、NGT48が初だということだった。
ふと見れば、すぐ近くに陣取っている数人連れの男性達が、互いの購入した
そのまま三十分ほど待っただろうか。いつしか雨は弱まり、周りでは傘を畳む観客も増えてきた。お披露目に合わせて雨が止んでくれたのなら、まさに奇跡だと思った。
瀬賀達が傘を畳む頃、壇上にはラフなシャツを着た中年の男性が上がっていた。NGT48劇場支配人――かつてAKSの会議室で向かい合った、あの今村氏だ。
「……今回、色んなお披露目を五つ用意しました。新潟でお披露目、それからグッズを用意しました」
今村氏が一言一言を語るたび、周囲の観客達がオオッと声を上げる。彼がファンから特別慕われているのか、アイドルファンというものはどの関係者に対してもこうなのか、瀬賀には判別がつかなかった。
「あと三つはこれから披露します。……雨、止みましたね。柏木由紀に勝ったぞぉ!」
観客の盛り上がりが最高潮に達した瞬間、大音響のサウンドがスピーカーから爆音が溢れ出した。ライブの序曲が始まったのだ。
『N! G! T! Forty Eight――! A live act never seen before!』
これが
『Everyone only see in Niigata――These ladies have come down to perform you!』
しかも、AKB48やその他の姉妹グループのものとは歌詞が違う。周りのファンの歓声でよく聞き取れないが、確かに今「Niigata」と言った。そんな些細なことでも瀬賀には嬉しかった。本当に新潟にAKBの支店が出来たのだと思うと、音楽の高揚感だけではない熱さが全身を駆け巡るようだった。
しかし、メンバーはどこから――?
「どうしてここでお披露目をやったか分かりますか? NGT48のメンバーは、海からやって来ます!」
雨の止んだ会場に今村氏の声が響き渡る。その時、背後のファンが一斉に歓声を上げた。
「おおぉっ!」
丸山らと一緒に瀬賀も振り向いた。信濃川を渡り、一隻の船がやって来る。信濃川ウォーターシャトルの水上バス、ベアトリス号だ。
デッキから身を乗り出し、元気に手を振っているのは、紛うことなきNGT48の少女達。船尾には、白地に赤の「NGT48」の旗が誇らしくはためいている。
繰り返し流れるOvertureの爆音が会場を盛り上げる中、白地の衣装を纏った彼女達は、接岸した船から我先にと飛び出してきた。
ノースリーブの若々しいシルエットに、腰元の赤いベルト、パニエのように広がったミニスカート。見る者の目に鮮やかに残像を引く、その衣装は――。
「
久住が言った。控室に一瞬引っ込んだのも束の間、すぐさまステージに躍り出てきた彼女達の隊列に、瀬賀も目を見張る。白地にうっすらとピンクが溶け合うようなあのスカートの色合いは、新潟の県鳥、
「皆さーん! NGT48が、やって来ましたーっ!」
マイクを手に、キャプテンの北原里英が笑顔で叫んだ。ファンの大歓声が天地を揺らし、そして――
「新潟行くぞぉーッ!」
号令に続き、音楽が流れ始める。弾むようなこのイントロは、そう、AKB48の「会いたかった」だ。
二人のベテランに率いられ、若鳥達の躍動が始まる。右腕を軽やかに振り回し、ステップを踏みながらターンする彼女達の姿に、周囲の観客達が夢中でサイリウムを振っている。
「これが……NGT48か……!」
メンバー達の初々しいパフォーマンスに目を釘付けにされながら、瀬賀は思わず呟いていた。彼女達の到来がどれほど望まれていたのかは、周りの反響を見ればわかった。
全国から駆け付けたオタク達だけでなく、観客の中にはこの街の普通の家族連れや女の子達も居た。新潟の人々はずっと、彼女達が来てくれるのを待っていたのだ。
センターに立つのはあの時の美少女だった。
彼女と目が合った瞬間、瀬賀の視界に熱い何かが溢れた。ワイシャツの袖で何度拭っても、何故だか涙が溢れて止まらなかった。
彼女だけではない。県内出身者も、県外出身者も。幼いメンバーも年長のメンバーも。各々の物語を乗り越えて、一人一人がその足でこの場所に辿り着いたのに違いない。
そして、これからも彼女達は物語を紡いでくれるのだ。この場所で、街の人々の希望の象徴となって。
「……遂に、ここまで来たな」
一曲目が終わり、メンバー達が自己紹介に入る中、丸山がこれまでの日々を噛みしめるように言った。
「……ああ」
涙を隠し、瀬賀は頷く。
「ここからやっと、始まるんだ……」
壇上の少女達、一人一人の語りにファンが歓声を上げている。泣いている子も笑っている子もいるが、誰の瞳にも晴れやかな光が宿っていた。
この先、まだまだ多くの困難が待ち受けているかもしれない。劇場オープンもメジャーデビューも、全てがトントン拍子とは行かないかもしれない。CDの売上も、選抜総選挙の順位も、伸び悩みを繰り返しながら地道に上げていくしかないのかもしれない。
それでも、彼女達は今確かに踏み出した。遥かな頂へと続く大きな一歩を。この街の未来を、眩い輝きで照らすための第一歩を。
この日の二曲目は、新潟の名所や産物を歌詞に織り込んだオリジナル曲、その名も「NGT48」。
新潟のアイドルの門出に相応しいその曲を聴きながら、瀬賀は果てしなくこみ上げる感動をいつまでも噛み締めていた。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
二〇一五年八月二十一日――
幾多の涙を乗り越え、運命に導かれて、紅白の旗のもとに集った二十四人。それぞれの物語が、それぞれの未来が、ここから始まるのだ。
新潟県新潟市。日本海に面し、時に裏日本とも称された、人口八十万人の小さな地方都市。
この街にアイドルを呼びたいと願った大人達が居た。この街でアイドルになることを夢見た少女達が居た。
名古屋、大阪、博多に次ぐAKB48グループの支店を新潟に作る――。人々の思いが一つに重なり、無謀と思われたその夢は遂に現実のものとなった。
街の期待を一身に背負い、少女達は翔ぶ。希望の翼を広げ、天を舞う朱鷺のように。
NGT48――
羽ばたきの
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
『#ProjectTOKI ~新潟にアイドルの輝きを~』
第零章 NGT48結成編
完
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