第25話 最終審査

 その日の新潟の空は、神様があつらえてくれたように晴れ渡っていた。ベランダで陽の光を浴びて軽くストレッチをし、身だしなみと心の準備をバッチリ整えて、美南みなみは父の車の助手席に収まった。

 NGT48オーディションの最終審査が行われる長岡ながおか市へは、高速道路で一時間程度。敢えて新潟市外の会場で行われるのは、オーディションの場所を外部に秘匿する意味があるのだろうか。

 携帯スマホを車内の充電コードに繋ぎ、美南はずっとAKBの振り付けの動画を見ていた。今さら少しばかり勉強したところで他の受験者達のアイドル知識にそうそう追いつけるとも思えないが、これはむしろ勉強というより戦意高揚の意味合いが大きかった。

 ステージ狭しと歌い踊るアイドル達の輝きに、自分もいつか並びたい。どこか遠くの都会ではなく、大好きなこの街で。

 二次審査の後で萌香もえかに語った言葉は嘘ではなかった。最初は芸能人になる気などなかった美南だったが、いざこうしてオーディションを受ける中で、ここまできたら絶対に受かってやりたいという思いは日に日に強くなるばかりだった。父と自分と、何より新潟の街のために。新潟にNGT48を呼んでくれた人達の思いに応えるために。


 アオーレ長岡の駐車場に車が到着した。スマホの動画の再生を止めるとき、もっと見ていたいのにと思った自分に気付いた。


「行ってきます」


 父に送り出され、美南は決戦の地へと足を踏み入れる。

 泣いても笑ってもここが最後。僅か半日で全てが決まってしまう。

 周りは可愛い子ばかりだった。少しでもアイドルらしく見えるよう、美南は新潟アルタのLIZリズ LISAリサで買ったばかりの白いワンピースを着てきたが、そのと同じものを着ている子が二人も居たことにはびっくりした。やはり、少女達がのち人生じんせいを懸けて全力で争うこの戦場では、小手先の戦術など戦術足り得ないのか――。


「まずダンスの振り入れをしますので、レッスン着に着替えてスタジオで待機してください」


 更衣室で着替えを済ませ、番号札を胸に付けて美南がスタジオに入ると、そこにはもう大勢の受験者が顔を揃えていた。既に取材のテレビカメラも回っている。受からなかった人の顔は表に出ないらしいが、もし受かれば、ここでの表情も永劫記録に残りファンの目に晒されるのだろう。

 不安そうな顔をしている子もいれば、近くの子と楽しそうに談笑している子もいる。聞けば、今日の最終審査まで辿り着いたのは七十四人。その内、三十八人が新潟県内からの応募者らしい。

 書類審査の応募者数は5,850人。新潟県内からの応募者は1,351人だったというから、その時点では県外の応募者の割合が相当高かったことになる。書類審査と二次審査の面接を経て、県内と県外の応募者が半々ほどに調整されたのだ。運営サイドが県内枠と県外枠をバランス良く欲しがっているのは明らかだった。

 ということは、自分の戦いは実質、七十四人の中からではなく三十八人の中から選ばれるかどうかということになるのか……。全部で何人が合格するのかは分からないが、過去の姉妹グループの一期生がどれも二十数名程度だったことを考えると、三人から四人に一人が合格ということに……?

 などと頭の中で計算していると、なんだか心拍数が上がってきた。空気が熱い。これから運命が決まるのだと思うと、バトンの全国大会の時と同じかそれ以上に緊張する。

 上がって飲まれたら終わりだ、と思って、美南が緊張緩和の手のひらのツボを指で押さえていると――。


「美南さん」


 ふわんと漂うような声が、鼓膜を震わせた。声の主が誰なのかは振り向く前から分かった。


「萌香ちゃん」


 サクランボの絵のシャツを着たおかっぱ頭。彼女の胸の番号札には「6」とあった。

 美南の番号は、5番。


「あっ。隣同士だ」

「びっくりですね」


 萌香の控えめな微笑を見ると、なぜかひとりでに緊張が緩んだ。この子とここで隣り合えたのも、何かの運命かもしれないと思った。

 萌香と再会を喜んでいるいとまもないままに、ダンスの先生とスタッフの人達が入室してきて、いよいよ振り入れが始まった。この直後のダンス審査で踊る曲を、今この場で覚えるのだ。曲はAKB48の代表的なナンバー、「会いたかった」だった。


「――じゃあ、ここまで通しで」


 この曲は、AKBのダンスの中ではかなり初歩的な部類に入るのだろうが、先生は素人相手でも容赦無しだった。振り入れはごく短時間だ。時間をかければ誰だって出来るのは当たり前。この短い時間で振りを覚えられるかどうか、そして教わったとおりに身体を動かすことができるか、資質と素養が問われているのだと思った。

 アイドルのダンスとは畑違いではあるが、バトントワリングで鍛えた全身運動のセンスには自信があった。だが、それ以前の問題として、自分にはそもそも他の受験者ほどAKBに詳しくないという致命的なディスアドバンテージがある。それを少しでも埋めようと思って、振り入れの最中、美南は振りの覚えの早さや、動きの思い切りの良さのアピールに努めた。自分の得意分野を全力で審査員に伝えなければ、アイドル好きな子達を押しのけてアイドルになることなんてできない。

 そして、六人一組に分かれてのダンス審査が始まった。5番の美南と6番の萌香は同じブロックだった。

 萌香は……自分でも言っていたように、他の受験者と比べてもそれほど身体を動かすのが得意ではないようだった。もし、一つのブロックから受かる人数が決まっているのなら、自分が頑張ることで萌香が落ちてしまうかもしれない。

 だが、それでも美南は全力で踊った。手を抜く理由も余裕も、微塵もありはしなかった。誰かに光が当たれば誰かに影が差すのは当然のこと。一緒にグループ入りを果たしたとしても、その先に待っているのはきっと熾烈な序列争いだろう。自分も彼女も――ここにいる誰もが、自ら望んでその戦いに飛び込んだのだ。

 ライバル達と一緒に「会いたかった」を踊り終えるまで、美南は己の一挙手一投足から意識を離さなかった。


 番号の並んだ萌香とは、その後の歌唱審査も同じブロックだった。

 レッスン着からノースリーブのワンピースに着替え直し、美南は他の受験者達と並んで歌唱審査のホールの壁際に並んだ。

 審査員席には秋元康プロデューサーがいる。今村支配人がいる。事前に本やネットで見て知った、国内各グループの支配人がずらりと顔を揃えている。その他にも何人もの専門家の、目が、耳が、受験者達に注がれている。

 あっという間に一番から四番までの歌唱が終わり、美南の番号が呼ばれた。返事をしてマイクを受け取り、審査員達の前に立つ。

 ステージに持ち込めるのは自分の身だけだ。父の名前も、「美少女図鑑」の表紙も、ここでは何も力を貸してはくれない。この自分がNGT48に相応しいか相応しくないか、見られるのはただそれだけなのだ。


「5番、加藤美南です。新潟市から来ました。わたしのことは『かとみな』って呼んでください」


 審査員の一部が、ほう、と顔を上げてくれるのが分かった。だが、秋元プロデューサーの目はこちらを見てくれていなかった。

 息つく間もなく曲が始まる。美南が選んだ勝負曲は「大声ダイヤモンド」。決して歌に自信があるわけではない。それでも目立つには、身体を動かせることを示すしかない。

 リズムに合わせて身体を揺らし、腕を振り、美南は精一杯の笑顔で歌詞を紡いだ。大丈夫だ、他の子達は直立不動で歌っていた。多少、歌が荒削りでも、これなら……。

 だが、審査員席の中心に座る秋元プロデューサーは、ずっと手元の書類に目を落とし、一度も顔を上げてくれる様子がない。やはり歌のせいかと思い、せめて動きでカバーしようと、より鋭く勢いを込めてステップを踏んだが。

 結局、歌が終わるその瞬間まで、彼が美南の顔を見てくれることは一度もなかった。そのことで美南の心臓はバクバクと高鳴り、直後の質疑応答は半ば上の空だった。

 ダメだ、これは落ちたか――

 いや、ここまできたら信じるだけだ。人事を尽くして天命を待つと言う。自分に出来ることは全て尽くしたつもりだ、あとは、天が自分を選んでくれるのを待つだけ――。


 全員の歌唱審査と審査員達の協議が終わるまで、一時間以上はスタジオで待った筈だったが、美南の体感ではそれはほんの数分の出来事のように感じられた。

 遂に運命の瞬間が来た。美南達七十四人はホールに整列し、直立不動で前を見ていた。大勢の取材陣のカメラが取り囲む中、ボードを持ち、マイクの前に立ったのは今村支配人だった。


「それでは発表します。……1番」


 読み上げが始まる。最初に呼ばれたのは1番の子だった。カメラとスタッフ達の手前、勝手に横を向ける空気ではなかったが、数人隣に立つその子の喜びのオーラが会場全体を包むかのように膨れ上がるのが美南にも伝わってきた。


「返事!」

「はいっ」

「前!」


 番号を呼ばれたその瞬間から、もうお客さんではない。

 呼ばれた彼女が前に出るのに続いて、支配人が次の番号を読み上げる。1番の次はいきなり72番だった。続いて3番、14番、2番、58番、16番と続いていく。番号の若い順ではなく、ランダムに呼ぶことで、最後の最後まで合否に緊張感を持たせる狙いだろう。

 既に七名の合格者が前に並んだ。そして――


「5番」


 呼ばれた。自分の番号だ!


「はい!」


 元気よく返事をし、美南は隊列に加わった。熱い血流が全身を巡る感覚がした。同じ新潟市の出身だと言っていた16番の子と、次に呼ばれた24番の子に挟まれて立っていると、本当に選ばれたのだという実感が胸を焦がさんばかりの勢いで湧き上がってきた。

 その後も次々と番号が呼ばれ、合格者の列はついに二列になった。茶髪にキャップで異彩を放つ41番の子も呼ばれた。美南がダンス審査と歌唱審査の間にスタジオで歌の練習をしていたときに、可愛いね、と話しかけてくれた子だった。そして。


「6番」


 支配人がその番号を読み上げたとき、不安そうだった萌香の顔が、ほっと安堵の色に変わるのを美南は見た。

 どこか「どうして自分が?」とでも言いたげな表情のまま、萌香が美南達の前を通って後列に加わる。彼女と一緒に合格できたことが美南は心から嬉しかった。ここから全てが始まるのだと思うと、ワクワクが止まらなかった。

 その後も読み上げは続き、ここまでに呼ばれた人数は二十一人。


「次がラストです。……61番」


 最後に呼ばれた61番の子が、瞬間、わっと両手で顔を覆った。涙声で返事をし、マジ泣きしながら前に歩み出てくる彼女。確か名前は菜那子ななこと言っただろうか。先程、レッスンスタジオでテレビカメラを向けられ、これまでに三回もAKBのオーディションやドラフトに落ちてきたと語っていた子だ。

 飛び入りのように受けた自分とはまるで違う。きっと今日受かった中には、あの子のように、何度も挑戦してやっと夢を掴んだ子が何人もいるのだろう。そして、それでも届かなかった子達の分まで、自分達は背負って走らないといけないのだ。


「――以上、本日は二十二名の合格者とさせて頂きます」


 動くことが解禁された途端、合格者達はそれぞれに近くの子と笑顔や嬉し涙を向け合った。美南もすぐ斜め後ろにいた萌香を振り返り、どちらからともなく手を取り合って喜んだ。自分がどんな笑顔をしているのかは、萌香の嬉しそうな顔を見ればすぐにわかった。

 集合写真の撮影が終わり、スタジオに戻ってからも、二十二人を包む歓喜の波は一向に引かなかった。皆が思い思いの相手と喜びを分かち合う中、報道陣のテレビカメラがスタジオに入り、目立つ合格者をつかまえては質問を向けていた。

 合格者で最年長の子が、インタビュアーの前で「若い子に負けないように」と笑って抱負を語っていた。この中で唯一、ここ長岡市の出身だという子も、嬉しそうにインタビューに答えていた。

 美南がふと見ると、萌香は14番の日陽ひなたという子と楽しそうに話していた。審査のブロックは違っていたが、合格発表で呼ばれるのが美南の少し前だったので、そのアイドルオーラの強さは印象に残っていた。


「二次審査の後、すごい顔してたから気になってたん。何か大事な予定と重なっちゃったんかなって」

「うん……でも、それはもういいんさ。ずっと見てた夢を叶えることができたんだから」


 萌香にそう言って、その子――日陽は美南にも笑いかけてきた。八重歯の可愛らしさが印象的だった。太陽のようなその笑顔には、己の力で人生を変えた者の晴れやかさが宿っていた。


「日陽ちゃーん!」


 そこで、今までインタビューを受けていたピンクのワンピースの子が日陽のところにやって来た。合格発表で美南の直後に呼ばれた子だった。振り入れのとき、先生の話を聞くために集まる皆の中で、自分に負けないくらいグイグイと前に出てきた子だ。


「受かってよかったね、日陽ちゃん」

「うん。りかちゃんも、おめでとう!」


 前に知り合っていたらしき日陽と互いの合格を祝い合い、その子は美南達にも挨拶してきた。内面から溢れ出すお姫様オーラに満ちた子だった。


「あたし、色々引っ掻き回すかもしれないけど、よろしくね」

「引っ掻き回さんようにしてよ」


 すかさず日陽に突っ込まれている彼女の姿に、美南も萌香も、揃ってくすりと笑みを漏らした。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 アオーレ長岡の建物を出る頃には、夕暮れが街を覆いかけていた。それぞれの親が車を回すまでの僅かな間、美南は萌香と並んで、これから始まる日々に思いを馳せていた。


「美南さん。一緒に写真撮ってください」


 スマホを取り出し、萌香が今までで一番弾む声で言ってきた。もちろん、と頷いてから、美南はふと思い立って言った。


「これから仲間になるんだから、敬語じゃなくていいよ」

「じゃあ、えっと……美南ちゃん」


 恥ずかしそうに美南の名を呼び、萌香がインカメラの画面を向ける。彼女と身体を寄せ合うと、作るまでもなく笑顔がこぼれた。

 歌もダンスも得意ではないと自分で言っていた萌香を、なぜ審査員達はNGT48の一員に選んだのか。その理由が美南にも分かるような気がした。きっと、彼女と並ぶと、誰だって笑顔になれるのだ。


「ありがとう。美南ちゃんと一緒に受かりたいなって思えたから、わたし、頑張れた」

「お互い様だよ。わたしも、萌香ちゃんと受かりたかったんさ」


 いつの日か、この子と自分がセンターを奪い合うような未来が来るかもしれない。そうなれたら素敵だな、と美南は思った。

 萌香だけではない。日陽や、りかや、他の子達と……これから皆で競い合い、高め合っていくのだ。

 一緒に撮った写真を嬉しそうに確認しながら、萌香が言う。


「わたし、ずっと、都会の子はいいなあって思ってたけど……。今は、新潟県に生まれてよかったなって」

「わたしも」


 萌香の本音を聞き、美南も幸福を噛み締めた。新潟にNGT48を作ってくれた沢山の人達に、これから精一杯の恩返しをしていかなければならないと思った。


「大好きな新潟の街を……日本のどこにも負けないくらい盛り上げていきたいね」

「うん」


 親の車が建物の前に着いた。萌香は上越市へ。美南は新潟市へ。ここからだと丁度逆方向に帰ることになる。

 だが、自分達の向いている方向は一つだ。他の合格者達も。青森や東京、それに関西方面から来る子もいるが、皆が一つになって新潟のスターを目指すのだ。

 一人も欠けなければいいな、と美南は思った。今日合格した全員が無事に加入すれば、ドラフト会議で先に加入を決めている西潟茉莉奈と荻野由佳、そしてキャプテンの北原里英と兼任の柏木由紀を加え、NGT48は二十六人で活動を開始することになる。


 ――ここから始まるんだ。ここから、全てが。


 萌香と二人、美南は長岡の空を仰いだ。遠く新潟の街へ、そして日本海へと繋がる空は、NGTのイメージカラーと同じ真紅の夕焼けに燃えていて――

 それはきっと、至高の瞬間ときに違いなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る