M07. 集結

第22話 憧れを現実に

『AKB48に人……ではなく、AKB48をあなたに。NGT48、第一期生募集』


 その告知CMが新潟県下のテレビ網を駆け巡ったのは、日一日ひいちにちと春の訪れを身に感じる、四月十日の金曜日のことだった。

 二年生に上がってクラス替えがあったばかりの高校の教室は、早朝六時台から流れたそのCMのことで持ちきりだった。美南みなみが登校するやいなや、彼女を取り囲み、「NGTのオーディションの宣伝見た?」「美南ちゃんも受けたら?」などと言葉を浴びせてくる女子達もいた。


「素敵な子達が来てくれるといいね」


 級友達の持て囃しぶりに反し、美南にはそんな他人事のような応答を返すことしかできなかった。多くの人の思いが実を結び、新潟の街にアイドルグループが出来ることは勿論嬉しかったが、そのメンバーオーディションとなると、どこか関わりのない世界の出来事として切り離して見てしまう自分がいた。


「受けなきゃ勿体ないって! 美南ちゃんは美少女の新潟代表なんだから」

「……そんなことないよ。もっと可愛い子、いっぱい居るって」


 美南が「新潟美少女図鑑」や他の制服モデルサイトに載ったことは、既に学校じゅうの話題となっていたが、芸能界での活躍を期待する友人達の声には彼女は素直に頷けずにいた。なまじ中途半端に芸能人の仕事を間近に見たことがあるせいで、余計に想像が付かなかった。自分があちらの世界に行くなんて――。


「今日のカラオケもさ、みんな美南ちゃんの美声を聴きたがってるんだよ」

「ええ……。わたし、歌はそんなに上手くないよ」

「上手くなきゃ上手くないで美味しいし」


 そこで始業を告げるチャイムが鳴り、先生が教室に入ってきた。起立、気をつけ、礼の号令を掛けながら、美南は、カラオケなんて何を歌えばいいのだろう、と思った。


 新しいクラスの親睦を深めようといって企画されたその遊びに、二つ返事で「行く」と答えた自分が、美南には今でも不思議だった。これまでの自分なら、放課後は一刻も早くバトンを回していなければ落ち着かなかったのに。

 やはり、自分は燃え尽きてしまったのだろうか。「美少女図鑑」に出て、新潟の街に貢献したこと。バトンの北陸大会で好成績をおさめ、悲願だった全国出場を果たしたこと。短い間に人生の熱量が高まりすぎて、今は心がひとりでに冷却期間に入ってしまったのかもしれない……。


 だが、そう思ってはいても――。

 放課後、バトンとは持ちごたえの違うカラオケのマイクを握ってみると、美南の心は無意識に、全国の晴れ舞台でバトンを回したあの時のたかぶりを追憶していた。

 人前で歌うことなど久しぶりだったが、思ったほど違和感はなかった。何だか、多くの級友達の注目を浴びる自分が、以前よりもしっくりと感じられるような気がした。


「やっぱ、受けるしかないって。NGT48」


 自分では大して上手いと思っていない歌声を大部屋に響かせ、美南が顔を手で仰ぎながら席に戻ると、級友の一人が目をきらきらとさせて言ってきた。


「全国行って燃え尽きちゃったんなら、今度はアイドルで新潟から全国目指してみたら? きっと、痺れるような舞台に何百回、何千回と立てるよ」

「……そうかもね」


 また上の空の答え方になっているな、と自分で反省しながら、美南はその未来を思い描く。新潟を背負ってアイドルのステージに立つ自分。全国大会に勝るとも劣らない緊張と興奮の中、縦横無尽に身体を躍動させ歌い踊る自分。

 ……案外、悪くないのではないかと思えてきた。

 何より、東京でもどこでもなく、新潟でというのがいい。大好きなこの街を離れずに熱狂のステージに立てるのなら、考えてみる価値はあるのかもしれない。


「じゃあ、次はAKB歌ってよ。『大声ダイヤモンド』」

「えっ」


 それでもやっぱり、アイドルソングを振られるとドキリとして。


「ほら、みんな聴きたがってるから」

「待って、わたし今歌ったばっかだし」


 順番も何もあったものではない再登板を級友達が拍手で迎える中、やむなく美南は、小学校の運動会か何かで覚えたその一曲を歌い始めた。男子の一部が悪乗りして「みなみー!」だの「超絶可愛い!」だの声援コールを打ってくるのが恥ずかしくて、照れ笑いで歌詞も音程も狂い、途中からまともに歌にならなかったが――

 それでも、この状況を楽しんでいる自分がいることを美南は否定できなかった。声援に焚き付けられるように胸が高鳴り、マイクを握る手に緊張とは違う汗が滲む。想像もしていなかった未来の扉が、目の前に用意されているような気がした。


 この新潟の街で、多くの人々の声援を浴びて、こんなふうに歌うことができたら――。


 そんな日が自分に訪れるのかどうか、美南には分からない。だが、一つだけ確かに思うことがあった。

 もし、本当にそんな日が来るなら。どうせやるなら、新潟の看板になってやろう。

 過去に「新潟美少女図鑑」の表紙を飾った子達は、誰も彼も夢を追って東京に出ていってしまったという。だが、自分はそうはならない。これからのこの街には、輝ける場所があるから。

 東京から、全国から、自分の写真を見た人達が自分を探しに来るくらいになってやろう。誇りを込めて叫ぶのだ。わたしは、新潟ここにいると。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「お母さん。わたし、NGT48のオーディション受けたい」


 放課後、発行されたばかりのパスポートを役所に取りに行った帰り、日陽ひなたは車のハンドルを握る母親の横顔に向かって切り出した。母は前方から目を離さないまま、かすかに眉をひそめた。


「思い出作りは、去年できたんじゃなかったん」

「うん……でも」


 チーム8オーディションの受験に強く賛成してくれた父も、日陽の挑戦を見守ってくれた母も、オーディションが終わった後は日陽に「いい思い出になったね」と言ってくれていた。両親にとってはそれで終わった話になっていた筈だった。

 そう、きっと新潟にNGT48が出来ることがなければ、自分もそれで終われていたかもしれない。佐藤さとうしおりと互角に斬り結べなかった自分を悔いることはあっても、わざわざ東京やその他の都会に飛び出してまでアイドルに再挑戦したいとは思わなかっただろう。

 だが、新潟にグループが出来るとあっては話は別だった。こんなチャンスを見逃していい筈がない。


「リベンジしたいの。やっぱり、このままじゃ諦めきれない」


 日陽は正直に口にした。チーム8の活躍を見るたびそう思うのだ。このまま憧れだけで終わりなんて、やっぱり我慢できない。自分の中に居る何かが呼びかけている。もう一度戦えと。


「バレエの先生には言ったん?」

「……それが自分のやりたいことなら、精一杯やったらいい、って」


 オーディション開始の告知が出る前から、バレエ団の先生には相談していた。誰もがバレエで食べていける訳ではないことを知り尽くした先生は、舞台に立つ人になりたいという日陽の夢を聞いて、その背中を押してくれていた。新潟の新グループの一期生になれる――そのチャンスの希少性を、人生を変えうる力を、先生はしっかりと理解してくれていた。


「そう。先生が言うんなら仕方ないわね。お父さんも反対はしないだろうし。――でも」


 信号待ちの最中、母は日陽の目をまっすぐ見て言ってきた。


「学校はちゃんと卒業してね。お母さん、それだけが心配なんよ」

「……わかってる。心配は掛けないよ」


 新品のパスポートを握る手に、自然と力が籠もった。

 学業とアイドルの両立。チーム8のオーディションのときから、それが両親が自分に求める絶対条件であることは理解していた。

 NGT48劇場は新潟市内に出来るという。新潟市には小学生の頃からバレエのために通っているので、一人で電車に乗ることは全く苦ではない。問題は学校の勉強に付いていけるかどうかだが、それは頑張って何とかするしかない。本気でやりたいことのためには、努力を惜しんではいられない。


「それで、オーディションはいつなん?」

「五月十八日が締め切りだって」

「そう。じゃあ、忙しくなる前でよかったわね」


 母の言葉に日陽は頷く。チーム8のときは、応募締め切りから一ヶ月強で最終審査が終わった。今回もそれと同じくらいの審査手順だとすれば、七月に入る頃にはもう結果が出ているだろう。

 七月には学校の海外語学研修がある。オーストラリアで二週間のホームステイだ。自分はどんな気持ちでその時を迎えることになるだろうか。ホストファミリーにどんな自己紹介をすることになるだろうか。


 ――I'm from Niigata Japan, and I will become an idol.


 頭の中で英文を作ってみると、日陽の頬は自然と緩んだ。まだ何も始まっていないというのに、その時が楽しみで仕方がなかった。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



『AKB48を超えたいあなたに。NGT48、第一期生募集』


 萌香もえかがそのCMを見かけるようになってから数日が経った。未来のアイドルの卵達に呼びかけるその告知がリビングのテレビから流れるたび、彼女は台所に立つ母の顔色をうかがっていた。

 今日こそ言おう、今こそ言おうと思っても、いざ口を開こうとすると勇気がしぼんでしまう。何しろ、単に新潟市や東京に出掛けたいと言うのとは訳が違うのだ。萌香はもう何度、言い出しきれない思いを胸の奥に押し込めたかわからない。

 だが、この日は違った。夕食の席でそのCMが流れたとき、母はそっと萌香の目を見て、優しい口調で言ってくれた。


「萌香、お母さん達に何か言いたいことがあるんじゃない?」

「えっ……?」


 母は箸を置き、萌香の目を見ていた。父も黙ってそれを聞いてくれていた。

 自分の夢も悩みも、両親にはお見通しだったのに違いない。それを悟った瞬間、萌香の胸にじいんと熱いものがこみ上げてきた。


「わたし、歌も踊りもできないけど……きっと落ちちゃうけど……でも」


 父と母の目をちゃんと見て、萌香は言った。NGT48が出来なければきっと生涯口にすることのなかったであろう、その思いを。


「一度でいいから、オーディション受けてみたい」


「いつかそんなことを言い出すんじゃないかって、お父さんとも話してたんよ」


 母が言い、父も頷いた。自分がアイドルに向いているとはきっと両親も思っていないだろうが、二人とも、そんなことは一言も言わなかった。


「やってみろ、萌香。人生、何事も経験ら」

「……うん」


 溢れる涙を拭って、萌香は、ありがとう、と言葉を絞り出した。


 一度だけ挑戦してみよう。憧れから逃げずに。

 夕食後、自室に戻った萌香は、壁に貼ったたくさんのポスターを舐めるように見回した。℃-uteキュート鈴木すずき愛理あいりらのポスターと並んで、全盛期の前田敦子あっちゃんの弾ける笑顔が、眩しく萌香に笑いかけていた。

 日本の芸能シーンを塗り替えた「会いに行けるアイドル」。彼女が現役の内に、会いに行くことは出来なかったけれど――

 今こそ、彼女が自分を呼んでいるような気がした。「こっちにおいで」と。

 新幹線でたった二時間の距離に阻まれて、ずっと叶えることができずにいた思い。それが遂に解禁される。自分の心はきっと、この時が来るのを待っていたのだ。


「……行くよ、あっちゃん」


 部屋の鏡台に映るおかっぱ頭の自分の姿は、いつになく決意に満ちた顔をしているように見えた。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 校舎の屋上の壁に携帯スマホを立てかけて、りかはセルフタイマーをセットした。早くなる電子音に続いてシャッター音が鳴り、笑顔を作った自分の姿をスマホのカメラが捉える。自撮りは得意だが、オーディションに送る写真は加工ごまかしなど効かない。

 りかはスマホを取り上げ、画面に映った自分の全身像を確認した。ダメだ、表情が良くない。もう一回……。彼女は再びスマホの位置を調整し、計算通りの場所に立ってシャッターが落ちるのを待つ。

 学校の誰かに頼むという選択肢は最初からなかった。前回は親に撮ってもらったが、今度ばかりはそうも行かない。

 最近の両親は、保育実習や、形だけの大学受験の勉強に勤しむりかの姿を見て安心してくれている。本当は第一志望アイドルだなんて口が裂けても言えない。チーム8の富山オーディションの時だって、落ちて荒れて散々面倒を掛けたのだ。今度はNGT48を受けたいなどと言ったらどんな顔をされるか……。


「……よし。アイドルの顔!」


 二度目のセルフ撮影は上手くいった。あとはこれを各種情報と合わせて応募フォームから送信すれば、オーディションへの応募は誰にも知られることなく完了する。

 これが最後のチャンスだと彼女は思っていた。

 アイドルになるために東京や大阪に行きたいと行っても親が許してくれる筈もないが、新潟ならば隣の県だ。こんなに近くに――それも裏日本と呼ばれるこの地域にメジャーアイドルの支店が出来ることなんて、きっともうない。

 それに、保育士になってしまったら、あるいは大学に行ってしまったら、もう、アイドルのオーディションなんて二度と受けられない気がする。自分がアイドルグループの門を叩ける機会は、全ての時間と空間を通じて、今、ここだけなのだ。

 とにかく合格して既成事実を作ってしまえば自分の勝ちだ。受かってさえしまえば、ケンカでも土下座でもして両親にウンと言わせてみせる。

 応募フォームの入力事項はバッチリだった。最後の儀式とばかりに、スマホの画面を手で囲い、りかは自分の写真をもう一度念入りに確認した。

 ……OK、ちゃんと可愛く映っている。チーム8の富山の子よりも、他の支店の誰よりも可愛い。こんな逸材がよくも今までイナカで埋もれていたものだ。神様は自分を生み落とす座標を少しばかり取り違えたのに違いない。都会に生まれてさえいれば、もっとずっと早くにアイドルになっていたものを。

 だが、運命を嘆いてみても始まらない。自分の人生を変えられるのは自分しか居ない。この人生をイナカに閉じ込めるのも、憧れの世界で輝かせるのも、ここにいる自分しか居ないのだ。


 今度こそ誰にも負けない。もう二度とあんな涙は流すものか。

 確かな決意を胸に、りかは送信フォームのボタンを押した。

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