第21話 Not Yet
――終わっていない。わたしの戦いは、まだ終わっていない!
胸の内に静かな戦意を
三月二十六日、AKB48春の単独コンサート。単独とは名ばかりの、姉妹グループ総出演の祭典のラストで、サプライズ好きのAKB運営がファンとメンバーに仕掛けた
「
メンバーもファンも、きっと心のどこかでは覚悟していたのに違いない。そろそろ組閣が来てもおかしくない頃合いだと。
「春の人事異動」と題した今回のそれは、里英にとってもサプライズではあったが、彼女はむしろ驚くよりもホッとしている面が強かった。己の人生を賭けた大きな決断を、公演やSNSではなく、こんな大きな舞台で皆に伝えることができるのだと。
「
自分の名はまだ呼ばれない。最後の最後まで引っ張るのだろうか。
「
……ん? そして?
「――NGT48と、兼任」
「ええぇぇぇ!」
瞬間、巨大なスタジアムを揺らさんばかりの驚きの声が全周から溢れかえった。渦中の本人――柏木由紀も思いっきり目を剥いて口元を押さえている。「ええぇぇ!」と、どんなファンよりメンバーより過激なリアクションで驚きを表現する彼女の姿が、里英の網膜にも強烈な衝撃を焼き付けた。
やってくれる……!
里英は思わず頭を押さえた。今回、自分はサプライズとは無縁だと思っていたが、まさかこんな形で驚かされることになるとは。
「
会場のどよめきも早々に、淡々と続きの発表がなされていく。里英の名前はまだ呼ばれない。ゆえに、
できないが、里英は早くも思い描いていた。頼もしい先輩である彼女とともに、ドラフト会議の壇上に立ち、NGT48の立ち上げメンバーを選ぶその日を。
『お前はキャプテンだからな。お前が選ぶんだ。最初の逸材を』
二週間ばかり前、秋元康はそう言って、まだ心を決めてもいない自分に発破をかけてくれた。
そう――数ある古参メンバーの中から、秋元は直々に里英を選んで声を掛けてくれたのだ。「新潟に行かないか」と。いつぞやのような
正直、心が震えた。迷いの曇りが晴れ、自分のやるべきことが見えたような気がした。
秋元に返事をするまで数日を要したが、それはきっと、迷いというポーズを取っていただけで――
本当は、誘われた瞬間に自分の心は決まっていたのかもしれない。やっと見えたのだ。自分がアイドルで居られる残り少ない時間、最後の数年間で果たすべき使命が。
「続きまして、北原里英――」
遂にその時が来た。里英が小さく手を挙げると、先輩の
秋葉原から
「――NGT48の、キャプテンとして移籍」
「ええぇ!」
壇上と客席のどよめきが、心地よく鼓膜を震わせる。
佐江が優しく自分を抱きしめてくれた。温かな抱擁にしばし身を委ねた里英の耳に、「頑張れ!」「応援してるぞ!」と客席のファンの歓声が飛び込んできた。
茅野しのぶに呼ばれ、里英は花道を辿ってメインステージへと躍り出た。会場のざわめきはまだ止まなかった。
「そして、続きまして、
一際大きい驚きの声とともに、全ての発表が終わった。
しのぶに指名され、総監督の高橋みなみがステージの中心に歩み出る。卒業を宣言した川栄李奈が、彼女に支えられて、涙ながらに自身の決意を語り始める。
里英も涙を抑えて彼女の語りを聴いていた。残る者もいれば巣立つ者もいる。心身に負った深い傷にも負けず、新たな人生に走り出そうとする李奈の決断には、誰も口を挟むことなど出来ないだろう。
満員のファンの拍手が李奈を包み込む中、高橋みなみが言った。
「人はいつか決断する時が来ます。それは、遅いか早いか、人によってそれぞれだと思います。その決断が正しいのかなんて、その瞬間には誰にも分からないものです。選んだ後に、その道を正解にするしかありません。……それはきっと、NGT48のキャプテンとして移籍することを決めた
彼女から発言のバトンを手渡され、里英は頷いてステージの中心に立った。幾万の視線が自分一人に注がれている。かつてない緊張と、すっきりと晴れ渡る気持ちを抱いて、里英は話し始めた。
「……わたしはですね。あの……」
秋元から声を掛けられた際の嬉しさが、今再び胸に去来する。こんな自分を彼は選んでくれた。48グループの未来を左右する重要なプロジェクトを、自分なんかに任せると言ってくれた。
ならば、応えるだけだ。己の持ち得る全てを懸けて。
「こんなに大きな計画、プロジェクトに一から参加させてもらうっていうのは、人生でなかなかないなと思ったので。経験してみたいなと思って」
泣かずに喋ろうと思っていたのに、溢れる涙は止められなかった。今日までAKBで過ごしてきた長い歳月は、全てこの決断のためにあったのではないかと思えた。
「……もう二十三歳だし、AKBも八年目だけど、まだ新しいことできるんだよっていうのも皆さんにお見せしたかったので……決断させて頂きました」
話し終えた里英が、ピンクのタオルで目元を押さえていると、再び高橋みなみが口を開いた。
「先週かな。横山と二人で、新潟、行かせて頂きました。……とっても暖かい場所で。本当にNGTが出来るのを楽しみにしてくれてました。そのとき皆さんが言ったのは、『AKBの皆さん、誰か来てくれないですかね』っていう言葉でした」
それを聞くと、また里英の胸に熱いものがこみ上げてきた。
自分には縁のなかった新潟という土地。そこで自分を待ってくれている人がいる。その地にAKBがやって来るのを心待ちにしてくれている人達がいる。
わたし達は――
求めてくれる世界がある限り、その進む道に終わりなどないのだ。
「
誰より長くAKBを見守ってきた総監督の瞳が、優しく里英を見つめてくれていた。
「
「はい。任せてください!」
最後は、涙よりも笑顔が自然に溢れた。
「やってやるよって気持ちなんで。よろしくお願いします!」
力強く宣言し、里英は客席に深々とお辞儀をした。溢れかえる拍手は、未来のNGT48への喝采に聞こえた。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
全てを終えて楽屋裏に戻ると、そこに珠理奈が待ち受けていた。SKEの他のメンバー達を率いて里英の前に立つ彼女は、優しく、だが鋭い目で、里英をまっすぐ見据えていた。
「ご決断、おめでとうございます」
ありがとう、と里英は頷いた。珠理奈が待っていてくれてよかったと思った。自分も、彼女に一言礼を言いたかったのだ。
「いつかの珠理奈の言葉のおかげで、わたし、覚悟を決められたよ」
「……その時は、無礼を言いました」
殊勝に頭を下げた彼女に、里英は、ううん、と首を振った。
「わたしはもう、どこからも逃げない。しっかり新潟の女になってみせる。NGT48を国内で一番のグループにしてみせる」
国内で一番、という言葉を里英はあえて使った。珠理奈がSKEをそうしたがっていることを、自分もよく知っているから。
その宣戦布告に、名古屋のエース・オブ・エースの熱い瞳が鋭敏に反応するのが分かった。
「その時は――わたしが48グループのトップに立って迎え撃ちますよ」
それは決して冗談のようには聞こえなかった。
珠理奈なら、本当にいつか総選挙で一位を獲るかもしれない。
その争いに自分が加わることは、これからもきっと無いのだろう。一握りの者だけが足を踏み入れることを許される「神」の領域――そこに入っていくことは、自分にはできなかった。自分の力では、彼女達の輝きに迫ることは叶わなかった。
だけど――
この目で見出すことは出来る。この手で育てることは出来る。遠くない未来、神々の世界に肩を並べうる逸材達を。
「覚悟してて。そんなに簡単に、珠理奈をトップには立たせてあげないから」
珠理奈の瞳に自分の姿が映っている。いつにない戦意に燃える自分の姿が。
「あなたがトップに行き着く前に、
不思議と、里英にはその未来が見えるかのようだった。
どんな子が来てくれるのかもまだ分からないが、今村支配人や
今から数年後。新潟の地で鍛え上げられた無数の歌声が全国に届く頃、総選挙は未だかつてない波乱の戦場となるだろう。
「それでこそ」
珠理奈が微かに笑ったとき、
「あっついなー、二人とも」
そこへ、
「でも残念。名古屋も新潟も当分一番にはなれないよ。
里英の同期の――いや。
48グループの三代目女王、
びりびりと
と、そこで、新たな声が里英の後ろから響いた。
「闘志が溢れてるのは、きっとまだ未熟な証拠……」
雲の上を弾むような、甘ったるくも凛々しいその声。里英がすかさず振り向いた先で、不敵に微笑むその姿は。
「心の奥で静かに燃やすすべを覚えて、アイドルは本物になるんだよ」
AKBに君臨する
彼女が纏う空気は、いつもの不思議ちゃんのそれではなかった。彼女がごく稀にだけ覗かせるもう一つの顔。確かな風格に満ちた初代「神7」の
自分の手がかたかたと震えている。これが武者震いなのだと里英は悟った。
「……新潟から、一位を出してみせます」
里英の宣言を茶化す者は誰も居なかった。かわりに、歴戦の猛者達の
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
二〇一五年三月。後にNGT48の「初代」キャプテンと呼ばれる北原里英は、この日、闇を光に塗り替えて力強く立ち上がった。あとは消えゆくばかりと思われた白き灰の中から、熱き青春の炎を再び
戦いはまだ終わらない。この炎を新潟の少女達に受け継がせるその日まで。
ドラフト会議は既に指名候補者が出揃っている。NGT48の一期生オーディションの募集開始も目前に迫っている。新たな時代を刻む時計の針が、今、確かに動き出そうとしていた。
――羽ばたきの
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