第20話 輝ける場所

わたくしが、SKE48に、こちらの方で就任させて頂いてから……去年の四月一日いっぴからでした。今日現在で約十ヶ月になろうとしております」


 一月最終日の握手会でのことだった。ポートメッセなごやに集まった無数のSKEファン達の前で、今村いまむら悦朗えつろうはマイクを片手に喋っていた。人前に立つことなど散々慣れてはいるが、それでも、僅かな間ながらも自分の仕事振りを見守ってくれたファン達に別れを告げるのだと思うと、幾許いくばくかの緊張は隠せなかった。


「まだまだ何も出来ていない支配人ではありましたが、この十ヶ月の間に皆様からのご支援、またはご意見、色んなことを反映させた上で、色んな施策をやってまいりました。成功もありましたが、失敗のほうが多かったかもしれません。……まあ、そうは言いながらも、メンバーのために何ができるのか、ファンの皆様に何をすれば喜んで頂けるのか、そういったことを日々考えてきて、あっという間の十ヶ月が過ぎました」


 彼の前に集まったファン達は、皆、真剣な表情で彼の話に傾注してくれていた。

 アイドルファンの生態とは不思議なものだ、と今村は常々思う。恋い焦がれるアイドルの語りならともかく、なぜ、自分のようなおっさんの話にまで彼らは耳を傾けてくれるのだろう。さかえのファンが箱推し文化なのは分かってはいたが、まさかその対象に劇場支配人の中年オヤジまで含まれているとは、就任前には想像も付かないことだった。

 そんな彼らと……栄の現場と別れるのが、正直、寂しくないと言えば嘘になる。

 それでも、自分はこの言葉を告げなければならない。48グループのさらなる未来のために。


「今回のこの異動……移籍に関しまして、この一週間考えた結論と致しましては、わたくし今村はですね、えー……新潟へ行くことにしました」


 今村が思い切って口にした直後、無数のファンの拍手が彼を包み込んだ。


「皆様にこういった形でご報告させて頂いたということも、有り難いと思っておりますが――」


 引き続き、頭の中に用意していた内容を喋りながら、彼は自分が過ごしてきたこの場所の有り難さを改めて実感していた。子か孫かという年頃の少女達がいつもステージで浴びている喝采の価値が……ファンの暖かさというものが、今更ながら、身をもって分かったような気がした。


「……SKE48はですね、今、色んな形で転換期を迎えております。新しく生まれるもの、今までの伝統を守るもの、色んなものが今入り混じった形で模索しながら、そして、前へ前へと進んでいるところでございます。後任の湯浅ゆあさ支配人に色んなことを託して……春以降は湯浅支配人に頑張って頂こうと思ってますが、それまでは、まだまだやり足らないことを、皆さんのご意見を聞きながら、前に進んでいきたいと思っております」


 先週のリクエストアワーで、NGT48結成の特報と合わせて寝耳に水の移籍発表がされた時には、秋元康め、やってくれたなと思ったものだったが――。

 今では一周回って、この決断に至った自分が誇らしくもあった。別れの寂しさと引き換えに、新天地でも新たな出会いを多く創り出そう。まだ見ぬ新潟のアイドル達とファンの絆を、自分の手で結ぶのだ。


「あと二ヶ月、頑張ります。よろしくお願い致します。……本日はありがとうございました。この後も握手会お楽しみください」


 場内の拍手はいつまでも鳴り止まなかった。アイドルに対してするかのように、彼に向かって「頑張れー!」などと声を掛けてくれるファン達も居た。

 彼らの思いに応えるためにも、このプロジェクト、絶対に失敗させるわけにはいかないと思った。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「よく決めてくれたよ。ご苦労さん」


 バーラウンジの一番奥の席でグラスを傾け、秋元康が言った。しばらくぶりに会うボスの顔を見返し、今村は苦笑を隠さず答える。


「どうも。一週間悩みましたがね。秋元さんはいつも急すぎるんですよ」

運営おまえらが早く俺の耳に情報を入れないからだろ。サプライズの仕返しだよ」


 にやりと機嫌良さそうに笑う秋元の姿には、どんな無茶振りをされても憎めない何かがあった。しかし、彼とは三十年以上の付き合いになるが、この規模のサプライズというと、若い頃、いきなりニューヨークに行かされた時以来だろうか。


「これを機に、焼酎から日本酒にしたらいい」

薩摩さつま隼人はやとに喧嘩売ってんですか?」


 鹿児島人の誇りたる焼酎で喉を潤すと、今村の頬は自然に緩んだ。

 話はすぐにNGT48の立ち上げのことに移った。この一週間、SKEのメンバーやファンへの別れの言葉を考えるのと並行して、今村は早くも新潟進出の準備について真剣に考慮を始めていた。

 現地のメディアには早くから根回しをした方がいいだろう。SNS文化の行き届いていない地方都市では、何と言っても影響力が強いのはテレビやラジオだ。業界人テレビマンとして鳴らした自分の経験も活かして、少しでも早く地元の情報網にNGT48を溶け込ませる。それは同時に、地元企業とのタイアップを進めていくことにも繋がる……。

 今村が語る青写真を、秋元もふんふんと頷きながら聞いてくれた。県政や市政への表敬訪問を早めに組みたいと今村が言うと、先輩アイドルのNegiccoねぎっこにも直接会って仁義を切っておけと言われた。まったく、秋元の慧眼にはいつも唸らされる。

 何より、彼と話していると、いつだって気付かされるのだ。なんだかんだで彼も自分も本当に仕事が好きなのだな、と。

 話題はいつしかメンバーオーディションのことに移っていた。生え抜きメンバーからスターを輩出したSKEやNMBの事例よりも、今村が気にしていたのは、指原莉乃の移籍以前のHKT48の状況だった。


「……HKTは指原が行くまで、ローカルアイドル激戦区の福岡で埋もれかけてましたよね。新潟もアイドル文化と決して無縁ではない土地です。初期のHKTと同じ轍を踏むわけにはいかないですよ。半端な立ち上げでは飲み込まれてしまう」

「それで、どうするんだ?」

「選抜級のベテランを、最低一人……出来れば二人、新潟に下さい。骨のあるヤツを」


 この願いが通るかどうかが、NGT48の成否を分ける分岐点だと今村は思っていた。

 48グループ未踏の地、それも地元アイドルの強い地方都市で勝負をかけようというのだから、生え抜きだけでは駄目だ。ただの先輩ではなくプレイングマネージャーとして新人アイドルを導ける、経験と熱意を兼ね備えたキャプテンが要る。

 AKBの古参に新潟出身メンバーが居ればよかったのだが、居ないものは仕方がない。新潟と無縁の子達の中から、NGTに骨をうずめる覚悟を持てる誰かを選び出さなければならない。


「じゃあ、いっそ指原を兼任させるか。お前とダブル支配人体制で。HKT劇場支配人、兼、NGT劇場支配人。そうすれば初っ端からメディアの注目の的だぞ」

「……秋元さん。俺は真面目に言ってるんすよ」

「ははは。流石に支配人兼任は無いか」

「まず指原が無いですね」

「向こうも言うだろ、『まず今村支配人おじいちゃんが無いですね』」

「誰がおじいちゃんですか」


 ひとしきり笑ったあと、秋元は、最初から決まっていたかのような答えをさらりと口にした。


「じゃあ、北原を行かせよう」

「……北原里英ですか。いい子だとは思いますが、なんで」


 かつてSKEに兼任していたこともあるという彼女の顔を思い返し、今村が問うと、秋元はグラスの氷をからりと言わせて、彼を見てきた。


「アイツの心は今……闇の中を彷徨さまよっている」

「はあ」

「お前、大根おおねが賞獲ったとき、どう思った?」


 秋元がふいに口にしたのは、かつて今村が秋元らの会社で一緒に世話になった男の名だった。今村より一回り年下の大根おおねひとしは、二〇一二年、初監督映画「モテキ」で日本アカデミー賞を受賞している。


「そりゃあ、やるな、凄いな、とは思いましたが」

「それだけか? 自分もそっちの道を極めてればな、とか思わなかったか?」

「……まあ、そりゃあ、未練が無いわけじゃないですがね。年甲斐もなく悔しがりはしませんよ」


 今村の言葉に嘘はなかった。業界の酸いも甘いも噛み分けてきたのだ。今更、他人の成功を羨むような歳ではない。


「まあ、おじいちゃんはそうだろうな。だけど、北原はまだ二十三歳なんだよ」


 秋元は真剣マジの目をしていた。思わず、今村はごくりと息を呑んだ。


「同期の指原だけじゃない。横山も島崎も、他グループの連中も、自分より後からやってきてどんどん自分を追い抜いていく。そんな連中の輝きに塗り潰されて、アイツは自分もダイヤの原石だったことを忘れちまってるんだ。……与えてやりたいじゃないか。アイツがもう一度輝ける道を」

「……それが、NGTだと」

「ああ。兼任なんかじゃ生温い。キャプテンにしてしまえ。それで潰れるようなら所詮それまでの女だよ」


 命運を背負って移籍してくるキャプテンが「それまでの女」だったら、NGTが困るのだが……。

 と、そこで、秋元はグラスをテーブルに置き、ふうっと息を吐いて雰囲気を変えてきた。


「いや、前に珠理奈がさ、すっごい神妙な顔して言ってきたんだよ。わたし、北原さんに失礼なことを言ってしまいました――とか」

「失礼なこと?」

「『あなただけお客様気分じゃ困る。名古屋の女になりきれないならSKEの若い子達に席を譲れ』」

「うわ。そりゃまた強烈ですね」


 SKEの若きエース、松井珠理奈の楽屋裏での振る舞いがすぐに今村の脳裏に浮かんだ。誰よりSKEを愛し、自分にも周りにも厳しく当たる彼女なら、まあ、先輩や年上が相手でもそのくらいのことは平気で言うだろう。


「それな、相手が北原だから言ったと思うんだよ。コイツはこの程度で折れる人間じゃない、って、珠理奈も本能で分かってるんだな。アイツも同じダイヤモンドだからさ」


 秋元康ならではの詩的な物言いだが、言いたいことは分からないでもなかった。

 輝きを極めたダイヤモンドと、光り方を忘れてしまったダイヤモンドか……。だが、北原がそこで終わる女ではないと信じているからこそ、珠理奈はそんなことを言ったのだろう。


「……秋元さんも、北原は本物だと?」

「まあな。珠理奈がそう見たなら俺も信じるだけだ」


 うそぶく彼の口元を見て、今村は理解した。珠理奈を理由ダシに使ってはいるが、本当は秋元自身が誰より北原を推しているのだということを。

 彼がそこまで言うのなら、北原里英という女に賭けてみよう。今村が頷くと、秋元も満足げに笑った。

 二杯目のグラスに口を付け、そうそう、と秋元は続ける。


「もう一人必要なら、柏木かしわぎを連れてったらいい。アイツもあれで指導者向きだ。柏木の将来の夢、知ってるか?」

「いやぁ……」

「アイドル専門学校を作りたい、だってさ。今もそう思ってるかは知らんが、長くAKBに居てくれるんなら、いずれはプレイヤー側からプロデューサー側にシフトしていく人材だよ。ここで新グループに兼任させて新人の指導をやらせておけば、本人のためにもなる」


 彼の言葉に今村は素直に目を見張った。北原の件といい、やはり彼の目には自分などより一段深い世界が見えている。新グループの命運もさることながら、秋元康の目にはメンバー一人一人の人生が映っているのだ。


「流石によく見られてますねえ」

「当たり前だろ。俺を誰だと思ってるんだ」


 この道で一時代も二時代も築いた大物プロデューサーは、どこまでも楽しそうに唇を歪めてみせた。

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