M06. 黎明前夜

第19話 特報

 一年前と同じ雨の寒空だった。一年前と同じ友人と一緒に、一年前と同じ電車に乗り、日陽ひなたは新潟の街を訪れていた。

 特急料金を節約し、鈍行に揺られてきた理由も昨年と同じ。友人がAKBリクエストアワーのライブビューイングに誘ってくれたからだった。場所だけは前と異なり、新潟駅からバスで二十分ほどのユナイテッド・シネマ新潟だ。例によって、大勢のな男性ファン達がシネコンのロビーを埋め尽くしていた。


「……じゃあ、御成敗ごせいばい式目しきもくとは何か?」

「鎌倉幕府が制定した、武家社会の法律。1232年制定、十七条憲法の三倍の五十一条」

「え、日陽、スゴイ。そんなことまで」

「資料集のコラムに書いてあったよ?」

「でも、年号はテストに出ないって先生言ってたじゃん」

「なんか覚えちゃうんさね。じゃあ次、わたしね。六波羅ろくはら探題たんだいとは何か?」


 薄暗いシアターのシートに並んで腰を下ろし、二人は上映までの時間を社会科の問題の出し合いに費やした。前期課程ちゅうがく最後の期末考査まで一ヶ月を切っている。中高一貫校なので高校受験のプレッシャーこそないものの、どの道、こんなふうに遊べる余裕など今が最後だろう。

 後期課程。遥か先のことだと思っていた未来がすぐそこまで迫っている。自分は高校生になってもバレエを続けるだろうか、それとも――。

 迷いの雲が日陽の心を一瞬覆いかけた瞬間、場内が暗闇に転じた。


『A! K! B! Forty Eight――!』

『Everybody! A live act never seen before――』


 ずっと昔に秋葉原の劇場で聞いたのと同じ、観客の期待を煽る序曲オーバーチュア。現地の――東京ドームシティのファンの歓声が、中継を通じてここにも伝わってくる。

 一曲目、リクアワ二十五位は、北原きたはら里英りえ率いるチームYJの「Choose me!」だった。渡辺わたなべ美優紀みゆきの「わるきー」、前田まえだ亜美あみらの「盗まれた唇」と、瞬く間に曲目が消化されていく。卒業した大島おおしま優子ゆうこによる「泣きながら微笑んで」や、「バイトAKB」となって数年ぶりにAKBに戻ってきた佐伯さえき美香みかと、柏木かしわぎ由紀ゆきのオリメンによるデュエット「てもでもの涙」も披露された。

 何曲かごとの合間には、姉妹グループの垣根を越えたメンバー達によるMC。キラキラと輝く光を纏ったアイドル達が、ステージの上で楽しそうに語っている。

 はまだだろうか、と日陽が思っていたまさにその時、画面には第十一位に入ったの曲目が映し出された。「47の素敵な街へ」――AKB48・チーム8の持ち歌だ。


 ――わたし達の前には、きっとたくさんの夢へのルートがあるんさね――。


 忘れられないあのオーディションの場で、笑窪えくぼの素敵な彼女が――佐藤さとうしおりが語った言葉が、日陽の中には今でも眩しい輝きを残している。

 笑顔の光跡を引いて歌い踊る四十七人の隊列の中に、その栞の姿もあった。日陽には彼女の活躍が嬉しい反面、寂しさと悔しさの混ざったような複雑な気持ちも否めなかった。

 ただ一人しか選ばれない狭き門で、自分が栞に勝てるはずもないのは分かっていたが――

 それでも、彼女に憧れるあまり、戦うことを諦めてしまった自分が今は悔しかった。バレエでも高校受験でもきっと同じだが、人を押しのけて前に出る覚悟のない者を通してくれるほど、この道は甘くはないのだ。

 栞達の曲とMCが終わったあとも、日陽はずっとハンカチで目元を押さえていた。隣の友人はそれを見て見ぬふりしてくれた。

 「心のプラカード」、「希望的リフレイン」、「恋するフォーチュンクッキー」……現在のAKBを代表する名曲の数々が次々と披露されていき、いよいよ一位の発表の時が来た。熱心な松井まつい珠理奈じゅりなファンが投票を頑張ったらしく、今年のリクアワ首位を射止めたのは、じゃんけん大会で優勝した珠理奈のセンター曲、通称「鈴懸すずかけなんちゃら」だった。冗談のように長い本当の曲名は、たとえ受験に必須と言われても覚えきれる気がしなかった。

 メンバー達がステージからけ、少し経ってから会場のファンがアンコールを打ち始める。

 客席の熱狂に応え、ステージに舞い戻ったメンバー達が披露したのは「Green flash」だった。そして、彼女達がアンコールの二曲目に突入しようとした瞬間、会場の画面に「特報」の文字が踊った。

 リクアワにお決まりのサプライズ発表だ。一昨日の回では第二回ドラフト会議の開催、昨日の回ではドラマ「マジすか学園」の舞台化などが発表されたと聞いている。最終日の今日も何か来るのではないかと思っていたが……。


「おおっ!」


 瞬間、会場のみならず映画館のファン達からも驚愕の声が上がった。画面には、国内に五つ目の新グループが結成される旨が表示されていた。

 日本地図が画面に映し出され、スポットライトが各地の地名の上を移動していく。その光の円が――


「……えっ?」


 


 画面に金とピンクの巨大な文字が踊る。「新潟48」――「NGT48誕生!」


『えええぇぇっ!』


 会場のメンバー達と一緒に、日陽も思わず声を上げていた。

 叫んだのは自分だけではなかった。周囲の観客達にざわめきが広がっていく。

 「国境の長いトンネルを抜けると、そこはNGT48劇場だった」――川端康成の「雪国」になぞらえたらしき、トンネルと線路のイメージ映像。高橋たかはしみなみ、指原さしはら莉乃りのらメンバー達の呆然とした表情。

 劇場支配人の移籍人事や、オーディションの開催日程など、多くの情報が目まぐるしく画面に流れるのを、日陽もまた呆然と眺めていた。会場と館内の熱狂冷めやらぬ中、横から友人が日陽の身体を小さく揺さぶってきた。


「日陽、チャンスじゃん」


 何かの幻としか思えない眼前の告知が、夢へのルートとリンクするまで、彼女の体感時間で数秒を要した――。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



『昨日、新潟を驚かす、ある発表が。AKB48の新たな姉妹グループで、新潟を拠点とする『NGT48』の誕生が発表されました』


 新潟N総合SテレビTの夜のニュースに映るのは、前日のAKBのコンサートの映像。高橋みなみが目を丸くして「NGT48?」と語るシーンが引用され、男性の声によるナレーションが重ねられる。


『新グループの誕生は十月一日。メンバーオーディションは三月に始めるということです』


「NGT……48……!」


 バトンのレッスンから帰ったばかりの美南みなみの、汗の滲んだ片手から、スクールバッグがどさりと音を立ててリビングの床に落ちた。


『こんばんは。NSTスーパーニュースです』


 画面がスタジオに切り替わり、廣川ひろかわ明美あけみアナウンサーが落ち着いた声で話し始める。


『新潟を拠点とするAKB48の姉妹グループ、NGT48の誕生という突然の発表。どうして新潟の土地で新グループ誕生が決まったのでしょうか』


 コンサートの現場で驚くメンバー達や、一夜明けた街の人々の反応。テレビから次々と溢れる情報の奔流の中、美南は脳裏に閃いた一つの確信に身を震わせていた。

 新潟の皆に喜んでもらえる計画。あの人が言っていたのは――このことだったのだ。


『ご当地アイドルの先駆け、NegiccoねぎっこのメンバーのKaedeかえでさんは、昨日Twitterで……』

『“新潟可愛い子多いので、かなりいいグループになるのではと思います”』


 Negiccoのメンバーのツイートの紹介に続いて、市内のアイドル居酒屋の店員へのインタビューや、経済アナリストのコメント、ダンススクールの生徒へのインタビュー。誰もが「NGT48」の誕生を歓迎している空気が伝わってきた。

 この街の運命が今、大きく動き出そうとしている。父もきっとこのことを知っていたのだろう。

 これほど大きなプロジェクトの成否に、自分の出た「新潟美少女図鑑」の存在が少しでも影響を与えられたとは到底思えないが――しかし、それでも。


「よかった……」


 なぜだか、美南には自分のことのように嬉しかった。市役所の人達をはじめ多くの人が関わってきたのであろう、このプロジェクトの結実が。


『NGT48は、今年十月一日に新潟に劇場をオープンする予定です――』


 どんな子達がその劇場に立つのだろう。どんな子達がこの街の顔となるのだろう。

 AKBのことなどほとんど知らない美南でも、新潟の街にそれが来るとなれば、否応なしに胸が高鳴るのは止められなかった。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



『ここからは、新潟のニュースをお伝えします。……さて、今日まずは、この話題からお伝えします。新潟の街に新たな活気をもたらすことになるのでしょうか。人気アイドルグループ、AKB48。その姉妹グループ、NGT48が新潟市に誕生することが発表されました』


 TeNYテニィ――テレビ新潟放送網のニュースが伝えるその報せに、萌香もえかは静かに息を呑んだ。

 須山すやまつかさアナウンサーに続いて、隣に立つ田巻たまき佑規子ゆきこアナウンサーも口を開く。


『十月には活動拠点となる劇場がオープンする予定で、関係者からは早くも街の活性化を期待する声が挙がっています』


 無意識に胸元に添えた手の下で、バクバクと自分の心臓が脈打つのがわかる。

 夢でも見ているのではないかと思ったが、目をしばたかせてみても、自分の頬を引っ張ってみても、テレビの画面の右上に映る「“NGT48”誕生へ」の文字は変わらなかった。


『AKB48の運営会社によると、検討が始まったのは去年十二月。新潟の開発業者から提案があったのが切っ掛けでした。日本海側にAKBグループの拠点がなく、新潟市が日本海側最大の都市ということもあり選ばれたとしています。まだ場所については明らかにされていませんが、今年十月一日には、市内にNGT48劇場をオープンする予定です――』


 ちょうどそこで母が家に帰ってきた。萌香はテレビの前に立ち尽くしたまま、「おかえり」の挨拶も忘れて、自分でも驚くような勢いで母に振り返っていた。


「お母さん、大変だよ」

「どうしたん?」

「AKBが来る。新潟に」

「AKBが? コンサートけ? よかったじゃん、会いに行けたらいいねっけ」

「……そうじゃない。新潟に出来るの、AKBが!」


 珍しく声を張った萌香の一言に、母も「え?」とテレビの画面に目をやった。


「あら。県知事さんだねっけ」


『日本海側のですね、政令市、新潟市があるということも……。大きな街があるという中で、文化発信していきたいということだと承知をしております』


 泉田いずみだ知事がそう語るのに続き、新潟市の篠田しのだ市長も画面に登場する。


『間接的には、色々、まちづくりの中で話は出てました。ぜひああいう方向で実現して、新潟の元気を加速してもらいたいと』


 そこに至り、母もようやく理解してくれたようだった。新潟でこれから何が起きようとしているのか――。


「これは確かに……大ごとらねえ」


『名古屋や福岡などに続き、国内では五例目となるAKBの拠点。運営会社は今年三月に一期生のオーディションを行う予定です』


 ニュースはその言葉で締めくくられた。さらりと語られた「オーディション」の一言が、萌香の心を稲妻と化して撃ち抜くかのようだった。

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