第18話 NGT48

「それでは、このまま『蛍の光』を皆さんで合唱したいと思います。指揮は作曲家の平尾ひらお昌晃まさあきさん――」


 生の客席からの喝采の洪水に続き、お決まりの物静かなメロディが会場に流れ始める。里英りえは隊列の中でその前奏を聴いていた。AKB48にとって八回目となるNHK紅白歌合戦が終わりを迎え、慌ただしかった一年に幕が下りようとしている。

 AKB、SKE、NMBに続いて遂にHKTも初出場を果たし、国内四グループが一堂に会する形となった今回の紅白歌合戦。しかし、結果は一昨年から三年続けて白組の優勝となり、48グループは国民的アイドルの面目を果たせずにいる。

 だが、その悔しさをゆっくり噛み締めている余裕も今夜の里英にはなかった。紅白の放送が終わるやいなや、すぐにニッポン放送のスタジオに移動しなければならないのだ。生放送のラジオ番組――「AKB48のオールナイトニッポン」に出演するために。


「里英ちゃん。二〇一五年はチームKの一年にしましょうね」


 息つく間もない撤収の最中さなか、後輩の由依ゆいがいつものはんなりしたイントネーションで笑いかけてきた。里英は「うん」と笑みを返し、「まずはドラフトだね」と未来に向けた言葉を添える。第二回ドラフト会議の開催決定は、つい数日前に運営スタッフに聞かされたばかりだった。

 数十名の最終候補者のアピールをもとに、各チームの現役メンバーが新たな加入者を選ぶ「AKB48グループドラフト会議」。里英はチームKの副キャプテンだった。二〇一五年の春に開催されるというドラフトには、キャプテンの由依と並んで自分も列席することになるだろう。


里英りえこー、行くよー」


 親友の志津香しづかの急かす声に呼ばれ、里英は他の仲間達への挨拶も早々に、NHKホールを出た。先輩の明日香あすかや各々のマネージャー達とともに車に乗り込み、寒空の下を走り出す。街の灯りに霞む夜空の星は、年が変わっても変わらず彼女達を見下ろしていた。


「里英ちゃんはさ」

「え?」

「いい子を選んであげてね。ドラフト」


 ラジオ局を目指す車に揺られながら、明日香がふと里英の目を見て言った。チームBの現役キャプテンである彼女の口からそんな言葉が出たことで、里英も、そしてきっと隣に座る志津香も、瞬時に彼女の意図を理解してしまった。

 この人は――倉持くらもち明日香あすかは、をする気なのだ。来春のドラフト会議の時期と前後して……。


「わたし、スポーツキャスターにずっとなりたかったから。夢に向かって前向きだよ」


 二人をしんみりした気持ちにさせないためか、明日香は殊更に明るく笑ってきた。元プロ野球選手、「炎のストッパー」と呼ばれた男を父に持つ彼女が、ずっと前からその道を目指していたことは、里英ももちろん知っていた。

 また一人、歴戦の盟友が秋葉原の劇場を巣立ってゆく。

 その寂しさを笑いで覆って、志津香とともに明日香の成功を祈る言葉を重ねながらも、里英は、新たにAKBの門を叩く者達――まだ見ぬドラフト会議の候補者達に同時に思いを馳せていた。

 頭の奥でリフレインするのは、前に由依と一緒に収録した「AKBでアルバイト」の楽屋裏で、「バイトAKB」の西潟にしがた茉莉奈まりなという子が述べていた言葉。


『わたしなんか目じゃないです。バイトAKBの中に一人、ヤバイのが居ますから』

『ヤバイの?』

荻野おぎのってヤツです。AKBに入りたくて、ずっと頑張ってきた子なんですよ。どこかで会ったら目をかけてやってください』


 収録の後、里英は、由依と二人でしきりにその茉莉奈嬢について驚嘆の感想を言い合ったものだ。収録で見せた多彩なキャラもさることながら、「自分に目をかけてください」ではなく、別の子に目をかけてやってと容易く言ってのけた彼女の姿。そんな茉莉奈の口から聞いた「ヤバイ奴」の話。

 バイトAKBの企画は正規メンバー入りに繋がるものではないと聞いているが、あの茉莉奈の口ぶりだと、そのヤバイ奴は今後もオーディションというオーディションに全部出てくるだろうとのことだった。いつかきっと、誰かが拾い上げてくれることを信じて。

 それならばきっと、ドラフト会議にも――。


「着いたよ、里英りえこ


 一瞬どこかの空を漂いかけていた里英の意識は、志津香の呼ぶ声で現実に引き戻された。


「……うん」

「ウチらも走らないとね。未来に繋がる道を」


 車を降り、明日香の背中を追ってラジオ局のスタジオに入るとき、志津香がそっとそう言ってきた。里英は曖昧に頷きで応える。


「どんな未来かな。わたし達の未来って」


 始まったばかりの二〇一五年が自分にとってどんな年になるのかは、まるで予想もつかないが。

 少なくとも、くだんの「ヤバイ奴」の顔をこの目で見るまでは卒業はできないと、なぜかそう思った。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 里英達の現場にプロデューサーの秋元康がふらりと顔を見せたのは、世の中がまだ正月気分を引きずったままの、ある寒い日のことだった。


「秋元先生。あけましておめでとうございます」


 里英が遅い挨拶をすると、神出鬼没の大物はちらりと現場を見渡してから、里英一人を休憩所に連れ出してくれた。自販機の缶コーヒーを奢ってくれた秋元は、いつにもまして上機嫌そうに見えた。


「何かサプライズでもあったんですか?」

「そうなんだよ。いやぁ、びっくりしたよ」


 休憩所には他に誰も居なかった。コーヒーをぐびりと飲んで、秋元は言う。


「昨日になって、運営がさ、48グループの新支店を作るって言うんだよ。間に合いますか?って。間に合いますかって俺に言われてもな。どうしろっていうんだろうな」

「へぇ……新グループが出来るんですね。じゃあ、秋元先生、また忙しくなりますね」

「本当にな。 乃木坂グループの第二弾……鳥居坂とりいざか46も作るみたいだしな。身体が五つくらい欲しいよ」


 口では大変そうに言いながらも、彼は心底楽しそうだった。この人は忙しいことが生き甲斐なのかもしれない、と、それなりに長い付き合いになる里英は何となく分かっているつもりだった。

 それにしても、48グループにさらなる新支店とは。チーム8といい、バイトAKBといい、第二弾のドラフトといい、AKBという巨大な生き物は本当に歩みを止める気がないらしい。


「北原ぁ。新グループの劇場、どこだと思う?」

「えぇ……。そうやって聞いてくるってことは、前に話が出てた札幌じゃないってことですよね。仙台もまだ無理でしょうし……沖縄? それとも、まさか海外ですか?」


 それ以外の候補が思い浮かばず、里英は秋元の顔を見た。プロデューサーはやはり楽しそうに唇を歪ませ、それほど勿体ぶらずに答えを告げた。


「新潟だってさ、ニイガタ」

「ほぉ……。それはまた、なんとも……」


 まるで想像していなかった地名が飛び出したので、里英はどう答えるべきか分からなかった。新潟県というと何があったかな、と瞬時に脳内検索を掛けようとしたところで、秋元が先にそれを言ってくる。


「新潟はいいぞ。米も日本酒も美味しいし、可愛い女の子が沢山いる。思わず唸ったよ。いいところに目をつけたものだ、ってな」

「あ……新潟美人って言いますよね」

「そうそう。それでな、早速、歌詞のイメージを考えてるんだよ。新潟といえば、そう……川端康成の『雪国』。知ってるか?」

「知ってますよ、バカにしないでくださいよ。国境の長いトンネルを抜けると雪国であった――でしょ」


 どこで覚えたかも思い出せない有名な書き出しを里英がそらんじてみせると、秋元は満足げに笑った。


「そう。東京から列車に乗ってな、トンネルを抜けて行くんだよ。雪の積もった新潟の街に。現代版『雪国』だな。雪化粧の萬代ばんだい橋をバックに、新潟らしい素朴な子達が並んで歌うんだよ。映えるぞ。曲のタイトルは、そう――『Maxとき』。『Maxとき315号』」

「なんですか、それ」

「新幹線の名前だよ。勉強しろ、勉強。玲奈れなに勝てないぞ」

「はぁ」


 自分はべつに、鉄道の知識で松井玲奈と張り合いたいわけではないのだが……。

 しかし、結成が決まったばかりの新グループの曲の構想を早くも始めている名作詞家の、活き活きとした姿を見ていると、里英も何だかワクワクしてくるような気がした。


「新潟かぁ。どんな子達が集まるんでしょうね」

「今村が面白い話をしてたよ。新潟市役所の若い人がな、こんなことを言ったらしい。新潟の街にも輝きたがっている女の子達が大勢いる。新潟にグループが出来れば、そんな子達が地元に居ながらにして夢を追えるようになる――と」

「あ、いいですねそれ。出来た頃のAKBみたいになったらいいですね」


 思いつくままに里英が言うと、大物プロデューサーの顔に、にやりと愉悦の色が浮かんだ。


「ああ。楽しみじゃないか――『NGT48』」


 からん、と音を立てて空き缶がゴミ箱に沈み、秋元がゆらりと立ち上がる。


「お前も頑張って生き残れよ。まだ卒業には早いぞ」

「……ハイ。ありがとうございます」


 最後まで機嫌良さそうにひらひらと手を振って、彼はその場を後にした。遠ざかるその背中を見ながら、里英は、絶えず新陳代謝を続ける48グループの中で自分に何が出来るのか、ぬるくなったコーヒーの缶を握ったままずっと考えていた。


 二〇一五年一月。北原きたはら里英りえ二十三歳。

 街と少女達と、彼女自身の運命を変える決断の瞬間まで、あとわずか。

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