第17話 希望の住む街

 AKB48グループを運営する株式会社AKSから面談の申し入れがあったのは、新潟に例年より遅めの初雪が舞い、寒さが厳しさを増してきた十二月のことだった。

 AKB誘致プランの主導は既に民間に移りつつあったが、行政の担当者にも臨席して欲しいとの要望がAKS側からあり、瀬賀せが五十嵐いがらし課長と久住くすみ、そして新潟交通の担当者の後について東京の地を踏むことになった。東京の空には雪どころか雨雲の気配もなく、高層ビルの隙間から濁った青空が彼らを見下ろしていた。


「断りの連絡なら電話で済ませるでしょうからね。直接呼びつけるのは前向きの証ですよ」


 都内で落ち合った支倉はせくら氏は、企画屋らしい自信に満ちた態度でそう言った。


「札幌のほうは、大日本印刷がスポンサーを断念したというウワサもあります。大丈夫、こちらは地元の交通インフラと日本一のディベロッパーを押さえたんですから、それに匹敵するスポンサー候補を他の地域が立てることなどそうそう出来ませんよ」


 そのスポンサー――三井不動産の開発担当者らとも落ち合い、いよいよAKBの本丸へと乗り込む時が来た。株式会社AKSの書類上の本社所在地は、AKB48劇場と同じドン・キホーテ秋葉原の八階だそうだが、実際に瀬賀達が招かれたのは、都内の別の場所にあるオフィスだった。

 開放的な大窓から都会の街並みを見下ろす、広々とした会議室。こちら側の列席者は、三井不動産の担当者が二人、新潟交通の担当者が一人、そして支倉氏に加え、行政からは五十嵐、久住、瀬賀の三人。瀬賀はもちろん末席で、正直、自分がこの場に居られるのが不思議なくらいだった。

 AKS側からは、五人ばかりの担当者が会議室に姿を見せた。こちらと同じく、男性も女性も、年配の人も壮年の人もいる。流石に秋元康プロデューサーが出てくることはなかったが、五人とも自信と余裕に溢れ、アイドル業界のトップを走る者の矜持に満ちたプロフェッショナルであるように見えた。


「頂いたプランを真剣に吟味させて頂きました。まだ正式に結論を申し上げることはできませんが――私共としては、新潟市、ラブラ2への劇場設置の件……是非とも前向きに検討させて頂きたく考えております」


 一連の名刺交換の後、AKS側のリーダー格の男性は仰々しく口火を切った。ほっと弛緩しかんした空気が流れたのも束の間、別の男性が話のバトンを引き継いで、資料をぴしりと開きながら質問をしてくる。


「検討にあたり、詳しく確認させて頂きたい点もありまして。まずは、頂いた資料にある運営予算について――」


 三井や新潟交通の担当者を相手に繰り広げられる、シビアな数値面の話の応酬を、瀬賀はハラハラした気持ちで横目に聞いていた。膝の上で握った両拳に、暖房の暑さのせいだけではない汗が滲む。

 行政として何が出来るのかの話にもなったが、そこは五十嵐と久住が如才なく対応していた。若造の自分にまで発言が回ってくることはない。

 自分など到底及ばない世界の力が複雑に絡み合って、「新潟にAKBを呼ぶ」という無謀な夢のパズルが組み上げられていく――。その様子は瀬賀にとって嬉しくも誇らしくもあり、同時にどこか寂しくも切なくもあった。

 このプランの実現のために自分が出来たことなど、本当にたかが知れている。最初に会議でAKB誘致を口にしたのと、後に新潟ならではの武器として美少女図鑑の存在を明言したのと……それくらいだ。「新潟48」のあり方を詰めていったのも、それを民間を巻き込んで提案できる形まで持っていったのも、同期の丸山や先輩の久住の力による部分がほとんどだった。この先、晴れて新潟に48グループの支店が出来たとしても、自分の手柄だと誇ることなど、とても……。


 ――そんなことを考えながら議論を聞いていた瀬賀の耳に、その時、AKSの担当者の一人の声が突如飛び込んできた。


「ちなみに、このアイデアを最初に出されたのはどなたなんでしょう?」


 瀬賀はハッとなって顔を向けた。声の主は中年の男性だった。先程交換した名刺には確か、SKE48劇場支配人の今村いまむら氏とあったはずだ。

 隣の久住に目配せされ、瀬賀は緊張を抑えて答える。


「僭越ながら……私が」

「AKBについては、以前から知っていて下さったんですか?」


 今村氏は瀬賀の目を見て尋ねてきた。真面目な仕事の会話の中にあって、彼の声はどこか楽しそうで――最後にこちらの覚悟を確かめてやろう、とでも言いたげな遊び心に満ちているように、瀬賀には思えた。


「私は……」


 喉から心臓が飛び出しそうな緊張に息を呑み、瀬賀はAKSの人々をちらりと見渡す。誰もが瀬賀に真剣な視線を向けていた。

 取って付けたような綺麗事では見透かされる。本能がそう直感した。


「……失礼ながら、昨年の総選挙まで、AKBのことはほとんど存じ上げませんでした。指原莉乃さんが一位になったあの総選挙で、初めて、HKTやSKEといった姉妹グループが各地にあることを認識し……新潟にもそれを作れたらいいかもしれないと思い立ったのが、言うなら、私がAKBに初めてしっかり興味を向けた瞬間でした」


 皆の目が注がれる中、瀬賀は正直に語った。緊張と気恥ずかしさからふと手元に目を落とすと、そこには、積み上げた資料の上で素朴な輝きを放つ、「新潟美少女図鑑」の原稿ゲラがあった。新潟の街のためにモデルを引き受けてくれた少女――地元を愛する美少女が、純朴な笑顔をこちらに投げかけてきている。

 彼女と……彼女とともに立つ未来のアイドル達と、自分は今、一緒に戦っている。なぜかそんな気持ちがした。


「新潟の街に根ざしたAKBの形を考えていく中で……私は思い至ったのです。新潟の街にも、東京のような都会と同じように、輝きたがっている少女達が大勢居る筈だと。夢を叶えるために地元を離れ、東京に出ていってしまうのではなく……地元に居ながらにして彼女達が夢を追える環境が欲しい。そして、それが地域活性化にも繋がればと……。新潟にこれほどの輝きがあることを、全国に知らしめる切っ掛けに出来ればと。……そう思って、AKB誘致の企画を進めてきた次第です」


 上手く話せたとは自分でも思えないが、そんな瀬賀の説明に今村氏は強く頷いてくれた。

 そこで、別の男性が、瀬賀から久住らへ、そしてスポンサー達へと順々に視線を巡らせ、口を開いた。


「我々は今まで、いくつもの地域からオファーを受けてきました。名前は出せませんが、多くの企業さんがスポンサーに名乗りを上げて下さいました。……誰がお金を出して、どこに劇場を作るのか。どんな導線を引いて、どこから客を集めるのか。どこの自治体さんも企業さんも、熱意を込めて青写真を語ってくれましたが――」


 机上に置かれた「美少女図鑑」の原稿ゲラを指さして、男性は言う。


。それを話して下さったのは貴方がただけでしたよ」


 その言葉に、瀬賀ははっと息を呑んだ。

 信じてやってきたことが報われたかもしれない。そんな温かい気持ちが、彼の胸を覆っていった。


「作るならAKBを超えるものを作れ、と、秋元も常に申しておりまして」


 再び発言を引き継いだ今村氏は、力強く言ってくれた。


「新潟には、いつかきっと秋葉原を超えて頂きたい」


 それが、瀬賀達の打ち立てた誘致プランに対する、AKSの答えであるように思えた。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 支倉氏や三井不動産の人達に別れを告げ、瀬賀は久住らとともに東京駅の改札を抜けた。緑色の矢印の先の新幹線ホームには、既に二階建ての車両が止まっていた。

 白と青の車体に引かれた朱鷺とき色のライン。今年の春に塗装だけは新しくなったばかりだが、車体は未だに東北新幹線や長野新幹線のお古を使っており、お世辞にも快適とは言い難い。座席にコンセントすらない車両も多く、リクライニングの壊れた席に当たることすらある。

 いつまで経っても光の当たらないこの路線。日陰者の上越新幹線。だが――。

 いずれ、東京駅からこの列車に乗って、多くのアイドルファンが新潟を訪れるようになるかもしれない。幾重ものトンネルの先に住む、美しき街の希望達にひと目会うために。


「瀬賀君」

「はい?」


 隣の座席に腰を下ろした「雪女」が、小声でそっと言った。


Good Jobグッジョブ

「……ありがとうございます」

 

 課長と新潟交通の人の手前、胸にこみ上げる熱いものを意地でもこぼすまいとして、瀬賀は固く唇を噛み締めた。

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