第16話 この街のためなら

「ホラホラ、美南ちゃん、スゴイ人数だよ。みんな可愛い!」

「うん。すごいね」

「ちょっと! クールすぎ! ホットみなみになろうよー、華のJKなんだからさ」


 目をキラキラさせた友人に手を引かれ、美南は万代ばんだい商業施設ビルボードプレイスを訪れていた。正確には、本来この場に用があるのは美南のほうで、友人にはお願いして付いてきてもらっているのだったが。

 遠目に見える特設の壇上では、プロ仕様のカメラやレフ板を持ったスタッフ達が忙しなく動き回り、私服姿の女の子にフラッシュを浴びせている。「新潟美少女図鑑」というフリーペーパーの公開オーディションだった。大々的にモデル募集をしているわりに、それなりに狭き門でもあるらしく、たまに開かれる公開オーディションには自信と野心に燃える女の子達が県内のあちこちから集まるらしい。


「いいなあ、みんな楽しそう。なんか、わたしも出たくなってきちゃう」

「出たらいいじゃない? 一緒にオーディション受けようさ」

「いやいや、無理だって。ご指名は美南ちゃんでしょ。わたしなんか可愛くないからムリー」

「そんなこと……」


 友人に引っ張られ、人の波の合間を縫って受付を目指しながら、美南は小さく溜息をついた。

 ご指名――と呼んでいいのかは分からないが、彼女が自分自身の意志によらずこの場所に来ているのは確かだった。父からこのオーディションを受けるように言われたのだ。「美少女図鑑」のスタッフに話は通してあるから、行けば採用してもらえる筈だと。

 新潟発のフリーペーパーのモデル役。その枠を求めて現にここに集まっている人数、その倍率の高さを思えば、それはきっと名誉なことなのに違いなかった。だが、出たくても出られない子達には申し訳ないが、美南は進んでそんな場所に出て行きたいと思っているわけではなかった。父の仕事を通じて、芸能人と呼ばれる人々を間近に見る機会は何度もあったが、自分がそれになりたいと思ったことはなかったのだ。

 いつの頃からか、父は美南を芸能人にしたがっている風もあったが、バトン競技だけに打ち込みたいからと美南はそれを断り続けてきた。ただでさえ勉強とバトンのスクールの両立だけでも大変で、中学の陸上部は幽霊部員になってしまっていたのに、それ以上の何かを同時にこなす器用さも余裕も自分には到底ないと思っていた。

 それでも今回、美南が父の言うことを聞く気になったのは、いつになく真剣な目をして父が言ったからだった。「新潟の街のためだ」と。ずいぶん大袈裟だなと思わないでもなかったが、いつもイの一番にこの街のことを考えている父がそう言うのなら、きっと間違いはないのだろうと思った。


「こんにちは。加藤かとう美南みなみです」


 受付に辿り着き、美南がスタッフの人に挨拶すると、横から友人が茶々を入れてきた。


「『たかみな』ならぬ、『かとみな』です。未来のAKB総監督です」

「ちょっと、恥ずかしいって」


 スタッフの人達はくすくすと笑い、簡単に設営された待機スペースに美南達を通してくれた。オーディションを受けるのは美南だけなのだが、友人の同伴について何か言われることもなかった。

 友人と並んでパイプ椅子に腰掛け、美南はオーディションの進行を眺めた。メイクも髪も服装もバッチリ決めた女の子達が、少なく見積もっても十数人、今か今かと順番を待っている。美南が呼ばれるまでにはまだまだ時間がかかりそうだった。

 美少女図鑑のモデルを経て美南がAKB入りを果たし、高橋みなみたかみなの後を継ぐという友人の荒唐無稽な夢物語に適当な相槌を打ちながら、美南は無意識に手首を動かし、バトンを回す振りをしていた。


「美南ちゃん、バトン持ってきたらよかったんじゃん? 美少女図鑑にもそれで映ったりしてさ」

「えぇ……。それは違うでしょ」


 友人の冗談はともかく、朝起きてから一度もバトンを振っていない自分が無性に気持ち悪かった。父には悪いが、早くこの用事を終わらせ、レッスン場で身体を動かしたくてウズウズする。何しろ、高校に上がって最初の選手権個人戦北陸大会まで、もう五ヶ月しかないのだ。

 小学生の頃には団体で全国出場を果たしたこともあるが、個人戦への美南の挑戦は、一昨年の北陸大会八位入賞止まり。高校卒業までに個人で全国出場を果たすのが、彼女の唯一最大の目標だった。それも、出来ることなら一年生の内にだ。来年からは受験勉強も忙しくなってくるだろう。悲しいかな、バトントワリングのようなマイナー競技でスポーツ推薦やAO入試を狙うことは難しく、学業も決して疎かにはできない。何にせよ、無駄な時間は使っていられないのだ。


 父の口車に上手いこと乗せられてしまったのかな、と、順番を待ちながら美南は思った。新潟のフリーペーパーに出ることが街のためになるという理屈は分かるが、なにも自分である必要はないのではないか。この会場にはこんなに可愛い子達が集まっているのだから。


 ――あれ?


 そこで美南は気付いた。いつの間にか、関係者用のエリアの片隅に、スーツ姿の若い男女が立っていたことに。

 細い眼鏡をかけたキャリアウーマン風の女性と、細身の若い男性だった。美南はその男性にどこかで見覚えがあるような気がした。遠目に目が合った瞬間、彼の方もまた、ハッと驚いたような顔で美南を見返してきた。


「あの人、どこかで――」

「あ。市役所の人」


 友人の一言で、美南も思い出した。

 中三の頃、やすらぎ堤のベンチで彼女と進路の話をしていたとき、ふいに話しかけてきた二人連れの男性がいた。市役所の職員だという彼らは、なぜか、アイドルに興味はあるかと自分達に尋ねてきたのだ。

 自分はAKBの話には全然応じることが出来なかったが、父の会社が関わっているNegiccoねぎっこのライブのことを話した覚えがある。あのとき主に話していたのは、もう一人の太った男性のほうだったが……その後ろで、どこかハラハラしたような顔で事態を見守っていたあの男性の姿も、美南の記憶にはしっかりと焼き付いていた。


「ホラ、ご挨拶しに行こ、美南ちゃん」


 友人に促され、美南は席を立った。目礼しながらスーツの男女に近付くと、男性はやはり明らかに美南の顔を認識しているふうで、一礼を返してくれた。

 彼がどうしてここに居るのか分からない。だが――父の仕事の話を聞いてくれていた彼と、父に言われてやって来たこの場で再会するのは、何か運命めいたものを感じた。


「やっぱり……君だったんだ」


 ――やっぱり?

 なぜか上ずった男性の声に、美南は小さな驚きを覚えた。たった一度行き合っただけの自分を、この人は覚えてくれていたのか。

 小さく目を見張る美南の横で、女性のほうにもぺこりと礼をしてから、友人が物怖じしない様子で男性に絡んでいく。


「お久しぶりです。今日は太いお兄さんは一緒じゃないんですか?」

「アイツは、今日は横浜でAKBのコンサートなんさ。いや、NMBだっけか?」

「へえー、いいなあ。あ、今日は美南ちゃんのモデルデビューなんで、よろしく見守ってやってください」


 友人が勝手にそんなことを言うので、美南は思わずぶんぶんと顔の前で手を振った。


「いやいや、出るかどうか、まだわからないですし……」

「ぜひ出てほしい。……と言うと、勝手かな」

「え?」


 やけに真面目な男性の声色に、美南は吸い寄せられるように彼の顔を見上げた。

 隣の女性の顔色を窺うような素振りを見せてから、彼は美南に向かって言う。


「詳しいことはまだ言えないけど……市役所のほうで今、色んな人達と協力して、大きな計画が動いてるんさね。新潟の皆にきっと喜んでもらえる計画が」

「……この『美少女図鑑』の撮影が、その計画と関係あるんですか?」

「関係させられるかどうかも、まだ分からんけど……僕達がきっと繋げてみせる。この街のために」


 彼の話は要点を欠いていて、正直何が言いたいのかは分からなかった。しかし、それでも、彼の目と言葉には、遊びでも冗談でもない本気の炎が宿っているように美南には感じられた。

 隣の女性もこくりと頷いてくる。いかにも仕事の出来る大人といった風情の彼女が、男性の本気にお墨付きを与えるかのように。


 ――この人達は、新潟の街のために何かを起こそうとしている。

 父が言った「新潟の街のためだ」という言葉が、美南の中でそれと重なった。


「……わかりました」


 気付けば美南はそう答えていた。男性の目を見上げ、吹っ切れたような気持ちで告げる。大人達や友人にというより、自分自身に言い聞かせるように。


「この街のためなら、出ます、わたし。『美少女図鑑』」


 彼の言う計画とやらが何なのか、美南には見当もつかない。だが――

 些細なことでも力になりたいと思った。大人達が頑張っているのなら。自分も、愛するこの街のために。


「ありがとう」


 男性が礼を述べてくるのと、スタッフが美南を呼びに来るのは同時だった。スタッフの人達が笑顔で誘導してくれるのに従って、美南はカメラの前に歩み出た。

 胸を覆っていた焦燥や葛藤は、不思議ともう無かった。

 一日遅れた分の練習は、別の日に数倍やって取り戻せばいい。自分のこの一日が、新潟の街の百年を変えるかもしれないのなら。


「笑顔で。目線くださーい」


 カメラマンの声に応え、美南は出来る限りの笑顔を作ってみせる。

 そして、のフラッシュが焚かれた。

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