M03. 君は何処に
第8話 新潟美少女図鑑
市役所に奉職して三年目の春。
その日、
「『名古屋走り』ってウワサには聞くけど、そんなに凄いん」
「凄いなんてもんじゃないんさ。車線変更でウインカー出したら負けだと思ってっから、アイツら。マジで新潟の交通マナーが可愛く見えんさ」
一同の顔を見渡してしみじみと語り、旧友はよく冷えたジンジャーエールを
「そんなとこでハンドルキーパーやってたからさ、俺もすっかり名古屋走りが染み付いちゃったんさ。名古屋じゃあ、『青進め、黄色まだまだ、赤勝負』だっけね」
帰還兵の言葉に瀬賀も笑った。我が新潟の交通マナーもそこまで褒められたものではないかもしれないが、なるほど、自動車のメッカである名古屋ともなれば、ドライバーに求められる
コーヒーにはナッツ、トンカツには味噌ダレ、普通の外食チェーンでも味噌汁は
「あと、そうそう、どこ行ってもアイドルの主張が凄いんさ」
「アイドル?」
「SKE48つって、AKBの親戚みたいなのが名古屋にあって。地下鉄乗っても、カレー屋行っても、とにかくどこにでもその子達のポスターがあんさ。CMもしょっちゅうやってるし。嫌でも顔を覚えちゃうんさ」
名古屋・
「松井珠理奈と松井玲奈か……」
「あ、そうそう。なに、お前、詳しいん?」
「いや、市役所の同期にそういうの好きなヤツが居て、前に教えてもらったんさ。総選挙でも
「やだ、瀬賀君、オタクみたい」
紅一点の
「都会はそうやって、アイドルだの何だのって次々作って盛り上がれるからいいんさね。新潟市ももうちょっとどうにかしてくれよ、エリート様よー」
仲間の一人が真っ赤な顔をずいっと瀬賀に寄せてきた。他の一人も一緒になって、おどけた口調で言ってくる。
「お役人様ぁ、新潟駅はいつ高架になるんですかー」
「知らないよ」
「上越新幹線はいつまでお下がりの車両なんですかー」
「知らないって」
早くも出来上がっている奴らをあしらいながら、瀬賀は自分もビールのジョッキを空にした。
皆に注文を聞きながら、彼は代わり映えのしないこの街の現状を思う。
新潟市が政令指定都市になったのは、瀬賀達が高校三年生の年。当時は学校の先生達も大革命かのように息を巻いていたものだが、あれから七年、我らが新潟は、未だ大阪や名古屋はおろか仙台にさえ追いつく気配を見せない。新潟駅が古すぎるのも、上越新幹線が冷遇されているのも、もうずっと前から言われていることだった。
そこで、親の美容院を少し前に継いだという一人が、はぁっと分かりやすく溜息を
「俺も、店を継いだはいいけどさ、お客さんは年々減る一方なんさ。若い世代がどんどん外に出ていくんだっけ、そりゃそうなるんさ」
「お前の顔が気持ち悪いだけじゃねえの」
「はあ? 違うし! 俺、こないだまで彼女居たんだっけな」
「過去形じゃん」
けらけらと一同が笑う中、名古屋からの帰還兵が星野嬢に顔を向けた。
「若い子を相手にしてる店長殿としては、どうなん」
皆に合わせて瀬賀も彼女に目をやる。早くに結婚した彼女は、
「んー。今はまだ物珍しさでみんな来てくれてるけど、もって今年いっぱいかもね。なーんか、無理に東京の真似するのもそろそろ限界じゃない?って感じ。今はネットショップもあるしさ」
「東京の真似ねえ……」
思い当たる節は誰にもあるはずだった。同じ万代の「新潟アルタ」はまだいい。NEXT21の「ラフォーレ原宿・新潟」に至っては、新潟なのに原宿と付いているというチグハグぶりで、新潟人の東京コンプレックスが全面に出た施設名だと揶揄されることも少なくない。
「万代に来る若い子はみんな背伸びしたいんさ。お客さんも店員も」
「店員も?」
「そう。ここに小さな東京を作って、自分達はお洒落リーダーなんだぞって感じ。あたしもそこで働いてるんだっけ、人のこと言えないけどさ」
そう言って彼女は煙草に火をつけた。その紫煙を何となく目で追いながら、瀬賀はかつて自分が市役所の会議で語ったことを思い出し、喉元を過ぎた恥ずかしさに口元を緩めた。
新潟にAKB48を作るんです――。それは、アルタやラフォーレのことを笑えない発想だったのかもしれない。
「……やっぱり、新潟が一番手になって全国にブームを発信するくらいじゃなきゃいけねえんさ」
呟くように瀬賀は言った。酔った奴らが、エリート様の名言だのと囃し立ててくる中、星野が煙を吐いて「瀬賀君」と名を呼んだ。
「『美少女図鑑』って知ってる? あれ、地味に新潟発でしょ」
「え?」
何やらいかがわしい響きを連想させかねないその単語を、瀬賀は初めて耳にした。誰も知らないのを見て取ったのか、星野はネイルで飾った指を
「これ、新潟の会社が作ってるフリーペーパーなんだけどさ。新潟から広まって、今は日本中にあるんだってさ」
「ああ、そういえば」
美容師の彼が、何かを思い出したようにポンと手を叩いた。
「置いてる美容院、見たことあるよ。へえ、新潟発なのか、これ」
「ふぅん……。この子は何なの、モデル?」
映っている子を指差して瀬賀が問うと、星野はスマホを引き上げ、「んー」と唸りながら画面を
「新潟出身、
「いやぁ……」
皆の反応を見れば、自分を含めて誰もその子の名前を知らないのが明らかだった。
「あ、あったぜ、馬場ふみか」
仲間の一人が自身のスマホの画面を一同に見せてきた。瀬賀が覗き込むと、そこには先程の女の子が高校の制服を着て映っていた。「『新潟美少女図鑑』出身の現役女子高生!」というアオリ文に続いて、その子の台詞として「早く東京に行きたい! いろんなお仕事に挑戦したいです」なんてことが書いてある。
「東京行きたいって言っちゃってんじゃん。イナカは嫌だってさ」
「まあ、そりゃそうなるさね」
いやに綺麗なオチが付いてしまい、皆は笑った。仲間と一緒に笑いながら、瀬賀はまだ酔いの回りきらない頭で、少しばかり市役所職員らしいことを考えようとしていた。
馬場ふみか嬢のこの台詞こそ、大袈裟に言えば、地方から東京への人材流出の象徴かもしれない。
こんなことではダメなのだ。新潟出身者が東京で活躍したところで、新潟の名を間接的に上げる効果しかない。もっと、こう、新潟そのものが東京に匹敵するような……。東京の真似をせずに独自の牙城を打ち立てられるような、そんな何かは……。
「やっぱ、こう……こういう美少女が、新潟に居ながらにして輝けるようじゃないと……」
「お、エリート様がなんか言ってる」
「新潟を良い街にしてくだせえ、お役人様ぁ」
旧友どもの声を適当に聞き流しながら、瀬賀はふと、前に丸山と話しかけた美少女の姿を思い出していた。AKBが好きと無邪気に言ってくれた友達の隣で、初夏の風に髪を揺らし、控えめに微笑んでいた、社長令嬢のあの子。あの時、彼女は中学の何年生だったのだろう。今頃は高校生になっているのだろうか。
あの子は絶対アイドルになる器だと、丸山は言っていたが――
ああいった子が仮にアイドルに興味を示してくれたところで、その受け皿が無ければどうしようもないだろう。
「やっぱ作るべきか……新潟に……」
東京の真似事ではない、新潟ならではのAKBを……?
まだそんなに酒は入っていないはずなのに、思考は
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