第9話 未来への照準

 週末の商業施設ビルボードプレイスはティーンエイジャーの喧騒に満ちていた。女の子の数人連れで、あるいは男女連れで、全国区のお洒落ブランドのウインドウを冷やかす若者達のひといきれ。万代ばんだいに来る若い子達は小さな東京で背伸びしたいのだと、星野ほしの嬢が居酒屋で語った言葉がふと思い出される。


「なーんか、自分がすっかりオジサンになったみたいな気分だよ」

「そっけ? 俺なんか、アイドルの現場に行く度に、自分は断然若い方だって張り切れっけどな」


 瀬賀せがは同期の丸山まるやまと肩を並べ、オープンスペースで行われるを関係者用スペースから見学していた。先方の厚意でこの場所に足を踏み入れさせてもらってはいるものの、実際には関係者でも何でもないので、周りの邪魔になりはしないか気が気でないが。


 ――ウチのお店の子の彼氏が、その『美少女図鑑』の編集部で見習いやっててさ。ちょうど今度の週末に軽い感じのオーディションがあるみたいだから、瀬賀君、興味あったら繋いであげるわよ――。


 先日の飲み会の帰り、星野に水を向けられ、瀬賀は数秒と迷わず頷いていた。せっかくの同窓生の気遣いを無下にできないというのもあるが、それ以上に興味があったのだ。新潟から全国にムーブメントを発信しているその「美少女図鑑」なるものが、どのようにして生み出されているのか。


「お。あの子なんか可愛いじゃん」


 丸山が肥えた腕を組んで言ったとき、会場を囲むティーンエイジャー達の間にもオオッとざわめきが広がった。シャッター音やスタッフの目線にも物怖じせず、自信満々といった立ち姿でポーズを取ってみせるその少女は、なるほど確かに、ひと目見て逸材とわかる空気を漂わせていた。


「あの子が山田やまだ愛奈あいなちゃん。今回一番の注目株っすよ」


 雑用の手を止めた茶髪の青年が、瀬賀らの横に立って言ってきた。星野の店で働いている女の子の彼氏で、編集部でライターとカメラマンの下積みをしているという太刀川たちかわ青年である。

 新潟は狭くて広くて、やっぱり狭い街だ。知り合いの知り合いを辿れば、遠そうな世界も案外近くにある。


「馬場ふみかが居る。山田愛奈が居る。新潟の未来は明るいっすよね」


 青年が人懐っこい笑みを浮かべて言う言葉に、瀬賀は思わず頷かされていた。その子達がみな東京に出ていってしまうのでは意味がないのではないか、という懸念も忘れさせるほどに、この場に集まった若者達の熱気は凄いものだった。

 隣を見れば、審査員でもない丸山がいやに真剣に目を細め、フラッシュを浴びて微笑む被写体の魅力を見定めようとしている。


「それにしても、お前、アイドル以外の女子にも興味あるんだ」


 ダメ元で誘ってみた丸山が二つ返事で休日を潰して付いてきてくれたことを、瀬賀は少しばかり意外に思っていた。アイドルとフリーペーパーのモデル、同じJK文化でも似て非なる世界という気がするが。


「まあ、こっちの界隈と無関係でもねえしな。SKEの小木曽おぎそちゃんは『三河みかわ美少女図鑑』の出身だし。乃木坂のぎざか深川ふかがわ麻衣まいって子も、確かどこかの美少女図鑑に出てた筈なんさ」

「……お前は何でも知ってんな」


 我が同期ながら、瀬賀はたまに丸山という男の知識の広さが空恐ろしくなる。ひょっとして、彼の脳内には、地上全てのアイドルのプロフィールが詰まっているのではなかろうか。

 ……などと考えていたら、太刀川青年がほーっと目を丸くして、雑用の作業もそっちのけで丸山に言葉を向けていた。


「詳しいっすね、お兄さん」

「ははは、まあ」

「48グループだと誰推しなんすか」


 そう問われた瞬間、丸山の目の色がすっと変わったように瀬賀には見えた。

 自分にAKBの話を聞かせてくる時とも、いつぞやの女子中学生に話しかけた時とも違う目。なんとなく分かる。あれは、相手を同類と見て取った目だ。


「割とDDディーディーですよ、ボクは。組閣そかく前はチームBはこ推しとかやってましたけど、まあ、今はAKB全体の物語を俯瞰で見てる感じですかね。お宅は?」


 オタクが本当に「お宅」という二人称を使うところを初めて見た。急に別の言語で喋りだした同期の姿に瀬賀は目をしばたかせたが、太刀川青年は動じる様子ひとつ見せず答えている。


「いやぁ、自分は柏木由紀ゆきりんが好きだったんすけど、最近はAKB自体、全然追いかけなくなっちゃって。前は握手会とか行ってたんすけどね。ほら、神崩しって騒がれてた頃に」

「ああ、あの頃のAKBは楽しかったですねえ」


 丸山は今だってAKBを楽しんでいる筈だが、その時代にはファン共通の思い入れがあるのか、それとも単に相手に調子を合わせているだけなのか、瀬賀には判別がつかなかった。

 青年はうんうんと大仰に頷いてから、飼い主の帰りを待つ犬のような目をして言った。


前田敦子あっちゃん板野友美ともちんも居なくなって、大島優子ゆうこも今年卒業でしょ。なんか、寂しいっすよね。ゆきりんは頑張ってるんすか?」

「まだまだ勢いは衰えてないですね。ついこないだ、NMBなんばとの兼任も発表されて」

「へえ。なんか、大阪ってイメージじゃないっすけどねえ」

「まあ、人気メンの兼任ってのは箔付けですよ。それより、指原莉乃さっしーの一位に反発する層が今、こぞって渡辺と柏木まゆゆきりんに流れてるんでね、このまま何事もなければ、来年くらいには一位争いに絡んでくるかもしれないですね。まあ、まずは今年、渡辺まゆゆ指原さっしーに勝てるかどうかですけど」

「はぁぁ、そんな面白いことになってるんすね、今。ちょっと、自分もしっかり今年の総選挙見とかないと」


 それから、青年は瀬賀にも「お兄さんは?」と顔を向けてきた。


「いやー、僕は全然。二人の会話にまず付いていけないですよ」

「って言ってますけど、コイツ、新潟に48グループの支店を作るとか言ってましたからね。ある意味そこらのオタより熱いですよ」

「いや、それは」


 瀬賀は慌てて顔の前で手を振ったが、時すでに遅く、青年は目を見開いて「へえぇ! マジすか!」と食い付いてきた。


「いやいや、地域活性化のアイデアにアリかなって思って、ちょっと考えてただけですよ」

「いいじゃないすか、支店誘致! マジで出来たら自分、公演通いますよ」


 それこそ、ほら、『新潟美少女図鑑』からメンバーが出ないとも限らないですし――と。たちまち目を輝かせて夢物語を膨らませる太刀川青年に、瀬賀は思わず「頑張ります」と言ってしまった。何が「頑張ります」なのか、自分でもよくわからないが――。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「なあ、瀬賀Pよ。俺は案外、夢物語で終わらせない方がいい気がしてきたぜ」

「何なん、Pって」

「プロデューサーのPだよ」


 公開オーディションが熱狂のうちに終わり、スタッフの人達に丁重にお礼を述べてその場を辞してから、瀬賀と丸山はラブラ2の四階にある上島うえしま珈琲コーヒー店でローテーブルを囲んでいた。星野にも一言礼を言わなければならないと思ってこの建物に足を踏み入れたのだったが、彼女が店長を務めるアパレルショップは幸いにも盛況で、声を掛けられそうな状況ではなかった。


「こないだ、AKBのチーム8って言って、トヨタがスポンサーに付いた新しいチームが出来たんだけどさ」


 低いソファに巨体を沈め、アイスコーヒーのグラスを片手に丸山が言う。


「四十七都道府県からメンバーを集めた『会いに行くアイドル』。全く新しいコンセプトのチームなんさね」

「へえ。新潟のメンバーも居るの?」

「勿論。佐藤さとうしおりって、笑窪えくぼの可愛い子なんさ。……それでな、このチーム8が本当に凄いのは、人数とかコンセプトとかじゃない。未来に照準を合わせてることなんさ」


 グラスをテーブルに置き、丸山は真剣な目を向けてきた。


「メンバーの平均年齢は十四.四歳。全国選りすぐりの精鋭達がこれから経験を積んで、二〇二〇年には平均二十歳のベテランになる――トヨタの広報はそう言ってっさ。流石に大企業の考えることは違うよ。六年先を見据えてやがるんさ」

「東京オリンピックか……」


 昨年秋、二〇二〇年の夏季オリンピックの開催地が東京と決まり、今は日本中が世界に向けた「おもてなし」の訴求に躍起になっている。その旗印の一つとして、トヨタはAKBに目を付けたということか。


「だから、新潟も奮起すべきなんさね。二〇一九年に向けてさ」


 丸山の述べたその年号の意味は、勿論、瀬賀にも理解できた。

 新潟にはオリンピックこそないが、しかし。

 来る二〇一九年、我らが新潟は開港百五十周年を迎える。古くから海の玄関口であった水都新潟の節目の年を、内外に向けて大々的にアピールしようという機運は、官民の双方で高まっている。


「今からグループを立ち上げれば、新潟港百五十周年のときには結成五年目になる。新潟48の『全盛期』が節目の年に重なるんさ」

「……」


 瀬賀は自分のコーヒーに口をつけ、黙って頷いた。

 風が吹いているのだろうか。この街にアイドルを呼べと。

 ふとした思いつきから始まり、一瞬で立ち消えかけたこの着想だが、やはり真剣に考えてみるべきなのかもしれない。


「早く動き出さなきゃ、他の地域に取られちまうかもしれないぞ」

「だな……」


 そのためには、自分は知らなければならない。もっとAKBのことを。

 ひとまずは、六月の総選挙をちゃんと見てみようと思った。

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