第7話 涙
『続いて、関東エリア。茨城県代表、
この数日、何度も何度も繰り返し観た動画だ。何度観たって、出てくる顔ぶれが変わるわけじゃないのに。
『埼玉県代表、
『埼玉県代表の髙橋彩音、十六歳です。もうダサイタマとは呼ばせません。頑張ります』
流れ作業のように自己紹介を連ねる彼女達を見ていると、なんだか無性にイライラした。どの子も、どの子も、ガチガチに緊張しちゃって、台詞なんかほとんど棒読みに聞こえる。あれなら、自分の方がずっと……。
『東京都代表、十二歳、
ほら、この子なんて、幼すぎて台詞をちゃんと言えてすらいないじゃないか。東京ならもっと色々居ただろうに、どうして運営はこの子を――。
『新潟県代表、
『新潟県代表の佐藤栞、十六歳です。新潟県の良さを全国にアピールしていけるよう頑張ります』
見れば見るほど苛立ちが止まらない。誰を悪く言っても始まらないが、それでも。
――あの場所に立てなかった自分に、どうしようもなくイライラする。
『続いて、中部エリア――』
その先を見たくないのに見てしまうのは、心に渦巻くこの思いを諦めるためか、諦めないためか。
『富山県代表、
『富山県代表、十三歳、橋本陽菜です。富山県を精一杯アピールし、全力のパフォーマンスと、最高の笑顔で頑張ります』
「――ッ!」
幼いその子のはにかみに耐えられず、りかは握り締めていたスマホを壁に投げつけた。
ごん、と鈍い音がして、壁に跳ね返ったスマホがベッドの上に落ちる。お気に入りのジャニーズのポスターが破け、白い壁に小さな傷が刻まれた。それがまた無性にムカついて、りかはベッドに飛び乗ると、ポスターの裂け目に思いっきり爪を立てた。
ああっ、とか、もう、とか、自分自身のわめく声を意識のどこかに聞きながら、りかはポスターを壁から引き剥がした。大好きな彼の甘いマスクが、びりびりの紙片に変わってカーペットに散る。傍らに落ちたスマホのスピーカーからは、しつこく合格者のスピーチが流れ続けている。
『兵庫県代表、
自分を取り囲む世界の全てを黙らせたくて、りかはスマホを拾い上げ、何度も、何度も壁に投げ続けた。なんだか、受かった子達全部が憎たらしい気がして。この世界が丸ごと憎たらしい気がして。
「ちょっと、りか、何しとるが!」
母が血相を変えて部屋に飛び込んできた。「ウルサイ!」と、反射的に自分が叫ぶのを聞いた。
「ウルサイのはあんただわ。あーあ、ポスターこんなにボロボロにしちゃって」
母の声にも構わず、りかは最後のトドメとばかりにスマホを床のカーペットに叩き付けた。分厚いカバーに守られたそれは未だにビクともせず、変わらず新生アイドル達の肉声を流し続けていた。
スマホから流れる声を聞いて、母も彼女の暴れる理由を悟ったのか、りかの前に回り、そっとその身体を抱き寄せてくれた。
「しょうがないちゃ、そういう運命だわよ」
「だって、あの子のどこが……!」
どこが自分より可愛いのか――と、喉まで出かけた言葉を、りかはぐっと飲み込んだ。その続きを口にしたら、負けを認めてしまうような気がして。
違う。言いたくない。認めたくない。
きっと実力で負けたわけじゃない。きっと、年齢の若い子が求められていただけだ。今回の合格者の平均年齢は十四歳。運営が高校生より中学生を欲しがっただけだ。最初から不公平な競争だっただけだ――。
「またいつかチャンスがあるわよ」
「だったら、東京のオーディション行かせてくれたらいいじゃん!」
りかが叫ぶと、母は寂しそうな目をして首を横に振った。たとえ母の気が変わったとしても、父は絶対に認めてくれないのが分かりきっていた。
その両親が参加を許してくれた唯一の機会。地元を出ずに受けられるオーディションなんて、最初で最後のチャンスだったかもしれないのに。
どうして自分は都会に生まれなかったのか。なぜ両親は東京に居を構えてくれなかったのか。
東京じゃなくてもいい。
「イナカなんか嫌い。富山なんか人間の住むとこじゃないっ」
「なんてこと言うのよ、あんたって子は」
呆れる母の肩越しに、りかは散り散りになったジャニーズのポスターを見下ろした。自らの手で引き裂いたそれは、儚く砕けた夢の象徴のようだった。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
二年生に上がっても、高校は楽しくないままだった。順番に呼ばれた進路指導の席で、若い担任教師は、りかの目と机上の紙を交互に見て言った。
「中井、
「見てのとーり、白紙です」
顔を斜めに傾けてりかは答えた。クラスの皆が何を書いているかなんて知ったことじゃない。
「お前なー、流石に何かあるだろ。将来やりたい仕事とか」
「仕事したくありませーん」
担任教師の真剣さを茶化すように、りかはなるべく軽薄そうに見えるようなヘラヘラ笑いを作った。担任のことは嫌いではないが、第一志望「アイドル」なんて、間違ってもこんなところには書きたくない。
「看護師はどうだ? やり甲斐あるし、収入も安定してるちゃ」
「えー、無理無理無理。りかが白衣の天使とか、患者さん可哀想すぎ」
「じゃあ、介護は。これからの時代、ますます需要の高まる大事な仕事だ」
「んー……。ウチのおばあちゃんは好きだけど、ヨソサマのお世話はちょっと……」
なんだかんだで正直に答えていると、はぁ、と担任は軽く溜息を
「しょうがないな、じゃあ保育士……は無理だろ。子供が子供の世話すんのは」
「あ、その中では一番マシな選択肢かも」
「お前、『マシ』とか言ったらその仕事を本気でやってる人にシバかれるちゃ」
「ごめんなさーい」
ぺろ、と舌の先を出したりかに、担任はじとっとした目を向けてくる。
「お前、なんで福祉コースにしたんだよ。あ、言わんでいいからな。知ってるから。勉強したくないからだろ」
「さっすが先生、りかのこと分かってるぅ」
あのなぁ、と担任が何か言いかけるのを遮って、りかはテレビに出てくる女子高生が言いそうな適当な台詞を頭から引っ張り出した。
「いいじゃん、先生。自称進学校だからって全員大学に行かなきゃいけないワケでもないでしょ。大体さー、勉強できる人がエライとか、世の中不公平じゃん?」
「
「やだもん、コツコツ勉強とか。人生逆転するなら、もっとこう、ぽーんと一足飛びに芸能界に行っちゃうとか、なんかそういう逆転がいい」
そこで、りかと担任は奇しくも同時に壁の時計を見た。次の生徒に交代する時間がもう迫っていた。
「いっそ東京行ってタレントにでもなっちまえよ」
「うん、なりたい」
「とりあえず、ここは保育士って書いとくからな」
「はぁい。子供が子供のお世話を頑張りまーす」
担任の疲れきった溜息を聞きながら、りかは進路指導室を後にした。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
放課後を一緒に過ごす相手なんて居なかった。幽霊部員の茶道部にも新学期早々のサボリを決め込んで、りかは一人で屋上に上がっていた。本当は立入禁止の筈だけど、それも知ったことじゃない。
「りかが保育士ねー。ゼッタイ保護者に怒られるやつじゃーん」
誰に聞かせるでもない声を弾ませながら、りかは両腕を広げて屋上を
子供の頃から見続けた山。この街を都会と隔てる天然の結界。
景色はキレイだけど。おばあちゃんの大事な故郷だけど――
それでもやっぱり、自分は、こんなところで
一人になると、頭は嫌でも先日のオーディションの記憶を辿っていた。チーム8の富山オーディション、ラスト二人にまで残れた最終選考を。
中学生で、眼鏡っ
どんなに考えても知ることはできない。誰も答えを教えてはくれない。確かに、学校の勉強の方がずっと公平で分かりやすいかもしれない。
ただ一つ確かなのは――
あの子はアイドルになって、自分は明日もイナカの高校生だってこと。
「……あれ?」
冷たい風が髪を揺らしたとき、りかは自分の頬を伝うものに気付いた。
指で頬を撫ぜると、生温い液体の感触がした。止めどなく溢れるそれに、美しい山の景色がみるみる
「違う違う違う。あたし、そんなキャラじゃないじゃん」
笑って誤魔化そうとしても、なぜだか涙は止まらなくて。
「なんで……なんで」
気付けばりかは、誰も居ない屋上で金網に背を預け、声をあげて泣いていた。
辛さとか悔しさとか、一言ではまとめきれない気持ちが、大粒の涙に変わって制服の袖を濡らす。子供の頃から言い続けてきた筈の言葉が、初めて実感を伴って彼女の心を
――ああ、そうか。自分は。
――本当になりたかったんだな、アイドル――。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
二〇一四年四月。四十七人の「会いに行くアイドル」が全国各地で産声を上げ、AKB48の歴史に新たなページが刻まれたその年。
富山で、埼玉で、新潟で――
運命に選ばれなかった少女達は、それぞれの街でそれぞれの空を見上げ、諦めきれない思いを噛み締めていた。
その時が少しずつ近付いていることを、彼女達はまだ知らない。
自分達を負かしたあの子達を、いつかリクエストアワーで上回ることも。いつか総選挙で彼女達を超えていくことも。
未だ動き出さぬ青春の時計を抱き、雛鳥達は待ち続ける。どこまで続くとも知れぬ青空の下、どこから訪れるとも知れぬ自分達の春を。
――羽ばたきの
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