第6話 夢へのルート
「受験番号4番――」
「受験番号5番――」
「受験番号9番――」
小さなスタジオに立ち込める
生まれて初めて味わう種類の緊張。バレエの本番前だってこんなに怖くないのに。正直、今でも夢なんじゃないかと思う。まさか自分がこんな場所にいるなんて。
「受験番号11番――」
「受験番号13番――」
地元のテレビ局のカメラが回る中、一次審査の通過を告げられた子達が笑顔で椅子から立ち上がっていく。審査員が番号と名前を読み上げるたび、ハイ、と元気よく返事をして。
チーム8の新潟オーディション、応募総数は百九十一人。その内、書類審査を通過してこの場に呼ばれたのは、僅か二十九人。この中から一体何人が次の選考に進めるのか――。
「――
「ハイ」
新潟美人という言葉は嘘ではないと、今日のオーディションを通じて日陽は確信していた。さっき呼ばれたあの子も、今呼ばれたあの子も、みんなみんな可愛い。こんなに可愛い子達が揃った中で、バレエと八重歯くらいしか武器のない自分が果たして選んでもらえるだろうか?
ゲスト審査員に名を連ねているのは、新潟のタウン誌の編集長や、FM新潟のパーソナリティ、新潟出身の元チアリーダーなど、この地を代表する凄い大人達ばかり。そんな人達の厳しいお眼鏡に自分がかなうだろうか。
地元に居ながらにしてAKBの一員になれるという、またとない機会。自分の人生にこんなチャンスは二度と巡ってこないと思って、日陽は全力で歌い、踊り、自分の思いをアピールしたつもりだった。だが、周りの子達だってそれは同じだ。誰一人として本気じゃない子はいない。それでも、選ばれるのは一部だけ――。
「受験番号23番――」
24番。30番。31番。次から次へと番号と名前が呼ばれていく。呼ばれた子達の嬉しそうな返事と混ざって、番号を飛ばされた子達の失意の念がひたひたと伝わってくる。数秒後には自分もそちら側かもしれない。日陽の番号は、43番――。
「受験番号35番、
「はいっ!」
自分の番号が近付くにつれ、かたかたと拳が震えるのを日陽は感じていた。その時が来るのがただただ恐ろしかった。今にも審査員が「以上」と言ってしまいそうで。自分を飛ばして後の番号が呼ばれてしまいそうで。
「受験番号、よんじゅう――」
びくり、と意識が硬直した。次に聞こえる一音次第で全てが終わってしまうかもしれない。「よんばん」か、「ごばん」か、「ろくばん」か――
「――さんばん。
――えっ。
心臓がどくんと脈打つ。聞き間違いではない。審査員は確かに自分の名前を言った。
「は……はいっ」
引き寄せられるように日陽は椅子から立ち上がる。足は震え、力は入らなかった。
「受験番号46番――」
後の子が呼ばれるのを意識の片隅に聞きながら、日陽の頭はやっと状況を認識していた。自分が、次の選考の候補に残った――!?
「――以上十六名の方が、今後行われる最終審査に進むことになります」
審査員がそう告げると同時に、わっと泣き出す子もいた。自分よりずっと可愛い子達が名前を呼ばれず、肩を落として打ちひしがれる姿は、日陽の心を軽く
あれよあれよという間に、日陽ら最終候補者十六名はテレビカメラの前に居た。順々にマイクを向けられ、一人一人がテレビ向けの一言をカメラに向かって述べていく。高鳴る胸の鼓動を押さえ、日陽も精一杯の笑顔を作った。
自分が何を言ったのかはよく覚えていないが、多分、「みんなに笑顔を届けられるような人になりたいなと思います」とか何とか、当たり障りのないコメントに終わってしまったような気がする。
太陽のように、とか、昔見たAKBの先輩達みたいに、とか、頭に思い描いていた気の利いたセリフは、緊張と嬉しさで全て吹き飛ばされてしまっていた。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
「日陽ちゃん」
控室に戻り、まだ受け止めきれない現実に日陽がほうっと息をついていると、誰かが後ろから、とんとん、と肩をつついてきた。
「おめでと」
「えっ?」
振り向いた先にあったのは、ボブヘアーの女の子の明るい笑顔。同じく最終候補に残った一人だった。この場に集まった可愛い子達の中でも特別可愛くて、実は朝からずっと気になっていた子だった。
「えっと……
「あっ、名前覚えてくれたんだ。嬉しい。お互い残れてよかったね、日陽ちゃん」
綺麗な
胸の番号札を外して、大事そうに撫でながら、栞は言う。
「実はわたし、名前呼ばれてからずっとドキドキしてたんさ」
「え、呼ばれてから?」
「うん。最後の最後で、『ただ今名前を呼ばれた者は、残念ながら審査に合格しなかった者である。直ちに帰り支度をするように――』とか言われちゃうんじゃないかって」
人差し指を立て、軍人さんのような口調を作る彼女の姿に、日陽は思わず笑った。
「なんですか、それっ」
「えっとね、旧海軍パイロットの坂井三郎さんの自伝に出てくる話。自分達の裏に沢山の不合格者がいることを自覚させて、合格者の気を引き締める狙いがあったんだって」
「へえー……。栞さん、物知りなんですね」
彼女は確か十六歳。日陽より二つ年上の筈だった。だけど、自分があと二年で彼女みたいになれるかというと、どう頑張っても無理な気がする。
「日陽ちゃんも何か本読んでたじゃん? それで気になってて」
「あ、これ……?」
日陽が自分のバッグから文庫本を取り出すと、それそれ、と栞は笑顔を弾ませた。オーディションを受けることになってから買った、新潟県の歴史についての本だった。
「新潟メンバーのオーディションだから、ちょっとでも勉強しとかなきゃって思ってさ。でもダメ、全然、緊張して頭に入らなかったです」
「緊張するよね。わたしもオーディション初めてだから、もう上がりに上がっちゃってさ」
「えー、絶対ウソでしょ」
審査が始まる前も、今も、栞は全身に余裕のオーラを漂わせているように見えた。オーディションが初めてというのも、正直信じられないくらいだ。
「わたし、
「わたし、村上から」
「海がキレイなところだよね。お茶と鮭と、あ、あと、あれ、『
「わぁ、なんでそんな詳しいんですか」
勉強したんさ、と胸を張ってはにかむ栞の姿が眩しい。対して、彼女の町に何があるのか知らない自分が少し恥ずかしかった。
「日陽ちゃんは、なんでアイドルになりたいん?」
ペットボトルのお茶で喉を
「わたし、小学生までは、ずーっと、バレリーナになりたいなって思ってたんですけど。でも、周りの人達の話を聞いてたら、それをホントに仕事にしていくのは難しいんかなって。だから……ずっとバレエを続けるのか、どうするんか……最近はちょっと迷っててさ」
「バレエかー、スゴイなぁ、特技があって。それ、きっとアイドルでも活きるよね。ホラ、SKEの
やっぱり、48グループのメンバーにも詳しいんだ――。
当たり前のことかもしれないが、それでも、日陽は彼女の博識ぶりに素直に目を見張った。この人、逆に知らないことはあるんだろうか?
「でもねー、わたしも迷ってるよ。わたし、こんな名前だっけさ、本読むのが好きで。将来は自分も本を書くような仕事がしたいなって思ってんさ。でも、お喋りするのも好きだから、アナウンサーもいいかなって。どっちにするか迷ってる」
「え、アイドルは?」
バラエティでも活躍できるアイドルになりたいです――と、カメラの前で語った彼女の姿を思い返して日陽が問うと、栞はクスリと笑った。
「もちろん、アイドルにもなりたいよ」
陽光の差し込む窓から新潟の空を見上げ、彼女は言う。
「わたし達の前には、きっとたくさんの夢へのルートがあるんさね。どんな道を通っても、最後に夢を叶えた人の勝ちなんさ」
彼女の言葉は、迷っていた日陽の胸に暖かく染み渡るようだった。
こんな綺麗な言葉を操れる人なら、きっと何にでもなれるのだろうと思った。本を書く人にも、アナウンサーにも、もちろんアイドルにも。
気付けば他の参加者達は皆、控室を後にしていた。スタッフに促されて、日陽は栞と一緒に部屋を出た。
「このオーディションがどうなっても……日陽ちゃんとは、きっとまたどこかで会える気がする」
建物を出て、別れる間際、彼女はそう言って日陽に握手を求めてきた。その柔らかな手を握り、日陽も微笑み返した。
「会いに行きます。握手券買って」
「ふふ、違うよ。わたしが会いに行くんだよ」
栞がくしゃりと笑窪を浮かべる。それは今日見た中で一番の笑顔だった。
アイドルになった日陽の握手会に来てくれるという意味で、そう言ったのか。それとも、「会いに行くアイドル」になるのは自分だからと言ったのか。それだけは最後まで分からなかったが――
この人がアイドルになって歌い踊るところを見てみたい。そして願わくば、同じグループで自分もアイドルを――。
二人同時に選ばれることなんて有り得ないのに、日陽は強くそう思った。
雪の降り止んだ新潟の空は、珍しく青く晴れ渡り、未来を映しているように見えた。
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