M02. 47の街へ

第4話 会いに行くアイドル

 雨の新潟駅に普通列車が滑り込んだ。他の乗客がボタンを押すと、開いた扉から外の冷たい空気が車内に流れ込んできた。


「大丈夫? 駅着いたよ」


 日陽ひなたは青白い顔をした友人の手をそっと握り、一緒にホームに降り立った。友人は口元を手で押さえ、「ゴメン」とこの三十分程で何度目かの謝罪の言葉を繰り返した。


「本当、特急にしたらよかったね……」

「いいさ、いいさ。ホラ、お薬買いに行こう?」


 友人は申し訳なさそうにコクリと頷いて、一時間以上ぶりの外気を味わうように深く呼吸をした。

 しょうがないのだ。何しろ特急は高い。村上むらかみ駅から新潟駅まで、七十六分の所要時間が四十六分になるだけなのに、運賃は二倍以上にもなる。中学生にはちょっと簡単には手が出ない額だ。それに、特急「いなほ」に乗ったからといって、この子が酔わなかったとは限らない。

 前にも彼女とこんなことがあったな、と日陽は思い返す。乗り物酔いに弱いとわかっていながら、この子はバスや電車の中でも平然と携帯電話スマートフォンを見るのだ。まあ、そんな彼女のネット好きがあればこそ、今日のチケットも手に入ったのだが。


「……うん。ちょっとラクになった気がする」


 駅構内のマツモトキヨシで薬を買い、水筒のお茶で飲み干して一分と経たない間に、友人はけろりとそう言って笑った。そんなにすぐ効くわけがないと思わないでもないが、まあ、テレビでやっていたプラシーボ効果とかいうやつかな、と思って日陽は納得することにした。


「結局、特急乗ったんと同じくらい掛かっちゃった……」

「まあまあ。お薬、何回分かあるでしょ? 残りはカバンに入れておけばいいさー」


 人の流れに沿って、二人は万代ばんだい口に出た。一段の寒さにコートの襟を押さえつつ、日陽は折り畳み傘を広げる。

 日曜日の新潟駅前は、雨天だというのに多くの人の波が絶えず行き交っていた。


「わたし、お姉ちゃん達みたいに東京とは言わないから、せめて新潟の街に住みたいんさねー」


 先程までの青ざめた顔がウソのように、友人は日陽と傘を並べて歩きながらそんなことを言った。


「まあねー。そしたらいつでも映画館行けるもんね」

「そうなんさ。このへんの子達は、学校帰りにふらっと映画観たりできちゃうんさ。ていうか、村上にも映画館があればいいんだって。そしたら、リクアワだって全日程観れたじゃん?」


 今回、彼女が日陽を誘ってくれたのは、AKB48グループのリクエストアワーというイベントだった。ライブビューイングといって、東京でやっているコンサートの模様が全国各地の映画館で観られるのだ。もっとも、その「各地」というのは、少なくとも新潟市レベルの街でということであって、そもそも映画館がない日陽達の町にはアイドルの輝きが届くことはない。


「結局、『会いに行けるアイドル』って言ってもさ、会いに行けるのは都会の人だけなんさね」

そうだよねそうなんさね……」


 日陽の脳裏にフラッシュバックするのは、かつて秋葉原の劇場で見た、まばゆきらめきを纏って歌い踊るアイドル達の姿。

 あれから三年。AKBはいくつものヒット曲を世に送り出してきたが、日陽があの女神達に再び「会いに行ける」機会はついに一度も訪れないままだった。新幹線一本で繋がっているとはいえ、地方に住む中学生にとって東京はあまりに遠い。


 昨年秋に出来たばかりの商業施設ラブラ2を横目に通り過ぎ、日陽達はライブビューイングが行われるT・ジョイへと辿り着いた。十八時の上映開始にはまだかなりの時間があるが、映画館の周りは既にそれらしきお客さん達でごった返していた。

 サイリウムを何本も持ち、大きなリュックに推しメンの缶バッジをいくつも付けている人。誰に見せるつもりなのか、寒いのに上着の前を開け、推しメンの生誕祭Tシャツを見せびらかしている人。AKBの居ない街にも、アイドルファンはちゃんと居るのだ。


「……あんまり、私達うちらくらいの子はいないね」

「こんなもんさ」


 ロビーの椅子に並んで腰を下ろし、友人からチケットを受け取ったところで、日陽はふと、周りのアイドルファン達の喧騒の中に気になる言葉を聞いた。


「ヤバイですよね、『チーム8エイト』」

「あれ、思わず突っ込みましたよ。一チーム四十七人は多すぎだって」

「思った思った。でも、新潟県からもメンバー出るんなら、何気に48グループ史上初ですよね」

「いやいやいや、ていうか、そもそも、人口比率に対して新潟不毛すぎでしょ。出身者ゼロ人って」


 オタク特有の早口に引きつるような笑いを交え、彼らは楽しそうにその話題に興じていた。

 ……チーム8? 四十七人? 新潟県からもメンバーが出る? 一体、何の話をしているのだろう?


「ひーなた、どうしたん」

「うん……ちょっと、スマホ貸してくんない?」

「?」


 友人はきょとんとした顔をしながらも、ピンク色のカバーの付いたスマートフォンを差し出してくれた。日陽はネットのブラウザを開き、慣れないフリック入力で検索窓に「AKB チーム8」と入れてみる。

 たちまち検索のトップに表示されたのは、「AKB48、トヨタ自動車のサポートで新チーム結成」というニュースサイトの記事だった。


「なにそれ? 新チーム結成?」


 友人が横から画面を覗き込んでくる。彼女にも見やすいように画面を傾け、日陽は記事の中身に目を通した。それは、一昨日、リクエストアワーの初日にサプライズ発表されたばかりの告知であるらしかった。

 AKB48グループ初の、外部企業のサポートによる新チーム。ファンが劇場に会いに来るのではなく、全国各地に「会いに行くアイドル」という、これまでにないコンセプト。メンバーは四十七の都道府県から一人ずつ、各地のテレビ局で開催されるオーディションで選出される――。


「これって……イナカにも来るってこと? AKBが」

「……来るっていうか、なるんじゃん。イナカの子がAKBに」


 ニュースの内容を噛み砕いて口にした瞬間、日陽の脳裏に稲妻の如き天啓が閃いた。


 チーム8。全都道府県からの選出メンバー。会いに行くアイドル。

 これなら、イナカ住まいの自分も、AKBに会える――

 いや、AKBに――?


「……オーディションは……同日から受付開始……」


 無意識の内に、記事の末尾の一文を、日陽の唇はぽつりと読み上げていた。


「どうしたん? ひなたー?」


 友人の声も、周囲のファン達の喧騒も、もう彼女の耳には入らず――

 秋葉原の劇場で女神達の輝きに心を撃ち抜かれた時と同じ衝撃に、日陽はただ心を震わせていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る