第2話 新潟にアイドルを

「グルメってのは実際、いつの時代も強いことは強いんだけろも……。新潟のグルメはどうも発信力に欠けるんさね。本当は日本一と言える魅力があんのに、一番手になりきれん。全国区の認識は、いつまで経ってもラーメンといえば博多に札幌、ワインといえば長野や山梨なんさ」

「だっけさ、その発信力ってやつを高めていかなきゃいけねえんさね。今じゃ、コシヒカリさえ、『ゆめぴりか』や『つやひめ』に地位を脅かされつつあるろ。新酒しんしゅ鑑評会かんぴょうかいの入賞率も最近は振るわんろ。どうしてそうなったん? 我が県が王者の地位にかまけていたのめしこいてた間に、他県は着実にアピールを続けてきたんらさね」


 市役所本館四階の会議室には侃々諤々かんかんがくがくの声が飛び交っていた。瀬賀せがは上役や先輩達が繰り広げる議論に耳を傾けながら、先程書きつけたばかりの手元のメモにちらちらと目を落とし、この後の発言の段取りを脳内でシミュレートしていた。


「結局、魅力をどう発信するかってところに話が帰着するわけらよ。五大ラーメンや新潟ワインカーブドッチが未だ全国を席巻してないんは、知られる努力を怠っているのめしこいてるためらね」

「しかし、そもそも、仮に新潟のラーメンやワインが日本一の評判を確立したとして、それだけを目当てに新潟に人が来てくれるんでしょうか? ご当地グルメというのは、言ってみれば『ついで』でしょう。評判は高いに越したことはありませんが、それだけでは弱いんじゃないですか」


 瀬賀の三年先輩である女性職員の久住くすみが、ドライな性格を感じさせる口調ですぱりと言うと、グルメの話で盛り上がっていた者達も一様に「うぅむ」と押し黙ってしまった。

 それを頃合いと見たのか、課長の五十嵐いがらしは薄毛の目立つ頭で大きく頷き、続いて瀬賀に目を向けた。


「じゃあ次に、お待ちかね、若手の意見を聞いてみよてば。瀬賀君」

「はい」


 いよいよ出番だ――。皆の視線が注がれる中、瀬賀はごくりと息を呑んで、ほんの三十分ほど前に得たばかりの着想を喋り始めた。


「今、日本中で流行っているものといえばアイドルです。なんで――」


 居並ぶ上役や先輩達を控えめに見渡し、彼は一拍いっぱく置いて口にする。真面目な会議の場で口に出すにはやはり気恥ずかしさの拭えない、その固有名詞を。


「――AKB48を、新潟に呼ぶのはどうでしょうか」


 満を持した彼の発言に、五十嵐や久住をはじめ、席上の面々は一様に目を丸くした。だが、それも束の間、直ちに正気の言葉が飛び交い始める。


「AKBのイベントか何かを誘致しようっていうんか?」

「AKBねえ。確かにウチの娘も何か知らんがよく歌ってるてば」

「人気アイドルのイベントなら、確かに新潟でもそれなりの集客数は見込めるかもしれんね」


 ひとまず、ふざけた発言として一蹴されなかったことに瀬賀は安堵したが、同時に、しまった、とも思った。自分の言い方が悪かった。これでは、真意がこの場の誰にも伝わっていない――。


「確か、去年か一昨年くらいに、『モーニング娘。』が県民会館に来てたよな」

「でも、県民会館の客席数って二千人以下でしょう。AKBがどれほどのものかは知りませんが、その『モーむす』の時以上に客が呼べるんかしら?」


 一部で「雪女」とあだ名されている久住に、眼鏡越しの鋭い視線を向けられ、瀬賀はぞくりと背筋が一瞬冷たくなるのを感じた。本来言いたかったアイデアから逸れた方向に話が向かってしまっている焦りも忘れて、彼はほぼ反射的に、下調べのメモを読み上げていた。


「AKBの集客力は、現在、女性アイドルで一番と言われています。一昨日、横浜の日産スタジアムで開催された選抜総選挙では、七万人の観客を動員したそうです」

「へぇ。流石にケタが違うねっけ」

「でも、それは横浜という立地あってのことらろ。新潟じゃ朱鷺ときメッセで一万人動員がええとこじゃないんろっか」

「しかし、アルビレックスの平均動員客数は三万人以上らっけ、AKBでもそんくらいは集まるんじゃねっか」

「地場のスポーツチームの試合と、東京のアイドルのコンサートを同列には語れんろ」


 と、そこで、一同の話を引き継ぐように、課長の五十嵐が「そうだなそーいんだ」と低くゆったりした声で告げた。


「仮にAKBのイベントで数万人を動員できたとしよう。確かに、その時だけはファンが新潟の街にお金を落としてくれるかもしれん。だが、たった一日や二日盛り上げたって仕方ねえんだ。我々が考えるべきは、新潟市の恒久的な活性化なんさね」


 五十嵐に落ち着いた声で突っ込みを受けながらも、瀬賀は今だとばかりに言葉を重ねた。


「いえ、イベントを誘致するんじゃありません。作るんです、この街にAKBを」

「へ……?」


 五十嵐以下、一同の表情が今度こそ固まる。あのクールでドライな久住さえも、今は黙って瀬賀の顔を見返し、レンズの向こうの目をしばたかせていた。


「私の同期に詳しい者がいるので、色々聞いてきたんですが……。AKB48は現在、名古屋、大阪、博多に、それぞれ地方支店と言うべき姉妹グループを持っています。これが東京の本店に勝るとも劣らない勢いを見せているらしく、一昨日の総選挙でも、えー……SKE48の松井珠理奈と松井玲奈が、上位七名に入る躍進を果たしています」


 馴染みのない分野の話については、皆、黙って頷くしかないらしい。ほぉ、とか、へぇ、といった感嘆の声がばらばらと上がる中、先輩職員の一人が瀬賀の顔を見て言ってきた。


「いや、だけろも……。大阪に名古屋に博多だって? いずれも名だたる大都市ばかりだてば。悔しいが経済規模が違うろ」

「はい、だからこそ、逆転の発想を入れる余地があるんじゃないかと」


 内心を伝う冷や汗を隠しつつ、瀬賀は先輩の発言を取っ掛かりにする形でさらに話を展開する。


「私の同期は、AKBのために足しげく東京に通っています。彼いわく、『アイドルファンとはそういう生き物』だそうで、AKBに会うためならどこにでも駆け付けるというファンは全国にいるそうです。そのAKBの支店が新潟にあったらどうですか。逆に東京から新潟に人が来るようになりますよ」

「ふぅむ……。まるで角栄かくえいさんらな。『これからは東京から新潟へ出稼ぎに行く時代が来る』……か」

「理想は理想、現実は現実ですよ」


 ぴしりと冷たい口調で水を差してきたのは、やはり「雪女」の久住だった。


「AKBの支店が出来たら街が潤うんじゃないかという瀬賀君の考えには、私も異論はありません。しかし、問題は、その『出来たら』という前提がまず不可能だろうってことよ。名古屋、大阪、博多と来たら、次は順当に札幌か仙台か広島あたりでしょう。まあ、東北はあと数年は難しいかもしれんけど……いずれにしても、東京の人が全国展開を考えるとき、新潟はいつも二の次どころか十の次くらいなのよ」

「ですよね……」


 理路整然とした彼女の言葉に、瀬賀はたちまち己の中の気勢がくじかれていくのを感じていた。

 国民的アイドルグループと言われるAKB48の地方支店を新潟に作る――。閃いた瞬間は名案だと思ったのだが、やはり、立ちはだかるのは地域の壁、経済規模の壁であるらしい。

 新潟が全国区の仲間入りを果たすのはそれほど難しいことなのか。プロ野球の球団招致が結局ポシャってしまったのも記憶に新しい。サッカーのアルビレックス新潟が全国の舞台で戦えているのは、やはり奇跡的な例外に過ぎないのだろうか……。


「もっと根本的な問題があるてば」


 五十嵐の声に、瀬賀はハッと顔を上げた。薄毛の課長は瀬賀を中心に全員を見回してから、ゆっくりとした口調で言った。


「無理筋だとは思うが、仮に秋元あきもとやすしが新潟に目を付けてくれたとしてだな。招致が成功して、この街にAKBの支店が出来たとしようじゃねえか。……その結果、AKBを追って街にやって来るのはどんな人達なん?」


 問われた瞬間、瀬賀の脳裏には、以前にテレビのニュースでちらりと見た、AKBの握手会に集まった無数のファン達の姿がフラッシュバックした。


「地域活性化というのは、老若男女、全ての人に受け入れられなきゃ意味がねえんだ。瀬賀君の同期には悪いが、アキバ系のオタク族にだけ喜んでもらっても、あんまり意味がねえんだよ」


 それがこの話題を締めくくる最後の言葉となった。ばつの悪さを感じながら肩を落とす瀬賀に、雪女の久住が「ドンマイね」と意外な一言を掛けてくれたのが妙に印象的だった。

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