M01. 日本海の憂鬱

第1話 第五回AKB48選抜総選挙

 新潟市役所地下一階の食堂は今日も賑わっていた。地下ながら明るい光が差し込む食堂内には、市職員のみならず、お手頃なランチを求めるサラリーマンや近所のお年寄りの姿が多く見受けられた。


「つまり、今回の指原莉乃さっしーの一位は革命なんさ、革命。俺はバッチリ現場で見てきたけどさ。あの瞬間の会場のどよめきと言ったらなかったね」

「ふうん……」


 瀬賀せがは適当な相槌を一つ打って、洋ランチのコロッケを口に運んだ。向かいに座る同期の丸山まるやまは、名前の通り丸々と肥えた身体を揺らし、タレかつ丼とうどんのセットを前に熱弁を振るい続けていた。


「第三回総選挙における柏木由紀ゆきりんの『神崩し』をも上回るインパクト。AKBの歴史はこれで塗り替わったんさ」

「へえ……。しかし、お前も毎度毎度よく行くよな。東京だろ?」

「今回は横浜だよ。日産スタジアム。そりゃあ行くろ、俺は安定したオタかつのためにわざわざ公務員になったんだっけな」

「自慢することかねえ」


 苦笑いしながらも、瀬賀は丸山のことが少しばかり羨ましかった。自分には、彼のように熱く打ち込める趣味もなければ、胸を張って好きだと言えるものもない。男なら大学を出ておけと言われて新潟大学シンダイに行き、親に勧められるがまま市役所に入った瀬賀には、自分自身で望んで掴み取ったと言えるようなものはまだ何もなかった。


「あれ、前田敦子ってもう卒業したんだっけか?」

「ああ。去年の八月にな」

「大島優子は?」

「優子は居るよ。今回は、速報の時点から指原さっしー渡辺麻友まゆゆに抜かれてて、流石に最終順位では逆転するかと思ってたんだが、まさか二位に終わるなんてさ。前田・大島時代の本当の終焉。日本中がひっくり返る出来事だったわけよ」

「いや、俺は別にひっくり返らなかったけど……」


 主語を誇張した丸山の語りにとりあえず突っ込みを入れ、瀬賀はコシヒカリをかき込んだ。

 単に丸山コイツが熱心すぎるだけなのではないかと思わないでもないが、それでも、テレビをつければ猫も杓子しゃくしもAKBというここ数年の状況を見れば、彼が語るアイドル旋風とやらもあながち大袈裟ではない気もする。むしろ、AKBメンバーの名前を十人も言えない自分の方が異端なのではないかと思えてくるくらいに。


「じゃあ、アレは? 『テラスハウス』の子」

「ああ、北原里英きたりえ? あの子は今回、二十一位。事務所パワーもあるから流石にもうちょっと健闘するかと思ったんだが、蓋を開けてビックリ、初めての選抜落ちさ。指原さっしーとは同期なのに随分差が開いちまったんさ」

「へえ……。俺は結構可愛いと思ってたけどな、あの子」


 くりっとした目と大きな唇が特徴的なそのアイドルの姿を思い返し、瀬賀は言った。自分のような素人でも顔を知っているという時点で、それなりに上位のメンバーなのだろうと思っていたが、彼女の上にまだ二十人も居るというのは小さな驚きだった。


「だったら来年は投票してやることだな。と言っても、来年まで居るかどうか分かんないけどさ。同じ『Not Yetノイエ』の横山よこやま由依ゆいにさえ抜かれてっけど、SKEとの兼任も終わっちまったし、あの子もそろそろ潮時かもよ」

「……そんなもんなん。なんていうか、残酷だなあ、アイドルの世界ってのも」

「見てるこっちは慣れっこさ。その残酷さも含めて楽しむんだっけ」


 丸山はそんなことを言っているが、瀬賀はどうにも笑えなかった。

 自分達より若い女の子が仲間内で人気を競わされ、順位を付けられている……。彼女達が望んで飛び込んだ世界とはいえ、毎年の総選挙とやらの順位に本人達がどれほど一喜一憂しているかを考えると、こちらの胸までも痛むようだった。


「ていうか、ちょっとでも興味があるなら、お前も今度行こうぜ、劇場公演。やっぱアイドルの魅力は現場で見なきゃ伝わらないんさ」

「いや、別に俺はそこまで興味があるわけじゃねえし……。テレビで十分さ」


 同期からの何度目かの誘いを瀬賀はいつものようにかわし、残りのコロッケを平らげた。丸山もそれ以上深追いしてくることはなく、平然とタレかつを食らい、うどんをすすっていた。

 ――あのタレかつも、にピックアップしていたっけ……。

 アイドルから意識を離し、この食事の後に待ち受けている会議のことを思うと、瀬賀の心に小さな憂鬱が首をもたげてきた。土日の間に自分なりにをしたつもりだったが、大したアイデアは思い浮かばなかったのだ。


「……はぁ。俺、この後、昼イチで会議なんださ」

「会議?」


 丸山が反応してくれたので、瀬賀はダメ元で言ってみる。


「お前もちょっと考えるの手伝ってくんない? 新潟市を盛り上げる画期的な地域活性化プラン。俺も若手からの意見ってやつを発言しなきゃいけねんさ」

「そりゃあ大変だな。そんなの、考えろって言われて簡単に思いついたら誰も苦労しねえろ」

「だよなあ……」

Negiccoねぎっこの全国ツアーでもやったらいいんじゃね? ちょうど今年が十周年だし。それか、くまモン、ふなっしーに続く人気キャラを新潟から出すとか」

「ご当地アイドル、ゆるキャラ、ご当地グルメ……。その手の案は出尽くしてんさ」

 

 まあそうだよな、と丸山が言うのに合わせて、瀬賀は小さく溜息をついた。結局、この後の地域・魅力創造部の会議では、褒められないのを承知でありきたりの意見を述べるしかなさそうだ。


「お。見ろよ」


 丸山の指差すテレビに目をやると、昼のニュースでくだんのAKBの総選挙のことが取り上げられていた。


『一昨日の土曜、第五回となるAKB48の選抜総選挙が開催され、HKT48の指原さしはら莉乃りのさんが自身初の一位となり……』


「ん……?」


 ――HKT48?

 なんだ、それは。今、AKBとは違うグループ名が言われたような。


「なあ。何だよ、HKT48って」

「え? ……あー、そうか、そこから知らないんか。これだから一般人は」


 ちょうど食事を終えて箸を置いた丸山は、太い指をぐいっと立て、律儀に説明を始めてくれた。


「HKT48とは、名古屋・さかえのSKE48、大阪・難波なんばのNMB48に続いて、二〇一一年に博多はかたに誕生した、国内で四つ目の姉妹グループなんさ」

「へえ……。え、じゃあ何、あの指原さっしーってのは、AKBとは違うの?」

「んー、まあ、違うと言えば違うし、違わないと言えば違わないんだけろも……。俺らの間では、AKBを『本店』、他のグループを『支店』とか言ったりするな。ちなみに今は、ジャカルタのJKT48、上海シャンハイのSNH48なんてのもあるんだぜ」


 まるで自分の手柄のように誇らしげに言う丸山の説明を聞きながら、瀬賀はテレビに映るアイドル達の姿を目で追っていた。順位を呼ばれてステージに立つメンバー達のダイジェストに、キャスターの解説が重なる。


『……SKE48の松井まつい珠理奈じゅりなさん、松井まつい玲奈れなさんも揃って六位と七位にランクインし、地元・名古屋のファンを沸かせました。大阪のNMB48からも、山本やまもとさやかさんが十四位、渡辺わたなべ美優紀みゆきさんが十五位にランクインし、初めての選抜入りを果たしました』


『いやあ、ずっと応援してきましたから、ホンマ嬉しいですね』


 大阪の街頭でインタビューを受けるファンの姿に映像が切り替わったとき、刹那、瀬賀の脳裏に閃くものがあった。


「そうか……これだ」


 瀬賀は思わず身を乗り出していた。丸山が目を丸くして彼を見返してくる。


「頼む、この昼の間に、その姉妹グループとやらのことを俺にレクチャーしてくれ」

「おいおい、なんだよ、急に」

「思い付いたんだよ。会議で話すことを!」


 同期にアイドルオタクが居てよかったと、彼は初めて思った。

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