Overture - 美南の始まり

 あれは忘れもしない、中学一年生の初夏の頃のことだった。

 美南みなみはその日、バトン・トワリングの練習レッスンで一通りクタクタになった後、チームメイトに付き合って新潟駅前の家電量販店ビックカメラを訪れていた。親に携帯電話を買ってもらえることになったから、その下見に付き合ってほしいと友人は言うのだ。一年間に及ぶ交渉の末、やっと携帯を買ってもらう許しを取り付けたという彼女にせがまれては、とても断るわけにはいかなかった。


「本当はさー、美南みなみちゃんのみたいなんが欲しいんだけどさ」

「スマートフォン? ダメなん?」

「だって、普通の携帯よりメッチャ高いし、中学生には早すぎるってお父さん言うんさね。もう、何でもすぐ買ってもらえる美南ちゃんが羨ましいよぉ」

「別に、何でも買ってもらえるわけじゃ……」


 美南はそこで言いよどんだ。自分がスマートフォンを持っているのは事実なのだから、どう言い訳したところで友人にはこくにしかならないと思った。

 どうやら自分の家はらしいということに、彼女は小学校の途中くらいから気付き始めていた。普通の家の子は、外国のエンブレムを付けたピカピカの車で学校に送ってもらったりはしない。クラスの皆は、誕生日プレゼントに本物のレジの機械を買ってもらったりはしない。

 新潟の街のために立派な仕事をしている父のことを彼女は尊敬していたが、特別な親のもとに生まれたことで自分が与えられている綺麗な服や最新のスマートフォンなどは、あまり自分から周りに自慢してはならないのだと、いつの頃からか察していた。


 ウキウキした顔で携帯電話の陳列を見ている友人を横目に、美南が手持ち無沙汰ぶさたにテレビの画面に目をやると、ニュースで何かのイベントが特集されていた。それは東京でその日あったばかりのアイドルのイベントであるらしく、メンバーの女の子達が次々名前を呼ばれては、涙をこらえながらスタンドマイクの前に出てきていた。


『これから増え続けていくであろう仲間達。そして、いつか去ってしまうだろう仲間達を……わたしは、メンバーという立ち位置で、見守り続けたいと思います』


 売場にずらりと並んだ新品のテレビが、「7位」という文字テロップとともに、芯の強そうなアイドルの姿を映している。


「あ、だ」


 携帯を見ていたはずの友人が、いつの間にか美南の横にやってきて、興味ありげに画面を覗き込んでいた。


「たかみな?」

「ホラ、この人。美南ちゃんと同じ名前なんらよ」

「へぇ……」


 普段はテレビなど全く見ない美南には、画面の中の彼女が誰で、どんな人なのかも分からなかったが――


『そして、と――! わたし、高橋たかはしみなみは、その人生をもって証明します!』


 ――黒い瞳をぎらぎらと輝かせ、力強く宣言する彼女の姿は、美南の心にいかずちの如き衝撃を叩き込んだ。


「……かっこいい」


 思わず美南は呟いていた。友人がニマニマと笑い、テレビの画面と美南を交互に指差す。


「あの人が『たかみな』だっけさ、美南ちゃんなら『加藤美南かとみな』って感じ?」

「何よ、それー。ヘンなあだ名」

「明日からそう呼んじゃうから」

「やだやだ、なんかヘンだもん」


 結局、友人が彼女をその名で呼ぶことはなかったが――

 “努力は必ず報われる”。自分と同じ名のアイドルが堂々語ったその一言だけは、強く彼女の心に残って消えなかった。

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