『ProjectTOKI ~新潟にアイドルの輝きを~』本編

M00. Overture

Overture - 日陽の始まり

 それは忘れもしない、小学五年生の冬のことだった。

 初めての東京。初めてのバレエの晴れ舞台。その帰り、同じバレエ団のお姉さん達に連れられるがまま入った、秋葉原あきはばらの劇場で――

 十一歳になったばかりの日陽ひなたは、の輝きに心を撃ち抜かれた。


 バレエ団のお姉さん二人に挟まれて列に並んだ、長い長い待ち時間。二本柱にほんばしらの劇場に立ち込める、周囲の大人達の独特の熱気。

 前座を名乗る女の子メンバーの一曲披露に続いて、暗がりの劇場に響き渡る騒々しい音響効果。

 それが序曲オーバーチュアと呼ばれるものだったことを、彼女は遥か後になってから知る。



 Everybody!

 ――さあ、みんな、


 A live act never seen before.

 ――見たこともないライブが始まるぜ。


 Here in world famous Akihabara,

 ――天下に名高いこのアキハバラに、


 These angels have come down to perform for you.

 ――オマエラのために歌い踊る天使達が舞い降りた。


 Are you ready?

 ――準備はいいか?


 Are you ready!?

 ――準備はいいんだろうな!?



 テレビでアイドルを観ているだけでは絶対に味わうことのない、独特の高揚感。

 もちろん、当時の日陽ひなたには、そのアナウンスが何を言っているのかなど分からなかったが――

 

 それだけは、はっきりと感じられた。


「――タイガーファイヤー人造サイバー繊維ファイバー海女ダイバー振動バイバー化繊ジャージャー!」


 周囲の大人達が気合を込めて何かを叫んでいる。大半が見知らぬ者同士だろうに、まるで軍隊のような規律正しさで、色とりどりの光る棒サイリウムを振りながら。


「何て言ってるん?」


 日陽ひなたが隣のお姉さんに小声で問うと、彼女は笑って首を横に振った。


「わかんない。呪文みたいなもんだよ」


 そういうものなのか、と日陽は思った。

 そう、今でも意味など分からないし、きっと分からないままでいい。それは神に捧げる呪文なのだ。敬虔けいけんなる信者達が声を合わせ、偶像ぐうぞうに神を降ろす祈りの祝詞のりと――。


「――トラヒー人造ジンゾー繊維センイ海女アマ振動シンドー化繊カセントビ除去ジョーキョー!」

「――チャペアペ人造カラ繊維キナ海女ララ振動トゥスケ、ミョーホントゥスケ!」


 人々の祈りが一手に集まるとき、神の輝きは地上に顕現けんげんする。人にしてその身に神を宿す、選ばれし依代よりしろ――偶像アイドル達の身体を借りて。


Aエー! Kケー! Bビー! 48フォーティーエイト!』

Aエー! Kケー! Bビー! 48フォーティーエイト!」


AREアー YOUユー READYレディ――』


 刹那、劇場に爆音が弾け、光の中に十六人の人影が並び立つ。

 観客達の歓声を浴びて、女神達の躍動が始まる瞬間――

 巨大な鉄槌ハンマーで心をぶち抜くような衝撃が、日陽の全身を震わせた。


 これが――


 肌を刺す音楽の振動とともに、弾ける歌声が鼓膜を叩く。華奢な肉体が舞台狭しと躍動すれば、玉散る汗が熱気を高める。

 衣装のすそをひらりとひるがえし、目まぐるしく入れ替わる隊列フォーメーション一糸いっし乱れぬダンスの最中さなか、客席に振りまかれる視線レスの電撃。

 遥か銀河を旅した流星が、夜空に隕石メテオの尾を引くように――

 見る者の心を丸裸にする笑顔の洪水。何者も逃れられぬ輝きの聖域フィールド


「これが、アイドル……!」


 日陽はこれまで、彼女達のことを「」つもりだった。地元の局で映る彼女達の番組は欠かさず観ていたし、バレエ団の友達と一緒に、彼女達の曲のダンスを完コピして踊ったことすらあった。

 だが――。

 テレビの歌番組で聴くのとは全く違う曲。画面越しに観る笑顔とは全く違うなまの迫力。

 彼女の知らなかったが、そこにはあった。


「皆さん、こんにちは! AKB48・チームBです!」


 瞬く間に序盤の四曲を歌い終え、びしりと整列した彼女達が舞台の上から名を告げる。大歓声と拍手が劇場を揺らす中、顔を上げた彼女達の姿は、どんな太陽よりも輝いていて――。


「シアターの……女神……」


 幼い日陽は、たった今記憶こころに叩き込まれたばかりのその歌詞フレーズを、知らぬうちに呟いていた。

 そして、女神達が次々とマイクを回し、自己紹介を連ねていく。聖別せいべつされたその名を一人一人が名乗るたび、狭い劇場一杯に信者ファンの歓声が響き渡る。


「愛知県出身、十九歳の北原きたはら里英りえです! よろしくお願いしまーす!」

「寝ても覚めてもゆきりんワールド、夢中にさせちゃうぞっ。ゆきりんこと柏木かしわぎ由紀ゆきです!」


 人ならざる光をその身に宿した彼女達の姿は、ただひたすらにキラキラしていて。


「あの子ら、ウチらと同い年なんらて。すごくない?」

「ねー。人間の種類が違うよね」


 両隣のお姉さん達が交わし合うヒソヒソ声を頭上に聴きながら、日陽は身を乗り出すようにして舞台に見入っていた。

 初めて知った本物の輝き。テレビやCDでは伝わらない絶対的なオーラ。


 ――この世界には、こんなに凄い人達がいるんだ。


 



 めくるめくような感激の一時ひとときが過ぎ去り、アイドル達にハイタッチで見送られて劇場を出てからも、日陽は己の胸に打ち込まれた衝動の余韻をぬぐい去ることができなかった。

 たったこれだけしか観られないなんて、全然物足りない。もっともっと、あの人達の輝きに触れたい。


「ね、来てよかったろ」

「うん、また来たい! また連れてって!」


 日陽が答えると、お姉さん達二人は顔を見合わせてくすくすと笑った。


「あはは、簡単には来れないよ。東京だもん」

「新潟には無いん?」

「ないない。東京だけなんさ、こんなん。あ、今は名古屋にもあるんだっけ? どっちにしても都会だけなんさ」

「……なあんだ、無いんだ」


 お姉さんの言葉が日陽には無性に寂しかった。学校も、映画館も、デパートも、バレエ団だって新潟にはあるのに、アイドルの劇場は無いんだ――と。


「あたし、就職は絶対東京でするんさ。イナカなんか出てやるんさっ」

「いいなぁ。ウチは絶対地元で就職しろって、こないだもお父さんに言われてさ」


 十一歳の日陽には、お姉さん達の言い合う言葉の意味が全て理解できたわけではないが。

 大人達が「地域格差」などと呼ぶものを彼女が初めて意識したのは、間違いなくこの時だった。


「あったらいいのにな。新潟にも、アイドル……」


 東京の街に沈む夕陽が、自分の心を映しているかのように見えた。

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