第24話「ゾンビを拭う人 その三」
治療を終え、ついでにHIVの経過観察の為採血もした達士はようやくの思いで家へと戻り、そのままベッドへ倒れ込んだ。
思ったよりも疲労が溜まっていたようで、すぐに眠りについた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
達士は走っていた。
力の限り逃げていた。
走っては後ろを振り返り、走っては後ろを振り返りを何度も繰り返していた。
そして、後ろを振り向く度に、大柄の男が常にぴったりと歩いてついて来ていた。
その男はどれだけ走って引き離したと思っても、振り返るとすぐ後ろにいた。
「どうなっているんだ!?」
走りを専門にしているアスリートに比べると落ちるが、それでも毎日のように重い装備を持って走り続けた達士には、脚力にそれなりの自負はあった。しかし、その脚力をもってしても引き離せない相手がいる。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……」
80キロくらいは走ったかという頃、ついに体力が切れ、その場に崩れ落ちる。
大柄の男は、まるで無尽の体力を持っているかのように悠々と息一つ乱れずに追いつくと、その全容が確かになる。
「ぜぇ、ぜぇ、お、お前は、ハルオか?」
ハルオの顔色は良く、ゾンビにはとても見えない。
そして、その表情にはくっきりと怒りと悲しみが浮かび、口が静かに動いた。
「よくも、母さんを……」
――ガバッ!!
「うわあああああああっ!!」
汗びっしょりでベッドから跳ね起きる。
「……はぁ、ゆ、夢か?」
倦怠感が体を襲うが、いつものことと割り切り、無理矢理に体を動かし朝の支度を行う。
朝食に野菜ジュースを飲み、それから軽く運動。
左腕にビニールを巻いてからシャワーを浴び、今度はトーストとスクランブルエッグ、ベーコン、サラダ、ヨーグルトという朝食をしっかりと取る。
「さて、出勤する……うっ」
軽いめまいに襲われ、体が動かなくなる。
その場でずるずると座り込むと、意識が朦朧とし始める。
(まずい……、とにかく、電話を)
スマホを取り出し、職場へ電話をかけたところで意識が途切れた。
※
「くっ、ああっ、くるな。くるんじゃない!!」
「隊長、隊長、大丈夫ですか?」
「う、うう……」
隊員の声が聞こえ、ゆっくりと意識が覚醒する。
「すまない、大丈夫だ。ところで、今の時間は?」
「昼の12時です。いつもの時間になっても隊長は来ないですし、無言電話はあるしで、で、代表して来てみたら倒れているじゃないですか」
「そうか。もう大丈夫だ。これから行く」
「いやいや、昨日の傷が原因ですよね。今日は休んでてください。それに体、すごく熱いですよ。熱が出てるんじゃないですか?」
先ほどまでも悪夢にうなされていた自覚はあり、とても家にいても休める気がしなかったのだが。
「それに上司が体調不良のときに休んでくれないと、部下はいつ休んでいいか分からないじゃないですか」
と、言われ一理あるなと、大人しく、休みをもらうこととした。
「ベッドに戻る。すまないが、手を貸してもらえるか?」
「はい!」
達士は隊員の手を借り、ベッドへ。
隊員はそこまで運び、さらに水分や食料をベッド脇へ置くと、退室した。
「ふぅ、昔だったら焼肉でも奢ってやるところなんだがな」
今の自分では……、唾液からの感染リスクは限りなく低いとはいえ遠慮をしてしまう。
そんなことを考えつつ、寝ないで横になり休息を図るつもりだったのだが、再び急なめまいに襲われ、意識がなくなっていく。
再び夢の世界で、ハルオと遭遇すると、くっきりと怒りの表情を浮かべ、その手が達士の首を掴む。
「ぐっ、あっ、がががっ」
腕を引きはがそうとするが、達士の膂力を持ってしても叶わず、息苦しさからバタバタと足を漕ぐが手が緩むことはなく。
――ゴキッ!
鈍い音が体中に響くと、意識が暗転した。
「ハァハァハァ」
気が付くと、再びハルオから逃げていた。
首は骨が折れていることもアザになっていることもなくいたって正常な状態。
体力も戻ったのか足が動く。
「殺されてたまるかっ!」
そう意気込んでも、相手は無限の体力を有しており、次第に距離が縮む。
「くっ、来るな! 来るんじゃないっ!!」
憎しみに顔を引きつらせたハルオの牙が達士の首元を引き裂いた。
「こ、ここは?」
今度は最初から地面へと伏せっており、顔を見上げると、そこにはハルオの姿。
ハッと息を飲んだ瞬間には、その鉄槌が振り下ろされていた。
「ハッ!! 自分は何回死んだ」
今現在生きているのに、死んだというのもおかしな言葉だったが、警察官でなくてもあれらが致命傷だったということは分かる。
死ぬ度に体力は戻るようで、今は体も軽い。
「逃げても殺られるだけだ。ならば――」
ならば体力のあるうちに攻勢へ出ると達士は決めるとハルオを待った。
じっと、待ち続けると、暗闇から不意にその姿を現す。
「このバケモノがっ!!」
今までの経験から、ゾンビに対しては技よりも力での攻撃の方が効果的だと理解していた達士は拳を軽く握り、最速でハルオの顔に拳を叩きこんだ。
が、しかし。
拳を受けてもハルオはビクともせず、逆に拳を叩きこまれた。
ハルオの拳は人間でもゾンビでもありえないほどの力で達士の胴体を貫いた。
「ごふっ……」
口から、胴体から溢れる血を最後まで苦々し気に見つめると、
――ジリリリリリッ!! ジリリリリリッ!!
「うわああああっ!!」
電話の着信ベルによって意識を覚醒させた達士は、首、首筋、胴体を確認する。
(なんともない……)
体に異常はなかったが、ここ数時間で数回の死を味わった達士の精神は疲弊しきっていた。
この短い時間で体はやつれ、目には
――ジリリリリリッ!! ジリリリリリッ!!
着信ベルにはっとして、電話を取ると、隊員からのものだった。
「隊長、ご無事ですか?」
つい数時間前に会ったばかりだというのに、ご無事とは変な言い回しを使うと思ったが、先を促す。
「ああ、大丈夫だ。何かあったのか?」
「実は、あのハルオに噛まれた男が錯乱の末、亡くなったのはご存じでしたよね」
「ああ、管轄が違うから話程度にだが」
「実は司法解剖の結果、未知のウイルスが検出されたそうです。隊長も調子を崩されたようですので、至急検査を受けた方がよろしいかと」
「ああ、なるほど。合点がいったよ。ありがとう。これからそっちに向かう」
達士は電話を切ると、制服へと着替えた。
(自分の中の何かが殺されている。その実感が確かにある。ならば、残りの時間で出来ること。いや、しなくてはならないことは1つだ!!)
達士は息も絶え絶えに、よろめきながら玄関の扉を開き、日が落ち始めた世界へと足を踏み出した。
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