第12話「愛を乞うゾンビ その二」
「クソッ。痛ぇ」
今のまま病院へ行くと、痩せっこけて傷だらけの
足から流れる血液が排水口へと飲み込まれていくかたわらには僅かにしか動かなくなった海太が倒れていた。
「ああっ! イライラが収まらねぇ!!」
何度も海太を殴り飛ばし、一時は溜飲が下がったが、足の痛みと共に、再び怒りがこみあげてくる。
「うっ、うっ、ううっ」
僅かなすすり泣きすら煩わしく思え、
「うるせぇって言ってんだろ! また
水の張った浴槽に押し込めると、泣き声は聞こえなくなった。
代わりにバシャバシャの水しぶきの跳ねる音が。
――ザバッ、バシャバシャ!!
「うるさい!!」
――バシャバシャ!!
「うるさい! うるさい!!」
――バシャ!!
「うるさい! うるさい! うるさい! うるさい!!」
浴槽底に叩きつけるように何度も押し込んでいると、次第に水しぶきが小さくなる。
そして完全に音がしなくなると、ふと我へと戻る。
「えっ? お、おい。死んでないよなぁ?」
慌てて風呂から出すが、ピクリとも動かない。
「マジかよ……。死んだのか? ったく、面倒くせぇな。死んじまったら埋めに行かないといけねぇじゃねぇか」
自分が子供を殺した罪悪感などより、死体処理に手間がかかることを嘆く。
「仕方ねぇ、今日は足が痛いから明日だな。クソッ、最後まで面倒のかかるガキだ」
範人はジーパン、Tシャツからスエットへ着替え、その際に打ち付けた背中にシップも張った。そして、風呂場からずりずりと海太を引っ張り、ベランダへと重たいゴミのように投げ捨てた。まるで明日、ゴミの日だから溜まったゴミはいったんベランダに置いておきましょという主婦のような感覚で。
「足も痛いし、明日は重労働だし、ゾンビは良い映像が撮れないし、最悪だ。厄日なのか今日は」
ひゅうと一陣の風が吹き、思いのほか寒さが身に応え身震いすると、ベランダへの窓を閉めた。
「うぅ、寒っ! 体が冷えたかな? こういうときは……」
範人は冷蔵庫から日本酒を取り出すと、コップに注ぎ、ミックスビーンズの袋を持って居間へ。
「へっへっ、体内からアルコール消毒だ」
お酒を飲むことを正当化しつつ、酒とつまみを煽った。
そうして、傷の痛みも忘れるほど呑んだ頃、気分良く睡魔に襲われまどろんでいく。
居間でうとうとと寝転がっていると、
――カリ。
――カリ、カリッ。
何かが扉を引っ掻くような音で目を覚ます。
「なんの音だ? ネズミか?」
耳を澄ますと、再び、
――カリッ。
「ベランダの方か?」
寝起きからか、頭がぼんやりとする中、足を引きずってベランダへ向かう。
ベランダの窓を開けてみると、ピタッと小さな手が範人の足を掴んだ。
「う、うわあああああっ!!」
驚きとケガの痛みで大声をあげ、その場に尻もちをつく。
「手? 手だったよな。今のは」
後ずさりする範人の目に飛び込んできたのは青白い顔の海太。
血の気のないその顔はまさしくゾンビだった。
「う、ウソだろ! まだ死んでから数時間しか……、いや、そういえば、ニュースですぐにゾンビ化した話が、あった」
再度、足を噛まれたら?
痛みで頭がくらくらしながら、自身の生存をかけて立ち上がる。
台所で包丁を掴むと、ゾンビが出て来たときに備える。
「海太って何才だ? 確かゾンビって6才とかからだったよな?」
範人にとって他人の子供という認識であり、うるさいサンドバッグ、もしくは由祐子との仲を邪魔するものという存在でしかなかった為、正確な年齢も覚えておらず、さらにガリガリの肉体では、3才くらいにしか見えなかったが、あまりその憶測は役に立たないだろうというくらいには知性が残っていた。
「なかなか、ベランダから出て来ない? もしかして俺を見失っているのか。それならっ!」
範人は玄関までの通路を確認すると、足をおさえながら、一気に駆けた。
バンッと玄関を大きく開け、「クソッ!!」と悪態をつきながら、日が落ちたばかりの街路へ飛び出した。
「クソッ! クソッ!!」
足を庇いながら夜の道路を走っていく。
コンビニの明かりを目にすると、安心し、一度呼吸を整える。
「はぁはぁ、金くらい持ってくるんだった」
煙草も財布もないことを嘆きながらも、コンビニ行けば警察に通報くらいしてくれるだろうと考えた。
が、しかし。
「いや、待てよ。玄関は開けっ放しだったはず。このまま放っておけば、勝手にどっか行ってくたばるんじゃ?」
それは好都合。自分が殺してしまったことも隠せるし、うるさい邪魔者もいなくなる。今日はついていないと思っていたが、悪いことのあとにはチャンスが転がり込んでくるもの。そういう風にプラスマイナスゼロになるように人生は出来ているのだ。そんなことを考えていると、
「ああぅー」
背後からゾンビの声が聞こえる。
「おいおい。ウソだろ。昼間のゾンビか!? なんで、こんなところにいるんだよっ!」
姿は見えない、だが昼間の恐怖もあり範人は、背後も確かめず全速力で走った。
足からの出血も忘れ、全力で。
「く、くそ、なんて日だよ。でも、所詮ゾンビ、人間様の足にはついてこれなかったようだな。はぁ、はぁ、はぁ」
息が整わない。
心無しか、気分も悪く。頭がガンガンと痛む。
早く、早く家へと帰ってゆっくりしたい。そんな思いだったのに、部活か塾帰りの高校生が範人の方を見て叫び声をあげた。
「なっ!? まさか、ついて来ているのか!?」
範人はその高校生に掴み掛かると、激しく引っ張りその場に倒す。
「お前が代わりにエサになりやがれっ!!」
吐き捨てるように叫ぶと、足を引きずりながら、その場を後に。
がむしゃらに再び走る。
もはや目的地もなく、それどころかあまり見ない区域にまで来てしまい、帰り道すら怪しい。
「はぁ、はぁ、はぁ、な、なんか、今日はヤケに疲れるな。体が重い……」
足からの出血はおびただしく、真っ白だった包帯は今や一面朱に染まっていた。
体は寒さでガタガタ震えているのに、なぜだが暑い気もする。
「熱でも出て来たか? 流石にこの傷を放置はまずかったか? 仕方ない帰ろう。いくらすっとろいゾンビでもこれだけ時間が経てば外には出ているよな」
範人はアパートに戻って包帯を巻き直し、金を取って病院へ行こうと決意を固める。
「チッ、確か病院って時間外だと高いんだよな」
金の心配をしつつ、とぼとぼとゆっくりとした足取りで歩いていると、停車してある車のミラーに自分の姿が映る。
そこに一瞬、違和感を覚え、再度しっかりと覗き見ると。
「――ッ!?」
声にならない叫びをあげたあと、まるで踊り狂うように手を背中に伸ばしながら、回った。
「おいおいおいおい! ウソだろ!! なんで、なんで背中にゾンビがくっついてやがるっ!!」
範人は自身の背中におぶさる子供のゾンビを目にし、背筋が凍った。
「やめろ! 噛むな!! 離れろっ!!」
いつまで経っても取れないゾンビ。
掴めた感触もなく、背中に襲う異物のような感触だけが残り、無常にも手は空を切る。
「うああああっ!! クソっ!! ぶっ殺してやるっ!!」
罵詈雑言は一切の効果を発揮せず、夜の闇へと吸い込まれていく。
「クソッ! くそ、くそ、くそ!」
背中に集中していたが、疲れから意識が散漫になると、そこで初めて範人は気づいた。
「そんな。ウソだ」
自分を中心に青白い顔の人間が並ぶ。
それも一人二人ではなく、少なくとも十人はいる。
「ゾンビか? ゾンビだなっ!! クソっ!」
周囲をゾンビに囲まれ、死が頭をよぎる。
「ゾ、ゾンビは感染しないんじゃなかったのか? なんだよ。この数? ハッ、ハハハッ!! クソっ! こんなところで死んでたまるか!! 全員ぶっ殺してでも俺は生き抜いてやる!!」
「ああああああああああっ!!!!」
範人は叫びながら突破を試みると、不思議なことにゾンビは範人を避けるように動き、道が割れた。
「良しッ!! これならっ!!」
――パァーーッ!!!!
激しいクラクションの音と共に、ぐしゃりと骨がつぶれる音が響いた。それが範人が最後に聞いた音だった。
「きゃーーっ!!」
ゾンビだと思っていた人たちから悲鳴があがる。
彼らは一様にスマホを取り出し、各々に警察や救急車を呼ぶ。ただの善良な市民だった。
その光景を見れたかどうか分からないが範人の眼球に彼らの行動は反射し、先ほどまでのは全て熱に浮かされて見た幻覚だったのだと現実を映し出していた。
※
「昨夜未明、包丁を振り回す男がこの閑静な住宅街へ現れました。男は34歳、無職の、荒谷範人容疑者。尚、容疑者は近隣住民を見ると逃走。10メートル先の横断歩道にてトラックと接触し全身を強く打ち病院へ搬送され、その後、死亡が確認されました。荒谷容疑者の犯行動機は調査中ですが、目撃者の話によれば足から多量の出血もあり錯乱状態だったとのことです。
また、容疑者が住んでいたとみられるアパートから全身に打撲跡のある幼児が無事保護され、警察は荒谷容疑者の余罪も捜査中です。
続いてのニュースです。昨日、カエル公園にて目撃された野良ゾンビが無事捕獲されました。このゾンビに感染の心配はございません」
――プチッ
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます