第10話「世界の中心で愛を叫ぶゾンビ その二」
急いで人を呼んで、カノは救急へと運ばれていく。
その間、なにも出来なかった永吉は、ぐっと拳を強く握りしめた。
その夜、一通のラインが届く。
『明日、ちゃんと話がしたいの。
永吉は二つ返事で行くと伝えた。
翌日、永吉は花屋で花を買って行こうかと思ったが、慣れないことをして笑われるのもイヤだと思い、菓子折りだけ持って病院へ。
1階でエレベーターを探して周囲を見ると、花屋が併設されている。
木のツルで店全体が巻かれたような外観、中にはおしゃれな花がところ狭しと配置され、その一角だけ病院というのを忘れる出で立ちだった。
そんな中に、ピンクのライラックを見つけ、永吉の足は自然とその花屋へ向かった。
「そういえば、あいつ、よくライラックの匂いをさせてたけど、もしかして、ここか?」
今にして思えば、キレイな制服はほとんど登校していないから。スレンダーな体つきは病気から。放課後の屋上前とはいえ、教師が机と椅子を配置してくれたのは、彼女が何かしらの病を患っていたのを知っていたからなのか。そう考えた永吉は、今まで自分はなんて無遠慮だったのだろうかと。
「いや、けど、あいつはそれを望んだことはなかった」
きっと、きっと対等に話してくれる相手が良かったはずだ。
ただ、少なからず罪悪感からか、永吉はライラックの花束を買ってから病室へと向かった。
慣れない手つきでエレベーターのボタンを押して8階へと上がる。
「えっと、803号室は……」
長い廊下をきょろきょろとしながら目当ての部屋を探しあてると、扉をノックした。
「はぁーい! 開いてますよ」
存外元気そうな声に安堵しながら、扉を開けると、永吉は息を呑んだ。
ベッドに座るカノはいつもより真っ白で儚げ。今にも消えてしまいそうなほど脆く美しかった。
「どうしたの? もしかしてワタシに見惚れてた?」
「そ、そんな訳ないだろ。ほら、お見舞い」
誤魔化すように菓子折りと花束を見せながら入室する。
「ありがとう。花なんて永吉くんにしては気が利くね! 感心。感心」
カノはいつも見ているだろう花束にも関わらず、それが特別なもののように大事に受け取ると満面の笑みを浮かべる。
「で、話したいことって。やっぱり……」
本当は聞きたくないが、それを聞く為に来たのだ。すでに覚悟は決めてある永吉はすぐに本題へと入った。
「うん。ワタシの病気のこと。それとね。これからのことかな」
永吉はゆっくりと彼女のペースで話せるよう次の言葉を待つ。
「ワタシね。白血病らしいの詳しいことはよく分からないけど。ほら、小説とかでもよく出てくるあの病気」
永吉はある程度予想していたとはいえ、ショックを隠し切れず、うつむいたまま、「そう、なんだ」と声を振り絞る。
「そんな悲観しないでよ。ほら、小説の主人公みたいじゃない!」
「医者は治るって?」
「…………ううん。もってあと半年くらいだって」
「そう……」
「ワタシね。実は小説を書きたいのっ! 主人公はそうね。ワタシみたいに美少女で明るくて活発で、で、そんな女の子が元気に活躍する話」
「小説?」
「うん。小説! ほら、小説って子供みたいなものだって言うじゃない!! ワタシ、勉強も運動も芸術もからっきしだからさ。それでも何かを残せるとしたら、これくらいかなって。だから、だから、教師じゃなくて、いっぱい本を読んでるキミが良かったんだよ! キミに国語を教われば書けると思ったの! だから、あの日、一人でいた永吉くんに声をかけたの!」
その真っすぐな言葉、真っすぐな瞳に永吉は逡巡してから、
「僕だって小説を書いたことなんてないぞ。せいぜい文法が分かる程度だし。そもそも……」
「うん、最後まで書ききれるかも分からない。学校にももう一度行けるかだって分からないみたい。でも、だけど、ワタシを助けて、永吉。何も残せず、死にたくないのっ!!」
カノの瞳から涙がこぼれ落ちる。
とめどなくこぼれていく涙を前に、ニッと精一杯の笑みを浮かべ、
「ああ。任せろ! でも、途中でやめるのは無しだ。やるからには死んでも完成させるからなっ!!」
「うん。ありがとう」
翌日から、永吉とカノの小説執筆が始まった。
永吉は、病院に行ける日はラインをして時間を伝え、小説執筆用にタブレットを持ち寄った。
カノも調子のいい日は自分で文章を打ち、疲れてきたら、代わりに永吉が代筆した。
「そう言えば、ここの病院の
「ああ、なんでもゾンビの研究の為に何人も殺してたらしいね」
「でも、それのおかげで分かったことも多いって言うんでしょ?」
「まぁね。科学に犠牲は付き物ってやつを地でいっているよな」
「ワタシ、未練たらたらだから、きっとすぐにゾンビになっちゃうわね」
「小説が書き終わる前だったら、ゾンビになってでも書かせるから、さっさと起きて覚悟しててよ」
そんな風に冗談を言いながら休憩しつつ、小説を書いて行く。
「もうちょいで完結かな?」
「うん。そうね。これも全部永吉のおかげよ!」
永吉は静かに首を振り、
「全部お前が頑張ったからだろ」
「お前じゃなくて、カノ!!」
「分かってるよ! カノが頑張ったからだ」
「そうね。ワタシ頑張ったわ!」
小説の完成間近に心躍らせ、「ふふっ」と2人して微笑んだ。
「明日もまた来るから。あっ、花が枯れて来てるね。明日花も持ってくるよ」
そう言って永吉は病室を後にした。
※
今日もライラックの花束を買って、病室へ向かうと、部屋の前に彼女の両親が立つ。
「永吉くん。いつも娘が世話になっているね」
「いえ、そんなことは……。僕も好きでやっているんで」
ときおり、カノの両親と会うこともあり、永吉も今では緊張なく話せるようになっていた。
「あの子の病室に来てくれるようになって、もう半年かな。随分長いことだ。それに私たちは本当にキミに感謝しなくてはと思っているんだよ。一年前、医師からは余命6ヶ月と言われていたんだ」
「それって、ちょうど、僕と会ったくらい」
「そこから、こんなに長く娘が元気でいられたのはキミのおかげだと思っている」
「なんでそんな話を……」
ハッとした永吉はカノの両親をかき分け、病室の扉を開ける。
そこには人の姿はなく。乱れたベッドがついさっきまで、そこにカノが居たことを物語る。
「カノはさっき容体が急変して運ばれていった」
「カノちゃ、いや、カノさんは大丈夫なんですよね?」
とっさに父親へと尋ねるが、神妙に首を横に振られ、「わからない」とだけ返事が返ってきた。
「あと、あと少しで小説が完成するんですよ。そんなときに、そんなときにあいつが死ぬ訳がないっ!!」
永吉はカノの両親と共に手術室の前でカノの回復を待った。
手術中のライトが消え、中から医師が出てくる。
マスクで隠れてしっかりとは伺えないが、それでも医師の顔が暗いことくらいは分かった。
「
医師の口から出た言葉は予想しうる最悪のものであった。
「手は尽くしましたが……、申し訳ありません。これからすぐにゾンビ化しないよう処置を施させていただきます」
コンビニでのゾンビ化の一件以来、60歳未満が亡くなった場合はすぐに耳から細い針を刺し、70度以上の熱を加え脳を破壊する処置が取られるようになった。
そんな説明がなされるが、カノの両親が膝から崩れ去り声をつまらせ泣き、ひとつも聞いていない。そんな中、永吉は医師を押しのけて走った。
本来は入ってはいけない手術室の中、看護師の制止も聞かず、カノの側へと。
「おいっ! ウソだろ! お前は、カノはこんなところで死ぬやつじゃないだろ! まだ小説だって書き終わってないっ!! 僕はお前が書くまで、書き終わるまであきらめないからなっ! ほらっ! 起きろよ!! 最後まで書かなきゃ! 死んでも書き終わらせる約束だろっ!!」
ボロボロと涙が溢れ、最後にはちゃんと発音できていたかも怪しいが、それでも永吉は語り掛けることを辞めなかった。
「キミ、危ないから止めなさい!」
看護師が永吉を引きは無そうとするが、その手を振り払い、テコでもカノの元を動かなかった。
「最後、ヒーローの男が告白したんだろ! なぁ! 主人公はそれにどう応えるんだよ! 僕が打ってやるから応えろよ! 応えてくれよ……。僕はお前のことが好きなんだ。お願いだから返事を返してくれよ」
ぴくっとその時、指が微かに動き、
「ああぅううい!」
うめき声を上げながら起き上がる。
「ゾンビ? 麻酔をかけられた状態ならすぐにはならないはず……。でも、いいよ。僕を噛んでくれてもいい。だから、小説の続きを書こう! 主人公はどうするんだ?」
永吉は噛まれることも覚悟の上で、近づくカノを見つめた。
そして、目と鼻の先にまで迫ると、永吉の唇に冷たく柔らかい感触が襲う。
「…………カノ。これが、これが答えなんだな」
ゾンビは表情は動かないはずだが、永吉の目には確かにカノがニッと笑ったように見えた。
ゾンビは人を襲うことなく、静かに手術台の上に居続け、警察が到着する頃には全てのエネルギーを使ったのか物言わぬ死体へと戻っていた。
『彼からの告白に、彼女は物言わず、ただ静かに唇を重ねた。 ~Fin~』
カノとの約束を果たし小説を書き上げた永吉は、何かを残したいというカノの思いに応えようと、その作品をネット上へあげた。
「ほら、カノ。これで理論上は全世界の人がカノの作品を見られるようになったんだ。もしかしたら、これを読んで何か感じてくれる人がいるかもしれない。そうなった素晴らしいよね。でも少なくとも、僕はカノのおかげで色んな経験ができたし、カノの事はずっと僕の中で残り続けるよ。何も残せないなんてことはないから」
墓前に紫のライラックの花束を添えながら、永吉は手を合わせた。
ライラック。花言葉は『思い出』『友情』
紫のライラックは――。
※
「本日のトレンドニュースです。SNSに投稿された、小谷カノさんの小説、『ワタシと僕と
――プチッ
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