世界の中心で愛を叫ぶゾンビ

第9話「世界の中心で愛を叫ぶゾンビ その一」

「お会計3300円になります」


 高城 永吉たかしろ えいきちはもう何度目かになる花屋のお姉さんの笑顔を見つめながら、花束を受け取る。


 ここ鶴畑つるはた私立総合病院は1階に花屋まであり、そこで花束を買ってから病室に行けるようになっていた。

 永吉は、週末にそこで花を買っては病室に向かうのが当たり前になって来ている程、お見舞いを繰り返している自分に、微かに笑いが込みあがる。


「どんだけ好きなんだよって話になるよな」


 そんな独り言を呟きながら、エレベーターに乗り込み、慣れた手つきで8階を押す。

 軽いGを受けながら一気に登るエレベーターの中で、永吉はシャツに乱れはないか。病院に相応しい清潔感はあるかを確認してから、一台の薄型タブレットを取り出した。


「彼女と会って、もう一年以上になるのか」


               ※


 高校の屋上前の階段で独りパンを食べつつ、小説を読んでいると、不意に影が落ちる。


「ねぇ、勉強教えてよ」


 永吉が彼女と初めて会った第一声がこれであった。


「キミ、高城永吉くんでしょ。主席合格の」


 永吉は、なんだ? この馴れ馴れしい女は。と思ったが口には出さず、「そうだけど」と無愛想に呟いた。


「やっぱり! ワタシは小室 こむろカノ。カノちゃんって呼んでね!」


だろ。気安くだと、そのあとには否定形が来るんだよ」


「ひてい、けい? こほんっ。ふふんっ。そりゃ分かっていたさ。ただ、主席くんを試しただけだよ」


 カノの笑顔は微妙に引きつっていたので、ウソだと容易に見て取れた。


「まぁ、今ので勉強ができないのは分かったけど、あんまりそういう風に見えないんだが」


 事実、カノは制服のブレザーもきちんと校則通り着こなしている。それどころか、汚れやシワもほとんどなく、まるで新品のようである。

 メイクのことは永吉にはいまいち分からないが、それでもゴテゴテとした化粧をしているようには見えず、優等生という出で立ちであった。

 唯一、髪の毛が茶色いことがそこから外れているようだったが、それが地毛なのか染めているのかは不明だった。


「そんなにジロジロ見て、どうしたの? もしかして、カノちゃんのあまりの可愛さに目を奪われた?」


 カノはニヤニヤとした笑みを浮かべる。

 その様に永吉は若干イラッとしながら答える。


「いや、平均よりは可愛いと思うし、スタイルもいいとは思うけど、別に目を奪われる程じゃないかな。むしろ何のつもりで僕に近づいてきたのかいぶかしんでる」


「いぶかしむ?」


「不審に思っているってこと」


「ああっ!」と手をポンっと打つ。


「なるほど。なるほど。この美少女カノちゃんが急に声をかけてきたから、ぼっちの主席くんは怪しんでいると」


「ぼっちじゃない! ただ静かに本を読みたいだけだ」


 本当の本当に永吉に友達と呼べる人物はいるのだが、新作の小説が出るとここに来て読むのが常だった。


「むしろ、ぼっちじゃなくて、本読んでても話掛けられるから、ここに避難しているんだ!」


「ふ~ん、ま、そういうことにしておいてあげる! ついでにワタシはぼっちよ! ぼっちどうしよろしくね!」


 なぜかめちゃくちゃ明るくぼっちカミングアウトをしながら、手を差し出す。


「握手はしないよ。さっきも言ったけど、僕はぼっちじゃないし」


「じゃあ、勉強教えて!」


「何がどう、じゃあ、に繋がるんだ。そっちもお断りだ」


 永吉はふっとそっぽを向く。


「お願い! 国語だけでいいから!」


「いや、だから、なんで、僕が勉強を教えないといけないんだ。教わりたいなら教師が――」


 永吉は先ほどまでとは全然違う、カノの真剣な眼差しを見て、言葉を詰まらせた。


「なんで、なんで国語なんだ?」


「それは……、ほらっ、ワタシってバカだからさ、まずはちゃんと日本語からかなって。それにワタシレベルになると教師もついてこれないじゃない!」


 えへんっ! と胸を張る姿勢に、


「バカを威張るな。ただ、自分がバカだって言ってるくせに何もしようとしないバカよりはマシか」


「おっ! それはOKってことかな? かな? かな? かな? かな?」


 ぐいっ、ぐぐいっ! と顔を近づけてくる。

 ふんわりとライラックの花の匂いがするが、それよりも急に顔が近づいてきた恐怖が勝る。


「やめろ! ぐいぐい来るな。結構怖い!」


「それじゃあ、教えてくれる? ダメならワタシ、毎日夢枕に立つけど?」


「縁起でもないこと言うな。だいたい、今のご時世、幽霊にならなくてもゾンビとして来れるからな」


 永吉の言葉に、カノはきょとんとした表情を見せる。


「なんで、ゾンビ? ワタシ、夢に出てくるくらい、しつこくするって意味で言ったんだけど」


 永吉はバカにしたように、ため息をつくと、を『夢の中に神仏や死んだ人などが現われて、物事を告げ知らせる』ことだと説明した。


 それから、永吉とカノの勉強会が始まった。


 場所は最初に出会った屋上前の階段上。少し広くなっているところ。時間は放課後。

 翌日さっそく行くと、なぜか机と椅子が2つずつ置かれている。

 そして、その埃を払うようにカノが布巾で拭いていた。


「見て見て! 先生に言ったら貸してくれたの! すごいでしょ!!」


 永吉は驚きを隠しきれず、ぽかんと口を開けた。


「いや、よく先生が許したね。普通にすごい。その先生を言いくるめられる話術があれば国語の勉強とか要らなくない?」


「おっ! 永吉くんがカノちゃんのことを褒めてくれている! いや~、照れるねぇ」


 屈託なく笑うその顔を永吉は可愛いではなく、なぜか綺麗だと思ったが、それを態度に出すことはなく、ただ心臓だけが早鐘をついた。


「それじゃ、勉強、勉強!!」


 意外にも、カノの理解は早く、単純に物事を知らないだけなのだと永吉は理解した。

 与えれば与えるだけ吸うスポンジのようで、カノの見方が変わっていく。

 それからの勉強は永吉にも楽しいひと時となった。

 ただ、ときおり、カノの方から、今日は急用で来れないというラインが届くことがあり、そんな日の永吉は手持無沙汰に図書室などを眺めてから、家で勉強をしていた。


 最近はその連絡が多くなり、勉強に飽きてきてしまったのかと、少し残念な気持ちでいて、久々の勉強会にも身が入っていなかった。


「ねぇ。ねぇってば。お~い! 起きてるか永吉!!」


 カノが永吉の前でブンブンと手を振る。


「えっ!? あっ、なに?」


「ちゃんと、聞いててよ。この国語の文章問題。作者の気持ちってやつだけ、答えとしては分かるけど、腑に落ちないのよね」


「ああ、それは分かる。絶対読者にこう思ってほしいとか思ってないよね。それは作者の気持ちの作者は小説の作者じゃなくて、問題の作成者だと思えばスッキリすると思うけど」


「なるほど。確かに、作成者も作者ね」


 こんなバカな会話も真剣に受け取るカノが、勉強を飽きたとは永吉にはいまいち思えず、とうとう、質問をしてみることにした。


「ねぇ、小室さん。最近急用が多いけど、どうしたの?」


「小室さんじゃなくて、カノ! ちゃんとカノちゃんって言って!! もう半年以上経つのにそんな他人行儀なのはイヤよ」


 これは毎回のやりとりなのだが、永吉は毎回、このあと、顔を真っ赤にしながら、なんとか「カノちゃん」と絞り出す。


「その、……カノちゃんは、勉強飽きた?」


「えっ、あっ! 違うの。本当に急用があって! 永吉くんとの勉強は楽しいよ! 飽きるなんてないよっ!!」


 カノは激しく立ち上がって思いを伝えると、


「あ、あれ、やばっ……」


 そのままぐらりと倒れこんだ。

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