第8話「ドクターZ 訪問医~高根マサエ~ その三」

「春雄ちゃん、朝ご飯の時間よ」


 血液がたっぷりと掛かったレバーを持ってマサエは地下室の部屋へと訪れる。


 そこには大きな檻。

 中にはシングルサイズのベッドにロココ調のテーブル。壁際にはタンスがあり、その上には家族写真が置かれている。

 しかし、そのどれもが血まみれになっており、整然としているのが逆に不気味だった。

 そして、そんな部屋にゾンビが一人。

 春雄と呼ばれたゾンビは、名前を理解しているのか、それとも単にマサエかレバーに反応したのか、のっそりとマサエに近づいてくる。


「いい子ね。春雄ちゃん」


 まるで小さな子供扱いだが、春雄の体格は成人男性のそれと変わりなく、むしろ世間一般では良い体格の持ち主と認識されるくらいだ。

 ぶかぶかのジーンズとぶかぶかのシャツ、ともにXXLサイズはある。

 春雄の持ち物には全てマサエが名前を記入しており、今着ているシャツにも、『HARUO』と胸元に刺繍がなされている。

 

「春雄ちゃん、少し痩せたんじゃない? こんなにやつれて。もうすぐお母さんが元に戻してあげるからね。我慢してね」


 そして、レバーの皿を置くと、春雄は手づかみで貪り始める。

 

「良い子にしてるのよ」


 とても優しい母の声。とても5人を実験に殺し、1人を監禁している女とは思えない慈しみの眼差しを向けてから、マサエは部屋を後にした。


                ※


「さて、6番はどうなったかしら。なにか変化があると嬉しいのだけど」


 マサエが実験した部屋へと戻ると、6番は事切れていた。

 もともとゾンビだったので、死んではいるのだが、ゾンビとしての活動も行わなくなっていたのだ。


「なぜっ!?」


 慌てて記録してあるビデオカメラを確認すると、青春ドラマを一晩中、見せられたゾンビ。少しも休むことなく、もがき苦しみ続けて、あるときにプツッと糸が切れたように動かなくなっていた。


「カロリー不足!? それと、青春ドラマなのに、逆に生きる意志が無くなったとでも言うの!?」


 被験者番号5番が言っていたことは話半分、犯罪者の戯言と聞き流していたが、もしかしたらその通りだったのかもしれない。そう考え、新たに考察に加えねばと思っていると、カメラの映像に不信な点を見つける。


「この、小窓。反射の仕方が変わった?」


 映像を巻き戻し、小窓を見ると、最初の方は影が差して薄暗く、中の様子が反射していたが、突如明かりが見えるようになり中の風景が反射されづらくなっていた。

 それはここにあった何かが動いた証拠。


「もしかして、5番が――」


 ガツッ!!


 その瞬間、マサエの後頭部に衝撃が襲った。


「このイカレ糞ババァがっ! ざまぁ見ろ!!」


 拘束していたはずの被験者番号5番。その腕には拘束具と椅子のひじ掛け。

 無理矢理に動いて壊し、自由を得たようであった。

 そして、そのひじ掛けを用いて、マサエを強打していた。


「このっ!! このっ!! テメェも息子もぶっ殺してやるっ!!」


 何度もひじ掛けでマサエを殴りつける。

 ぐったりとマサエが動かなくなると、息を荒げたまま、被験者番号5番は部屋を飛び出した。


「ハァハァ、これで、これでオレは自由だっ!!」


 被験者番号5番は地下を出ていってしまう。


「う、うぅ……」


 マサエは呻き声を上げながら、なんとか起き上がると、次第に口角が吊り上がり、笑みを浮かべ、「ふふふっ」と楽しそうな声まで上げ始めた。


「ここまでやるとは思わなかったわ。さすが、通り魔で3人殺しているだけはあるわね。でも、それがいいわ。たっぷりと生にしがみつくその姿勢が、もしかしたらゾンビから人間に戻す研究の役に立つかもしれない」


 そのまま部屋を後にし、マサエは被験者番号5番を追いかけ始めた。


               ※


「どうなっているんだ? ここは?」


 いくつかの廊下を走り抜け、いくつもの扉を開いたが、そのどれもがフェイクだったり、行き止まりだったりしていた。


「なんで地下室から出たはずなのに、階段をくだっているんだ? 訳が分かんねぇ!」


 異様な邸宅の構造に声をあげていなければ変になりそうで、5番独りごとを言いながら進み続けた。


「ここはさっきも来たような……。んっ? ここにも扉が」


 壁と同じ模様で扉と気づかない扉を見つけ、先へと進むと、いつの間にかリビングへ。


「なんで、ここでリビングなんだ? だが、窓がある! ここからならっ!!」


 遮光カーテンを急いで開け、窓のカギを開錠する。

 温かな日差しと透き通った空気。

 あの地下からは考えられない清々しさ。


「すぅ~、はぁ~」


 深呼吸して、窓から日の元へ出ようとしたそのとき――。


 トスッ!


「えっ?」


 体に痛みが走り、腹部を見ると、ボウガンの矢が突き抜けている。


「えっ? なんで、これが、ここに?」


 ゆっくりと矢に触れると、ぬるっと血液の感触に、それがホンモノであることを知らしめる。


「もう少しで外に出られたのに、残念だったわね」


「えっ? 生きて……」


「ええ、まさかあんなに殴られるとは思っていなかったけど。あなた、不思議に思わなかったのですか? アタシが拘束具をそんな壊れやすいものを使うとでも?」


 5番は両腕の拘束具と肘おきを交互に見やる。


「ま、まさか……」


 出血のためか、恐怖のためか、見る見る顔が青ざめる。


「アタシ、これでも医者ですから。拘束具の取り扱いくらい熟知しているわよ」


 二本目の矢が男へと突き刺さる。


「がっ!! な、なんて、ひどい、ことを……」


「あらあら、あなたがやったことと同じよ。ボウガンで3人を殺したのでしょ。あと1本くらいは受けてもバチは当たらないわ」


 そのまま3本目が無常にも突き刺さる。


 膝から崩れ去り、瞳の焦点がぼやける。

 ぼんやりとした視界で、5番は太陽の眩しさを噛みしめた。


「さて、それじゃあ、すぐにゾンビ化するか見せてちょうだい!」


 5番は口をパクパクと動かし、何やら伝えようとする。


「いいわぁ。命乞いかしら。そうよ。生にしがみつく様が強ければ強いほど、良い実験になるわっ!!」


「し、ん、で、たま、る、か、ま、だ」


「死んでたまるか。まだ」という言葉が口から漏れ聞こえ、マサエは満足する。


「も、う、す、こし」


 しかし、その後に聞こえた、「もう少し」という言葉にマサエは眉をひそめる。


「もう少し? どういう意味?」


 そのとき、バタンッと扉が閉まる音が微かに響く。


「玄関から? あなた、何をしたの?」


「ざ、ま、あ、みろ。これ、で、し、ぬぜ」


「ざまぁ見ろ、これで死ぬぜ。ですって? 誰が死ぬというのよ。まぁ、あなたはもうすぐ死ぬでしょうけれど」


 マサエは5番の襟を掴むと詰問する。


「オ、レは、ウソ、は、つか、な……」


「ウソはつかない?」


 そのとき、マサエは、5番が口にしたセリフを思い出した。


――ゾンビなんてバケモノだろ。バケモノは退治一択なんだよ! 良かったらオレが殺してやるぜ?――


――このっ!! このっ!! テメェも息子もぶっ殺してやるっ!!――


「もしかして!」


 実験なんてどうでもいいというように、憎悪に任せ、5番の額にボウガンの矢を突き立ててから、血相を変えてマサエは春雄の部屋へ向かう。


                ※


 春雄の部屋は普段は閉めてあるはずの扉が開いていた。

 血の気が引く音が聞こえた気までしてくる。


「春雄ちゃんっ!!」


 急いで、中を見ると、そこには鍵が壊された檻。

 被験者番号5番が行ったのは鍵を壊すだけ。しかし、それだけで充分だった。意思を持たないゾンビと化している春雄は自ら檻から出て、部屋の外へ。


「あ、ああ。外をうろついていたら、警察が。いえ、それ以前に事故に合っちゃうかも」


 玄関で音がしたのはどれくらい前だったか。しかし、それを考えようにも記憶は定かではないし、何より大きな意味は持たない。すぐにでも追いかける方が先決だとマサエは走った。


 頭ではちゃんとクツを履いた方が早く追いつき効率的だとは分かっても1分1秒を争う今、本能で裸足のまま外へと駆け出す。


「春雄ちゃん! どこっ!! 春雄ちゃん!!」


 悲痛な叫び声に次第に近所の住人が集まり始める。


「あっ!!」


 走り疲れ、足がもつれて転ぶと、近所の方が抱え起こしてくれる。


「春雄ちゃんって息子さんよね。今、外なの? 心配よね。さっき野良ゾンビが出たって噂があったものね」


「の、野良ゾンビ。そ、それってどこで」


「えっ、でも、危険よ」


「いいから、さっさと言いなさいよ!!」


 無意識に持って来ていたボウガンの矢をご近所さんに突きつける。


「あ、カ、カエル公園の方って」


「ありがとう。怒鳴って悪かったわ」


 マサエは残った体力を振り絞り、カエル公園へと向かう。

 そして、公園へと向かう途中で警察の人だかりが出来ているのを見つけると走った。


「春雄ちゃん!?」


 警察の隙間から、愛しの息子が、刺又さすまたを持った警察数人に取り囲まれているのを見ると、警察と春雄の間へ躍り出た。


「やめて! 春雄ちゃんをイジメないで!! この子は良い子なのよ!!」


 マサエはボウガンの矢で警察をけん制し、なんとか春雄を逃がそうと試みる。


「うわっ! なんだ? 奥さん、止めなさい、危険です!」


「うるさいっ!! うちの春雄ちゃんには指一本触れさせないわ!」


「お母さん、それはもうゾンビなんです。ゾンビは保護したあと、留置される決まりになっています」


「それでゆっくり餓死させるのでしょう! 名目は食事を与えたが取らなかったって言って!! そんなことさせないわ!! 春雄ちゃんには人を襲ってでも生きてもらうのよ!!」


 警察官はマサエを確保しようと刺又を構える。


「春雄ちゃん、今のうちに逃げて!!」


 そう言うと同時にマサエは自身の首へボウガンの矢を突き立てた。


「ふ、ふふ。警察なら、死にそうな人を放っておかないわよね」


 血がだくだくと溢れる中、マサエは春雄の方へ振り返る。


「アタシはいつだってあなたのことを愛してるわ。だから、早く逃げて」


 春雄は、人を襲うでもなく、まるでゾンビになる前を思い出したのか、茫然自失とその場に佇む。


「早く逃げなさいっ!! 逃げろって言ってるでしょ!!」


 マサエの叫びに一瞬体を震わせると、春雄は後ずさりして、名残惜しそうにその場から立ち去る。


「あっ、待てっ!」


 警察の魔の手が伸びようとするも、マサエは警察に抱きつき止める。


「行かせないわよ。行かせない」


 警察を強く掴んだその手は、どうやっても振りほどけず、結局警察官たちは春雄を取り逃がす形となってしまった。


(よ、良かった。これで、春雄ちゃんは逃げられたわね……)


 マサエは春雄が生まれたときのこと、幼稚園のお遊戯会、小学校で作文で賞を取ったとき、中学、高校時代のさまざまな思い出が走馬灯のように思い返され、そして静かに息を引き取った。

 その表情は我が子を守り切った母の満ち足りた顔をしていた。


                ※


「カエル公園近くに出没した野良ゾンビ、現在警察は総力を挙げ捜査中です。近隣住民の皆様、施錠をしっかりとして不要不急の外出をしないよう心掛けてください。

また本件を受けて、ゾンビに対する憲法改正の声も強くあがってきています」


――プチッ

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