ドクターZ 訪問医~高根マサエ~

第6話「ドクターZ 訪問医~高根マサエ~ その一」

「じゃがいも、玉ねぎ。そうそう人参も買わないとね」


 高根たかねマサエはどこにでもいる主婦という出で立ちとは一線を画し、63歳とは思えない程若々しく上品であった。

 そんな彼女が今、何事もないように街のスーパーでカレーの材料をカゴに入れていく。

 真っ白なブラウスとロングスカートを華麗に履きこなす彼女は金持ちという単語か奥様という単語がまず頭に浮かぶのに、そんな彼女がカレーの材料を喜々として持っているという状況に少なくない人数が思わず振り返る。


 マサエは周囲の目も気にせず会計を済ますと、これまた周囲の目も気にせずエコバッグに手慣れた様子で詰めて行く。


 マサエは次に鶏肉屋へ訪れ、もも肉とレバーを頼む。

 ただ、異様なのは、レバーの量がキロがつくほどに膨大だということだった。


「奥さん、いつもありがとね!」


 店員の活気ある声にニコリとほほ笑んで、


「うちの春雄はるおちゃんがここのレバーが好きなのよ。今日はカレーにも入れてみようと思うわ」


 かなりの量のレバーを事も無げに持つとマサエは帰路へとついた。


 マサエの自宅はその容姿に違わぬ大きな家であったが、その全てに遮光カーテンが引かれ、室内が一切見えないようになっている。


 近所の人が気味悪がり、一度マサエに文句を言いに来ると、


「ああ、ご不快な思いをさせてすみません。アタシ、こうみえても医者なんです。なので不規則な生活になることが多くて、昼間でも寝ちゃったりするんですよ」


 その為の遮光カーテンだと言うと、大概の人間は納得し引き下がる。


 カチャン。


 オートロックの扉を開けて中へと入って行くと、玄関は様々な調度品が置かれ、これぞセレブという様相なのだが、そこから廊下を抜け扉を1つ開けると、右往左往に廊下が続き、階段や扉がしっちゃかめっちゃかに配置されている。まるでアメリカにあるウィンチェスター・ミステリーハウスのように改築が至る所になされている。

 

 誰も入れたくないのか。それとも誰も逃したくないのか。

 

 そんな迷路のような邸内をマサエは迷うことなく進み、とある部屋入ると、本がずらりと並び、何語なのかも分からない言語で書かれたメモがところ狭しと散乱している。


「なかなか、上手く行かないのよね」


 その部屋を通りすぎるとなぜか、10畳はあろうかというキッチンへ続く。そこにデンと構える大型冷蔵庫に買って来た食材を手慣れた様子で入れていく。

 

 それからマサエは日課である無線を聞くため、別室へ移る。

 そこはラジオとパソコン、それから何かよく分からない機械が。


 ヘッドホンをして、小一時間ほど声を聞いていると、がっかりした表情を浮かべてヘッドホンを外した。


「なかなか良い獲物はないみたいね」


 部屋を出ると、再び台所へ。

 そこでカレーを作り、レバーを焼く。

 下処理もせず、やけに生焼けのレバーをフライパンから皿へ盛ると、カレーを少し掛け、冷蔵庫からパックを取り出すと中の液体をレバーの上へ並々と掛ける。

 それで完成らしく、レバーの皿を今度は別の部屋の扉の前に立つ。

 家の中にも関わらず、しっかりとした錠が掛けられ、マサエは慎重にその錠に鍵を入れる。

 ガチャンという鈍い音を立てて錠が外れ、扉が開くと、むわっと嫌な空気が立ち込める。

 しかし、マサエはイヤな顔一つせずに扉の中へ。

 扉の中はフローリング張りの特に何もない空間になっていたが、部屋の中央にある取手を引くと、地下室へと続く階段が現れた。

 

――ガチャガチャガチャ!!


 その音を聞くと、マサエの顔がほころんだ。

 階段を降りると計4つの扉。その一番奥の扉に『HARUO‘s ROOM』の立て札。マサエは迷わずその扉を開ける。


「あら、春雄ちゃん。今日も元気ね。夕ご飯は鶏のレバー、カレー風味よ」


 音のする方へ向かい、隙間からレバーを差し込む。


「た~んとお食べ」


 その表情は慈しみに溢れていた。


            ※


「おはようございます」


 翌日、マサエは白衣に身を包み病院の廊下を歩いていると看護師がすれ違いざまに挨拶していく。


「はい。おはよう」


 それに軽く答えながら、カツカツと進む。

 鶴畑つるはた私立総合病院。それがマサエが勤める病院の名前であった。

 私立病院ではランキング1位を手にした病院で、多くの患者が毎日訪れる為、あそこの病院は頭脳労働じゃない、肉体労働だと揶揄されることもあるほどであった。


 そんな病院に勤めるマサエの一日はやはり忙しく、病院に出勤すると、そのまま事務所へ入る。

 マサエは病院内で診療もするが、主に訪問医師として各家庭を回る。

 寝たきりなどの理由で通院することが不可能な人たちのお宅に直接伺い診療、治療するのだが、マサエの観察眼は素晴らしく、どんな小さな病気も見逃さない。

 ほとんどが経過観察の患者だったりするので平時は様子を見るのと、しゃべり相手をして帰ってくるのだが、マサエはその際によく息子の話を持ち出す。

 逆に相手の子供たちの話を聞くのも好きだった。


「息子さんは良い子ですねぇ」


 相手の自慢にも笑顔で返すが、内心はうちの子の方がもっといい子よ。という感情があったが、それを悟らせたことはない。


 親ばかなところがあるが、そこも親しみやすいところとして、内外問わずマサエは人気があった。

 親しみやすすぎて、あまり医師に見られないこともしばしばで、「アタシ、こうみえても医者なんです」というセリフはもはや決め台詞のように言うことが多かった。


「それじゃあ、お先に失礼します」


 仕事を片づけ、家路へと急ぐ。


「春雄ちゃんお腹空かせていないといいけど」


 自宅へ戻ったマサエは昨日と同じようにレバーを調理すると地下室へと向かった。


「春雄ちゃん、夕ご飯、遅くなってごめんなさいね。今日も春雄ちゃんの好きなレバーよ」


 マサエがレバーを差し出すと、


「いかれてやがる!! そこにいるのゾンビだろっ!!」


 マサエを罵倒する声は隣室から聞こえてくる。


「あら、起きたのね。ごめんね春雄ちゃん、ちょっと向こうを見て来るわ」


 隣の部屋を開けると、そこには椅子に固定された男。

 グレーのスエットでやや小太り。お腹だけが出るような太り方で不健康さが際立つ。

 

「もう起きたの?」


「隣が『あーあーあーあー』うるさいし、死臭とそれを隠すようなライラックの匂いもきつかったからな」


「麻酔したから、そうすぐには起きないはずだったんだけど。あっ、そうよね。あなたの順番が替わったのを忘れていたわ。あなた、運がいいわよ。他に人体が手に入ってね。それが背骨が折れて動けないケガをちょうど良くしていてくれたから、ゾンビになる順番が替わったのよ。そのおかげで睡眠薬が切れちゃったみたいね」


「はぁ!? 何言ってんだこのババァ! ゾンビにするだと!! ふざけんな!!」


 マサエはニコッと笑みを浮かべる。それは普段であれば相手を安心させるような頼りがいのあるものだったが、今はただただ不気味だった。


「大丈夫よ。被験者番号5番さん。あなたのゾンビ化は医療に役立つわ。それにゾンビから人間に戻る方法が確立されれば、あなたもゾンビから人間に戻してあげるから」


「あんた、もしかして、春雄って子供をもとに戻そうとしているのか? はっ! こいつは笑える。ゾンビなんてバケモノだろ。バケモノは退治一択なんだよ! 良かったらオレが殺してやるぜ?」


「そう」


 いたって静かに呟く。


「あん? 怒ったのか? ぶん殴る気かよ? どうせ、ゾンビにされるんだろ。そんなの怖くねぇさ」


「人間、本当に恐怖を覚えるのは痛みではないわ。アタシ、こう見えて医者なの。真に恐怖するのは何か教えてあげるわ」


 マサエは椅子の向きを変えると、部屋にある小窓に被験者番号5番の顔を固定する。


「真に恐ろしいものは、未来へ絶望することよ」


 そう言い残すと、マサエは部屋を後にした。

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