シュレディンガーのゾンビ

第4話「シュレディンガーのゾンビ その一」

「コンビニの事件ですが、このゾンビに感染の心配は――」


「うわぁぁぁぁっぁあっぁ!!」


 街の中心で男は絶叫を上げた。

 男は、ぼんやりとした夢うつつのような足取りで交差点へと差し掛かった。そこで大型街頭ビジョンでニュースが掛かっているのを見ると、脱兎のごとく逃げ去った。


「俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない……」


 ぶつぶつと呟くきながら、街の中を走り抜け自宅であるアパートの201号室へと駆け登り戻る。


 男が住むアパートの一室には、黒の服にフルフェイスのヘルメット、そしてナイフが置かれている。

 これも早く処分しなくては。そんな思いが沸き上がる。


 男の名は、江畑 考平えばた こうへい。先日、ファミレスのバイトをクビになった25歳のニートであり、ニュースにもなったコンビニに強盗を仕掛けた犯人であった。


 孝平はボサボサに伸びた髪をガシガシと掻き、ぐしゃぐしゃの髪型になりながらブツブツと呟く。


「お、落ち着け。俺は悪くないんだ。いや、コンビニ強盗は悪いかもしれないが、それだけだ。殺すつもりはなかったし、そもそもあの程度で死ぬのがおかしい。そうだよ。おかしいんだ。そうだ。そうだ。まだ死んだと決まったわけじゃない! もしかしたら気絶しただけかもしれない」


 そう思うと、考平の気分はいくらか軽くなる。


「そ、それにゾンビが出たんだっけ? 普通ゾンビは4~6日しないとならないはずだし、やっぱり、俺のせいじゃないよな」

 

 確認の意味も込めて、スマホでニュースを見ようとするが、検索サイトのアイコンを押そうとする細い指が震える。


「で、でも、もし、これでゾンビ化したのがあの店員だったら……」


 すっと、指はスマホから離れる。しばらくそのまま固まっているとスマホの画面が黒く消える。


「い、いや、そんな訳ない。そんな訳ないさ。専門家も4~6日しないとゾンビ化しないと言っているんだ。そのゾンビと俺は無関係だ。そうだ。俺は殺していない。仮にあの店員が死んでいたとしてもきっと殺したのはゾンビだ。それなら知らなくても同じだよな。知らなければいいんだ。どうせ、俺は殺していないし。ハッハハ」


 乾いた笑いがアパートの一室に悲しく木霊する。


「いや、でも、やっぱり、俺悪くないよな。ニュースを確認くらい……」


 ゾンビ化の真相を確かめたい気持ちと、本当に自分が殺していたらどうしようという気持ちがぶつかり合い、右手をスマホに伸ばすが、左手はそれを止めるという構図で、手が宙を舞う。


「くっ、確かめたい。けど、もしもがあったら……、いや、でも」


 ガシッと右手でスマホを掴むと、画面を開いた。


「いや、やっぱダメだっーーーー!!」


 孝平はスマホを持ったまま、窓を開けると、スマホを外へ投げ捨てた。


「はぁー、はぁー、くそっ。やっちまった」


 普段なら大切に扱うスマホだが、今の孝平には自分を天国にも地獄にも突き落とす神判の天秤にしか思えなかった。 


「でも、これで、ニュースを気にしなくて……」


 そのとき、孝平の目に飛び込んで来たのはテレビだった。


「こ、これを点ければニュースで真相が分かるかも……。お、俺は、本当に殺しちまったのか? そ、それともやっぱりあれじゃ死んでなくて、別にゾンビが現れたのか?」


 ごくりっと生唾を飲み込み、震える指先がテレビの電源に近づく。

 そして、とうとう電源を指が押し込むと、ピッという微かな音を立ててテレビがつく。


「王様に言われたい昼~~っ!!」


 旬の芸人がMCを務める昼の通販番組が流れる。

 それを見た孝平は、安心したようなガッカリしたような表情を浮かべ、そしておもむろにテレビの電源を抜いた。


「こ、これがあると、また見てしまう、よな」


 一度目を閉じて意を決した顔を見せた孝平は、台所からハサミを持って来て電源コードを切った。


「こ、これでテレビも、もう観れないな。大丈夫。大丈夫だ。俺はやってない。やってないんだ」


 それでも落ち着かない孝平は、うろうろと室内を歩き回る。


「くっ、う~ん。気になる。気になるんだが見たくない。見ない方が良いはずなんだ」


 時計の針が無常にも進んで行く。

 あっという間に時間が過ぎると、孝平は、


「ああっ! ダメだ。やっぱり気になる!! スマホを取りに行こう」


 投げ出したスマホを探しにアパートから出る。

 

「確か、この辺りに投げたはずだけど……」


 しかし、いくら探してもスマホが見つかることはなく、首を傾げる。


「見れないと思うと気になる……」


 そんなとき、歩きスマホをするサラリーマンが見えると、孝平はバレないようにそうーっとスマホを覗き見るが、残念ながら、そこにはユーチューブの画面が表示されているだけでニュースの類は映っていなかった。


「ハッ! 何をしているんだ俺は。もし、今のでニュースを見て、俺が殺したことになっていたら、今のサラリーマンに捕まって、死刑も……」


 青ざめつつも、それでもゾンビがなぜコンビニに現れたのか、あの店員はどうなったのか。自分は本当に人殺しになってしまったのかが気になる。

 しかし、同時に、知らなければ人殺しではないままの人生を送れるのではないかとも思ってしまう。


「ダメだ。このまま一つのところにいたら参っちまう。少し、散歩でもしよう」


 Tシャツ、ジーパンという外出着に着替えると、先ほどのように不意に情報が降って来ないように、街中は避けて、閑静な住宅街をとぼとぼと歩いてみる。


 幸せそうな家庭がある家が立ち並ぶだけで、なんの情報も入って来ないこの空間は孝平に取って一時のいこいを与えてくれたが、住宅街を抜けると、駅前へたどり着く。


 すると、そこかしこに情報が溢れ、視線をそらした先のゴミ箱にすら、新聞紙という情報源が落ちている。

 ゴミ箱の入り口から半分出ている新聞。そして、半分見える一面のその見出しには、『ゾンビ』の文字が。


「も、もしかして、あのコンビニの件か……?」


 ごくっと生唾を飲み込む。

 ゴミ箱へと手を伸ばす。が、しかし、知る恐怖に気圧され、とっさに新聞を叩くとするりとゴミ箱の中へ落ちていった。


「あ、危ない。見てしまうところだった」


 そのとき、ふと孝平の視線に、新聞と一緒に捨てられたときにゴミ箱から零れ落ちたであろう週刊誌が。

 その見出しが目に留まる。


「うわっ! 見ちまった。……ん? 相次ぐ失踪事件? ふ~ん、そんな事件も起きてるのか」


 たった一日ニュースを見ていないだけで、ずいぶんと情報にうとくなってしまうのだなと、孝平は思ったが、これは週刊誌だから数日前の記事であると気づく。


「この週刊誌なら見ても問題ないな」


 現在のニュースを見たいような決して見たくないようなという二律背反のストレスを紛らわすように週刊誌を拾うと近くのベンチに腰を降ろした。


「ふ~ん、謎の失踪事件が続いていると。うわっ、結構この近くじゃん……。もしかして失踪した人物は殺されていてゾンビに。そのゾンビがコンビニを襲ったっていうのもありうるか? もし、そうなら俺は完全に無罪だ。あ、いやいや、コンビニ強盗は未遂だけどしたから完全無罪ではないか」


 そんな風に考えていると、警察の姿が。


「な、なんで、ここに警察? 俺を探しに来たのか?」


 孝平は週刊誌を投げ捨て、そのまま逃げだした。

 警察は駅前の交番に向かい、孝平の存在には気づきすらしなかった。


             ※


 そのまま自宅のアパートへと逃げ帰った孝平だったが、やはり、ニュースが気になる。

 だが、スマホもないし、テレビも壊した。

 コンビニで新聞や週刊誌を見るのは罪悪感と恐怖でする気になれない。

 駅周りには警察の影。


「気になる。けれど、見ない方が……。どうしたら、いいんだ」


 夕暮れ時、外には学校を終えたのか高校生たちが行きかう。

 皆一様にスマホを出して、思い思いの操作をしている。


「歩きスマホなんかして危ないだろうに……。ここから、なんとか画面が見えないかな?」


 孝平は首を伸ばし、部屋の窓から道行く高校生のスマホを覗くが、流石に距離があり見ることは叶わなかった。


「そうだ。昼間はあのサラリーマンのスマホの画面は見れたんだから、下に降りれば見れるんじゃないか? 流石、俺!!」


 孝平は名案を思い付いたと自分を褒め、そして、処分する予定だった強盗に使った黒い服に身を包んだ。

 それが一番闇に紛れやすい服だと考えたからだ。


 日が沈み、闇が世界を支配すると孝平は動き出した。

 電柱の影に潜み、そこからすれ違った人のスマホの中身を盗み見ようという考えだ。


 歩きスマホをしながらやってくる女子高生。

 孝平には気づかないようで、電柱を通り過ぎると、背後からスマホを覗き込む。

 スマホに表示されていたのはSNSでニュースの類では一瞬ないように見えたが、トレンドの中にゾンビの文字を見つけると、孝平の心拍数は一気に上がる。


(いったい、何が書かれているんだ。怖い。怖いけど気になる)


「ハァハァハァ」


 荒い呼吸で女子高生に背後から迫る。

 その気迫と息遣いに気配を察知したのか、女子高生は振り返り孝平を見つけると同時に叫んだ。


「きゃああああああっ!! 変態っ!!」


「ち、違っ」


 いい訳をしようとしたが、騒ぎで警察が来ると事だと思った孝平はそのまま逃げだした。


 大周りをして、アパートになんとか戻った孝平は頭を抱えた。


「違う。違うんだ。変態じゃない。ちょっとスマホを見せてもらおうと思っただけなんだ。いや、見なくてもよかったんだ……。俺はいったい、何がしたいんだ? ああ……。コンビニ強盗なんて、するんじゃなかった……」


 体を小さく丸め、そのまま日が変わるのを待った。

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