弟としての僕の犬
稲光颯太/ライト
弟としての僕の犬
僕には弟がいる。
中には人間もいるが、また、中には犬もいる。名前はニモ、犬種は雑種らしいがチワワ。オス。ブルドッグみたいな大きさ。僕が小さい頃から長いこと一緒に暮らしたので、もう弟みたいなものだ。
それが十月十九日の早朝。約十六年も生きて、いよいよ亡くなった。
彼が僕の家に来たのは、たしか僕が六、七歳ごろのこと。当時、祖父母と一緒に住んでいた僕の家に、赤ん坊くらいのニモがやってきた。とても小さかった。小さかった僕が小さいと感じたのだから、本当に小さかったのだと思う。
きっかけは朧気だが思い出せる。僕と弟(人間)が祖父に連れられて散歩をしていた時、捨てられた老犬を見つけた。冗談みたいな段ボールに入って震えていたという記憶が微かにある。その犬はかなり年老いていて、祖父は保健所に連絡したのだと思う。結構みすぼらしかったし、きっと生命的に危うい状態にあったのではないか。その散歩をしてから幾らか経って、子犬のニモが家にやって来た。保健所関連で、同じチワワの子犬がいますが飼ってみませんかという話になった、はず。高校生くらいの時に話は聞いたが正確には覚えていない。
僕も弟(人間)もニモも子どもで、本当に兄弟の一人みたいな気分でみんな育った。僕は少なくともそう思っている。ちなみに、ニモという名前は祖父が付けた。テレビで流れていたディズニーのファインディング・ニモから取った。ニモみたいに小さいからだった。
僕は母と弟(人間)と、十四の頃に別の家に引っ越したから、ニモと暮らしていたのは実質七年くらい。彼の
いつからだったか。僕は自分の身内の死を想像することがある。その時にどんな気分になって、果たして自分はまともに生活を続けられるのか。途方もない哀しみで動けなくなる前に、あらかじめ覚悟を決めておきたいのかもしれない。どうしてそんなことを考え出したのか、明確なきっかけがある訳じゃないけど、高校のS先生(『十八年』という作品の中の『僕の嫌いな先生』という小説に書いている)や、いつか文章に残すとは思うけど血の繋がった父親が死んでいることに理由があるのかもしれない。比較的早くに知り合いや身内の死を知ったから、防衛反応として家族や友人の死を考えたりするのかもしれない。しかし、ニモが僕に教えてくれた。そんなことをしても無駄なのだと。
ニモが死んだ日。その日の二、三日前に僕は友人と「実家の犬がもう十六にもなるからそろそろ覚悟しなくちゃいけない」という話をしていた。その時に、いろいろと考えたりはしたものだ。そうでなくとも、ニモもおじいちゃんだから元気がないねとか、写真を見返してあと何回写真を撮れるだろうかと考えたりしていたのだ。かなり覚悟は決められていると思っていたし、穏やかに「長生きしたな」と言って受け入れるつもりだった。しかし、十日近く経った今の僕が抱えているのは喪失感だ。未だに彼を忘れて過ごせた時間が一日を超えない。恐ろしいことだ。
考えるに、重要なのは決定してしまったことだ。ニモが将来のどこかで死ぬと思えるのと、もう今のこの世界で彼は死んでいるという事実が決定してしまっているのでは、何をしても取り返しがつかないことへの虚脱感が違う。もっと一緒に遊んでおけば、とかは考えたりしない。ただ単純に、死ぬのだろうと思っていた相手が、もう死んでしまったという状態にあるのが、その圧倒的な現実が、強烈すぎる力で僕の目を覆う。ここ最近は気を抜けば何度も立ち止まってしまいそうになる。急に動かなくなって、ひたすらニモの死を嘆きたい。お腹を撫でる時のあの感触は二度と感じられない、地元に帰っても彼には決して会うこともできない、手をなめてもらえない、一緒に散歩ができない、日常のふとした時に、そんなことを痛感する。何よりも強くて確実な現実が何度も突き付けられる。何をしてもその事実は決定されてしまっているから覆らないのだと悟ることがきつい。人生の一部にあったものを永遠に喪失してしまったことを、心から理解してしまうから嫌なのだ。
ニモが教えてくれたことはつまり、大切なものを失う悲しみなんて、軽減させようとしても不可能なのだということ。逆説的に言えば、それだけ失いたくないものが大事なのだ。ああもう、父親の墓よりも手を合わせたくない。本当に向き合うのが嫌だ。このまま僕が、一生地元に帰らなければ、僕の中でニモは永遠に生きていることにできる。でもまあ、きっと現実はそんなことは不可能になるようにできていると思う。ニモや、僕は弟を一匹失って本当に辛いよ。わかっておくれ。
弟としての僕の犬 稲光颯太/ライト @Light_
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